第22話 純資産

「なぁサナ」


「はい。どうかしましたか?」


「いや……どうしたじゃなくて……」


 困惑した様子の俺に対し、サナはキョトンとした顔で話している。


「なんで俺たち滝の下にいるんだ?」


「いやぁ……」


 サナは肩まで伸びている茶髪の先を指で弄りながら、弱々しい声でそう言った。


 俺はあの後サナを追いかけながらギルドに向かったのだが、サナが受けようとしていた依頼はすでに誰かが受諾済みであった。その後、このまま帰るのはもったいないということで、サナに連れてこられてのがこの場所というわけだ。


「ほら、今のケイトさんの状況って、漫画でよくある『修行パート』みたいなとこあるじゃないですか?」


「まっ、まあ……」


「で、やっぱ修行と言ったら滝じゃないですか? 某木の葉隠れの忍さんもそうでしたし」


「悪いが俺は木の葉隠れ出身じゃないし、螺旋状の手裏剣も使わん」


 っていうかこんなところで一体何をするんだろうか。滝に打たれてもしょうがないし、早く簿記の勉強がしたい。


 そしてサナには悪いが、本音を言うと勉強に関してはアーベルトさんに助けて欲しかった。もちろん彼女は俺より頭がいいのは確かだ。でもそれ以上に、若くして上場企業取締役まで上り詰めた人から、直々に会計を教わるのは憧れてしまう。


「あっ! ケイトさんあれ!」


「ん……?」


 サナがそう言って指さした方向へ、視線を向ける。


「あっ……あれは……」


 視線を向けた先には、どこかで見たことのあるような青いゲル状の物体が、プヨンプヨンと上下に跳ねているのが遠くに見えた。前面には丸い目が2つ付いており、どこか可愛らしい見た目をしている。


「あれはこの世界で『ライム』と呼ばれているシワケですね」


「いや……あれって完全にドラク……」


「いえ、あれはライムです。ちなみに青い色のライムは純資産の勘定科目です」


「そっ、そうなのか……」


「あと中には金属質のライムも確認されています。経験値は多いですが、すぐ逃げてしまうことで有名です」


 完全にメ○ルスライムじゃないか。っていうか今まで経験値なんて概念無かっただろ。そんなツッコミが出そうになったが、これ以上この件を続けると、どこかに怒られそうなので黙っておいた。


「ゲンキンハイトウ!」


「あれは……配当金のシワケですね。ケイトさんは配当金についてご存知ですか?」


「ああ……」


 最初の頃は戸惑っていたものの、このシュールな高い鳴き声に慣れてしまった自分が怖くなってくる。まるで人として何か大切なものを失った気分だ。


「配当金ってあれだろ? 企業が余った利益を株主に分配することだよな? 確か……これだ」


 俺は手に持ってるテキストの該当ページを開く。そこには、会社が利益を配当する仕訳が載っていた。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 繰越利益剰余金 30,000  / 現金 30,000


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「この『繰越利益剰余金』ってのは一体なんなんだ?」


 俺は初めて見た勘定科目についてサナに質問した。


「繰越利益剰余金というのは、これまで企業が積み上げてきた利益のことですね。よく『内部留保』なんて呼ばれたりもします。会社はこの中から配当をする決まりになってます。あまりに多く配当しすぎちゃうと、元手が無くなっちゃいますからね」


「利益を積み上げるってことは、会社は利益を全額配当しなくていいってことだよな? それって株主から怒られないのか?」


「確かにそういった印象を受ける人は少なくありません。現に内部留保は、株主への配当や設備投資に使われないような、無駄な余剰資金として称されることがあります。こういったメディアの報道もあってか、内部留保が多い企業は経営が下手という認識があるんです」


 確かに株主からすれば、会社にお金を溜め込むくらいなら配当してくれと思うだろう。仮に配当がないのであれば、設備投資などに使って事業を拡大してほしいと思うのは賛同できる。


「でもその考え方は間違っています。……今のケイトさんなら分かるはずですよ?」


「えっ……」


 サナは少し悪戯な笑みをしながら、上目遣いで下から顔を覗かせた。


 サナがそう言うことは、どこかで似たような話を聞いているに違いない。もし昔の自分なら、分からないと即答して、適当に開き直っていただろう。だが俺は変わると決めたんだ。マキを助けるためにも、自分で答えを導く力は必要不可欠である。


 俺は必死にこれまで学んだ知識を、頭の中で列挙していった。


「……そうだ。確か現金収支は必ずしも利益と一致するとは限らないんだ。だから利益の蓄積である内部留保も、同額の現金の蓄積じゃないってことか……」


「さすがケイトさんです! 会社が収益を計上するタイミングは、現金を回収するタイミングと一致するわけじゃありません。固定資産だって同じです。建物を買ったときはそれが資産に計上されますが、全額費用になりません。それは将来を通じて減価償却費として費用に計上されることになるんです」


 サナは人差し指を立てながら、得意げに説明している。


「こうやって、現金収支と収益費用のズレがある以上、『繰越利益剰余金を溜め込んでる企業は悪だ』なんて主張は的を射てないんですよ。繰越利益剰余金がたくさんあったとしても、実際に保有している現金額は全く違うものですし」


 なるほど、確かに冷静に考えてみればそうだ。しかし、もし自分が会計のことを全く知らなかったら、さっきみたいな誤った認識を持っていたのかもしれない。メディアの安易な批判も、自分が知識を持つことでそれを鵜呑みにすることが無くなる。正しい知識を持つことの重要性を改めて認識できた。


「ケイトさん、自分じゃ気づいてないかもしれないですが……初めて会った時より確実に成長してますよ?」


「そっ、そうか?」


「はい。今の内部留保の話だって、これまでのケイトさんでしたら一人で答えに辿り着けてませんもん」


 確かにサナの言うとおりだ。この世界に来る前と比較したら、明らかに会計周りの知識がついてきている。その言葉を聞いて、自分が少しづつ進歩していたことに気付かされた。


 (この調子で勉強していけば、マキを助けに行けるほどの力が付くかもしれない)


 そんなことを考えながら、今の会話で得た理解を簿記のテキストに赤色のペンで書き込んだ。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ※内部留保についてもっと深く知りたい方は、以下の記事を読むのがおすすめです。

 https://blogdekaikei.com/others/2272/#_-6

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