運命の日

 アリスはフォークをテーブルに置いた。

「王子、随分遅いですね」

 向かいに座ったラークスパーが、アリスの呟きに反応して顔を上げた。

「ダークさんと、一体何の話をしているんでしょうか」

「……さあ。僕にもわかりません」

「そうですか……」

 アリスは台所の戸口に目をやり、ため息をついた。

「早く戻って来るといいのに」

 ラークスパーはアリスの手元に目をやった。サンドイッチもサラダも、ほとんど手付かずのまま残っている。

「あまり食欲がないみたいですね」

「食欲なんてないです。王子が心配で……」

「食べられる時に食べて置かないと、また何があって食べられなくなるかわかりませんよ」

「ラークスパーさんそれ、王子にも言いませんでした?」

「言ったかもしれません」

 アリスは力なく笑い、のろのろとチーズを口に運んだ。

「……ラークスパーさんはこれから起こることが全部わかってるから、そういうことを言うんですか?」

「全部わかってなんかいませんよ」

 ラークスパーは笑いながら答えた。

「魔法使いなら何でもわかるはずだと思っている人もいるみたいですが、そんなことはありません。わかることよりわからないことの方が多いです」

「でも、わかっていて隠していることもあるでしょう?」

 幾分咎める口調になってしまった。ラークスパーは笑顔を崩さなかったが、ほんの少し困ったように首を傾けた。雲行きが怪しくなって来たことに気付いた様子だ。――これは予知能力ではないのだろうか。

「隠すのは、話すなと言われた時だけです。決して、何も知らずに困っている人を見て、面白がっているわけではありません」

 怒っている風でも、傷付いている風でもなく、ただ誠実に彼は言った。アリスは八つ当たりした自分が恥ずかしくなった。

「……ごめんなさい」

 ラークスパーは軽く頷いて見せた。

「話すなと言われたこと以外なら何でも話しますから、何でも聞いて下さい」

 アリスは上目遣いにラークスパーを窺った。

「話すな、と言ったのは誰なんですか?」

「……それを話したら、話すなと言われたことを話したのと同じですよ」

「そんなことありません。誰が口止めしたのか話しても、口止めされた内容を話さなければセーフです」

「そうでしょうか」

「そうです。それに、誰が口止めしたのかはわかってます。王子ですよね?」

「……」

 ラークスパーは肯定しなかったが、否定もしなかった。

「王子はいつもそうなんです」

 アリスは俯いた。

 いつもそう。大事なことであればあるほど隠そうとする。全部一人で抱えて、一人で考えて、一人で決めてしまう。今回も、きっとそうなのだ。

「私が頼りないのはわかるけど、私だって、王子を助けたいのに……」

 ラークスパーは何も言わなかった。

 アリスは椅子を引いて立ち上がった。そのままテーブルを回り、戸口に向かう。

「アリスさん」

「外の空気に当たって来ます」

「……あまり遠くへは行かないで下さいね」

 ラークスパーの言葉と、アリスの手でドアが閉められたのはほぼ同時だった。アリスは一応「はい」と答えたが、ラークスパーには聞こえなかったに違いない。

 外の空気は冷たかった。見上げると曇り空で、太陽は雲の陰に隠れていた。

「二人はまだ話をしてるのかな」

 アリスはスワン王子とダークがいるはずの、塔の扉に目を向けた。

 ――ちょっとだけ、様子を見に行ってみようか……。

 ゆっくりと足を踏み出した時、目の端に何か動くものが映った。えっと思って振り返ると、そこにいたのは一匹の白いウサギだった。初めてこの城に来た時に見たのと同じウサギだ。

「びっくりした。あなた、まだこの城にいたの?」

 アリスはウサギの方へ手を伸ばした。

「いつからいたの? 城の門が開いた時に入って来たの? それとも、城と一緒に眠っていたのかな」

 アリスの手が触れた瞬間、ウサギはさっと身を翻した。

「あっ、待って……」

 何も考えず、アリスはウサギのあとを追って駆け出していた。

「待って、どこに行くの?」

 ウサギはぴょん、ぴょんと跳ねて庭園を抜け、建物の中へ姿を消した。アリスも開いた窓から中に入った。

「ウサギさん?」

 呼び掛けると、ウサギの白い姿が廊下の端に現れ、階段を上り始めた。

「どこに行くの?」

 尋ねながらまたあとを追う。

 階段を上り切ったところで、ラークスパーに遠くへ行くなと言われていたことを思い出した。

「いけない。戻らなきゃ」

 アリスは急いでウサギを探した。

「私戻るよ、ウサギさん。あなたも……」

 ウサギは並んだドアの一つを見上げて座っていた。

「何してるの?」

 アリスはウサギに近付いた。

「あ、ここは……」

 覚えのあるドアだった。この城に来た最初の夜に、スワン王子と用意した――サフィルス王子が使っていた部屋だ。どうしてここに? アリスは傍らのウサギを見下ろした。

 ――この子、サフィルス王子に懐いていたのかな。

「サフィルス王子はもう、ここにはいないよ」

 そういえば、サフィルス王子はあのあとどうしたのだろう。自分の国へ帰ったのだろうか。サフィルス王子の国はどこだと言っていたっけ? クリスタロス王子は……本当の名前さえ、結局聞かずじまいだったような気がする。

 ウサギはアリスを見ず、前足でドアを引っ掻いた。

「ほら」

 アリスはドアを開けてやった。

「ここには誰もいない」

 ところが、ドアが開くとウサギは急に向きを変え、廊下を走って行ってしまった。

「えっ、どうしたの?」

 ウサギの背中に叫んでから、アリスはドアの向こうに目をやった。

「誰もいない……よね?」

 誰もいないように見えた。カーテンが半分開いていたので、部屋の中は暗くはなかったが、明るくもなかった。窓からの光はまっすぐベッドの上に射し込んでいる。まるでそこにあるものを、アリスに見せたがっているかのように。

「あれは……」

 ベッドの上にぽつんと置かれていたのは、小さな欠けた鏡の破片だった。

「どうして、ここに……」

 ――間違いない。花畑に落ちていたあの鏡の欠片だ。私が拾って持って来ちゃって、ダークさんに預けて、それから……それからどうなったんだっけ?

「おいで」

「えっ?」

 突然聞こえた声に、アリスは思わず後ずさった。

「誰?」

 目を凝らすが、誰も見えない。この部屋にはアリス以外に人の姿はない。

 ――じゃあ、今の声は……。

「こっちへおいで」

 今度ははっきりわかった。声は鏡の中から聞こえた。そうだ、前にもこの声を聞いたことがある。

「あなたは前にもそうして、鏡の中から話し掛けて来ましたよね。王子と暮らした家で、王子が消えた鏡の中から」

「こっちへおいで」

 鏡は同じ言葉を繰り返した。冷たい、感情のない声だ。

「あなたは誰なの?」

「お前にそれを知る必要はない。さあ、ここへおいで」

 アリスはその声に従わなかった。ドアにぴったりと背中を押し付け、動かなかった。――動けなかった。

「あなたは、魔女ですよね?」

「そうだよ」と鏡の声。

「お前に人魚姫の呪いを掛けたのも、カラスに化けて呪いの言葉を叫んだのも、トロイメンの国の物語を書いたのも、私」

「随分長生きなんですね」

 動揺のあまり、つい、どうでもいい感想を口にしていた。今大事なのはそんなことじゃない。今、大事なのは……。

「私に掛けた呪いを解いて下さい」

「それは出来ない」

「どうして?」

「私がお前に魔法を掛けたのは、お前が望んだからだ。あのままでは、何の力もないちっぽけなお前は、王子を追い掛けて行くことも、王子の心を自分のものにすることも出来なかっただろう。私はお前の願いを叶えた。だからお前は私に、願いの代償を差し出さなければならない」

 ――代償……?

「それはもう渡したでしょう? あなたは私の記憶を奪ったじゃない。あんまりです。あんな呪いを掛けて置きながら、私に王子のことを忘れさせるなんて……」

 ――もし、王子がこの指輪をくれなかったら、私は……え?

 一瞬、頭の中が真っ白になった。

 ――指輪が、ない……!

「私はお前の記憶を奪ってはいない」

 アリスはうろたえた。

 ――ない。指輪がない。確かにはめていたはずなのに。どうしよう。どこで落としたんだろう。あれは呪いをはじいてくれるお守りなのに……。

「代償はこれからもらう」

 アリスは鏡の声に注意を戻した。記憶を奪ったのは魔女じゃない……? じゃあ、誰が? そして、魔女は……。魔女は何を代償に差し出せと言うの?

「お前はこの鏡の欠片を自分の胸に刺すのだ」

「そんなことしません」

「そうするしかない。それがお前の……」

「しませんったら!」

「ならばお前は、王子を救うチャンスを永遠に逃すことになる」

 魔女の言葉はアリスの心を揺さぶった。

「どういうこと?」

「今日はお前の十六歳の誕生日だ」

「そんなはずありません!」

 ――そんなはずはない。

「王子と出会った時、私はせいぜい生後二、三か月だったんです。王子と過ごした時間は三年にも満たなかった。だから私が十六歳になるのは、まだまだ、ずっと先です」

 ――そうだ。魔女が言っているのはでたらめだ。

「お前は何もわかっていないんだね」

 哀れむような口調だった。アリスはむっとしたのと恥ずかしかったのとで、顔を僅かに赤くした。

「自分が王子と釣り合わないってことくらい、ちゃんとわかってます。だって私は、人間じゃないんだから」

「お前は人間だよ」

「今は人間になってるけど、あなたが呪いを解けば、元の姿に戻ります。元の――黒猫に」

 ――何の力もない、ちっぽけな猫のままでは王子を追い掛けて行けなかったから……だから魔女の力で、人間の姿に変えてもらった。王子とは釣り合わない。きっと誰も認めてくれない。それでも、王子が愛してくれるなら、そばにいろと言ってくれるなら、私は王子のそばにいる。私が王子を守る。

「お前は何もわかっていない」

 魔女は繰り返した。

「私はお前に掛けられていた呪いを解いてやったんだよ」

「え?」

「ここへ来て、鏡を覗いてごらん。真実を見せてあげるから」

 アリスはまだ躊躇していた。まだ、魔女の言葉を信じられなかった。

「時間がない」

 魔女の声に苛々とした響きが混じった。

「王子が死んでもいいのか?」

「嫌です」

 ――自分は泡になっても、百年眠ることになっても構わない。でも、王子が死ぬのだけは絶対に嫌だ。

「私の言う通りにしなければ、王子は助からないよ」

 ――私は、王子を助けたい。

 アリスの背中がドアから離れた。

「さあ、ここへおいで」

 一歩――一歩――吸い寄せられるように、アリスは鏡の欠片に近付いて行った。



 ――なるべく早く話を終わらせた方がいいんじゃないか、とダークは考えていた。先に食事をするように言って台所に残して来る時、アリスが不安そうにスワン王子の顔を見ていたからだ。

 スワン王子も同じ気持ちだったに違いない。だから塔のてっぺんの部屋で向き合うなり、スワン王子が単刀直入に切り出して来ても、ダークは驚かなかった。――話の内容に驚いたことは別として。

「トロイメンの城の門番は、マルガリータ姫の従者がナイトと名乗ったと言っていたが。そなただったのか?」

 スワン王子はそう切り出した。

 ダークは一瞬、どう答えるべきか迷った。迷って、考えて……まあいいや、と思って言った。

「それは俺の弟だ」

「弟?」

 スワン王子は窓に寄り掛かってダークを見ていた。以前ここに来た時、同じ場所で同じようにしていたサフィルス王子の姿が思い出される。あれからまだ、十日しか経っていないのか。

「そう。トカゲ――従者としてあれこれ走り回ってたのは弟。俺はネズミ――御者兼護衛役で、表立っては何もしていない」

「偽の道しるべを立てたり、剣術大会を開いたりしたくらいか」

「まあな」

「……弟と言ったな。双子?」

「いや、年は大分離れてる。母親違いの兄弟で、魔法使いの血を引いているのは弟の方なんだ。『ダーク・ナイト』ってのは――早い話が偽名なんだが、二人とも同じ名前を使ってるんでな。一緒に行動する時は分けなきゃならなくて」

「二人で一つの名前か。まるで私たちのような……」

「私たち?」

「……いや」

 スワン王子はごまかすように笑い、窓越しに塔の下を眺めた。アリスとラークスパーのいる台所は陰になっていて、ここからは見えない。代わりに、塔と正面の建物との間に真っ白なウサギが見えた。

「とすると、カーネリアン王子がそなたの弟なのか。そなたより年下には見えなかったが」

「弟は門番やトロイメンの国の王に姿を見せてしまったから、いばらの城へ行く時は念のため変装していたんだ」

「変装ではなく、変身したのだろう。パール姫とサフィルス王子の姿を変えたり戻したりしたのも、体を小さくする薬を作ったのも、カーネリアン王子――そなたの弟だったのであろう?」

 ダークは目をしばたたかせた。

「なぜわかった?」

「ラークスパーは魔力の源を感じ取れるのだ」

「本当に何でもわかるんだな、ラークスパーは」

「本人はわからぬことの方が多いと申しておったがな」

 スワン王子は小さく息を吐き、真剣な顔付きになった。

「教えて欲しいことがある」

「……何だ?」

「誕生日だ」

「誕生日?」

「マルガリータ姫の」

「そんなこと、聞いてどうするんだ。また花束でも贈るつもりか?」

「重要なことであろう? マルガリータ姫は十六歳の誕生日に、百年の眠りにつくのだから」

「……ああ」

 ダークも茶化すのはやめて真面目に答えた。

「話したのか……あいつがあんたに? ――どこまで?」

「二年前の話だ。トロイメンの国のアズマラカイト王子と南の国のマルガリータ姫との間に縁談が持ち上がった。だがマルガリータ姫には心に決めた相手がいた。だから、召し使いの娘に身代わりを頼んだ。召し使いの娘はマルガリータ姫の身代わりとしてトロイメンの城へ行き、アズマラカイト王子の婚約者になった。そして、城に飛んで来たカラスに呪いを掛けられてしまった」

「そこまで話したのかよ」

 ダークは舌打ちした。

「じゃあ当然、再び婚約者になったのは鏡の欠片で王子を刺すためだったってことも、話したんだろうな?」

 スワン王子はまさに今、鏡の欠片で刺されたような顔をした。

「……それは聞いていない」

「そこは話して置けよ」

 ――さすがにそこまでは言えなかったのか。だが……。

「だったらあいつは、舞踏会へ行った理由を何て説明したんだ?」

「トロイメンの国の王子をいばらの城へ行かせないためだ、と。クリスタロス王子が子孫に遺言を残していたから――自分の代わりに姫を目覚めさせるようにという遺言を。婚約者がいれば、アズマラカイト王子はいばらの城へ行って、眠り姫を妻にしようなどとは考えないだろう。誰もいばらの城へ来なければ、眠り姫の秘密を知られることもない」

 なるほどな、とダークは言った。

「実際は逆だよ。トロイメンの国の王子がいばらの城に来そうもないから、あいつは舞踏会へ行くしかなかったんだ」

 スワン王子は頷いた。

「カラスは呪いの言葉のあとに、呪いを受けずに済む方法も叫んでいたのだな」

「ああ。姫の従者としてそばにいた弟がそれを聞いた」

『私は呪いを掛けた。十六歳の誕生日、王子の婚約者は割れた鏡の欠片に刺され、百年の眠りに落ちるだろう』

『呪いを解く方法は、ただ一つ。愛する人が身代わりになって鏡の欠片に刺されることだ』

 カラスの言葉はトロイメンの国の王にも伝えられた。――マルガリータ姫が助かるためにアズマラカイト王子を刺すかもしれない。そんな危険にたった一人の大事な息子を晒すわけには行かない。王は王子を守ろうと手を尽くした。国中の鏡が捨てられ、マルガリータ姫は婚約者と一度も会えないまま、南の国に追い返された。

「弟は子供の頃から南の国の城に出入りしていて、召し使いの娘とも親しかったんだ。彼女が不幸に遭うのを見過ごすことは出来なかった。何とかして助けてやれないかと考えた」

 幸い、トロイメンの国の王は本物のマルガリータ姫に呪いが掛かったと思い込んでいた。偽者のマルガリータ姫は見張られることもなく、自由に動けた。

「で、俺たちが彼女に、いばらの城の眠り姫になるのはどうかって持ち掛けたんだ。俺たちも助かるし、一石二鳥だってな」

 眠り姫に成り済まして、アズマラカイト王子に目覚めさせてもらう。そして、隙を見て、鏡の欠片で王子を……。

「だが、その計画はだめになった。ご先祖に託されたのに、トロイメンの国の王はいばらの城も眠り姫も、放置するつもりだったんだからな」

「それどころではなかったのであろう。双子の王子の予言や、王子の婚約者に掛けられた呪い……その上、二年前には王妃も亡くしている。とてもいばらの城までは気が回るまい」

「だから計画を変えた。正体を隠して、アズマラカイト王子の結婚相手を選ぶという噂の舞踏会へ行き、王子の心を掴む計画だ」

「その計画はうまく行ったのだな。王子は彼女を婚約者に選んだ」

 そして彼女はあの日――いばらの城から戻って来た日――アズマラカイト王子を鏡の欠片で刺すために、トロイメンの城へ行った。

「なぜ刺さなかったんだ? やろうと思えば簡単に出来たはずだ……相手は何も気付いていなかったのだから」

「あいつはずっと嫌がってたんだよ。自分が助かるためとはいえ、他人を犠牲にするなんて。一度は助かるのは諦めて、いばらの城で眠り姫の身代わりを務めようとしたくらいでさ」

「そうか」

 スワン王子は窓の下に目をやった。いつの間にか、ウサギはいなくなっていた。

「――だからだったのか。王が結婚を急いだのは……」

 外に向けて発せられた呟きは、ダークの耳まで届かなかった。ダークが何と言ったのか聞き返そうとした時、スワン王子が顔を上げた。

「心配はいらぬ。アズマラカイト王子との婚約を解消した今、彼女が呪いを受けることはもはやない」

「だといいんだが……」

 ダークはふと声音を変えた。

「なあ、いつまでスワン王子を演じるんだ?」

「え?」

「あんたはアズマラカイト王子だろう。ちゃんとわかってるから、アズマラカイト王子として喋ってくれないか。いい加減合わせるのも疲れた」

「……私はアズマラカイト王子じゃない」

「まだごまかすのか?」

「ごまかしているわけではない」

 スワン王子は額に手を当て、前髪を掻き上げた。

「私たち兄弟は二人で一つの名前しかもらえなかった。その名前は国に残った方の――弟の名前になった」

「だから、あんたが」

「私は国を追放された兄だ」

「それは『フィドル』だろう」

 スワン王子が答える前に、ダークは続けた。

「あんたは王になるべくして生まれ、城でぬくぬく育った弟で、魔力を持ったために追放された兄は、あんたの犠牲になって死んだ――パールはそう思ってたぞ」

 スワン王子の瞳が微かに揺れた。

「……彼女がアズマラカイト王子を鏡の欠片で刺す決心をしたのは、自分が助かるためではなく、フィドルの復讐をするためだったんだな」

 スワン王子はしばらく何もない空間を見つめていたが、やがてダークに視線を戻した。

「フィドルは死んでいない。フィドルが消えたあとも、私の足の痛みは消えなかった。今はスワン王子の姿をしているから痛まないが……あの痛みが消えない限り、あいつはどこかで生きている。どこかで、苦しんでいる」

 ――そなたが弟を愛しているなら、弟のところへ行ってやってくれ。あいつを、助けてやってくれ。

「私は彼女にそう言った。私には出来なかったことだが、きっと彼女になら出来る。彼女なら、きっと……」

 ――物語の結末を、変えられる。

「うっ」

 スワン王子が急に顔をしかめ、傍らのベッドに座り込んだ。

「どうした?」

「足が……」

「痛むのか」

「この姿の時に痛んだことはないのに、なぜ……」

 そこまで言って、はっと息を呑む。

「……ウサギ」

「え?」

 スワン王子は勢いよく顔を上げた。

「何だよ」

 ダークはスワン王子の異様な剣幕にたじろいでいた。

「今日――なのか?」

「何が」

「誕生日だ」

「誕生日って、誰の……おい!」

 スワン王子は転がるように部屋から飛び出した。

「待てよ。何を慌ててる?」

 叫びながら、ダークもスワン王子に続いて階段を駆け下りた。

「呪いを掛けられたのは偽者のマルガリータ姫だ。彼女の誕生日はまだ先だぞ」

「違う。呪いを掛けられたのは、偽者の姫でも、本物の姫でもない。呪いを掛けられたのは……」

 ドアを開け、塔の外に走り出た途端、スワン王子は足をもつれさせて転んだ。

「つ……っ」

「おい、大丈夫か。ちょっと落ち着け」

 スワン王子はすぐに体を起こしたが、何かに気付いて動きを止めた。

「これは……」

「ん?」

 ダークがスワン王子に手を貸そうとして近付いて来た。

「それは?」

 スワン王子は地面に落ちていた小さな光るものを拾い上げた。

「指輪だ」

「指輪?」

「呪いをはじくお守りだと言って、魔女の指にはめてやった……」

 指輪はスワン王子の手の中で小刻みに震え、パンと音を立てて割れてしまった。

「魔女」

 スワン王子の視線が庭園をさまよい、アーチの向こうに白いウサギの姿を捉えた。

 もう、足の痛みに構っている余裕はなかった。スワン王子は立ち上がり、ウサギのあとを追って駆け出した。

「魔女!」

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