第6話 春でも夕暮れはひんやりとする

 放課後、30分ほどは渉流わたるも残ってくれたけど、用事があるからということで帰ってしまった。

 時間もギリギリだから、このまま直接目的地に向かうらしい。自分の時間を削ってまで俺の話し相手になってくれるんだから、本当に根は良い奴だよな。

 その後はスマホでシャンシャンやって暇をつぶし、そろそろ手と指が疲れてきたという頃に、ようやく教室の扉が開いた。


「……お待たせ」

「大丈夫だ、待ってないぞ」

「嘘つけ。2時間も待たせちゃって、それが通用するほど馬鹿じゃないわよ」

「え、2時間?」


 そう言われて壁にかかっている時計を見上げてみると、確かに学校が終わってからそれだけの時間が過ぎている。

 空もいつの間にかオレンジがかってきていた。


「そういえば、シャンシャンに夢中になりすぎて時間見てなかったな……」

「シャンシャン?私も見たい」


 紅葉あかばは無理矢理スマホの画面を覗き込んでくると、「なんだ、パンダじゃないじゃない」と文句を呟いて俺から離れた。

 確かにあっちもシャンシャンではあるが、勝手に勘違いして不満漏らされても、俺がちょっと傷つくだけなんだよな。

 ごめん、俺の推しのみゆたん。紅葉には君の良さが分からないみたいだ……。


「何、画面に向かって変顔してるのよ」

「し、してねぇよ!」

「してたわよ、一郎いちろうみたいな顔だったわ」

「俺が俺みたいな顔で何が悪いんだよ!」


 俺の顔の何が不満だって言うんだよ。いや、不満はそりゃあるだろうけど、それを言っていいのは持ち主である俺だけのはずだろ?


「2人っきりになると、いつもそうやって言いたいこと言いやがって……」


 俺からすれば、それはほんのささやかな仕返しのつもりでそう呟いただけ。でも、「待ち疲れたな、早く帰るぞ」とカバンを肩にかけようとイスから立ち上がった瞬間、弱々しい声が聞こえてきて俺は手を止めた。


「……ごめんなさい」


 それは、普段謝られる時にも聞いたことがないくらい弱々しくて、喉の奥で微かに震えている声。

 紅葉の口からそんなものが出てくるなんて思ってもみなかった俺は、つい耳を疑ってしまった。


「ど、どうして謝るんだ?」


 そう聞くと彼女は少し俯いたまま、自分に向けた右手の人差し指で扉を指差して見せる。タイミングを考慮して、あっち向いてホイでは無さそうだな。


「本当は30分前にはあそこにいた。でも、入る勇気が出なかったから……」

「勇気ってなんだよ。ただ、普通に扉を開けて入ればいいだけだろ?」

「そうじゃないから勇気がいるの……!」


 バンッと近くにあった机に手をつき、前のめりになる紅葉。大きな音に思わず体が固まってしまう。


「お、怒ってる……?」

「怒ってないわよ!」

「怒ってるじゃん!」

「だから、怒ってないって……もう、どうして気付いてくれないの!」


 紅葉はわしゃわしゃと掻くと、ダンダンと地団駄を踏んで、俺のいる方へと歩み寄ってきた。

 その険しい表情と迫力に思わずイスに腰を下ろしてしまい、それでも止まらない紅葉のつま先がイスの足にコツンと当たる。


「なんか、近くないか?」

「わざと近づいてるのよ」

「何のために?」

「そ、それは……」


 彼女は言葉に詰まったように視線を逸らす。が、深呼吸をするとすぐに俺の目を見つめ直して、真剣な声色で言った。


「いつでも一郎の体温を感じられる距離にいたいから……」


 言い終えるのと同時に、彼女の顔や耳はだんだんと赤みを帯び始める。そんな熱を冷まそうとしたかのようなタイミングで、空いた窓から吹き込んだ春風が俺たちの頬を撫でた。


「一郎、何か言ってよ」

「……ごめん、今まで気付かなかった」

「やっと分かってくれた?」

「ああ、遅くなっちゃったけど」


 俺は彼女に微笑みかけると、再度イスから立ち上がって紅葉の頬に手を当てる。手のひらが冷たかったのか、彼女は一瞬首をすくめた。


「頬、冷たい。この時間だと寒かったよな」

「……ん?」


 紅葉の手を取って、ぎゅっと強く握ってあげる。「温かいだろ?」と聞くと、「ええ、まあ……」と曖昧な返事を返された。

 春と言えど夕方は風が冷たいし、耳まで赤くなるほどだから相当寒かったのだろうと思ったのだが……反応を見るに、求められているのはこれじゃないらしい。


「あ、分かった!さっきのセリフ、紅葉の小説にあったヒロインが告白するシーンのだよな!」

「そ、そう!そうよ!」

「夕焼けに照らされる教室、様子のおかしい幼馴染、そして体温。既視感があると思ったら、そういうことか!」


 さっきから何か引っかかってる気がしてたんだけど、これでようやく点と点が線になった。


「わざわざ読み聞かせの続きをしてくれるなんて、律儀なやつだな!」

「…………へ?」

「あ、どうせならこの後の『主人公が動揺して告白を断る』ってシーンの読み聞かせも――――――」

「するかっ!この鈍感!鈍感メガネ!違うだろぉぉぉぉぉ!」


 突然大声を出した彼女に、「いや、俺メガネなんて……っていうか、今の豊〇議員のモノマネか?」

 と聞いたら、腹にコークスクリューをぶち込まれた。


「ぐふっ……いいパンチだった、ぜ……」

「……この鈍感クソメガネ」


 その呟くような言葉は、意識が遠のく直前にギリギリ聞こえてきた。

 だから、俺は鈍感でもメガネでもないって言うのに。視力1.5以上やぞ?日本のマサイ族やからな?

 まあ、クソは認めなくもないけどさ。

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