第1話

 時の忘れ物亭の外ではまだ混乱が収まっていなかった。いつもは地下の工房にいるノポウ族たちが出てきて回廊を走り回っている。

 様子を伺っていると、次元の狭間の人々が回廊の先に集まっているのが見えた。アルドたちもそちらへ向かうと、人だかりの中にリィカの姿が見えた。

 人垣を分けてリィカの側に行くと、すぐ側に見慣れない男が倒れていた。どうやらリィカはその人物を介抱していたらしい。

「リィカ。その人はどうしたんだ?」

「アルドさん。コノ方は漂流者デス。ドコから来たかはわかりマセンが、ここに倒れてイタそうデス」

「漂流者…先程の揺れと何か関係がござろうか?」

 サイラスが尋ねると、遠巻きに男の様子を見ていた少年が「僕見たよ!」と言った。

 少年は少しだけアルドたちの方へと近寄ると、回廊の先に広がる時空間を指差した。

「揺れが収まった後、あっちの方で何か光ったんだ。なんだろうって気になってこっちに来てみたら、その男の人が流れてきたんだよ」

「流れてきたって…あの空間、海みたいなものなのか?俺はてっきり、落ちたらそれでおしまいなのかと…」

「今はそんなことより、その男の人よ!リィカ、どうなの?助かりそう?」

 リィカは「ハイ」と答えた。

「外傷は見当たりませんノデ。まもなく目を覚ますカト」

 それは正しい見立てだったようで、男は小さく呻き声を漏らした。それからゆっくりとまぶたが持ち上がる。

 最初はうつろげだった瞳に徐々に光が宿る。男はぼんやりした様子で僅かに体を起こした。

「ここは…?」

「気がついたみたいだな。ここは次元の狭間だよ…って言って、意味わかるかな」

「次元の、狭間…」男がアルドの言葉を何度か繰り返した。始めのうちはただ言葉を重ねるだけだったが、三度目に「次元の狭間」と口にした後、突然男は目を見開いた。

「次元の狭間だって?!」

 そう叫ぶと、心配そうに様子を見守っていたアルドの肩を思い切り掴んだ。

「うわぁっ」思わず尻餅をついたアルドに覆いかぶさりそうな勢いで男は質問を重ねた。

「ここは次元の狭間?時の流れから外れてしまった者たちが集うという、あの次元の狭間だって言うのかい?それならば、君、いや君たちはみんな、時の迷子ということかな?」

「そ、そんなに一度に質問しないでくれ…大体あんた、体は大丈夫なのか?」

 問い返され、ようやく男はアルドから離れた。それからハッとして自分の体のあちこちをパタパタと触り始めた。

 その間にもリィカが男をスキャンする。

「再スキャン結果。オールクリーン。ワタシの仕事は完璧デス!ノデ」

「あ、あぁ。体は大丈夫だ。むしろ気絶する前より体が軽くなった気がする。それより、僕の本を知らないだろうか?胸ポケットに入れていたのに、見当たらない」

 男は急に青い顔をした。ずっとパタパタと手を止めなかった理由は、体の状態を確かめていたわけではなく、物を探していたからなのだろう。

 きょろきょろと辺りに視線を走らせる。フィーネが「あっ」と声を上げた。

「本って、これですか?」

 回廊の端に落ちていた淡い桃色の表紙の本を拾う。それを差し出すと、男の表情がパッと輝いた。

「あぁ、これだよ!ありがとう、お嬢さん!」

「どういたしまして」

 フィーネがにこりと笑う。本を受け取った男は大切そうにその本の表紙を撫でた。

 近くで見ると色合いだけでなく装丁自体も非常に可愛らしい。表紙には白い馬と女の子のイラストが描かれていた。大人が大切に所持するにはいささかメルヘンな本だ。

「随分大事にしているんだな」

 何気なくアルドが言うと、男は「当然です!」と声を上げた。

「これはただの本じゃない。僕の娘なんですから!」

「本が…娘?」エイミが怪訝な顔をして呟く。サイラスも言葉の意味を考えている。

「本の作者さんということですか?」

 フィーネがそう聞くと、男は意外にも首を横に振った。

「いや、違うよ。言葉通りさ。この本は、僕の娘。亡くなった娘だよ」

 アルドたちは言葉をなくした。娘を亡くすというのは誰にとっても辛いことだ。大方、娘の大切にしていた本、もしくは娘との思い出が詰まった本を形見として肌身離さず持っているのだろう。

 なんらかの理由で時空間を彷徨っていたショックもあり、本を娘だなどと言っているのかもしれない。

 そう解釈したアルドだったが。

「君たちは知らないかな?時のいやはてにあると言われる大図書館。そこに住う高次元の存在に願えば、失われた者の魂をこうして本という形に留めることができるんだよ」

「時のいやはて…?聞いたことないな。リィカやエイミは知ってるか?」

「私は初めて聞いたわ」

「エイミさんに同じデス」

 男は残念そうな顔をした。

「そうか…次元の狭間にいるくらいだから、そういうことにも詳しいかと…いや、それはいいか。それよりもここに流れ着いたのは幸いだった。ここならばきっと、見つかることもない…」

 ぼそりと呟いた言葉をアルドは聞き逃さなかった。すっかり安心した様子の男をじっと見つめ、問い詰める。

「あんた、もしかして誰かに追われてるのか?」

「えっ?!いや、そういうわけでは…」

 怪しい、と詰め寄るアルドを援護するように「アルドの見立ては正しいね」とマスターの声が響く。

 マスターの側には数人のノポウ族がいる。彼らはしきりに何かを囁いている。アルドには何を言っているかわからなかったが、どうやらマスターを呼んだのはノポウたちだったらしい。

 マスターは珍しくピリピリした空気を漂わせている。いつも温厚で落ち着いた様子のマスターしか見たことがないため、アルドたちもまたその気迫に驚いていた。

 マスターの視線を一身に受ける男もまた同じで、せっかく良くなった顔色がまたもや青くなっている。

「いやはての大図書館で願いを叶えた者は、代償を支払わなければならないはずだ。君はその代償を払っていないのではないかな」

「代償?」アルドが尋ねると、マスターの雰囲気が少しだけ和らいだ。

「彼らは慈善事業を行っているわけではない。要するに、サンプリングさ。図書館を訪れた者たちの願いを叶えるという形式を取って、あらゆる物をサンプルとして収集しているわけだ」

「えっと、つまり…どういうこと?」

 アルドが困り顔でリィカを見る。

「つまり…亡くなった娘サンを本に変える願いを叶える代償として、ソノ本を図書館に納めなけレバならない、というコトではないでショウか?」

「その通りだ」マスターが肯定すると、リィカは誇らしげに胸を張った。

「そうなのか…人の魂を本に変えるなんて…魂を本に閉じ込めるっていうのとはまた意味が違うんだよな?」

「似ているけれど、厳密には違うね。後者は生きている人に対して行われる秘術だ。きちんとした手順さえ踏めば、また生きて現実に戻ることができる。が、前者は違う。死んだ人間を本に変えるというのは、秘術でも魔術でもない。死霊術のようであって、それとも全く異なる、まさに神のなし得る奇跡だね」

 アルドは眉根を寄せた。

「わかったような、わからないような…?」

 マスターはゆっくりと男に近付いた。その分、男が後ずさる。

「往々にして、神の奇跡は盗んでいいようなものではない。それが異空間で施された奇跡ならば尚更、奇跡の起きた場から持ち出すべきではない。どんな災厄が潜んでいるか、わかったものではないのだから」

「ち、近付かないでくれ」

 男の後ろには真っ暗で果てのない時空が広がっている。確かに男はここに流れ着いたのかもしれないが、ここから時空へと身を踊らせたらどうなるかなど、誰にもわからない。

 海の水に体が浮くようにぷかりと時空を漂うことができるのか、それとも奈落の底に落ち続けることになるのか。

 いずれにしろ、これ以上男を刺激するのは良くない。アルドはマスターの腕を掴んでその歩みを無理やりに止めさせた。

「マスター、ここは俺が…」

「ポウ!ポポウ、ポポウポ!!」

 前に出ようとしたアルドだったが、ノポウ族たちが一斉に声を上げたことで、気を削がれた。

 ノポウ族は再び慌てふためき、回廊を走り回った。集まっていた次元の狭間の人々もアルドたちも、何事かと顔を見合わせる。

「まさか、これは!」

 マスターはとっさに叫んだ。

「みんな、振り落とされないように何でもいいから捕まるんだ!」

 そういい終わるか否か、再び次元の狭間全体が揺れた。先ほどの揺れよりも大きい。立っていることができず、みんな地面にへばりつくように身を伏せた。

 アルドもその場に伏せたが、ふと顔を上げた瞬間、漂流者の男の背後の空間が歪んでいることに気がついた。

「あ、あんた!気を付けろ!後ろに、何か…!」

 かろうじて柵に捕まっていた男が振り返った。空間の歪は徐々に大きくなり、バリバリとガラスを砕くような音と共に時空に穴が広がっていく。時層回廊が開いた時によく似ていた。

 時空の穴から何か白いものが出てきた。一つ、二つ、三つ。長さの違うそれは、こちら側に姿を現すに連れて見慣れたものへと徐々に様相を変えていく。

 五つめまでがこちら側に出てきたところで、それが巨大な手だとわかった。その手が、男の方へとゆっくり伸びていく。

「逃げろ!なんだかわからないけど、捕まったらダメだ!」

 アルドは叫びながらどうにか男の方へと近付こうとした。だが、未だに揺れが収まらないため、思うように動けない。

 そうしている間に白い手が男の体を掴んだ。

『みつけたぞ。愚か者め…対価は支払わねばならぬ。その約定を破った者には罰を与えなければならぬ』

「や、やめろ!やめてくれ!」

 男は必死に抵抗した。しかし、巨大な手に抗う術はなく、そのまま時空の穴へと引きずられていく。

「くっ…どうしようもないのか?」

 地面を這うようにして進むアルドだったが、その足をマスターが掴んだ。

「マスター?!どうして止めるんだ!」

「いけない、アルド!あれは我々がかなうような相手ではない!それに、あれはあの男以外の存在にはまだ気付いていない。このままやり過ごせば…」

「でも、見捨てられない!」

 アルドがそう言ってもマスターは手を離さなかった。

「私に任せて!」

 そう言ったのはフィーネだった。ハッとして顔を向けると、フィーネはほとんど飛びつくようにして男の腕を掴んでいた。地面に倒れ込みながら、男を引き戻そうと試みる。

 一度はこちら側に体が傾いたが、それもほんの僅かな時間のことだった。今度はフィーネの体ごと引きずられる。

「お、お嬢さん…僕のことはもういい!君まで巻き込まれてしまう!」

「ダメ!だって、お兄ちゃんがあなたを助けたいって思ってる!私だって同じ!」

 フィーネは思い切って白い指に触れた。指の拘束を少しでも解ければ男を開放しやすくなるのではないか。そう思ってのことだった。

 そんなフィーネの思いが届いたのか、白い手の動きが止まる。同時に次元の狭間を揺らす振動も止まった。

 更には男を掴んでいた五つの指が力を緩めた。男の体が束の間、自由になる。

「今なら…!」

 フィーネと男は頷き、白い手から離れようと駆け出した。

 アルドも立ち上がり、フィーネの方へと手を伸ばす。フィーネの手がアルドの手を掴んだ。

『抵抗は許さぬ』

 時空の穴から腕が伸びる。男とフィーネの体をもろとも掴むと、凄まじい勢いで引き込んだ。

「フィーネ!絶対に手を離すな!」

「だめ、お兄ちゃん…力が、抜けて…」

 フィーネは気を失ったのか、アルドの手を握る指から一切の力が抜けた。それでもアルドは手を離さなかった。

 腕が時空の穴に戻る勢いに耐えきれず、アルドの体が倒れる。そのまま地面を引きずられていく。

「くそっ」

 回廊の終わりまであと僅かもない。

「だ、だめだ…手が、痺れて…!」

 フィーネを掴む手に力が入らない。フィーネの手が、指が離れていく。

 そして。遂にアルドの指は空を掴んだ。

 全ての抵抗を排除した白い手は、悠々と時空の穴へ消えていく。真っ暗な闇の中へと何もかもが消えてしまった後、微かに「お兄ちゃん」と呼ぶフィーネの声が聞こえた気がした。

「フィーネ…フィーネ!」

 アルドは体を起こして走り出した。時空の穴はまだ残っている。そこへ飛び込めば、まだ間に合うのではないか。そんな望みを託して。

「いけない!みんな、アルドを!」

「任せるでござる!」

 マスターの声に応じ、サイラスが駆ける。エイミとリィカも続いた。

 三人がアルドの体にすがりつく。アルドは三人の腕を振り払おうともがいた。

「お願いだ、離してくれ!早くしないと、時空の穴が、閉じて…!」

 そう叫ぶアルドの目の前で、無情にも時空の穴は綺麗さっぱり消えてしまった。

 サイラスたちが腕を離す。アルドは虚空を見つめたまま、ガクリと膝をついた。

「すまない、アルド…まさか、フィーネが捕らえられてしまうとは思わなかった。だが、あの状況ではこれが最善策だった。どうか、理解してほしい」

 マスターが少し離れたところからそう言った。アルドはゆっくりと顔を向けた。青ざめていた顔が、徐々に赤くなる。

 怒りの感情がアルドの頭の中を支配した時には、マスターに詰め寄っていた。

「どうして止めたりしたんだ!あの時、俺があの人の手を掴んでいれば…少なくとも、フィーネが巻き込まれることはなかったのに…!」

 対するマスターはどこまでも冷静だった。怒鳴り返すでもなく、怯えて謝罪するでもなく、ただいつものように答えた。

「君がいればどうとでもなる、と思ったからだ。だが、君があちら側に引き込まれてしまえばそれでおしまい。ゲームセットだ」

「ゲーム?何を言って…」

「リィカ。時空の穴の解析はできるかな?何せ高次の神らしきものが通った穴だ。それなりの痕跡があるんじゃないかな?」

「お任せくだサイ。それからアルドさん。ドウカ気を確かにしてくだサイ。このリィカ、必ずやフィーネさんの元へ辿り着く道を見つけてみせマス、ノデ!」

「リィカ…」

 リィカは時空の穴があった辺りの解析を始めた。

「リィカ一人じゃ大変かもしれないわね…ヘレナも呼んだ方がいいかしら?」

「それならば拙者が探してこよう」

 そう言うと、サイラスはアルドの肩をポンと叩いてから時の忘れ物亭の方へと足を向けた。

 アルドはサイラスの背中を見送った後、肩を落として俯いた。フィーネを守れなかったことへの後悔もあるが、マスターを責めてしまったことへの居た堪れなさもある。

 そうした複雑な気持ちを察したのか、エイミがアルドの顔を覗き込んだ。

「大丈夫?」

「…ごめん、俺…」

 エイミは優しく微笑んだ。

「謝るなら、相手が違うわよ」

 指摘されてアルドは顔を上げた。マスターはいつものように穏やかな様子でそこに立っていた。

「ごめん。俺、助けてもらったのに…お礼を言うどころか、責めたりして…」

「大事な家族が目の前でさらわれたんだ、当然だよ。気にしてないさ。それよりもいつものアルドに戻ってよかったよ」

 うん、とアルドは頷いた。

「繰り返すようだが、君がこうして無事でいるのは幸いだ。何せ、君には時を渡る能力があるわけだからね。特に今回は時層を渡る必要がある。次元戦艦で向かうわけにも行かないだろう」

「え?だめなのか?」

 マスターは顎に手を当てた。「これは推測だが」と前置きをした上で自身の考えを述べる。

「次元を渡るのと時層を渡るのとでは技術が異なるのではないかな、と思ってね。だが、話を聞いた限りでは君たちは異時層に渡ったこともあるようだから。この場合、やはり起点はアルドなのではないかな?」

 エイミは納得したように頷いているが、アルドは首を傾げている。

「ともあれ、だ。リィカの分析には時間がかかるだろう。君たちはその間に安全に時層を渡るための手法探しでもしたらどうかな?」

「それもそうね。じっとしているのも嫌だし。セバスちゃん辺りにでも話を聞きに行ってみましょう」

 エイミの提案に「そうだな」とアルドも応じる。

 アルドはフィーネが消えた辺りの空間を振り返った。先ほどまで、そこに穴が空いていたなんてまるでわからない。

「待っていてくれ、フィーネ。必ず助けに行くからな」

 拳をギュッと握る。右手には、まだフィーネの指の感覚があるような気がした。



 アルドとエイミが最初に頼ったのはセバスちゃんだった。エルジオンにある彼女の自宅を訪れると、いつものように機械いじりに勤しんでいた。

「また来たの?何か面白いネタでもあった?」などと言いながらもセバスちゃんの視線は手元に落ちたままだ。

 エイミはアルドの脇を小突いて促した。

「セバスちゃん…助けてほしいんだ。どうしても、時層を渡る手段がほしい」

 単刀直入にそう言うと、最初は作業を続けたままだったセバスちゃんが顔を上げた。アルドとエイミ、二人の表情を見て、決して何かの冗談で言ったわけではないと察する。

 セバスちゃんは作業の手を止めると、改めて二人に向き直った。

「唐突ね。理由を聞いてもいいかしら?」

「実は…」

 アルドがかいつまんで事情を説明すると、黙って話を聞いていたセバスちゃんが徐に立ち上がった。

 何を思ったのか、モバイル通信機を手に取り、どこかへとコールする。さすがに気になったのか、エイミが「セバスちゃん」と声をかけると、セバスちゃんはパッと手を突き出して言葉を制した。

「…あ、私だけど。今、時間あるかしら?不本意だけど、あなたにおりいって相談があるの。すぐに私の家まで来てくれる?そう、ありがとう。それじゃ」

 短い通話を終えると、通信機をデスクに置いた。

「はっきり言わせてもらうけど」不安そうなアルドの目を見つめ、セバスちゃんは言葉を続ける。「私の手には余るわ。認めたくないけど、力不足ってやつね」

 悪気は全くないのだが、それでもアルドは肩を落とした。次元だの時層だのという話になると、どうしてもアルドでは知識が足りない。時を渡る冒険などしていても、それで科学技術に精通できるわけではないのだ。

 だから頼りになるのは科学分野に明るいエルジオンの友人たちなのだが、その中でも天才と呼び声の高いセバスちゃんに「私の手には余る」などと言われては、道を断たれたような気になってしまう。

「安心して、とは言わないけど、まだ落ち込む必要はないわよ。今、助っ人を呼んだし。あいつなら、アルドたちの悩みにも答えてくれるんじゃないかしら」

「ほ、本当か?」

「落ち込む必要はないけど、過度な期待はしないで。あくまで知識のありそうな人を呼んだだけで、必ずしも解決策を提示してくれるとは限らないから」

 それでも希望が潰えたわけではない、というのは今のアルドにとっては何よりも力になることだった。



 しばらくして、セバスちゃんの家にやってきたのは、アルドもよく知る人物だった。

「助っ人って、レオのことだったのか」

「おや。デートのお誘いかと思って楽しみにしていたのに、アルドたちもいたのか」

「私がデートの誘いなんてするわけないでしょ。用事があるのも私じゃなくて、アルドだから」

 セバスちゃんは虫を見るような視線をレオに送ると、アルドを小突いた。

「ほら、さっさと用件を話しなさいよ。私はこの男を一刻も早く追い出したいんだから」

「自分から呼びつけておいてそんなつれないことを言わないでくれよ。それで?一体僕に何の用があるのかな?」

 セバスちゃんの冷たい一言を気にした様子もなく、レオはアルドに向き直った。口元には笑みが浮かんでいるのに、目の奥は笑っていない。

 いつも素っ気ない許婚からのお願いかと思いきや、アルドのために呼び出されたとわかって、面白くないのかもしれない。

「ごめん、レオ。実は、相談したいことがあって…セバスちゃんを頼ったら、レオなら知識があるから、解決策を提示してくれるんじゃないかって」

 アルドがそう切り出すと、レオは意外そうな顔をした。

「セバスちゃんでも知らないことを、この僕に?」

 レオの視線が自然とセバスちゃんに向かう。既にデスクに戻って作業を再開していたセバスちゃんだが、視線には気付いているはずだ。

 だが、頑なにレオの方を見ようとしない。

 そんなセバスちゃんを見て、レオはほっそりと目を細めた。

「ふふ…それは光栄だね」

 レオが再びアルドを見た。先ほどよりもずっと表情が柔らかい。どうやら気分を良くしたらしかった。

 アルドは改めて、時空の穴のことを話した。もちろん、次元の狭間のことは話せないため、場所などは適当にはぐらかして説明する。

「妹のフィーネが巻き込まれてしまって…どうしても異時層に渡りたいんだ。手を貸してもらえないか?」

 話を聞き終えたレオは真剣な顔をしている。彼自身、妹がさらわれたアルドの気持ちを理解してはいるだろう。しかし、彼にとってはそれよりも重要な話がある。

「…いやはての大図書館か…そんな場所があるとは。しかも、願いを叶える神がいるなんてね。本当に願いを叶えてくれるものか、試してみたい気もするな」

 そう言いながらちらりとセバスちゃんを見る。セバスちゃんはぶるりと体を震わせた。

「冗談だよ。しかし、それが本当に神なのか、神を名乗る異邦人なのか…その辺りには興味があるね」

「アンタの興味はどうでもいいのよ。それで?アルドに協力してあげるの?しないの?なら出てて行って。邪魔だから」

 レオは「ははは」と笑いながら、アルドへと視線を送った。

「手を貸してもいいけど、無償でというわけにはいかない。僕が異時層とやりとりできるのは、あくまでビジネスとして契約があるからだ。技術の私的流用をするとなれば、それなりに手間もかかる。いくら僕でもね」

「もし協力してくれるとしたら、俺は何をすればいい?」

 うーん、とレオは唸った。天井を見上げてあれこれと悩んでいるようだったが、しばらくしてにこりと笑って答えた。

「君にしてほしいことって、あまりないんだよね」

 それからセバスちゃんを見る。

「代わりにセバスちゃんが対価を支払ってくれるなら、考えてもいい」

 セバスちゃんはバン、とデスクを叩いて立ち上がった。

「なんで!私が!対価を払わないといけないのよ!!」

「だって、言ってみれば僕は君の代わりに仕事を請け負うんだよ?だったら君が彼の代わりに対価を払うのも道理じゃないかい?」

 セバスちゃんの顔が般若のようになっている。対するレオは涼しげだ。

「納得いかない!いかないけど…!」

 ぐぅ、とセバスちゃんが唸る。拳を握りながらアルドを見た。ほとんど睨まれているようなものだが、アルドはセバスちゃんが何か言うのを待った。

 エイミも同じなのか、黙ったまま成り行きを見守っている。

 しばらくして、セバスちゃんは力なく座り込んだ。

「…仕方ないわね。わかったわよ!私が対価を払う。だから、何がなんでもアルドに協力しなさいよ!あと、失敗は許さないから!やっぱりできませんでしたってのもナシ!」

「交渉成立だね。それならここからは依頼主と話をしよう。それで、確か安全に異時層を渡る技術がほしいんだったかな?」

「えっと…」

「より正確に言えば、もう一度時空の穴を開いて、一定時間固定できるような技術ね。ただ穴を通るだけなら、その辺にある技術の組み合わせでどうにかなりそうだし」

 アルドが答えるよりも先にセバスちゃんが口を挟んだ。

「あぁ、そういうことか。それならちょうどいいデバイスがあるな。すぐに持って来させよう。しかし、鍵を作るには行き先の座標が必要になる。それは大丈夫なのかい?」

 レオに尋ねられ、アルドはエイミと顔を見合わせた。

「今、リィカとヘレナに時空の穴があった辺りを解析してもらっているけど…」

「入口が開いたということは、出口があるはずよ。それに、アルドの妹が飲み込まれたんでしょ?それなら、出口に向かって軌跡が残っているはず。そのログを辿れば、ある程度の絞り込みはできるんじゃない?」

「そうだね。なら、リィカに座標の登録を任せれば問題ないか。もう一つ、時空の穴を固定するための装置だけど…」

 セバスちゃんとレオの間で何やら専門的な話が始まった。既にアルドとエイミは蚊帳の外だ。

「科学の話になると、なんか息ぴったりなのよね…」

 エイミがぽつりと言う。

「…セバスちゃんが聞いたら怒りそうだな」

「そうね。私たちは静かにしてましょう」



 二人が技術的な話を侃侃諤諤と繰り広げているうちにレオの使いがやってきた。彼が持ってきたのは手のひらに収まるほどの大きさの四角いデバイスと球体の装置だ。

 レオはまずデバイスと一緒に小さなチップを手渡した。

「これは?」アルドが尋ねる。レオはデバイスを指差しながら、簡単に説明を加えた。

「その機械がゲートキー。つまり、時空の穴を開くための鍵になるものだよ。リィカたちが分析した座標を登録することで、そこに向かって道が開く。詳しい使い方はそのメモリーカードに保存してあるから、リィカに渡すといい」

「わかった。こっちの丸いやつは?」

「こっちは時空間維持装置。通称トーチといって、開いた穴を固定するために使う。想像するに、いやはての大図書館とやらは安定した空間ではない可能性がある。行ったはいいが、戻れなくなることも考えられるだろう。だから、これを帰るための目印にするんだ」

 セバスちゃんが球体をじっと覗き込んだ。

「なるほどね。これがあるから異時層の連中と定期的なやりとりが可能ってわけね」

「本来、時空の穴は不安定なものだからね。そこを安全に航行するためには灯台になる何かが必要というわけさ」

「とにかくこれでアルドの目的はどうにか果たせそうね。みんな無事に戻って来られたら図書館の話を聞きたいから、また顔を出して」

 アルドは大きく頷いた。

「あぁ!二人とも、ありがとう!」

「気にしないでくれ。これくらいの技術提供でセバスちゃんとデートできるなら、安いものだよ」

 レオがにこにこしながら言った。

「え?」セバスちゃんが真顔でレオを見た。「今、なんて?」

「僕が今、一番ほしいのは君と過ごす時間だからね。約束通り、対価は払ってもらうよ。セバスちゃん」

「そんなの聞いてないわよ!」

 セバスちゃんの絶叫がエルジオンの空にこだました。



 とんでもない対価を要求されて喚き散らすセバスちゃんを残し、アルドとエイミは次元の狭間に戻った。

 すぐに回廊の先に向かうと、リィカとヘレナ、それにサイラスがいた。アルドたちの帰還に気付いたサイラスが振り返る。

「おぉ、ちょうど良かった。間も無く解析が終わるそうでござる」

「本当か!」アルドが駆け寄る。「こっちもどうにか手助けが得られたよ」

 アルドたちが見守る中、リィカとヘレナの共同作業が終わりを迎える。「解析終了」というリィカの言葉に、アルドは前のめりになる。

「仮称・神の手が通過した軌跡の解析が完了しマシタ。デスガ、遠く離れる程、反応が弱くなっていマス」

「私の分析結果も同じね。目的地の座標がおぼろげで安定しない」

 アルドはレオから受け取った装置を差し出した。

「これを使ってもダメかな?使い方はこのメモリーカードに保存されているって」

「ワタシが試してみマショウ」

 リィカはアルドからメモリーカードを受け取ると、読み取りを開始した。その間にヘレナやサイラスと情報共有を行う。

 アルドからはセバスちゃんとレオの助力が得られたことを伝える。サイラスは「重畳、重畳」と喜んでいるが、ヘレナは思案顔だ。

「レオという男、KMS社の幹部でしょう?かなりのやり手だと聞くし、何か魂胆があってもおかしくないわ」

「そうは言っても、フィーネを助けるためには仕方ないよ。今はレオを信じよう」

 アルドがそう言うと、ヘレナは「あなたがそれでいいなら」と引き下がった。

 ヘレナからも情報がもたらされる。

「あなたたちが見た巨大な手らしきもの、古代の四大精霊に通じるものがあるんじゃないかしら。大きな力の塊だから、通った後に魔力のかすみたいなものが残っていたわ」

「ヘレナたちはそれを追って座標を見つけたのね」

 エイミの言葉にヘレナは頷いた。

「きっと力の軌跡がそのまま通り道になったのね。今なら時層回廊のように通り抜けることもできるかもしれない」

「あとはゲートキーに座標を登録すれば…」

 アルドはリィカを見た。リィカは既にデバイスを手に取っている。メモリーカードの読み取りも終わったのか、アルドを見て言った。

「メモリーインプット完了。手順に従い、ゲートキーにいやはての大図書館の座標を登録しマス。アルドさん、よろしいデスカ?」

「あぁ、頼む」アルドが頷くと、リィカはゲートキーにアクセスした。

 その様子を見ながら、ヘレナが言葉を続けた。

「時空の穴を開くには、もう一度衝撃が必要よ。ポイントはこちらで絞り込んだから、あとはそこを確実に撃ち抜くだけ」

「撃ち抜くか…」アルドは腕を組んだ。「俺の斬撃じゃダメってことだよな」

「あてはあるわ。射手の手配は私に任せて」

「わかった。よろしく頼む。リィカ、そっちはどうだ?」

 アルドが声をかけると、リィカはすぐに答えた。

「ハイ、座標の登録は問題なく完了しマシタ、ノデ!」

「よし、それじゃあ準備が整ったら早速向かおう!」

 おう、と声を揃える。一旦、時の忘れ物亭へと戻り、準備を整えることになった。

 アルドの脳裏にフィーネの顔が浮かぶ。必ずフィーネを助ける。その想いを胸に、アルドはギュッと拳を握り締めた。

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