第17話 減損

「おい坊主」


「はい?」


「お前、固定資産についてちゃんと勉強してきたんだろうな?」


「えっ、ええ……まあ……」


 アーベルトさんは先陣を切りながら、俺の目の前を歩いている。片手には松明を持っているが、アーベルトさんの屈強な体が光を遮るせいで、依然として俺の視界は暗いままだ。


「この洞窟は固定資産のシワケたちが生息しているって有名だ。特にさっきの奴はオペレーティング・リースっつって、資産を賃貸借する……」


「あー……分かってるんで大丈夫です。はい」


「おっ? そうか。なら安心だな!」


 そんな言葉が口を出たものの、本当は何も分かっていない。なんだかアーベルトさんの話が長くなりそうで、思わず適当にあしらってしまった。でもまあ、さっきのやつは金額が大きくて斬れなかっただけだし、次はなんとかなるだろう。それに俺は早くこの先の石版に触れて、現実世界に戻る魔力さえ手に入れれば十分なのだから。


「ってわあっ!? 急に止まらないでくださいよアーベルトさんっ!」


 突然目の前から迫る大きな背中に、思わずその場で尻もちをついてしまった。下に落とした視線を再び前へ向けると、石版に続いてるであろう道が綺麗に二手に分かれているのが見えた。


「あら、道が二つに別れてるじゃない。どっちに行けばいいの?」


「それが……どっちなのかすっかり忘れちゃいまして。なんせ最後に来たのがかなり前のことですから……」


「もー! お兄ちゃんが案内するって言ったから付いてきたのに!」


 どうやら石版までの道はアーベルトさんしか知らなかったらしい。さて困ったことになった。俺達はいったんその場に立ち止まり、お互いに困った顔で目を見合わせた。


「分かりました。そうしたら自分とサナはこっち行くんで、マキーナさんと坊主は向こうから行ってください。あとは道なりに進めば着くはずなんで」


 なんだ、自信満々で言ってきたもんだから、てっきり最後まで案内してくれるものだと思ってた。まあ普段はデキる男の雰囲気があるアーベルトさんといえど、忘れることもあるのだろう。


 ***


(こっちの道はやけに幅が広いんだな……)


俺の視界は、さきほどの息が詰まるような狭い道とは打って変わり、まるでアーケード商店街のようなだだっ広い道に変わっていた。


「にしても結構歩いたわね~」


「ってかなんで俺はマキと一緒なんだよ…‥」


「なによ? 文句でもあるの?」


「いや……」


 結局俺達はあの分かれ道から二手に分かれて進むことになった。分かれること自体は問題ないのだが、どうせだったらサナと一緒が良かったなんて思いが頭をよぎる。……まあ、あの二人は兄弟だから一緒に行くのは当たり前なんだろうけど。


「ゲンソン~~!!!!」


 そんなことを思っていると、突然目の前からおぞましい鳴き声とともに、大きく黒い影が目に入る。


「うげっ!? またさっきのデカブツだ!?」


「あら、あれは減損ね。まあ見てなさい」


 そう言うとマキは腰に下げた銀色に輝くレイピアを抜き、動じることなくゆっくりと目の前のゴーレムへ歩いた。すると、初めてこの世界に来たときに見た魔法陣が、マキの足元に展開される。


「減損のシワケはね……こうやって斬るのよっ!!!!」


「ゲンソン~~~~~~~~!?!?!?!?」


 そうやってレイピアを突き刺すと、例のようにゴーレムはうめき声を上げながら青白く光って消滅した。やっぱこいつと一緒にいると何でも倒してくれるから楽だな。なんなら俺はもう帰るから、家までその石版とやらを届けに来てほしい。


「ってなわけで今日は固定資産の重要論点の一つ、減損ね。さっそく解説するわ」


 そうしてマキは、黒板に指差し棒を突き立てる教師の如く、自分の足元に記された仕訳にレイピアを向けた……ってえっ? 切り替え早すぎない? それにここまで着たら俺もう要らないんだし、教える必要あるのか? そんなことを頭に思い浮かべながら、マキの足元の魔法陣に目を向ける。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 減損損失 230,000,000 / 土地 230,000,000


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 (白魔導会計士の切る仕訳はレベルが違うらしいが……一体何が違うんだよ……)


「ケイト、あんた減損って聞いたことある?」


「あー……なんかTwitterで流れてきたニュースで見たことあるな。いまいち意味は分からなかったけど」


「減損っていうのは、投資価値を回収できなくなった資産について、その評価損を計上する会計処理のことね」


「トウシカチ……? ヒョウカソン……?」


「なんでそんなカタコトになるのよ!」


 マキの怒号が洞窟の中に響き渡る。


「簡単に説明すると、なんかしらの原因で価値が落ちた固定資産について、価値の減少分を損失として計上しようってことよ。」


「固定資産って建物とか機械とか土地だろ? そんな急に価値が落ちるなんてことがあるのか?」


「ええもちろん。実際に某牛丼屋なんかは新型コロナウイルスの影響で多額の減損損失を出したことがあるわ。客が来ない分、儲けがない店舗について価値が落ちたからってことね」


「ふーん……」


 (あれ? なんか似たようなものを学校で聞いたことあるような……)


「そういえば学校で減価償却っていうのを習った気がするが、あれと何が違うんだ? 確かあれも固定資産の価値の減少だって聞いたぞ?」


「あら! 珍しく物知りじゃない! ……って簿記3級で習うことだし商業高校の3年生が知ってて当たり前か。減価償却の仕訳はこうね」


 なんだか少し馬鹿にされた気もしたが、ここは心を大人にして、マキが地面に書いた仕訳を見る。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 減価償却 17,000,000 / 建物 17,000,000


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「なんだよ、さっきと変わらないじゃないか」


「仕訳だけ見ればそうかもしれないけど、実態はぜんぜん違うわ。減価償却は購入した固定資産を、時間経過に伴う劣化にあわせて費用を計上する処理よ。ほら、この前ちょうど収益費用対応の原則について話したじゃない?」


「あー、確かこの前の商品を仕入れたときの費用の話だよな? 現金支出全部が費用になるとは限らなくて、会計上の費用はその会計期間の収益獲得に貢献した部分だけを認識するべきって考える……だっけ」


「そうね。さすが、よく覚えているじゃない」


 俺はおぼろげな記憶からその言葉を引っ張り出す。そうだ、確かあれはキノコのシワケを倒した帰りの話だったな。朝帰りで眠かったが、なんとか記憶に残っていてよかった。もし遥か記憶の彼方まで飛んでいたら、またコイツに馬鹿にされただろう。


「固定資産の減価償却にも同じことが言えるのよ。固定資産を購入したときは全額費用に計上するんじゃなくて、使用可能と考える期間を通じて、費用を分けて計上するの」


 なるほど。確かに似たような話が仕入代金の話にもあった。金額が大きい建物とかの購入金額を一気に費用に落とし込んだら、それだけで大赤字になる。だから減価償却費は分けて計上されているのか。


「それに対して減損は毎期計上するものじゃなくて、臨時的に計上されるものね。さっきの某牛丼屋のコロナの時みたいに、イレギュラーな事象に伴って計上されることがあるわ」


「毎期計上するか、臨時的に計上するかの違いなんだな」


「まあ凄いざっくり言うとそんな感じね。まあ内容としては魔法簿記1級レベルだから、そのくらいの理解で十分よ。無理に習得する必要はないわ」


「魔法……簿記……?」


「向こうの世界でいうところの簿記検定よ……ほらっ!」


「ってうわぁ!?」


 突然マキが投げた分厚い冊子のようなものが、俺の頭にもろに直撃する。


「いってぇ……なんだこれ……って簿記のテキストかよ!」


「あんた今日家に忘れてきたでしょ? ちゃんと肌身離さず持ってなきゃ駄目じゃない。もしかして……わざと家に置いてきた?」


「うっ……」


 痛いところを突かれた。石版までの道のりはかなり長いと聞いた俺は、朝こっそりとテキストを机の上に置いてきたのだ。っていうかなんで持ってるんだよ。それにこんな分厚いテキスト、カバンも持ってないのにどっから出したんだ。


「ほら、今説明したところを確認して、早く奥に進むわよ」


「……おう」


 俺は地面に落ちたテキストの土を払い、速歩きで進むマキの後ろに付いていった。

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