第7話 文字じゃ伝わらない思い出

「もう、なんなのよ……」


 気を失ってしまった、というより自分自身が失わせた一郎いちろうを、偶然教室の前を通りかかった先生に保健室まで運んでもらってから、紅葉あかばはトイレに手を洗いに来た。

 もちろん、手を洗うのはついでで、本当は今の自分がどんな顔をしているのかを見ておきたかっただけ。

 告白したつもりなのに、断られるどころか受け取り拒否レベルの勘違いをされた彼女は、自分でも次にどんな表情をして一郎と話せばいいのか、分からなくなっていたから。


 もちろん、最後まで伝わるようにと粘ってはみた。

 紅葉は意識が朦朧とする一郎に向かって、必死に言葉をかけ続けたのだ。でも。


「本当に何も思わなかったの?」

「……そう言えば……小説の中の教室と似てる……」


 なんて、あえてそう書いてるの!どうして点と点が繋がらないのよ!


太郎たろうを一郎に言い換えてたのは?!」

「……紅葉、言い間違えちゃったんだな……」


 とか言って、ヘラヘラ笑ってるし!倒れかけでその笑いされると、死ぬ間際みたいだからやめて!私、泣いちゃうから!

 それに、これが最後のチャンスだと思って、紅葉は思い切ったことも言っていた。


「私、一郎に気付いてもらうためにあの小説書いたの!」

「……だから、アイスの棒を集める癖が似てたのか……」


 って、気付いて欲しいのは一郎の悪いくせじゃないわよ!本当に鈍感……文字にしたら少しは伝わると思ってたのに……。

 直接伝えるなんて絶対に無理だし、かと言ってこれ以上小説のことをほのめかしても、理解された時に恥ずかしい思いをすることになる。

 なんて考えているうちに、一郎は紅葉の前で意識を失ってしまった。

 その瞬間の彼女の心情は、ほっとしたような、チャンスを逃してしまったような、そんな複雑なものだった。


 そして今に至る。ハンカチで手を拭いてから保健室に戻っても、一郎はまだベッドの上で眠っていた。

 それが自分のせいだとしても、今の紅葉はやっぱり彼のせいにしたくなってしまう。

 もしも自分の想いにすぐに気が付いてくれていれば、こんな気持ちにならずに済んだのに……と。


「……この鈍感」


 ベッドのそばにイスを置いて腰掛けた紅葉は、寝息を立てる一郎の頬をツンツンとしながら、小さくため息をつく。


 一郎ってば、本当に酷い。高校生の時にラブコメみたいなことをした覚えがないですって?誰が高校生の時の話だなんて言ったのよ!

 それはこれから2人で作っていく予定でしょうが!

 そう心の中で文句を垂れ流しながら、彼女は過去にあった一郎とのラブラブコメコメを思い返した。



 幼稚園で会ったばかりの時のお泊まり保育で、夜中に一郎と抜け出したことがあった。

 小学生の時、ふたりで暗くなるまでウサギ小屋に閉じ込められたこともあった。

 中学生の時、2人で荷物を運んでいた時に階段で転んで、一郎の目前でスカートがめくれあがったことだってあった。

 これのどこがラブラブコメコメしてないって言うの?ラッキースケ……そういうのだってあったじゃない!

 私じゃカウントできないってこと?満足出来ないってこと?!覚える価値もないって―――――――なんて、何言ってるんだろう。


 紅葉は「落ち着いて、私」と声に出して、ズキンズキンと痛む胸を落ち着かせた。


 自分でもわかってるはず、一郎は覚えていないんじゃなくて、単に思い出していないだけ。

 私が『こんなことあったわよね』と2人の出来事として具体的に話せば、きっと思い出してくれる。でも、もしも忘れられていたとしたら……私だけが覚えているなんてことになったらと思うと、怖さと恥ずかしさで体が震えてしまう。だから言い出せなかった。


 それに、一郎にとってそういう出来事は、何ら特別なことではなかったのかもしれない。

 だって、お泊まり保育を抜け出したのは、私のトイレに着いてきて貰ったついでに、星を眺めていただけ。

 ウサギ小屋に閉じ込められた時だって、暗くなっていく外の様子を私が怖がったから、彼にはずっと慰めてくれていた記憶しかないと思う。

 ラッキーなんとかの件だって、私は一郎があの時目を閉じてくれていたことを知っているもの。

 恥ずかしくて逃げちゃったけど、彼の『何も見てない』の言葉が嘘じゃないことくらい、ちゃんと気付いていた。


 彼の前だと素直になれなくて、そのせいで凝り固まった思いは簡単に出すことが出来ない。

 だから、2人きりになるとついつい冷たくなっちゃって……『言いたいこと言いやがって』と言われた時は、ついに嫌われたかと思った。

 一郎がそんな人間じゃないことを知ってるはずなのに、胸の奥でぐしゃっという音が聞こえたような気がして、心臓に針を埋め込まれたような痛みを感じた。

 嫌われたくなくて、見捨てられたくなくて、そばにいたいという気持ちが私の背中を無理やり押して……。

 ただ、その場で告白の言葉を紡ぐことなんて私には出来ないから、一郎自身から褒められた告白の言葉を口にした。結局、失敗しちゃったけど。



 紅葉は小さくため息をつくと、一郎の幸せそうな寝顔を見つめて小さく微笑んだ。

 けれど、それは心からの微笑みではなく、深く暗い部分に諦観ていかんの念を含んだものだった。


「……無かったことにしちゃおっかな、告白」

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