第9話 掛け金と手形
「この辺りに、商品売買取引で生まれたシワケが居るはずよ」
ギルドを出発した俺とマキとアーベルトさんは、近くの森に入り、今回の討伐対象であるシワケを探索していた。
「なあ……ずっと気になってたんだけど、『取引で生まれた』ってどういう意味なんだ?」
「なんだ、知らなかったのか。俺たちが討伐してるシワケってのは、外の世界で切られた仕訳が原因で生まれたモンスターなんだよ」
「ええっ!? そうなんですか!?」
(どういう原理なんだよ……?)
「いたわケイト! 今日の討伐相手はあいつよ!」
一人唖然とする俺をよそに、マキがそう話しかけてきた。
(あいつは……キノコ……?)
目に映ったのは、巨大なしめじに人の足が生えたような、なんとも気持ち悪い生物だった。ゴツゴツとした鍛えられた足の筋肉が、嫌悪感に拍車をかけている。
だが見た目を見る限り、かなり弱い部類に入るモンスターだと直感した。
(こいつなら……いけるっ!!!)
「うおおぉぉぉぉ!!!」
頭の中で仕入取引の仕訳を強くイメージした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
仕入 80,000 / 現金 80,000
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
刀身に光る仕訳の文字が浮かび上がる。イメージは完璧だ。剣の柄を強く握り、キノコの形をしたシワケにありったけの斬撃を放った。
――ボヨンッ!
「うわぁ!?」
しかし予想外なことに、俺の剣身はキノコを切り裂くこと無く、そのゴムボールのような胴体に跳ね返されてしまった。反動で数メートル後ろに吹き飛ばされ、尻餅をつく。
「いてて……なんでなんだ……?」
「ケイト! ちゃんと勘定科目を確認するのよ! シワケの鳴き声を聞いて!」
「鳴き声? ……どれどれ」
マキの言葉を受けて、目の前のキノコの声に耳を傾ける。
「えっと……お前は何なんだ……」
「カイカケキン!!!」
「カイカケ……何だそれ……へぶっ!?」
その言葉に怒りを覚えたのか、そのキノコは俺の顔面に勢いよく中段蹴りを繰り出した。鼻がツンとする感覚が襲って、痛みにもだえてしまう。
「まったく……ちゃんと勉強しないからそうなるんでしょ! えいっ!」
「カイカケキン~!!!!」
キノコの形をしたシワケを軽く一突きしながら、マキは呆れた表情でそう言った。
「あいつ、頭に血が上ったみたいだな。シワケにキレられる奴なんて、生まれて初めて見たぞ?」
("頭"じゃなくて"傘"だけどな……)
そんなことを思えるくらいには余裕があったが、なんであのシワケを斬れなかったのかが解せなかった。カイカケキンってのは一体何なんだ。
「どうして刃が通らなかったのか納得いかないようね。いいわ、立ちなさいケイト。あたしが教えてあげるわ」
俺の側まで歩いてきたマキが手を差し伸べる。彼女の手に体重を委ねながら、俺は腰を上げた。
「『買掛金』っていうのは、仕入れた商品の代金をまだ払ってない時に使う勘定科目ね。負債に分類されるわ」
「お金を払わないで仕入なんてできるのか?」
「ええできるわ。頻繁に行われる取引だったら、その度に支払うより後でまとめて払うほうが楽じゃない? こういった取引を『掛取引』とか『信用取引』なんて言ったりするわね。商品を仕入れてから買掛金を決済するまでの流れはこんな感じよ」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【仕入取引】 商品80,000円を仕入れ、代金は掛けとした。
仕入 80,000 / 買掛金 80,000
【決済取引】 買掛金80,000円について、現金で支払った。
買掛金 80,000 / 現金 80,000
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ふーん。てかこれ逆に、取引の相手はどんな仕訳を切ってるんだ?」
「あら、良い質問ね。こっちが仕入代金を払ってないんだから、相手からすると売上代金が支払われていないことになるわ。この時に使うのが『売掛金』よ。これは資産に分類されるの。さっきの流れに当てはめると……こういう仕訳ね」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【売上取引】 商品80,000円を売り上げ、代金は掛けとした。
売掛金 80,000 / 売上 80,000
【決済取引】 売掛金80,000円について、現金で支払いを受けた。
現金 80,000 / 売掛金 80,000
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「なるほど。取引代金が支払われた時に売掛金は消えるんだな。」
「そういうことね。今や企業の主な取引は、現金取引から信用取引に移り変わっているわ。掛取引は取引を円滑にすすめるっていうメリットもあるし。」
「……でもさ、やっぱり現金で支払われないと心配じゃないか? まだ入金されてないわけだし。ただの口約束みたいなもんだろ?」
「確かに掛け金は形があるわけじゃないし、ケイトがそう思うのも無理はないわね。そういう時は一般的に証明書の役割がある『手形』を使うの。掛け金と違って法的な強制力を持ってたり、別の人に受け渡しできるのが強みね」
「そんなものがあるのか……それって仕訳はどうなるんだ?」
「基本的にさっきの仕訳の掛金を手形に入れ替えれば問題ないわ。勘定科目は、現金を受け取る側が『受取手形』、支払う側が『支払手形』ね。」
「いいか、商品売買は小売業界の頻出仕訳だからな。ちゃんと覚えとけよ!」
「はっ、はい……」
アーベルトさんはまるで飼い犬をしつけるように、少しキツめにそう叱ってきた。
「……でもおかしいわね……この仕訳って……」
「どうしたマキ、なんか言ったか?」
何かマキが意味深な呟きをした気がした俺は、彼女にそう話しかけた。
「えっ? ……いやなんでもないわ。他にもシワケはいるはずよ、手分けして探しましょう!」
「ん……? そうか」
一瞬マキの様子が変に思えた気がしたが、特に深く考えず、俺は森の中を再び探索した。
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