第18話 失態
「なあマキ」
「なに、どうしたの?」
ひたすら暗い洞窟を歩くのが退屈すぎて、目の前をポニーテルを揺らしながら歩く彼女に声を投げた。なんせもう洞窟に入って1時間が経とうとしているのだ。いい加減、もうそろそろ着いてもいいだろう。
「このあたりに出てくるシワケって、もしかして固定資産に関係しているのか?」
「どうやらそうらしいわね。まあ、シワケは種類ごとに各地に出現するものだから、特別珍しいものではないわ。さっきの減損も主に固定資産関係の論点だし」
「減損ねぇ……。っていうか、企業側は損失を出したくないんだから、そもそも計上しなきゃいい話じゃないのか?」
そう、会社の業績を図る財務諸表は、結局のところ会社自身によって作られているのだ。だから会社はいくらでも自分の業績を誤魔化せるだろう。
「それは違うわ。例えば上場してる会社だと、会社のしている会計処理が正しいかどうか確かめるために、公認会計士の監査が必要になってくるの。だから会社側としても正しく処理するために、減損損失の計上は不可欠になるわ」
「監査……?」
「監査っていうのを簡単に説明すると、企業の財務諸表の数値が正しいかどうか、公認会計士がチェックすることね」
「なるほどねぇ……」
公認会計士の監査か。そういえばマキはその公認会計士試験に受かっているんだった。コイツもいずれは監査をする職に就いているのだろうか。
「ほら、この前確かニュースでやってたじゃない。えーっと確か……エイブなんとか株式会社……だったかしら? 去年多額の減損損失を出して経営難に陥ってるとか。多分だけど、あの会社は私の見る限り、かなり危ないわね。……もう手遅れってわけでは無いんだけど」
「あーなんか聞いたことあるような……無いような」
残念ながら、俺がニュースを見るタイミングなんて、朝の登校前に制服に着替えながら横目で流し見するくらいだ。家に帰ってもスマホ弄ったり漫画を読むくらいだから、社会で何が起こってるかなんて全く知らない。やっぱり会計士試験に受かった奴は、そういうアンテナも敏感になってくるのだろうか。
「会社側としてはできる限り自分たちの業績をよく見せたいわけだから、意図的に減損損失を出さなかったり、売上を本来より多く計上したいってわけ。こういう不正を見抜くのが公認会計士の仕事よ」
なるほど。そういえば前にマキとアーベルトさんが二人で話してた時も、『不正』という単語が出ていた気がする。あれにも何か関係があるのだろうか。
「あら? あれってもしかして……」
「ん……? おおっ! 石版ってあれじゃないのか!?」
細い洞窟の道を抜け、俺達はだだっ広い体育館サイズの大部屋に辿り着いた。天井の隙間から差し込んだ光が、石版を神秘的に照らしている。やっと見つけた嬉しさのあまり、目をキラつかせながら石版のもとへ小走りで駆け寄ってしまう。
「ちょっとっ……! 急に走らないでよ!」
「なあ、とりあえずコイツに触ればいいのか?」
「あっ! ちょっと勝手に……」
「うおぉぉっ!?」
俺の後ろで息を切らしながら話すマキをよそに、目の前の台座に置かれた石版にそっと手を乗せる。その瞬間、石版が青白く光り輝いた。あまりの眩しさに、反射的に顔を石版から背けてしまう。
石版の力強い輝きは、やがて柔らかい光へと変化していった。そしてその光は、俺が背負っている背中の大剣を優しく包み込み、何事もなかったかのように消えていってしまった。
「あれ……終わり……?」
「なによ、意外とあっけなかったわね」
キョトンとした表情を浮かべたマキの言う通り、あまりにあっさりと終わってしまったためか、なんだか逆に気味が悪い。何が変わったのかすら検討もつかないので、ひとまず背中に担いだ大剣を抜いてみる。じっくり見てみると、大剣はまだ僅かに青い光を発していた。
「なんだこれ……?」
「あら、これってもしかして……」
マキはそう呟くと、俺の持つ剣のグリップを握った。彼女の柔らかい手が急に触れて、思わずドキッとしてしまう。
「やっぱりそうだわ……おめでとうケイト!」
「……一体何なんだよ?」
「剣がこうやって光るってことは……新しいスキルを取得したってことなの!」
「なっ……!? スキルって、お前がさっき出してたでっかい炎のことか!?」
俺もマキみたいなスキルを身につければ、強大な力を手にできるだろう。そうすれば魔力とかいうのも上がって、元の世界に帰ることができるんじゃないのか? これはかなり期待ができる。
「で、そのスキルってのを早く教えてくれよ」
「このスキルは『速算』ね」
「……はい?」
『速算』って、あの『そくさん』のことか? えっ、マジ? さっきの『紅炎~プロミネンス~』のネーミングセンスはどこに行ったんだよ。なんか俺だけめちゃめちゃダサくない?
ポカンとしてる俺をよそ目にマキは話を続ける。
「ほら、ケイトって前に私と一緒にそろばん教室行ってたじゃない? きっとそのおかげね!」
確かに俺は小さい頃、頼んでもないのに何故か親の意向によって、そろばん教室に通わされていた。その名残で、俺は暗算が今でも得意だったりする。そういえばマキと初めて会ったのも、あのそろばん教室だったな。もう何年も昔の話だが。
「それで……『速算』なのかよ……それってどういう能力なんだ?」
「剣に力を伝えるのが早くなるわね。この世界で魔力が剣を伝わるスピードは、会計の理解力と計算速度に比例するの。ケイトのその力で、それが今後顕著になってくると思うわ」
(やばい……クソ地味だ……)
なんか聞けば聞くほど、ぱっとしない力だ。だがそんなものは二の次である。大事なのは俺がこれで元の世界に帰れるかどうかなのだから。
「まあでも、要するに俺は今パワーアップしたってことだろ? いわゆる魔力とかいうのも上がったわけだ。とりあえず、早く元の世界に帰る魔法を教えてくれよ」
「えっ……」
「ん?」
俺がそう言い終わると、何故かマキとの間に僅かな沈黙が訪れた。心なしか、空気も重くなった気がする。どうして彼女の反応がこんなに悪いのか、全く検討がつかない。
「……知らないわ」
「……はっ?」
沈黙を破ったマキのその予想外の言葉は、俺にとって衝撃的なものだった。
「知らないって……どういうことだよ? まだ力が足りないってことか? とりあえず、せめて帰る魔法のやり方だけでも教えてく……」
「だから知らないものは知らないの! それに、方法だけ教えたところで難しくて失敗するのがオチよ。今はまだ無理ね」
俺の救いを求める声は、彼女の突き放すような言葉によって、非常にも遮られてしまった。そんなマキの投げやりな言葉を聞いて、俺の中にあるなにかがプツンと音を立てた。
「……なんだよそれ」
「えっ?」
「何が知らないだよ……いい加減にしろ! いつまでこんな馬鹿みたいなことしなきゃいけないんだ!」
自分でもコントロールできないなにかが、内面からフツフツと湧き出てくるのを感じる。
「なっ……なによ急に……」
「お前は俺が元の世界に帰れるように協力してくれるんじゃなかったのか? なのになんだよその態度は? こっちは本気なんだぞ!」
「そっ、それは……」
マキはなにか言いたげそうな表情を浮かべながら、その視線を足元に落としていた。彼女の顔をじっと見つめるも視線が合わない。暗い洞窟の中で響いた怒号の余韻が残り、再び重い空気が俺たちの間に流れる。
「……もういい。先に帰ってるわ。もう顔も見たくない」
俯いたまま黙り込む彼女を見て、これ以上話しても埒が明かないと判断した俺は、来た道を戻ろうと反対方向へと歩き出す。
「待って! 違うのケイト実は……きゃっ!?」
すると突然、彼女の声を打ち消してしまうほどの轟音が洞窟の中に響き渡った。音だけじゃない。この大部屋全体が激しく上下に揺れている。
「なんだよあれ……」
大部屋にただ一つしかない出入り口へ視線を向けると、そこにはこれまで見た中では比べ物にならないほど巨大なゴーレムが、こちらに向かってゆっくりと前進しているのが見えた。
「リースゥ……!」
「……これってもしかして罠じゃ……ってケイト!? 何するつもりなの!?」
ゴーレムに怯まず出口へ歩いていく俺に、マキが驚きの声を上げた。
「決まってるだろ? あいつを倒すんだよ。さっきの俺より魔力は上がってるはずだし、リースの仕訳なら問題ないしな」
そう言い残し、視界の殆どを支配してるゴーレムに向かい、剣を抜いたまま走り出す。
――関節部分は脆いはず……そこを狙えば……いける!
俺はあの時のリースのシワケを斬ったように、同じ仕訳を思い浮かべながら脚の関節部分へと斬撃を放った。魔力は上がっているはずなのだから、ある程度のダメージは与えられるだろう。仮に一撃で倒せなくても、同じ箇所を狙えば崩せるはずだ。
――カキンッ!
(えっ……)
そんな俺の考えを冷たく裏切るように聞こえてきたのは、剣が発した軽い金属音だった。嘘だろ、そんなはずない。信じたくないが、俺の剣はアイツに傷一つつけることなく弾かれてしまったのだ。
「まさか……仕訳が違う……? いや、さっきのリースと全く同じ仕訳を切ったはず……」
「ケイト危ないっ!!!!」
「えっ……」
マキの声にハッとした俺は下げた目線を元に戻す。でももう遅かった。
「ぐはっ……!」
俺の体は弾かれた剣ごと後方へ大きく吹き飛ばされてしまった。強く頭を打ち付けて意識が飛びかける。
「うっ……」
ぼんやりとする視界越しに、あのデカブツが目の前まで迫ってきているのが分かった。急いで起き上がろうとするも、意識に反して指一本すら動かせない。まるで体が冷たい鉛のように酷く重い。ゴーレムはその巨大な拳を大きく振り上げている。まぶたの重みで視界が遮られていく。
(終わった……)
「……ト!!」
薄れていく視界の中で最後に見た光景は、目の前で俺を庇うように両腕を大きく広げたマキの後ろ姿だった。
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