レンガの道のその先に
――トロイメンの都……?
立ち尽くしたまま、アリスは頭の中で繰り返した。
――黄色いレンガの道の、その先にあるのは……。
「トロイメンの都……」
アリスの後ろでダークが呟いた。
「いくら何でも、こんなに近いはずはないんだが」
「魔法の力で作られた通路ですから、そういうことがあっても不思議はありません」
更に後ろからラークスパーが答えた。
今、通路に残っているのはアリス、ダーク、ラークスパーの三人だけになっていた。アリスとダークがぐずぐずしているので、二人の後ろにいるラークスパーも地下から出ることが出来ないのだ。
「城の中にいきなりこんな大勢で押し掛けたら、不法侵入で捕らえられるんじゃ……」
ダークはぐずぐずと言った。
「この塔の周辺には誰も寄り付かないので心配はいりません」
ラークスパーはダークの懸念を意に介さなかった。
「それに、今夜は舞踏会がありますから……」
「あれは冗談じゃなかったのか。……なぜそんなに詳しいんだ?」
「この国の王に聞いたんです」
「あんた、トロイメンの国の王と親しいのか」
「一応関係者ですから」
「関係者?」
「ラークスパーさんはクリスタロス王子のお兄さんの、子孫だそうですよ」
アリスがとっておきの秘密を教えるかのように、目をきらきらさせて言った。
「あれ? でもダークさんは、トロイメンの国の王子ですよね。会ったことなかったんですか?」
ダークは呆れ顔をアリスに向けた。
「あのな、アリス。俺がトロイメンの国の王子だと言ったのは、ただのはったりだ」
確かに、そうじゃないかと思ってはいたが……。
「でも……それじゃあ、ダークさんは誰なんですか?」
「そなたたち、何をしておる」
上から声が降って来て、見上げると、スワン王子が階段に片足を下ろしてこちらを覗き込んでいた。
「早く上って参らぬか。皆待っておるのだぞ」
「ああ、わかってる。すぐ行くよ」
ダークは首を上に向けて声を張り上げた。
「……秘密の話をするなら、時と場所を選ぶことだ」
スワン王子の姿が再び消えた。
ダークはため息をついた。
「仕方ない、行くか……」
「アリスさん、これを」
ラークスパーがアリスに手を差し出した。
「お返しします」
彼が渡そうとしているのは鍵だった。小さな金の鍵――今は光を失い、ただの鍵にしか見えない。
「あ……」
アリスは受け取りかねて身を引いた。
「あの……それ、私のものじゃないんです。ここに来る途中、拾っただけで」
「あなたが拾ったのだから、あなたが持っていて下さい」
「でも……」
「さあ」
「……わかりました」
アリスが鍵を掴むと、ラークスパーは微笑んだ。
「それじゃあ、行きましょう」
残った三人も順に階段を上がり、地上に出た。
塔の外にはいばらの城で見たのとそっくりな風景が広がっていた。夕暮れ時で、辺りがオレンジ色に染まっている様子まで同じだ。カーネリアン王子が驚いたのも無理はない。
先に行った五人は庭園の薔薇の生け垣のそばに佇んでいた。
「これからどうするんだ?」
ラークスパーの姿を見るなりカーネリアン王子が聞いた。
「ここで何があるんだ?」
「舞踏会ですよ」
なぜわざわざ聞くのかというように、不思議そうにラークスパーは答えた。
「どうやら間に合ったみたいです」
ひんやりした夜気の中、遠くから、微かにバイオリンや笛の音が響いて来る。
「何と、やはり舞踏会があるのか」
スワン王子が嫌そうな声を出した。
「その前に」
クリスタロス王子がおもむろに口を開いた。
「本当のことを話す約束だったのでは?」
「ここで?」
パール姫は驚いた様子だったが、クリスタロス王子の顔を見て渋々頷いた。
「わかったわ」
パール姫が花壇の縁に腰を下ろすと、他の者は彼女を取り囲むように、座ったり壁に寄り掛かったりした。
「私、嘘をついていました。ごめんなさい。私は塔の中で眠ってなんかいなかったの。ただ、眠り姫の振りをしていただけなのよ」
パール姫は一息に言った。
「その前に本物の眠り姫をどうにかしたでしょう」
クリスタロス王子が厳しい調子で詰問する。
「人聞きの悪いことを言わないでちょうだい。私は何もしていないわ」
「では、本物の眠り姫はどこに消えたのです?」
「そんなの知らない。私が来た時、眠り姫はもういなかったのよ」
「いなかった?」
「彼女だって、どこの馬の骨ともわからない男に目覚めさせられて結婚するより、自分で相手を選びたかったんでしょうよ。だから、目覚めてすぐに逃げ出したんだと思うわ。あの地下の通路は、眠り姫が逃げるために作られたものだったんじゃない? もしかしたら本当に、どこかで恋人が待っていたのかもしれないわね」
どう? と言ってパール姫はラークスパーを見た。
「あり得る話ですね」
ラークスパーは頷き、続けて質問した。
「それで、あなたはなぜ眠り姫の振りを?」
「いい考えだと思ったのよ」
パール姫は深々とため息をついた。
「私には結婚したい相手がいるの。でも、ちょっと色々あって、簡単には行かなくて……それで考えたのよ。私が眠り姫の振りをして、彼に目覚めさせられたように見せれば、結婚出来るんじゃないかって」
「あまりいい考えとも思えないが」
ダークがぼそっと呟いた。
「何よ」
パール姫はダークをきっと睨み付けた。
「大体ね、あなたがいけないのよ、ダーク。他の人が城に近付けないようにしてやるって偉そうに言って置いて、何? あんなにたくさん来ちゃったじゃない」
「時間稼ぎをするって言っただけだ。そっちがもたもたしてた分は知らねえよ」
むきになって弁解するダークを、スワン王子がまじまじと見た。
「何と……そなたもグルなのか」
「大変だったんだぜ。剣術大会を開いて自分で優勝したり、道しるべをあちこちに立てたり」
「とすると、パール姫の恋人というのは――」
スワン王子はダークからカーネリアン王子に視線を移した。
「そなたか?」
カーネリアン王子はばつが悪そうに頷いた。
「万一人に見られた場合に備えて、姫は私のマントに隠して城に入った」
「マントに隠して?」
スワン王子は今度はパール姫を見た。
「彼女を……? それはいくら何でも無理があるのでは」
「薬を飲んだのよ」
パール姫がおざなりに説明した。
「体を小さくする薬」
「あ……!」
アリスは小さく声を上げた。
「そう。アリス、あなたが拾ったあの小瓶の中身よ」
パール姫は疲れた様子で前髪を掻き上げた。
「まさか私と同じような境遇のお姫様が転がり込んで来るとは思わなくて……わかってたら、もう一人分用意して置いたのに」
「薬がなかったから、魔法で変身させたのですか」
クリスタロス王子がパール姫を睨む。
「なぜあの姿に?」
「彼女が寝ていた部屋に、肖像画があったの。王子様とお姫様の姿が描かれていた。それで、自分の姿をそのお姫様に、彼女の姿をその王子様に変えたのよ」
「外されていた肖像画か。そなたが外したのか?」
スワン王子は考え込みながら聞いた。
「そうよ。隠して置いて、ここぞという時に出して来るつもりだったの。自分が眠り姫である証としてね」
「だが、地下への入り口はどうやって見つけたのだ? クリスタロス王子のように、聞いて知っておったのか?」
「塔に来た時、私はまだ小さい姿のままだったのよ。それで、地下への扉を隠している石に、躓いてしまったの」
「……なるほど」
スワン王子が頷いた時、不意にラークスパーが口を挟んだ。
「皆さん……」
全員が期待に満ちた目でラークスパーを見た。何を期待していたのかはわからないが、少なくともラークスパーの言葉は彼らの期待に添う内容ではなかった。
「舞踏会はどうしますか?」
辺りはすっかり暗くなり、闇を通して聞こえる楽の音が大きくなって来ていた。
「顔を出して行きますか?」
「とんでもない! 舞踏会は懲り懲りだ」
スワン王子が真っ先に反対した。
「城に泊まる招待客もいるようです。その中に紛れ込むことも出来ますよ」
「私は城の外に宿を取るわ」
パール姫が言うと、クリスタロス王子が立ち上がった。
「その前に、この人に掛けた魔法を解いてもらいましょう」
クリスタロス王子の鋭い視線に、サフィルス王子の体がびくっと震えた。
「元の姿に戻せってこと? だめよ。彼女が元に戻ったら、無理矢理結婚するつもりなんでしょう?」
「そんなつもりはありません」
「あら、そう? ならなぜ追い掛けて来たの?」
「そういえば、目的は復讐だと言っていたな」とカーネリアン王子。
「自分がこういう目に遭ったから、お前のことも苦しめるのだと、相手にわからせなければ復讐にならないとか何とか……」
「ああ、言ってた言ってた」とダーク。
「あれは作り話だと申し上げたはずです」
この人に腹を立てていたのは確かですが、とクリスタロス王子は付け加えた。
「逃げたりせずに、結婚が嫌なら嫌とはっきり言って下されば良かったのです」
サフィルス王子は恥じ入ったように目を伏せた。
「……その通りですね。すみませんでした」
「いえ。こちらこそすみませんでした。もう私のことは気になさらないで下さい。あなたが消えたままだと、私があなたの家族に恨まれます。大分怖がらせたことですしね、気は済みました」
まだ少し不安そうなサフィルス王子を見て、パール姫が前に出た。
「もし無理矢理結婚させられそうになったら、また逃げていらっしゃい。今度はクリスタロス王子をお姫様の姿に変えてやるから」
「では、元に戻していただけますね」
顔をひきつらせながらも、クリスタロス王子は丁寧に頼んだ。
「……いいわ」
パール姫が両手を差し上げた。
彼女がどうやってサフィルス王子に掛けた魔法を解いたのか、アリスは見ることが出来なかった。一人塔に引き返して行くスワン王子に気付き、あとを追ったからだ。
「どこへ行くんですか?」
スワン王子は塔の扉に手を掛けたまま振り返った。
「そなたは皆と一緒に先に参れ」
「スワン王子は?」
アリスは食い下がり、スワン王子の手を掴んだ。
「一人でどこへ行く気ですか?」
「……忘れ物を――」
スワン王子はノブを回した。
「――忘れて来たのだ」
塔の中へ入り、更に地下へと向かうスワン王子を追って、アリスも階段を降りた。
「あれは嘘だったんだと思ってました」
「なぜだ? 私が嘘をついたことがあるか?」
スワン王子はランプを前に翳していた。ランプの光に照らされていると、床は普通の茶色いレンガに見えた。眠り姫は本当に、この通路を使って逃げたのだろうか。どこへ?
分かれ道に来ると、スワン王子は右に曲がった。
「左じゃないんですか?」
アリスは思わず聞いた。
「いや、あの部屋で落としたとは思えぬ」
「落とした?」
「ああ。上着のポケットにしっかり入れてあったのだ。落とすとしたら、激しく動いた時だ」
「激しく――?」
――ああ、階段から落ちた時か。……階段?
「あの、何を落としたんですか?」
「鍵だ」とスワン王子は答えた。
「金色で、青い宝石のはめ込まれた小さな鍵。あれがないと、私は自分の部屋に入れぬのだ」
「それって、これのことじゃありませんか?」
アリスは手の中の鍵をスワン王子に見せた。
「それはそなたのものであろう」
「いいえ、私のものじゃありません。さっき森の家の階段の下で拾ったんです」
スワン王子は足を止めた。
「何と?」
アリスは細部がわかるように、鍵をランプの明かりに近付けた。
「よく似た鍵だと思ってはいたが……」
スワン王子は鍵を受け取り、じっくり眺めてから言った。
「確かにこれだ。そうか。そなたが拾っていたのか」
「すぐに気が付かなくてすみませんでした」
「いや。ありがとう」
二人は顔を見合わせ、笑い合った。
「では、戻るとするか」
「そうですね」
「行ったり来たりさせてしまって悪かったな」
スワン王子は鍵をポケットに仕舞い、アリスに左手を差し出した。
「……もう何も持っていませんよ」
「そうではない。こうするのだ」
スワン王子はアリスの右手を掴み、そのまま歩き出した。
「転ばぬようにな。そなたは不注意ゆえ」
「不注意なのはスワン王子でしょう。私は転んだりしません」
「さっきから何度も躓いているのを見たぞ」
「そんなこと――あっ」
足がもつれ、アリスは慌てて体勢を整えた。
「ほら見ろ」
「スワン王子が引っ張るからです」
それは嘘だった。スワン王子はただ優しく、アリスの手を包み込んでいた。
――温かい……。
アリスはスワン王子の背中を見ながら、騒いでいた胸が少しずつ安らいで行くのを感じていた。
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