第2話

 アルドたちは一旦、時の忘れ物亭に集まった。異時層では何が起こるかわからない。そのため、あらゆる可能性を考慮する必要があった。

 リィカとヘレナを中心に、様々な検証を行った。最も懸念すべき点は、いやはての大図書館周辺の環境が、人間が活動しうる状態であるかどうか。

 結論として、フィーネと共に連れ去られた漂流者の男が生身の人間であった点から「いやはての大図書館でもアルドたちは活動可能」と判断するに至った。

「とはいえ、私かリィカのどちらかは同行すべきだと考えるわ。万が一、この仮説に綻びが生じる事態になった時、冷静に対処する必要がある」

「デハ、ワタシが同行しマス!アンドロイドであるワタシの方が危険地帯での活動には向いているデショウ」

 リィカが胸を叩きながらそう言うと、ヘレナも「そうね」と同意した。

「時空の穴はガリアードがこじ開けるわ」

「そうか。でも、レオがくれたゲートキーで開くんじゃないのか?座標も登録したって言ってたろ?」

 アルドが首を傾げながら尋ねると、リィカが「イエ」と言った。

「先ほど、ワタシが試してみマシタが、ゲートキーだけデハ開きマセンでシタ。時空が安定シテいないカラだと思われマス」

「だから空間に負荷を与える必要があるのよ。きっかけさえあればあとはゲートキーが道を作ってくれるはず」

 二人の説明を聞いてアルドはわかったようなわからないような顔をした。それからカウンターに寄りかかっているガリアードへと視線を向けた。

「ガリアード、頼んだよ」

「あぁ、任せてくれ」

 ガリアードは気負うでもなく、いつもの調子で応じる。

「それじゃ、早速行ってくる!リィカの他に、一緒に来てくれる人は…」

 アルドがそう言うと、それまで隅の方で黙って話を聞いていたアルテナが今にも挙手をしようかという姿勢のサイラスを押しのけて進み出た。

「私も行く!フィーネは私を助けてくれた。だから、今度は私がフィーネを助ける!」

 そう言ってアルテナはアルドの服をギュッと握った。詰め寄られたアルドは、最初は驚いていたものの、アルテナの真剣な眼差しを見て、ふっと表情を和らげた。

「ありがとう、アルテナ」

 アルテナが来てくれたら、きっとフィーネも喜ぶ。そう言葉を続けようとしたが。

「だめだ」

 低く唸るような声が響いた。顔を向ければ、ギルドナが怖い顔をしている。

「お前まで危険な目に遭わせるわけにはいかない」

 アルテナの拳が震える。兄と同じ色の瞳で睨み返すと、ギルドナの凄みに屈することなく、同じくらいに強い視線を向けた。

「兄さんはフィーネが心配じゃないの?フィーネは私たちにやり直すきっかけをくれたのよ?私たちのことを恨むこともなく、受け入れてくれたのよ?」

 ギルドナは黙したままだった。しかし、少しだけ表情が変わる。

「私は、魔獣族のみんなと同じくらい、フィーネのことが大切なの!だから…」

「…俺の考えは変わらん。お前を異時層に向かわせるわけにはいかない」

 二人の意見は平行線だ。ギルドナもアルテナも強い意志を持っている。二つの頑なさがぶつかれば、どちらも引っ込めなくなるのは道理だった。

 アルドにはフィーネを心配するアルテナの気持ちも、アルテナを引き止めるギルドナの気持ちもよくわかる。

 それに、異時層へ渡ることは確かに危険なことだという認識もあった。親切な案内人がいるわけでもなく、いやはての大図書館に縁のある何かや誰かがいるわけでもない。

 何より、あの巨大な神の手からフィーネを救わなければならないならば、戦闘になる可能性も十分にある。

「アルテナ」アルドはできるだけ優しく声をかけた。振り返ったアルテナの目尻には、微かに涙が滲んでいる。

「アルテナの気持ちは嬉しいよ。だけど、ギルドナの気持ちもわかる。この世に自分の妹を心配しない兄貴なんていない。だから、アルテナはここで待っていてくれないかな」

 アルドがちらりと視線を送ると、ギルドナは複雑そうな顔をした。それからぷいと顔を背ける。

「アルドまで…!どうしてそんなこと言うの?」

「フィーネのことは俺が必ず連れて帰ってくるよ。その時、笑顔で迎えてやってほしいんだ。アルテナが笑顔でいてくれれば、きっとフィーネも安心するから」

 頼むよ、とアルテナの肩に手を置く。アルテナは唇をひき結んでアルドを見つめた。

「…兄さんとアルドのばか!わからずや!」

 アルテナはアルドの手を振り払うと、バーから出て行ってしまった。

 バタン、と音を立てて閉まる扉を見つめ、ギルドナは深いため息を吐いた。そのまま何も言わず、アルテナの後を追った。

「よかったの?」

 心配そうな顔でエイミが尋ねる。アルドは苦笑した。

「どうだろう。アルテナには嫌われたかもしれないけど…ギルドナが反対しているんじゃ仕方ないよ。危険なことは変わらないし…だから、みんなも無理しなくても」

「むろん、拙者は同行するでござる。例え火の中、水の中、化物屋敷の中、と古い言葉にもある通り。どこへ行くも一蓮托生でござるよ」

「私も行くわよ!…ホラーはちょっと、あれだけど…」

「ありがとう、サイラス。エイミも」

「デハ、気を取り直して行きマショウ、アルドサン!」

「あぁ!」と力強く応じる。アルドたちは時空の穴を開く為、時の忘れ物亭を後にした。


 回廊の突端ではリィカとヘレナが着々と準備を進めていた。レオにもらったトーチを設置している。アルドはその様子を、ゲートキーを手のひらで遊ばせながら眺めていた。

 隣にいるサイラスは興味津々といった様子だ。サイラスのいる時代にはこれほどの技術はない。それはアルドの時代においても同じだが、アルドの倍は生きていようかというこのサムライは、アルドよりもよほど好奇心旺盛であった。

「あのような水晶玉で時空を固定できるとは…いやはや、てくのろじぃとやらはまこと妖術のようであるな」

「妖術かぁ…ミグレイナ大陸ではそういうのも縁遠かったからなぁ…」

「それが時空を超える旅の主人公が言うセリフ?」

 エイミが茶化すように言う。三人は互いに顔を見合せ、誰からともなく笑った。

 そこへ長槍を持ったガリアードが近付いてくる。旅の仲間となった今も、ガリアードの表情は堅く、表情がなかなか読み取れない。

 クロノス博士関連以外では滅多に話しかけてこないガリアードだったが、珍しく何か問いたげな様子だった。

「どうかしたのか?」アルドからそう水を向けると、ガリアードは生真面目そうな顔のまま口を開いた。

「…これから異時層に渡ろうという時に、随分楽しそうだと思ってな」

「…あぁ、不謹慎だったかな。フィーネのこともあるのに」

 アルドが反省したように言うと、ガリアードは首を横に降った。

「いや、かえってその方がいい。難しい任務にあたる時こそ、心に余裕を持つべきだ。特に焦っても仕方がない時はな」

 ガリアードの視線がヘレナたちの方へと向かう。二人は忙しそうに手を動かしている。

「あちらの準備もまもなく終わる。あとは時空の穴が開けば、道が示される。そこから先は、アルド次第ということだ」

「そうだな…」アルドは束の間、目を閉じた。フィーネの顔が浮かぶ。「大丈夫。みんなが示してくれた道だ。必ずフィーネを助けるよ」

 再び目を開いたアルドの瞳にはしっかりと決意の光が宿っている。ガリアードはほんの少しだけ口元を緩めた。

「お前は強いな。なるほど、敵わないわけだ」

「え?」と聞き返した時には、ガリアードは背を向けていた。そのままつかつかとヘレナの方へと行ってしまう。

 この後の段取りを話していたのか、ヘレナとのやりとりが終わると、槍の整備を始めてしまった。

「ガリアード、笑ってたわね」ポツリとエイミが呟いた。

 それから少しして、リィカが「準備完了デス!」と元気よく言った。

 アルドたちは離れたところで待機している。回廊の先にはガリアードしかいない。

 おもむろにガリアードが槍を構えた。槍の穂先にバチバチと雷電が滞留する。

「ポイント・ロック。時空を穿つ!ケラウノスッ」

 ガリアードが槍を振るうと溜め込んでいた雷霆が迸った。空間を裂く凄まじい音が響くと同時に、ガラスが割れるような甲高い音がした。

 白い雷がおさまりきらないうちに、神の手が出現した辺りの空間が歪む。

「アルド、ゲートキーを」

 ヘレナに促され、アルドは急いで前に進み出た。回廊の先端に立ち、ゲートキーをかざすと、歪みが一層強くなった。

 それは次第に緑青の輝きを放ち始めた。リィカ、エイミ、そしてサイラスがアルドの横に並ぶ。

「時空の穴、再度開きマシタ!ゲートキーの稼働も良好!これなら問題ありマセン!」

「トーチの操作は私に任せて。早くフィーネを迎えに行ってあげなさい」

 リィカとヘレナが背中を押す。よし、とアルドは頷いた。

「みんな、ありがとう!行ってくるよ!」

 アルドたちは時空の穴へと飛び込んだ。四人の姿が光の中に消えていく。

 ヘレナはトーチをいくらか操作し、安定しない時空の穴の維持に努めている。その姿を横目で見ていたガリアードだったが、不意に視線を感じて振り返った。

 少し離れたところに難しい顔をしたギルドナがいる。彼はいつものように腕を組みながら、何か思案しているようだった。

 しかしそれも束の間のことで、ガリアードと目が合うと踵を返してどこかへ行ってしまった。


 時空の穴を抜け、最初にアルドたちの視界に飛び込んできたのは色とりどりの光と、それが織りなす不思議な道だった。どことなく、いつかの時層回廊に似ている。

 違うところがあるとすれば、その道が全く安定していない、ということだ。道ができたかと思えば、次の瞬間には消えてしまう。

 また、先ほどまでは繋がっていた通路が、いつの間にか途切れて別の場所へ向かっていたりする。

 そんな不思議な空間だったが、アルドたちの周辺だけはその変化から免れているようだった。

「…すごいな、ここ。迷ったりはぐれたりしたら、大変だ」

 思わずそう呟くと、リィカがうんうん、と大きく頷いた。

「ソノ通りデス!ゲートキーがなければ真っ逆さま、というコトもありえマス!」

「皆、アルドから離れぬようにな」

 言いながらサイラスがアルドにくっつく。「近い近い」と声を上げたアルドの声は一切聞き入れられなかった。

「ところで、どこへ進んだらいいんだ?とりあえず、前に進めばいいのか?」

「ハイ。ゲートキーにはいやはての大図書館の座標をセットしていマス。理論的には、ゲートキーの示す道、つまりアルドサンの進む道が正しい道、というコトになりマス」

「………」アルドは数秒黙り込んだ。「とりあえず、前に進めばいいんだな」

 一抹の不安を抱えながらもアルドたちは先へと歩を進めていく。

 しばらく歩いたところで、リィカが「ムムム」と妙な声を出した。立ち止まった彼女に合わせてみんな足を止める。

「どうかしたのか?」アルドが尋ねると、リィカは「周辺をスキャンしマス」と言って、ツインテールをプロペラのように回し始めた。

 こうなるとスキャンが終わるまで待っているしかない。大人しく待っていると、リィカの瞳が光った。

「間違いありマセン!前方に微弱ですが生体エネルギー反応がありマス!」

「生体エネルギー?って、人がいるってことか?!」

 もしかしてフィーネかもしれない。そんな期待が胸に宿る。それはアルドだけではなかったのか、エイミも少し興奮気味に拳を握った。

「行ってみましょう!」

 互いに頷き、リィカが示す方へと走り出す。視界には先ほどまでと変わらない光景しか映らないが、それでも気にせず走った。

 唐突にリィカが「ストップ!止まってクダサイ!」と叫んだ。慌てて足を止めたアルドたちだったが、そこには誰もいない。

 しかし、リィカは屈んで何かを手に取った。リィカのピンク色と同系色だが、いくらか柔らかい色合いの小さなそれは、見覚えのあるものだった。

「リィカ、それって…」

「ハイ。あの方の本ではナイかと!」

 それは漂流者が「娘だ」と言っていた本だった。

「生体エネルギーって言うから、てっきり…」

 アルドは失望を隠せず、思わずそう呟いていた。

「アルド…」

 エイミも心なしかがっかりしたような表情だ。気遣わしげにアルドを見た後、どういうことなのかとリィカへ視線を送る。

 リィカは本をしげしげと眺めた後、胸を張って言った。

「スキャンに間違いはありマセン、ノデ!この本から生体エネルギー反応を感じマス」

「ほほう。では、あの男の言っていたことはまことにござったか」

 サイラスがゲコゲコと喉を鳴らす。

「それじゃあ、この本が娘さんって言うのは、本当のことなのか…?」

「わかりマセン。ただ、反応がアルのは本当デス。触ったらわかるカモしれマセンよ」

 言いながらリィカは本を差し出した。躊躇いはあったものの、アルドは手を伸ばした。

 指先が本に触れる。チリチリと、静電気のような反応があった。

「…?」気にせず本を受け取る。本がリィカの手を離れた瞬間、アルドの脳裏にぼんやりと何かの光景が浮かぶ。

『…たすけて…』同時に小さな女の子の声が聞こえた。

「っ?!」

 アルドは思わず本から手を離していた。ところが、本は落下するどころか、その場に浮かび上がった。

 そして、表紙が開く。光が辺りを覆った。


「うっ……ここ、は?」

 アルドが目を開くと、真っ白な空間が広がっていた。ぼんやりする頭を振り、状況を確認する。

 どうやら倒れてしまったらしい。周囲ではエイミたちも横たわっている。

「エイミ、サイラス!リィカも!みんな、大丈夫か?」

 慌てて三人の体を揺する。怪我はないようで、全員すぐに意識を取り戻した。三人ともがアルド同様に風景がすっかり変わってしまったことに驚いている。

「ここはどこかしら…」

 エイミが呟く。もちろん、アルドたちの誰もその答えを持っていない。

 答えや返事を期待してのことではなかったのだが。

「ここはアメリアの本の中だよ」

 突然、女の子の声がした。声にならない声を上げて驚いたエイミは、何かを見た途端、顔を真っ青にしてアルドに抱きついた。

「うわっ?どうしたんだよ、エイミ」

「むりむりむり!!」

 妙なことを言うエイミにアルドは首を傾げた。

「いる!いるの!!ここにいるはずのない……とにかくいるの!」

「何がだよ」と言いながらもエイミが示す方を見ると、小さな女の子が立っていた。

 女の子は不思議そうな顔でエイミを見ていたが、アルドと目が合うとにこりと笑った。

「こんにちは」

「あ、え?こんにちは。君は誰?」

 女の子はトコトコとアルドの方へ近づいた。その距離が縮まるほどにエイミの腕の力が強まったが、ひとまずそのままにする。

「私はアメリア。お姉ちゃん、なんで怖がってるの?」

「アメリア殿。彼女のことは気にせずともよいでござるよ。ところで、ここがどこかはお分かりかな?」

 サイラスが話を逸らしつつ尋ねると、アメリアと名乗った少女はふふ、と笑った。

「もしかして、カエルの王子様?私、あのお話大好き!」

「お、王子?いや、拙者は流浪のサムライで…」

「るろう?さむらい?」

 ドギマギしていたサイラスだったが、すぐに気を取り直して問いを重ねた。

「拙者のことよりも、そなたのことを教えていただけぬだろうか」

「あ、うん。ここはね、私の…アメリアの本の中だよ。お兄ちゃんがね、優しそうだったから呼んだの」

 アメリアはそう言いながらアルドを見た。

「俺を呼んだ?そういえば、たすけてって聞こえたような…」

「そうなの」アメリアは急にしゅんと肩を落とした。「お父さんとはぐれちゃって」

 アメリアはたどたどしい口調で懸命に話し始めた。

「町で戦争があって、私はすごく大きなケガをしたの。とっても眠くって、起きていられなくて、寝ちゃった。それから目を覚ましたら本の中にいたの。神様がね、お父さんのお願いを聞いてそうしたんだって」

「あの人の話、本当だったんだ…」

 いくらか落ち着いたのか、エイミが呟いた。

「あ、もう大丈夫なのか?」アルドが尋ねると、エイミは顔を真っ赤にした。慌ててアルドを突き飛ばすと、わざとらしく咳払いをした。

「いたた……えっと、それでアメリア。その後はどうなったんだ?」

「うん。神様はね、アメリアはずっと図書館にいないとだめだよって言ったんだけど、お父さんが外に出してくれたの。だけど、それからしばらくして、怒った神様の声が聞こえて…お父さん、捕まっちゃった」

「君はどうしてあんな場所にいたんだ?」

 アルドが尋ねると、アメリアは瞳を潤ませた。

「お父さんが私をこっそり置いていったの。神様、お父さんのことを許さないって言ってた。このままじゃ、お父さんがいなくなっちゃう。私、一人になっちゃう…」

 大きな瞳いっぱいに涙を浮かべたアメリアは、アルドを見上げて懇願した。

「だからね、お兄ちゃんにたすけてほしいの。私をお父さんのところに連れていって!」

「…図書館に属するモノと一緒ならば、入館が容易くなるカモしれマセン」

 リィカが小声で言った。

 神の手は己の図書館に属する本を取り戻すため、時層を越えてまでやってきた。そうであるならば、「善意で拾った本を届けにきた旅人」を無闇に攻撃しないのではないか。

 そう仮定することができる。それがリィカの考えだった。

(こんな小さな女の子を利用するのは心苦しい。それに、アメリアの父親の願いとは真逆のことをしようとしている。でも…)

 胸の奥がチクリと痛む。それでも、笑顔を浮かべた。

「いいよ。俺たちも図書館に行かないといけないんだ。だから、一緒に図書館に行こう」

「ありがとう!お兄ちゃん!」

 アメリアの純粋さが更にアルドの心に傷を残す。

 アルドの内心の葛藤など露ほども気付かないであろう少女は、「それじゃあ本の外に戻すね」と言って、祈るような動作をした。

 程なくして、アルドたちは時層回廊へと戻っていた。アルドの手には再びアメリアの本が握られている。

『お兄ちゃん、図書館まではこの道を真っ直ぐだよ!』

 本からアメリアの声が聞こえてくる。

 アルドはギュッと本を抱きしめた。アメリアが『どうしたの?くすぐったい』とくすくす笑いながら反応する。

 アルドの表情を見たエイミもまた、きゅっと唇を結んだ。

「…なんでもないよ。行こう」

 回廊はゲートキーで示す道よりも随分とはっきりしていた。これまでのように固まって歩かずとも問題ないほどだ。

 言葉少なに進んでいくうち、道ではない何かのシルエットがおぼろげに見え始めた。

 それは初め、白い靄でしかなかった。しかし、アルドたちが近くほど、徐々にはっきりした形を取っていく。

 パルシファル宮殿のように美しくそそり立つ巨大な建物。そこへ繋がる石畳はミグランス城下町によく似ている。それでいて、入口で槍を持って仁王立ちする門番はエルジオンのアンドロイドのようにも見えた。

「ここが、いやはての大図書館…?」

 その敷地に一歩足を踏み入れた途端、ぞわりと背筋に寒気が走った。

「っ?!」

 誰かに見られている、という感覚。それを何倍にも膨らませた強烈な視線と威圧。

『お兄ちゃん?大丈夫?』

 思わず足を止めたアルドたちだったが、アメリアの声でふっと我に返る。

「あ、あぁ…大丈夫。今、誰かに見られたような感じがして、すごい寒気が…アメリアは何ともないのか?」

『寒気?どっちかっていうと、私は元気になった感じがするよ。それより、お父さんを探さないと!早くお父さんに会いたい!お父さんと一緒にいたい!』

 アメリアはあのプレッシャーに気付かなかったのかもしれない。つい先ほど涙を浮かべていたというのに、言葉通りに今ではすっかり元気を取り戻したようだった。

 アルドたちは一度顔を見合わせた後、意を決して足を踏み出した。門番が並ぶ扉まで足を進めると、当然のように二つの槍に道行きを阻まれた。

 アンドロイドのようだと感じた門番たちは、近付いても人間なのかアンドロイドなのかわからない。というのも、白いローブを身に纏い、顔には仮面をしているからだ。

 その仮面も異様だった。白と黒の二色で作られたそれは、目の部分も口の部分も縁取られているだけで実際に穴が開いているわけではない。

 もしもアルドがこの仮面を装着すれば、前は見えないし息苦しいだろう。ならば人間ではないのかと思えば。

「いやはての大図書館に何の御用かな」

 そう問う声はミグランスの城門で誰何する門番とまるで変わらない。

 無機質さと人間らしさを備えた、不気味な存在だった。

 いささかの警戒心を潜ませながら、アルドはできるだけ平静に答えた。

「本を拾ったんだ。いやはての大図書館の本だというから、ここまで来たんだけど」

 アルドがアメリアの本を掲げてみせると、門番はじっとその本を見た。続いて、仮面の顔をアルドに向け、数秒黙り込んだ。

「…確かに図書館から持ち出された本のようだ」

 門番たちは互いに顔を見合わせた。それから大きく頷く。組み合わされていた槍の先端が同時に空を向いた。再び門番の声が響く。

「よろしい。中に入りなさい」

 大図書館の扉が開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る