六
人を斬るのは大変だ。とてつもない力がいるし、一瞬で相手の隙を見付けて懐に潜り込まなければならない。
だいぶ慣れてきたとはいえ、やっぱりまだまだ上手くはいかない。僕は刀に付いた血を払いながら、小さく深呼吸した。
「こ──この白子、化け物か」
仕損じた男が、千切れかけた腕を押さえながら
自分たちの方から乗り込んできた癖に、何を被害者ぶっているのだろう。僕は疑問に思いつつ、その男の喉元に刃を突き立てた。
ひゅうひゅう、とか細い呼吸音が鳴っていたが、じきに止まるだろう。僕は刃を引き抜いてから、室内を見渡す。
宇治に所在する、僕の屋敷。その大広間には、刺客たちの死体がおおよそ十程転がっていた。
彼らを斬ったのは、他ならぬ僕だ。けれど、それはあくまでも正当防衛のため。突然僕の屋敷に来襲したかと思うと、特にこれといった理由も告げずに僕へ斬りかかってきた。それを、
大広間は血の海だった。掃除するにも、結構な手間がかかるだろう。使用人たちは皆やる気がなさそうだから、結局は僕が何とかしなくちゃいけないのかな。
──それはさておき。
「……これ、君の差し金でしょう。随分と乱暴なことをするんだね」
真っ正面の
中心に立つ人物は、僕に冷ややかな目を向けた。そんな顔をしたところで、怖くも何ともないけれど。
その人物はぐるりと室内を見回して、はあ、と溜め息を吐いたようだった。遠くてよく見えないけれど、彼ならきっとそうするだろう。
「……驚いたな。まさか此処まで抵抗するとは」
「当たり前でしょう。僕が何をしたというの? いきなり押し入ってきて、僕を殺そうとするなんて。賊ならまだ良かったけれど、まさか足利の家臣の分際でこんな凶行に及ぶなんて。意外と
来訪者の
彼や、彼に付き従う者たちは、皆一様に真っ黒な装束を
その標的は、間違いなく僕。本当なら
「ねえ、何が気に入らないの、常若? わざわざ殺しに来るなんてさ。僕は石田にも、徳川にも付かない。天下の万事に、もう足利は関われない。それなのに、僕の命を狙うのは何故?」
息を整えながら、僕は問いかける。
常若が僕を良く思っていないことは、ずっと前からわかっていた。大方、天花の側に無許可で近付いて、彼女と仲良くしていることが気に食わないのだろう。僕がいらぬことを吹き込んで、天花を思い通りに出来なくなるかもしれないから。
でも、殺すにしたって相応の理由──すなわち大義名分が必要となる。まかり間違っても、僕は足利将軍家の遺児だ。隠されて育てられてきたから公には知られていないけれど、常若たちはその秘密を保持する側に立っている。ただ気に食わないからというだけの理由で殺せる立場ではない。
今日の常若は、いつもにまして無表情だった。意識して表情を消しているのか、自然とそうなったのかはわからない。でも、その表情を歪めさせるのもまた一興だと思った。
「知れたこと。貴様が罪を犯したからに他ならん」
常若はそう言って僕を睨み付けた。──ような気がした。この距離ではよく見えない。
その瞳の奥に、何があるのか。大体予想はついたけれど、確証はない。もっと近付かないとわからないだろう。こういう時ばかりは、白子故の視力の低さに
「罪ってなあに? 僕、こう見えて慎ましく生きてきたつもりなんだけど。何か気に入らないことでもあった?」
首をかしげて尋ねると、その場にいる者たちの空気がぴりついた。
ああ──この様子だと、あれのことかな?
「
僕は次々と人名を羅列していく。人の名前を覚えるのはあまり得意じゃないけれど、彼らのことはよく知っている。調べ上げたのだ。
全ての名前を口ずさみ終えてから、僕は常若に向き直った。あいつは今、どんな顔をしているのかな?
「この人たちのことでしょう? 僕を殺したい理由。何となくだけど、わかるよ」
「……自覚があったのか、貴様。知らぬ存ぜぬを貫くかと思っていたが──」
「まさか。どうして僕が誤魔化すような真似をしなくてはならないの? 僕は何も悪いことなんかしていない。天花にすり寄る可能性のある不穏分子を、前もって始末してあげたんだよ? この上ない善行だと思わない?」
煽るように、僕は
先程名前を挙げた人々は、もうこの世にはいない。どれもこれも、皆僕が斬った。
彼らは既に権勢を失った足利にも、何かしらの利用価値があると踏んでいたのだろう。同じ大名に仕えている訳ではなかったけれど、皆同じように天花の住まう屋敷を訪れていた。特に、人質として大坂に──と
だから殺した。天花を守るために、夜闇に紛れて彼らを討った。それを後ろめたく思うことはないし、むしろよくやったと思っている。
「君たちにとっては都合が悪かったかな? 体面を保つのも大変だもんね。権力者の敵に回ったら、すぐに罰を食らうことになるから、僕に責任を押し付けるつもりなんでしょう。その
「あなたねえ、私たちの何を知って──!」
常若の側に侍っていた一人が声を荒らげたが、怯むようなことではない。声色からして、隠密か何かの女だろう。こうも感情的だと、仕事に差し障りがあるんじゃないだろうか。
一方常若はというと、噛み付こうとした女の前に片手を出すことで彼女を制した。お前は黙っていろ、と彼の雰囲気が語る。
「今、天下は揺らいでいる。貴様は気にも留めていないのだろうが、俺たちは足利の存続のために色々と手を回さなければならない。それを貴様の私情で壊されては堪ったものではないんだ。これでもわからないか?」
「ううん、わかったよ」
僕は刀を構える。いつ斬りかかられても大丈夫なように、体勢を整える。
「君たちは、天花個人ではなく、足利を取るんだね。──それなら、僕は君たちの味方にはなれないし、人を殺したことも後悔はしない」
それは、僕なりの宣戦布告だ。
常若は周りの者たちに目配せをした。殺せ、という合図なのだろう。
狭い室内、背後に壁があれば、あちらも一気に攻め込むことは出来ない。一人ずつ相手にしていけば、どうにかなるだろうか。
まず、三人が一気に駆け込んでくる。前衛と後衛で戦力を分散させる算段だろうか。
僕は一歩踏み込んで、初めに斬り込んできた男の腕を狙う。自分で言うのも何だが、僕は男の中では小柄な方に入る。まともな打ち合いをしたら、相手は体格差に物を言わせてくるだろう。
斬撃をかわし、相手の腕に刃を滑らせる。腕ごと斬り飛ばすことは叶わなかったが、傷を負わせることは出来た。
「くそっ、白子の癖に……!」
白子だから何だというのだろう。それで剣の腕に優劣がつくとでも?何とも下らない評価をもらったものだ。
しかし、相手は三人。油断は出来ない。
先程声を上げた女と、もう一人──先程の男よりも小柄な男が、間髪を入れることなく僕に襲い掛かる。致命傷を避けることは出来ても、細かな傷はいくつも
傷だらけになったら、天花は僕を怖がるかな?いや、天花は優しいから、僕が僕である限り受け入れてくれるだろう。不安に思うことなんてない。
対して、僕の体力は消耗の一途を辿っている。この三人が初回の相手という訳ではないから、疲労が蓄積しているのだ。
長くは持つまい。ならば、逃げるのも一手か。
僕は迫り来る白刃をいなし、退路を見極めようと目を細めた。腕が持っていかれる可能性もあるけれど、最悪一本は残れば良い。天花を置いたまま死ぬよりはずっと──。
ま、
し?
ぱあん、と何か弾けたような音がしたと思ったら、僕の顔の左側を何かが貫いている。
痛みよりも先に、何かしら、という疑問が思い浮かんだ。そしてそれを確認するよりも先に、僕の体はどうと倒れて──胸部を中心に、次々と刃が突き立てられた。
嗚呼、死ぬな。これは。生き延びることなんて、出来なくなってしまったな。
「……流石、国友衆といったところか。これほどの精度を持つ種子島を作るとは──良い商いだな、本当に」
ぐわんぐわんと耳鳴りが酷い中、常若がそういったことを言っているのはわかった。
僕は撃たれたのだろう。大きさからして短筒だろうか。常若はあれを隠し持っていたのだ。
鉛玉に殺されるだなんて、
──あれは。
「お──兄様──?」
掠れた声だった。いつもの、弾むような調子はなかった。
それでも彼女のものだと、僕はすぐにわかった。気付かないはずがなかった。
天花。天花。僕の可愛い妹。
どうして此処にいるのだろう。此処にいたら、殺されてしまうかもしれないよ。早く、早く逃げて。今ならまだ、間に合うから。
僕は彼女に生きて欲しかった。どんなことがあろうとも生き延びて、幸せになって欲しかった。それが僕の願いなのだと、ずっとずっと思っていた。
それなのに、何故?
何故僕は──怒りに歪んだ天花の顔を見て、この上ない喜びを覚えてしまったのだろう?
──暗転。
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