森の中の小さな家

「アリス……アリス」

 呼び掛ける声に、アリスはうっすらと目を開けた。頭がぼうっとする。長い夢でも見ていたような……。

「大丈夫か、アリス」

「あ……ダークさん」

 ダークはアリスを覗き込みながら、ほっと息をついた。

「あれ……?」

 アリスはぼんやりしたまま体を起こした。

「私、眠っていたんですか?」

「ああ。俺たちもだ」

 見ると、スワン王子はダークの横でまだ眠っていた。

「クリスタロス王子は?」

「わからん。俺が目を覚ました時にはもういなかった」

 ダークは首を振り振り立ち上がった。

「それにしても、どうなってるんだ。ここはさっきまでいた場所と違う。まさか寝てる間に移動したなんてことないよなあ」

「そういえば、周りの景色が変わってますね」

 さっきまでいた場所には木はまばらに生えていただけだったが、ここは正に鬱蒼としていた。周り中木々や茂みに囲まれている。

 二人の会話が耳に入ったのか、スワン王子が身じろぎした。

「んー……朝か?」

「はあー、のん気だよなあ、お前は」

 ダークは大げさにため息をついた。

「ああ、もう帰り道がわからないな……」

 スワン王子は夢うつつの様子で辺りを見回した。まだ寝ぼけているらしく、焦点の定まらない目をしている。

「うん、帰れないなら先へ進もう」

 彼はさっと立ち上がり、よろめいて木の幹にぶつかった。アリスは反射的にその体を支えた。

「大丈夫ですか?」

「……この森、こんなに木が密集していたか?」

「眠っている間に移動したんだよ。よくあることだ」

 ダークの声には感情がなく、面白がっているようにも途方に暮れているようにも聞こえた。

 スワン王子はダークの方を見もしなかった。ダークの姿も、アリスの姿も、まるで目に入っていないかのようだ。しばらくぼんやり立ち尽くしたあと、きっぱりと宣言した。

「行こう」

 ダークは訝しげにスワン王子を見た。

「行くってどこへ」

「もちろん、森の中の小さな家だ」

「しかし、クリスタロス王子がいないんじゃ、目印がわからないぞ」

 それ以上聞かずに、スワン王子はさっさと歩き出した。

「あ、待って下さい」

 アリスがあとを追い、ダークも肩をすくめて二人に続いた。

「しかし、何で俺たちは三人揃って眠り込んでしまったんだろう。バスケットの中身に薬でも入っていたのかな」

「ラークスパーはそのようなことはせぬ」

 ようやく目が覚めたらしく、スワン王子はてきぱきと答えた。枝を掻き分け、生い茂る葉の間を迷いなく進んで行く。

「じゃあ、クリスタロス王子が何か……? 俺たちを足止めしようとして……」

「そちらの可能性の方があり得そうだな」

「嘘がばれる前に逃げようと思ったのか。それとも、他の目的が……?」

 最後の問いにスワン王子は答えなかった。答える代わりに、前方を指差した。

「あったぞ」

 そこにあったのは、木々の間に半ば埋もれた小さな家だった。日射しを浴びていても判別しにくく、最初から場所を知っていなければとても見つけられそうにない。

「本当にあったのだな」とスワン王子は言った。

「クリスタロス王子の話は嘘ではなかった、ということだな」

「一部はな」とダーク。

「全部が本当だとは限らない」

「うむ」

 スワン王子が思案したのは一瞬だけだった。彼はすぐに決断した。

「中に入ってみよう」

 ダークは躊躇した。

「気を付けろ。罠かもしれないぞ」

「そうだな。そなたもりんごには気を付けよ」

 ダークの方をちらっと見てから、スワン王子は家の中に入って行った。

「待て」

 スワン王子に続こうとするアリスの腕を、ダークが掴んだ。

「何ですか」

「安全を確かめてから入った方がいい」

「……それってひどくないですか」

「見ろ、りんごが生ってる」

 ダークは手近な木を目で示した。

「この家には本当に、魔女が住んでいたのかもしれない」

 ダークの言葉とほぼ同時に、家の中から叫び声が聞こえた。

「うわっ」

 スワン王子だ。アリスはダークの手を振りほどき、急いで駆け付けた。

「スワン王子?」

 開いたままのドアから中を覗いたが、そこにスワン王子の姿はなかった。突き当たりに別のドアがあり、これも開けっ放しになって微かに揺れていた。

「スワン王子!」

 アリスは部屋を横切り、奥へ向かった。

「アリス、気を付けろ」

 後ろからダークが怒鳴る。

「大丈夫です」

 アリスが奥のドアに辿り着くと、一拍置いてダークが横に並んだ。

「あ……」

「おっと」

 ドアを入ってすぐのところの床に穴が空いており、二人はすんでのところで足を引いた。

「地下室みたいですね」

 覗き込むと暗がりに階段が見え、その下でもぞもぞと動く気配がした。スワン王子だろう。

「落ちたのかよ。鈍くさいな」

 ダークは顔を上げて奥の部屋の中を観察した。窓さえない狭い部屋で、地下への入り口以外、物らしき物もなかった。通り過ぎて来た方の部屋を振り返って見たが、やはり何もない。

「クリスタロス王子がここで寝てたんなら、ベッドぐらいあっても良さそうなもんだが」

 スワン王子がなかなか上がって来ないので、アリスとダークも階段を降りた。

「何か見つかったか?」

 スワン王子は闇に目を凝らし、じっと立っていた。追い付いて来た二人を振り返りもせず、独り言のように呟く。

「こういう場所は好きではない。閉じ込められているような気がする」

「確かに、地下室というより地下牢って感じだな。いや、地下道か」

 スワン王子の肩越しに前方を見て、ダークは言い直した。

「広いな。一体どこに通じてるんだ?」

「行ってみればわかる」とスワン王子。

「行ってみるか?」

 スワン王子が思案したのは一瞬だけだった。彼はすぐに決断した。

「行ってみよう」

 ダークは躊躇した。

「あんた、意外と度胸があるな」

「そなたは意外と度胸がないのだな」

「俺は腕力には自信があるが、あいにく魔力と呼べるものは持ち合わせていないんだ。あんたは持ってるのか?」

「いや」

「アリスは?」

 当然ながら、アリスも首を振った。

「あるわけありません」

「俺たちは三人とも魔力を持っていない」

 確認するようにダークは言った。

「地下の奥深くまで入り込んで、万一地上に戻れなくなったらどうする?」

「そなたは意外と慎重なのだな」

 スワン王子は少し考えてから続けた。

「では、いざとなったらラークスパーを呼ぼう。あの者は魔法使いゆえ」

「へえ。呼べば来るのか?」

「ああ」

「なら何で、昨日探していた時呼ばなかったんだ?」

「あと一回分しか残っていないのだ」

「回数制限があるのか」

「まあな」

 ダークは顔をしかめた。

「何か、いまいち信用出来ないんだが……」

「無理に来なくても良いぞ」

 スワン王子はバスケットを開き、マッチとランプを取り出した。ダークはもはや驚くより呆れた様子だった。

「用意がいいな」

「用意したのはラークスパーだ」

「まるでこうなることがわかっていたみたいだな」

「かもしれぬな。あの者は考えていること全部を口にはしないゆえ」

 ランプに火を灯し、スワン王子は立ち上がった。

「さあ、出発だ」

 二人の反応も待たずに、さっさと歩き出す。

「またこのパターンか」

 ダークはやれやれと肩をすくめた。

「アリス、どうする?」

「あ……」

「ん?」

「何か落ちています」

 アリスは足下に屈み込んだ。

「よく物を拾う奴だな。それは何だ?」

「鍵です。――金の鍵」

 ダークとアリスはその鍵を、しばらくの間じっと見つめていた。

「ダークさん、この鍵、光ってます」

「ああ、俺もそんな気がする」

 アリスは顔を上げた。

「ダークさん、鍵の光が……スワン王子の向かった方を指しています」

「ああ、俺もそんな気がする」

 ダークはアリスを見た。

「どうする?」

「……行くべきだと思います」

「ああ、俺もそんな気がするよ」

 そこで二人は立ち上がり、歩き始めた。スワン王子の向かった方へ――鍵の光が指し示す、通路の先へ。

 大分遅れてしまったのか、すぐにはスワン王子に追い付けなかった。鍵の光を頼りに進むと、やがて分かれ道に行き当たった。まっすぐ伸びる道と、左に折れる道だ。二人は足を止めた。

「どっちに進む?」

 ひそめた声でダークが聞いた。

「鍵の光は左を指しています」とアリスは答えた。

「ああ。しかし……」

「スワン王子はまっすぐ進んだでしょうね」

 そう思ったのは、バイオリンの音色のせいだった。まっすぐ伸びた通路の奥から、静かに、けれど確かに響いて来る。

「鍵を信じるか、バイオリンを信じるかだな」

「どっちも信じていいと思います」

「どういうことだ?」

「まず、バイオリンの導く方へ行って、そのあとで戻って来て、鍵の示す方へ行けばいいんです」

「……逆はだめなのか? 先に鍵の示す方へ行って、あとからバイオリンの方へ行く」

「スワン王子を一人で放って置くわけには行きません」

「そうか。じゃあとりあえず、鍵を仕舞えよ。違う方向へ進んだとわかって、その鍵が暴れ出したりしたら厄介だ」

 駄々っ子じゃあるまいし……と思いながらも、アリスは鍵に話し掛けた。

「ごめんね。あとで必ず戻って来るから」

 すると、鍵は光の帯を消し、代わりにほんのりと辺りを照らした。

 ダークとアリスは顔を見合わせた。

「まるで言葉がわかるみたいだな」

「真っ暗だと歩きにくいので助かります」

「全くだ。じゃあ、このまままっすぐ」

「はい。進みましょう」

 二人は再び歩き出した。

「このバイオリン――」

 しばらく進んだところで、アリスが沈黙を破った。ばかみたいに音が響くので、つい、小声になってしまう。

「――誰が弾いているんでしょうか」

 優しく、柔らかい音色だった。長く尾を引き、途切れるかと思うとまた次の音を紡ぐ。この旋律は……。

「……フィドル」

 それを口にしたのはダークだった。アリスはぱっとダークを見た。

「ダークさん、それって……」

 その時、聞き覚えのある声がアリスの言葉を遮った。

「そこにいるのは誰?」

 数秒間を置いてから、ダークがそれに答えた。

「こっちこそ聞きたいな。そこにいるのは誰だ?」

 相手が安堵の息を吐いたのがわかった。

「びっくりさせないでよ」と言いながら、パール姫が暗がりから姿を現す。

「どうしてここへ?」

「こっちこそ聞きたいな。どうしてここへ?」とダーク。

「この通路の先は、いばらの城に通じているのか?」

「そうよ。あなたたち、二人だけなの? スワン王子は?」

「こっちこそ聞きたいな。スワン王子はどうしたんだ?」

「……え?」

「私たちより先に、そっちに向かったはずなんです」

 アリスが横から説明した。

「会いませんでしたか?」

「会わなかったと思うわ。何しろ、地下の入り口を閉じたら真っ暗で……」

「あいつはランプを持っていたはずだ。じゃあ、左の道に行ったのかな」

「あれ? そういえば、バイオリンは……」

 アリスの言葉に、ダークとパール姫も会話を中断させて耳を澄ました。いつの間にか、バイオリンの音色は止んでいた。

「あのバイオリンはどこで鳴っていたんでしょう。パール姫は聞きませんでしたか?」

「聞いたわ。それに引き寄せられて、ここまで来たんですもの」

 三人は黙って顔を見合わせた。

「他にも枝分かれした道があるのかもしれません」

 やがてアリスがためらいがちに言った。

「そうだな。探してみよう」

 ダークが応じ、パール姫の来た方向へ先頭に立って歩き始めた。

「アリス、周りがよく見えるように照らしてくれ」

 アリスが鍵を高く持ち上げると、パール姫が目を見張った。

「それ……」

 アリスはパール姫に顔を向けた。

「この鍵、もしかしてパール姫が落としたんですか?」

「いいえ……それ、鍵なのね」

「ええ、この鍵、光るんです。不思議ですよね」

「そうね。鍵だと思わなかったから、ちょっと驚いたわ」

「階段だ」とダークが言った。

「あの上が、いばらの城か?」

 アリスとパール姫もそちらを見た。

「そうよ。私はあそこから降りて来たの」

 じっと目を凝らしてから、パール姫が答える。

「ここで行き止まりだ。右にも左にも、別の通路はなさそうだな」

「ドアがあります」

 アリスが指差したのは、階段の脇、鍵の光がぎりぎり届いていない場所だった。黒っぽい鉄製のドアがそこにあった。

「おお、本当だ。重そうなドアだな」

 ダークがすたすたと近付いて行き、取っ手を掴んだ。

「あっ……」

 パール姫が声を上げたが、その時にはもう、ダークはためらうことなくドアを引いていた。――ドアはあっさり開いた。隙間から明かりが漏れ出す。オレンジ色の、暖かい光。

 鍵が掛かっているか、錆びているかで開かないだろうと、ダークも思っていたのかもしれない。拍子抜けしたように目をぱちぱちさせて後ずさった。そのまま三人で立ち尽くしていると、中から声が聞こえて来た。

「何をしておる。早く入って参れ」

 スワン王子の声だった。

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