第24話 準備
(明日出発か……)
家に帰った後、俺は椅子に腰掛けながらアーベルトさんに言われたことを思い返していた。右手には道中の売店で買ったパンを持ち、もう片方では簿記のテキストを開いている。準備として思いつくことが勉強しか無かったのだ。
(結構危険らしいけど……俺生きて帰れるのか?)
そんなことが頭に浮かぶが、いまさら引き返すことはできない。これがマキを助ける最後のチャンスになるかもしれないからだ。
「もー! ケイトさんパンだけじゃ体に悪いですよ! もっとちゃんとしたもの食べないと! はい、これ今日のご飯の野菜のスープです~!」
「おっ、おう……ありがとうな」
サナの心配そうな声とともに、テーブルに美味しそうな香りのするスープの入った器が置かれた。スープの中には色とりどりな野菜が入っており、パンだけの食事に彩りを与えている。これに関しては非常にありがたい。
だが正直なことを言ってしまうと、俺は彼女に早く帰ってほしかった。アーベルトさんから口止めされている以上、明日のことについて彼女に悟られるのはまずい。彼女には悪いが、とりあえず今日はもう一人で明日の準備を進めていきたいと思っているところだ。
「別に今日はもう帰ってよかったのに」
「えっ……!? どうして急にそんな冷たいこと言うんですか!? そんなこと言えるのは心が冷え切った証拠ですよ! ほら早くこのスープ飲んで温かい心を取り戻してください!」
サナはそう言うと、昔流行ったあの芸人の、特別なスープの歌を気分良さそうに口ずさんだ。
(それいつ流行った歌だよ……)
そういえば長らくその歌を聴いていないが、あの芸人さんは一体今何をしているんだろう。そんなことを思いながら目の前のスープをすすった。
「……まあでも、ケイトさんがそう言うなら仕方ありませんね。変に長居しているのも迷惑そうですし。そうしたら私はこのあたりで失礼します」
そう言い終わるとサナは、スープを飲む俺を横目に手荷物を小さなバッグにまとめ始めた。
「あっ! いや別にそんなわけじゃ……」
すると彼女のバッグの中から、ひらりと一枚の紙が俺の足元に落ちてきた。
「ん?」
俺はスープを口に運ぶ手を止めて、足元のその紙を拾った。ぱっと見たところ、会社員が使うような名刺だ。その名刺をよく見ると、どこかで聞いたことのあるような会社の名前と、人の名前が記されている。
(……あれ? この名前と会社ってもしかして……)
「あーーーーーーーーっ!!!!!!」
「わぁっ!? びっくりした……あ!」
突然サナの叫び声が聞こえたと思ったら、俺が驚いた隙に手に持っていた名刺を乱暴に奪い取った。彼女の方を見ると、目をウルウルさせながら奪い取った名刺を大事そうに両手に持っている。
「……見ちゃいました?」
サナは上目遣いで俺にそう問いかけた。
「見たって……えっと……」
そんな風にはぐらかそうとしたが、実際は自分が何を見てしまったのかは察しが付いていた。結構がっつり見たし変な誤魔化しは効かないだろう。俺は正直に話すことにした。
「今の名前と会社名って……アーベルトさんのだよね?」
「うう……お兄ちゃんは誰にも言うなって言われてるのに……。お兄ちゃん、どういうわけか勝手に自分の話されるの嫌みたいで」
そう言いつつ、サナは半分ベソをかいた状態で、手に持っていた名刺を再び俺に差し出した。その名刺にはおそらくアーベルトさんの本名であろう文字と、『ABEマーケティング株式会社』という会社名が記されていた。
(会社名まで"アベ"なのかよ……)
随分軽いノリで決められた会社名だ。そんなことを思いながら、濡れた視線をこちらに向けるサナに目を合わせた。
「……まあアーベルトさんは会社の経営者なんだし、その辺を気にするのも仕方ないよ。それに、今見たことは変に言いふらしたりしない。安心してほしい」
俺のその言葉を聞いたサナは、まるで雨雲の隙間から光が差し込むように、パッと明るい表情を浮かべながら顔を上げた。
「ほっ、本当ですか! やっぱケイトさん優しいです……。 次はちゃんと依頼受けられるように準備するので、また一緒に頑張りましょうね!」
「……そうだな」
(果たして次はあるのだろうか……)
明日はかなり危険なことになるとアーベルトさんから聞いている。俺はサナのその言葉に自信を持って返答することができなかった。
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