明かされた真実
三人はダーク、アリス、パール姫の順番でその部屋に入った。
さほど広くない部屋だった。パール姫の寝ていた塔の部屋と変わらない。ただしパール姫の部屋と違い、壁も床も剥き出しの岩だった。そこが人の住んでいる――または、住んでいた――部屋だとわかるのは、家具が置いてあったからだ。飾り気のないベッドに、テーブルと椅子――テーブルにはスワン王子の持っていたランプが置かれ、椅子にはスワン王子が腰掛けていた。
そして、スワン王子の横にもう一人、背の高い男が立っていた。年は二十代半ばくらいで、何事にも動じないような、穏和で沈着な顔付きをしている。
「ラークスパーだ」とスワン王子が紹介した。
ダークがラークスパーをちらっと見て、スワン王子に聞いた。
「呼んだのか」
「いや。偶然、ここにいたのだ」
スワン王子の返答に、ダークは納得していないようだった。本当かなあ、と言いたげな顔だ。
パール姫はぼうっとラークスパーを見つめていた。
「何か?」
ラークスパーは柔らかく微笑んでパール姫を見返した。
「あ、いえ……あの、似ていると思って――サフィルス王子に」
「そうですか? それは不思議ですね」
パール姫はなぜか怯えたように、ラークスパーの眼差しから顔を背けた。
アリスは部屋の様子を観察していた。ランプの載ったテーブルと、スワン王子が座る椅子、奥のベッドに順に視線を巡らす。
「……誰かがここに住んでいたんでしょうか」
「そう見えるな」
アリスの呟きに反応したのはスワン王子だった。
「誰が住んでいたのだろうな」
「……」
アリスの視線がベッドの上に移動する。
「バイオリン……」
今度はラークスパーがその呟きに反応し、アリスの視線を追った。ベッドの枕元に置かれていたのは、色褪せた古いバイオリンだった。
「さっきのはあなたが弾いていたんですか?」
アリスの問いに、ラークスパーは微笑んだ。そうだ、という意味だろうか。
――じゃあ、昨日のも……?
「なるほど。姿が見えない時はいつもここにいたわけか」
ダークが皮肉を込めて言った。
「あんたは随分この城を探検して回ったみたいだな」
「ええ、隅から隅まで見て回りましたよ。面白いものもたくさん見つけました」
笑顔で屈託なく言うラークスパーに、全員が少し怯んだ。
「それで、皆さんに提案なんですが」
朗らかにラークスパーは続けた。
「そろそろ、嘘はやめて、本当のことを話しませんか?」
「本当のこと?」
ダークが鸚鵡返しに聞いた。
「真実を」
「真実、ね。いきなり出て来た奴に、突然そんなことを言われてもなあ」
「僕はずっといましたよ。皆さんが気が付かなかっただけです」
ラークスパーはけろりとして言った。
ダークはまた気味が悪くなった様子で、僅かに身を引き、じっとラークスパーを見つめた。
「……あんた、サフィルス王子、とか?」
「いえ、そういうことではなく」
「でも……言われてみれば、確かに似てるんだよな、あいつに。違うのは年齢と、目の色くらいじゃないか?」
ダークの言う通り、ラークスパーはサフィルス王子より七、八歳上に見える。そして、サフィルス王子は青い目をしていたが、ラークスパーの目は薄い紫色だった。だが顔かたちはよく似ていたし、髪の質と色合いはほとんど同じと言って良かった。
「その人に似ているのは、多分……」
言い掛けて口をつぐみ、ラークスパーは少し考えた。それから、首だけ後ろに向けて、ベッドの脇の壁を見上げた。
「ここに、絵があったんです」
「絵?」
「肖像画です」
パール姫が息を呑んだ。ダークはパール姫をちらりと見てから、ラークスパーに聞いた。
「誰の肖像画だ?」
「さあ。僕が描いたわけではないので、わかりません」
ダークは壁に目をやり、もう一度聞いた。
「どこへやったんだ?」
「さあ。僕がどこかへやったわけではないので、わかりません」
「だって、あったんだろう?」
「二度目に来た時にはなくなっていました」
「なくなってた?」
「誰かが外したんでしょうね。その絵が欲しかったのか、或いは、他の人に見られたくなかったのか……」
「見られたくないって、なぜだ?」
答えようとして、また少し考え、思い直したようにラークスパーは言った。
「それについては憶測しか出来ません」
「憶測でいいよ。聞かせてくれ」
ダークの声音には殊更熱意が込められていた。人に話させて、自分の話はうやむやにしようという魂胆が透けて見える。
ラークスパーはスワン王子を見やった。
「良いのではないか?」とスワン王子は言った。
「今のところ、誰も本当のことを話す気はないらしいし、そなたの話を聞けば気が変わるかもしれぬしな」
ラークスパーは頷き、皆の顔が見えやすいように、ランプをテーブルの中央に置き直した。アリスがふと気付いて握っていた鍵を見ると、その光は既に消えていた。
「皆、立ちっ放しではつらかろう。ベッドにでも座ったらどうだ?」
スワン王子が勧めると、ラークスパーは頷き、「どうぞ」と言ってパール姫に手を差し伸べた。
パール姫はその手を取り、ベッドに腰を下ろした。ダークとアリスがパール姫を挟むようにして座ったが、ラークスパーは立ったままだった。
「ではまず、確認させて下さい」
静かだがよく通る声で、ラークスパーは話し始めた。
「百年前、トロイメンの国の王子と婚約した姫が、呪いを掛けられ、百年の眠りに落ちた。王子は魔法使いに命じて城を閉じ、張り巡らされた木々やいばらが、今日まで姫を守って来た。――これが、トロイメンの国に残る伝説ですね?」
「ああ。トロイメンの国の歴史の本にはそう書かれておる」
スワン王子が答え、荷物の中から本を取り出して見せた。トロイメンの国の歴史の本の、上巻だ。
「おそらくこの本の内容が、口伝てにも語られて来たのであろう」
ダークが頷く。パール姫は無言だ。何だか空気が張り詰めてる、とアリスは思った。ラークスパーは四人を見渡した。
「おかしくないですか?」
「いや、俺たちはどこもおかしくない」
ダークがしかつめらしい風を装って否定した。
「僕がおかしいと言ったのは、トロイメンの国の伝説のことです」
ラークスパーは真面目に訂正した。
「おかしいと思いませんか?」
「伝説が間違ってるって言いたいのか」
「いいえ。間違ってはいないと思います。多分、この通りのことが起きたんです。少なくとも、この本を書いた人物の目にはそう見えていた。ただ、その人物が知らなかったこともあった」
「知らなかったこと……?」
「王子はなぜ、城を木々やいばらで覆い隠し、森に人を迷わす魔法を掛けてまで、誰も姫に近付けないようにしたのか」
「姫を守るためだろう?」
「あなたならそうしますか? 姫を……大切な人を守るために」
「いや」
真っ先に首を振ったのはスワン王子だった。
「私なら、自分のそばに置いて、自分の手で姫を守る」
ラークスパーはスワン王子に微笑みを向けた。
「王子が姫を愛していたのなら、そうするはずです。少なくとも、自分が死ぬまでの間は」
「だが、姫は眠ってしまっているんだぞ」とダーク。
「そう。姫は眠っているんです。死んだわけじゃない。今は無理でも、一年後、五年後には目を覚ますかもしれない。呪いを解く方法が見つかるかもしれない。城を閉ざすということは、その希望も閉ざしてしまうということです。諦めてしまうということ。王も王子も、国中の鏡を捨てさせ、魔法使いたちに呼び掛けて呪いを阻止しようとした。それなのに、姫が眠ったあとは何もせず、すぐに諦めてしまった。なぜなんでしょう?」
しばらくの間、誰も何も言わなかった。重い沈黙が流れる。
やがて、ダークがため息をつき、あまり気が進まない様子で口を開いた。
「そういう物語だから――と、言うしかないな」
呪いに掛かって眠った姫は、百年後、運命の相手によって目覚めさせられる――そういう物語だから。
「トロイメンの国の住人には、当たり前に植え付けられている意識だ」
「そうなんでしょうね」
ラークスパーは勿体振った口調で同意した。
「だから、誰も疑問に思わない。……今はそうかもしれませんが、姫が呪いを掛けられた頃は違ったんじゃないでしょうか?」
ダークは首を傾げてから、ああそうか、と呟いた。
「姫が眠ったのは百年前のことだ。魔法使いたちが物語の真似をし始めてから、まだそんなに経っていない。まだそんなに、よくあることではなかったはずだな」
「ええ」
パール姫が頷いたが、それは頷くと言うより、俯くような感じだった。
「おっしゃる通りです。当時はまだ、珍しいことでした」
「つまり、どういうことだよ」
ダークがラークスパーに先を促した。
「この地下の通路は、魔法の力で作られたものです。王子が魔法使いに頼んで、城を閉ざす時、一緒に作ってもらった。王子は姫が百年より早く目を覚ます可能性もあると考えた。だからこの通路を使って、姫の様子を見に来るつもりだったんです。人を迷わす魔法も、地下にまでは及んでいない。地下からなら、城への出入りは自由に出来た。自分が死んだあとは子孫にその役目を託し、百年の間姫を見守り続けて来た――」
ラークスパーは言葉を切り、ダークを見た。ダークは何か言おうとしたが、彼が口を開く前にラークスパーが先を続けた。
「――と、最初は思ったんです」
「え?」
アリスは肩透かしを食らったように目をぱちくりさせた。
「違うんですか? 今、そうだったんだ! って滅茶苦茶納得してたんですけど」
ラークスパーは笑った。
「うーん、どうでしょうね。もしこの通路を作らせたのが王子なら、城への入り口が内側からしか開かないようにはしなかったんじゃないかと思うんですが」
「内側からしか開かない?」
スワン王子が反応を示した。
「それは不便だな。こちらから閉めたら最後ではないか」
「僕が最初にここに来た時も入り口の扉は閉まっていました。結局地下からも、百年経つまで城の中には入れなかったんです」
「ではこの地下の通路は何のために作られたのだ?」
数秒、間が空いた。
「憶測になりますが――」
「待って」
言い掛けたラークスパーを、パール姫が制した。
「私が話します」
皆の視線がパール姫に集まった。
「……本当のことを、話します」
束の間目を閉じ、深呼吸してから、パール姫はきっとラークスパーを見据えた。
「話すけど、その前に聞かせて。百年前の真実が明かされたとして、一体誰が得をするんですか?」
ラークスパーは穏やかな眼差しでパール姫を見返した。
「逆に、真実が明かされたら、誰か損をするんですか?」
「……クリスタロス王子を名乗る人物がここに来ていること、ご存じでしょう」
「百年間、姫と一緒に眠っていたとおっしゃっている方ですか?」
「そうよ。あの人の言っていることは、一部は嘘だけれど、一部は本当かもしれない。本当に、百年間眠っていて、私に……復讐しに来たのかもしれない」
パール姫は右手で左の肩を抱くようにして、身の上を語り始めた。
「政略結婚だったんです。私は王子様を愛してはいなかった。愛してもいない人と結婚するくらいなら、呪いに掛かって百年眠った方がいいと思った。出来ることなら恋人と――永遠の愛を誓い合った相手と一緒に。そして、百年目の時が来たら、愛する人に私を目覚めさせて欲しかった」
姫は顔を上げ、部屋の中を見渡した。
「彼はここで眠っていたんです」
「サフィルス王子、だな」
ダークがすかさず指摘した。
「だが、城への入り口は内側からしか開けられなかったんだろう? サフィルス王子はどうやって中に入ったんだ?」
「その魔法はあの人が掛けたのよ。誰かがこの通路を見つけたとしても、城へは入れないようにしたかったんだと思うわ」
「自分で掛けた魔法なら、自分で解けるってわけか。――あいつは魔法使いなんだな」
「ええ」
「なるほど、それでわかった」
「何がわかったのだ?」
スワン王子が口を挟んだ。
「似ている理由だ」
「ラークスパーとサフィルス王子が?」
「いや、魔法使いはみんな同じ系統だとか、そういうことじゃ……でもそうなのかな?」
皆の目がラークスパーの方を向いた。彼はさっきからずっと、ただ黙って微笑んでいた。
「ラークスパーとサフィルス王子も似ているが……」
いくらか芝居がかった調子で、ダークは続けた。
「肖像画があると言っただろう。クリスタロス王子の肖像画。サフィルス王子は、その肖像画によく似てるんだ。いや、似ているなんてもんじゃない、生き写しなんだ、サフィルス王子をモデルにして描かれたかのように」
「それはつまり……サフィルス王子がクリスタロス王子であると?」
スワン王子の言葉に、ダークは首を振った。
「いや」
それから、パール姫へと視線を移動させた。
「姫の恋人は魔力を持っている……だから、クリスタロス王子ではなく、追放された兄の方だろう」
パール姫は目を閉じ、決心したように再び開いた。
「知らなかったんです。別人と知らずに、私はあの人を好きになりました。自分の、結婚する相手だと思って、私はあの人を愛した。――違うと知った時にはもう遅かった」
パール姫が声を詰まらせると、他の者もそれ以上聞くことが出来なくなった。部屋の中が沈黙で満たされた時、狙い澄ましたようにドアがノックされた。ラークスパー以外の全員が、はっとしてそちらを見た。
「入ってもよろしいか?」
「ああ」
ダークが安堵の息を吐き、訪問者に答えた。
「どうぞ、カーネリアン王子」
カーネリアン王子はすぐには入って来なかった。薄くドアを開け、背後の様子を窺ってから、そっと体を滑り込ませる。
「よくここがわかったな」
ダークが言うと、カーネリアン王子は不機嫌そうに眉を寄せた。
「入り口が開いていたからな。『ご親切に』と言うべきか、『不用心な』と言うべきか」
「入り口って、地下への?」
「ああ。閉じて来たが」
「私も閉じて来たはずです」とパール姫。
「俺たちがこの部屋に入った時は確かに閉じていた」とダーク。
「あのあと誰かが開けたのか。……誰が?」
パール姫が口元に手を当てた。
「まさか、クリスタロス王子が……」
「いや、それはない」
カーネリアン王子がきっぱりと断じた。
「私はあの王子の目を盗んでここに来た。あいつに先回りが出来たとは思えない」
「あいつ、城に戻っていたのか」とダークが呟く。
「ああ。クリスタロス王子は城中を探し回っていた。いつここを見つけるかもわからない。早く逃げた方がいい」
「おいおい、あいつはそんなに危険か?」
カーネリアン王子はダークを睨み付けた。
「気付いていないのか? あいつはお前から鏡の欠片を奪って来たと言っていたぞ」
「えっ」
ダークはごそごそと懐を探った。
「あっ、本当だ、ない!」
カーネリアン王子は呆れ果てた様子で首を振った。
「ない、で済むと思ってるのか……」
「問題ない。あれは偽物だ」
「だとしても、あいつが姫を狙っていることに変わりはない。復讐するのだと言っていた。とっととここを離れよう」
不意にラークスパーがアリスの方を向いた。
「お嬢さん」
突然だったので、アリスは慌ててしまった。
「わ、私ですか?」
ラークスパーはアリスを安心させるように微笑んだ。
「鍵を持っていましたよね?」
「あ……」
アリスは握り締めていた手を開いた。そこにはちゃんと、小さな金の鍵が収まっていた。
「貸していただけますか?」
「は、はい」
ラークスパーはアリスが差し出した鍵を受け取ると、それを左の手のひらに載せ、右手の指をそっと翳した。鍵が青白い光を放つ。
「……急いだ方がいいかもしれません」
「何かわかったのか」
スワン王子が腰を浮かした。
急ぐと言った割にのんびりした口調で、ラークスパーは続けた。
「急がないと、舞踏会に遅れてしまいますから」
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