ざん、と刀を振るえば、僕に斬りかかってきた男は血飛沫を撒き散らしながら倒れた。

 人を斬るのは大変だ。とてつもない力がいるし、一瞬で相手の隙を見付けて懐に潜り込まなければならない。

 だいぶ慣れてきたとはいえ、やっぱりまだまだ上手くはいかない。僕は刀に付いた血を払いながら、小さく深呼吸した。


「こ──この白子、化け物か」


 仕損じた男が、千切れかけた腕を押さえながら譫言うわごとのように呟く。

 自分たちの方から乗り込んできた癖に、何を被害者ぶっているのだろう。僕は疑問に思いつつ、その男の喉元に刃を突き立てた。

 ひゅうひゅう、とか細い呼吸音が鳴っていたが、じきに止まるだろう。僕は刃を引き抜いてから、室内を見渡す。


 宇治に所在する、僕の屋敷。その大広間には、刺客たちの死体がおおよそ十程転がっていた。


 彼らを斬ったのは、他ならぬ僕だ。けれど、それはあくまでも正当防衛のため。突然僕の屋敷に来襲したかと思うと、特にこれといった理由も告げずに僕へ斬りかかってきた。それを、ことごとく返り討ちにしてやったという訳だ。

 大広間は血の海だった。掃除するにも、結構な手間がかかるだろう。使用人たちは皆やる気がなさそうだから、結局は僕が何とかしなくちゃいけないのかな。

──それはさておき。


「……これ、君の差し金でしょう。随分と乱暴なことをするんだね」


 真っ正面のふすまが開く。何人か──五人以上、十人未満と思われる人の群れが見えた。

 中心に立つ人物は、僕に冷ややかな目を向けた。そんな顔をしたところで、怖くも何ともないけれど。

 その人物はぐるりと室内を見回して、はあ、と溜め息を吐いたようだった。遠くてよく見えないけれど、ならきっとそうするだろう。


「……驚いたな。まさか此処まで抵抗するとは」

「当たり前でしょう。僕が何をしたというの? いきなり押し入ってきて、僕を殺そうとするなんて。賊ならまだ良かったけれど、まさか足利の家臣の分際でこんな凶行に及ぶなんて。意外といやしいんだね──神母坂いげさか常若とこわか?」


 来訪者の首魁しゅかい──常若は、一歩室内へと足を踏み入れる。

 彼や、彼に付き従う者たちは、皆一様に真っ黒な装束をまとっていた。殺しの仕事なのだろう。

 その標的は、間違いなく僕。本当なら先鋒せんぽう部隊だけで済ますつもりだったのだろうけれど、彼らは僕に全滅させられた。それで、やむなく本隊がやって来たということだろう。


「ねえ、何が気に入らないの、常若? わざわざ殺しに来るなんてさ。僕は石田にも、徳川にも付かない。天下の万事に、もう足利は関われない。それなのに、僕の命を狙うのは何故?」


 息を整えながら、僕は問いかける。

 常若が僕を良く思っていないことは、ずっと前からわかっていた。大方、天花の側に無許可で近付いて、彼女と仲良くしていることが気に食わないのだろう。僕がいらぬことを吹き込んで、天花を思い通りに出来なくなるかもしれないから。

 でも、殺すにしたって相応の理由──すなわち大義名分が必要となる。まかり間違っても、僕は足利将軍家の遺児だ。隠されて育てられてきたから公には知られていないけれど、常若たちはその秘密を保持する側に立っている。ただ気に食わないからというだけの理由で殺せる立場ではない。

 今日の常若は、いつもにまして無表情だった。意識して表情を消しているのか、自然とそうなったのかはわからない。でも、その表情を歪めさせるのもまた一興だと思った。


「知れたこと。貴様が罪を犯したからに他ならん」


 常若はそう言って僕を睨み付けた。──ような気がした。この距離ではよく見えない。

 その瞳の奥に、何があるのか。大体予想はついたけれど、確証はない。もっと近付かないとわからないだろう。こういう時ばかりは、白子故の視力の低さに辟易へきえきとする。


「罪ってなあに? 僕、こう見えて慎ましく生きてきたつもりなんだけど。何か気に入らないことでもあった?」


 首をかしげて尋ねると、その場にいる者たちの空気がぴりついた。

 ああ──この様子だと、のことかな?


弐川にかわ治政はるまさ茂尻もじり角右衛門かくうえもん井沢いそう総兵衛そうべえ安賀里あがり直七なおしち


 僕は次々と人名を羅列していく。人の名前を覚えるのはあまり得意じゃないけれど、彼らのことはよく知っている。調べ上げたのだ。

 全ての名前を口ずさみ終えてから、僕は常若に向き直った。あいつは今、どんな顔をしているのかな?


「この人たちのことでしょう? 僕を殺したい理由。何となくだけど、わかるよ」

「……自覚があったのか、貴様。知らぬ存ぜぬを貫くかと思っていたが──」

「まさか。どうして僕が誤魔化すような真似をしなくてはならないの? 僕は何も悪いことなんかしていない。天花にすり寄る可能性のある不穏分子を、前もって始末してあげたんだよ? この上ない善行だと思わない?」


 煽るように、僕はうそぶく。今更常若のご機嫌取りなんてするものか。

 先程名前を挙げた人々は、もうこの世にはいない。どれもこれも、皆僕が斬った。

 彼らは既に権勢を失った足利にも、何かしらの利用価値があると踏んでいたのだろう。同じ大名に仕えている訳ではなかったけれど、皆同じように天花の住まう屋敷を訪れていた。特に、人質として大坂に──とのたまう者が多かった。

 だから殺した。天花を守るために、夜闇に紛れて彼らを討った。それを後ろめたく思うことはないし、むしろよくやったと思っている。


「君たちにとっては都合が悪かったかな? 体面を保つのも大変だもんね。権力者の敵に回ったら、すぐに罰を食らうことになるから、僕に責任を押し付けるつもりなんでしょう。その姑息こそくさ、君たちらしいや」

「あなたねえ、私たちの何を知って──!」


 常若の側に侍っていた一人が声を荒らげたが、怯むようなことではない。声色からして、隠密か何かの女だろう。こうも感情的だと、仕事に差し障りがあるんじゃないだろうか。

 一方常若はというと、噛み付こうとした女の前に片手を出すことで彼女を制した。お前は黙っていろ、と彼の雰囲気が語る。


「今、天下は揺らいでいる。貴様は気にも留めていないのだろうが、俺たちは足利の存続のために色々と手を回さなければならない。それを貴様の私情で壊されては堪ったものではないんだ。これでもわからないか?」

「ううん、わかったよ」


 僕は刀を構える。いつ斬りかかられても大丈夫なように、体勢を整える。


「君たちは、天花個人ではなく、足利を取るんだね。──それなら、僕は君たちの味方にはなれないし、人を殺したことも後悔はしない」


 それは、僕なりの宣戦布告だ。

 常若は周りの者たちに目配せをした。殺せ、という合図なのだろう。

 狭い室内、背後に壁があれば、あちらも一気に攻め込むことは出来ない。一人ずつ相手にしていけば、どうにかなるだろうか。

 まず、三人が一気に駆け込んでくる。前衛と後衛で戦力を分散させる算段だろうか。

 僕は一歩踏み込んで、初めに斬り込んできた男の腕を狙う。自分で言うのも何だが、僕は男の中では小柄な方に入る。まともな打ち合いをしたら、相手は体格差に物を言わせてくるだろう。

 斬撃をかわし、相手の腕に刃を滑らせる。腕ごと斬り飛ばすことは叶わなかったが、傷を負わせることは出来た。


「くそっ、白子の癖に……!」


 白子だから何だというのだろう。それで剣の腕に優劣がつくとでも?何とも下らない評価をもらったものだ。

 しかし、相手は三人。油断は出来ない。

 先程声を上げた女と、もう一人──先程の男よりも小柄な男が、間髪を入れることなく僕に襲い掛かる。致命傷を避けることは出来ても、細かな傷はいくつもこしらえることになってしまった。

 傷だらけになったら、天花は僕を怖がるかな?いや、天花は優しいから、僕が僕である限り受け入れてくれるだろう。不安に思うことなんてない。

 剣戟けんげきはしばらく続いた。手傷を負わせたとはいえ、三人とも五体満足。攻撃の手が緩まることはない。

 対して、僕の体力は消耗の一途を辿っている。この三人が初回の相手という訳ではないから、疲労が蓄積しているのだ。

 長くは持つまい。ならば、逃げるのも一手か。

 僕は迫り来る白刃をいなし、退路を見極めようと目を細めた。腕が持っていかれる可能性もあるけれど、最悪一本は残れば良い。天花を置いたまま死ぬよりはずっと──。


ま、


し?


 ぱあん、と何か弾けたような音がしたと思ったら、僕の顔の左側を何かが貫いている。

 痛みよりも先に、何かしら、という疑問が思い浮かんだ。そしてそれを確認するよりも先に、僕の体はどうと倒れて──胸部を中心に、次々と刃が突き立てられた。

 嗚呼、死ぬな。これは。生き延びることなんて、出来なくなってしまったな。


「……流石、国友衆といったところか。これほどの精度を持つ種子島を作るとは──良い商いだな、本当に」


 ぐわんぐわんと耳鳴りが酷い中、常若がそういったことを言っているのはわかった。

 僕は撃たれたのだろう。大きさからして短筒だろうか。常若はあれを隠し持っていたのだ。

 鉛玉に殺されるだなんて、滑稽こっけいなこともあるものだ。僕は笑おうとして──ぼやける視界の端に、を捉えた。

──あれは。


「お──兄様──?」


 掠れた声だった。いつもの、弾むような調子はなかった。

 それでも彼女のものだと、僕はすぐにわかった。気付かないはずがなかった。


 天花。天花。僕の可愛い妹。


 どうして此処にいるのだろう。此処にいたら、殺されてしまうかもしれないよ。早く、早く逃げて。今ならまだ、間に合うから。

 僕は彼女に生きて欲しかった。どんなことがあろうとも生き延びて、幸せになって欲しかった。それが僕の願いなのだと、ずっとずっと思っていた。

 それなのに、何故?


 何故僕は──怒りに歪んだ天花の顔を見て、この上ない喜びを覚えてしまったのだろう?


──暗転。

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