兄弟の約束
スワン王子が支度を終えて戻って来た時、一緒に出掛ける他の面々は広間の外の廊下で待っていた。五人目の王子と、ダーク、アリスの三人だ。パール姫とカーネリアン王子は部屋に戻ったらしく、広間の中にはもう誰もいなかった。
「待たせたな。では参ろうか」
スワン王子はさっさと出口に向かった。
屋外に出ると、四人は一列に並んで庭を突っ切った。スワン王子に五人目の王子が続き、そのあとをダークとアリスが追い掛ける。
「一つ気になることがあるんだが」
城の門を出ていばらの生け垣に沿って歩きながら、ダークが切り出した。
「兄王子が弟王子に言い残したって言葉だ。『もしもお前のナイフが錆びたら、五頭のお供を連れてこの国に戻って来る』。これはどういう意味なんだ?」
ダークの目は五人目の王子に向けられていたが、彼の問いに答えたのはスワン王子だった。
「そういう童話があるのだ」
「童話?」
「さよう。――双子の兄弟が、別れる時、ナイフを木に刺した。互いにどこにいるのかわからなくても、そのナイフがきれいなままか、錆びているかで相手の無事を確かめられるようにと。そうして二人は別の道へ行った。何年かして、分かれ道に戻って来た兄は、ナイフの片側が半分錆びていることを知った。弟に何かあったのだ。兄は急いで弟の行った方角へ向かい……」
「五頭のお供というのは?」
ダークが話の腰を折った。
「兄弟が連れていた動物たちのことだ」
スワン王子は淀みなく続けた。
「それぞれが、ウサギとキツネと、クマとオオカミ、それにライオンを一頭ずつ連れていた。兄は動物たちと共に、窮地にあった弟を救うのだ」
「ああ、そういうことか」
ダークはぽんと手を打って頷いた。
「その物語になぞらえて、弟に約束したんだな。お前に何かあったら助けに戻って来る、と」
「違います」
五人目の王子が低い声で遮った。
「ん? 今、違うと言ったか? お前」
「あなたにお前呼ばわりされる覚えはありませんね、ダーク王子」
ダークは面倒くさそうにため息をついた。
「仕方ないな。呼び名がないと不便だから、とりあえずクリスタロス王子と呼んでやるよ。で、違うとはどういうことだ?」
五人目の王子はダークを不機嫌に睨め付けた。
「その物語の兄は、王になっていた弟に成り済ますのですよ。つまり、お前が死んだらこの国に戻って来て、自分が王になると言いたかったのでしょう。そして兄は、その言葉を果たした」
アリスは一番後ろを歩きながら、黙って彼らの会話に耳を傾けていた。
――錆びたナイフ。ウサギとキツネと、クマとオオカミ、それにライオン……。弟に成り済ました兄。
頭の中を、様々な考えが回って行く。もしかしたら、どこかにヒントがあるのかもしれない。何か、大事な意味が……。
「あなたはトロイメンの国の王子なのに、何も知らないのですね」
五人目の王子はばかにしたような目でダークを見た。
「そういえば、あなたがトロイメンの国の王子だという証拠もないですよね?」
「証拠は――ある」
ダークは五人目の王子に向き直り、懐からきらりと光るものを取り出した。
「これだ」
「それは……」
それは、小さな鏡の欠片だった。先端が鋭く尖り、ダークが掲げると、一瞬、その面に五人目の王子の顔が映った。
五人目の王子は僅かに身を引いた。
「トロイメンの国には、鏡は持ち込めないはずでは……」
「これは姫を百年の眠りにつかせた鏡の破片だ。高祖父が大事に持っていて、代々息子に受け継がせて来た」
「そんな危険なものを、なぜまた」
スワン王子が横から尋ねた。
「姫の悲しみと、姫を救えなかった自分の罪を、忘れずにいるためだろう」とダーク。
「ふうん。……しかし、その鏡がそなたのものだったとは……」
「クリスタロス王子、あんたも鏡の破片に刺されて眠っていたんだろう?」
ダークはスワン王子を遮り、鏡を五人目の王子に向けた。
「これが本物かどうか、見ればわかるはずだ」
五人目の王子はまた一歩後退した。
「……いえ。私は鏡の破片に刺されたのではありません」
「姫と同じように百年眠っていた、と言わなかったか?」
「同じ手段で、とは言っていません」
ダークは鏡の欠片を指先でくるりと回した。
「鏡の欠片ではない……とすると……」
「毒りんごです」
五人目の王子は苦々しげに言った。
「あの日――兄から手紙が届き、私はのこのこと森へ出掛けて行ったのです」
「手紙?」
「生死さえわからなかった兄からの、六年振りの便りです。弟なら喜んで会いに行くでしょう?」
「確かに、あの本に書かれている弟ならそうしそうだな」
「けれど、それは罠でした。森の奥まで行くと小さな家があり、そこに兄がいました。再会を喜ぶ私に、兄はお茶を勧めて来ました」
「お茶?」
「アップルティーです」
「ああ……それを飲んだのか? 疑いもせずに」
「はい。そして私は森の奥の小さな家で、誰にも知られることなく長い眠りについたのです」
「まるで白雪姫だな」
ダークは鼻で笑った。五人目の王子の話を信用する気はさらさらないらしい。
「その家には七人の小人が住んでいたんじゃないのか?」
冗談半分の口振りだ。
「いたのは七人の小人ではなく、五頭の動物たちであろう」
スワン王子が口を挟む。彼は結構本気で考えているようだった。
「五頭のお供を連れて戻ると、兄は約束したのだから」
五人目の王子は二人を見比べて苦笑した。
「さあ。七人の小人がいたとしても、五頭の動物たちがいたとしても、私にはわかりません。それを知る前に眠ってしまったので」
「その割に、随分よく自分の置かれた状況を把握しているな。聞いた感じじゃ、外見を別人にされたのは眠ったあとだろう、何で知ってるんだ」
「眠りに落ちる前、兄の声が聞こえたのです。『私はずっとお前を恨んでいた。ここにおびき寄せたのは復讐を果たすためだ。お前はこれから百年の間眠り続ける。誰かがお前を見つけてもお前だとわからないように、お前の姿を変えて置く』、と」
「短い時間にぺらぺらと色々喋ったんだな」
茶化してから、ダークは急に難しい顔になった。
「納得出来ない」
「兄は復讐することを、私にはっきりと伝えたかったのです」
「そのことじゃなくて……。あんたは兄と再会してすぐ、呪いを掛けられて眠ってしまったんだよな。兄に対して、何の疑いも
「兄が自分で言ったのです」
「何かの間違いかもしれない。――魔女が兄に化けていたのかもしれないし、何か事情があったのかもしれない――魔女に脅されていたとか、操られていたとか。そういうことは全く考えなかったのか?」
五人目の王子は衝撃を受けた様子だった。
「それは……考えませんでした」
彼は素直に認めた。
「だって、無理もないでしょう? 兄は王子でありながら国を追放されて……しかも、自分が苦しんでいる間、弟は城で幸せに暮らしていたのですから。恨んでも無理はない……そう思ったのです」
「そうかな」
「人は変わります。優しかった兄も、時が経てば……」
「で、魔女と手を結んだと?」
ダークは両手を組み合わせた。
「もしかして、国を継いだクリスタロス王子と結婚したっていう新しい花嫁が、その魔女だったのかな?」
「そうかもしれませんね。二人はどちらも魔力を持っていたから、気が合ったのかも……」
「どちらも魔力を持っていたなら、子孫にも魔力が遺伝するんじゃないか?」
「していないのですか?」
「していない……と思うが」
「それは、あなたがトロイメンの国の王子ではないからでは?」
「あんたの話が本当じゃないから、ということも考えられるな」
「どちらも確たる証拠はないということか」
スワン王子が見かねたようにまた口を挟んだ。
「いや、だからこれ」
ダークが鏡の欠片を掲げる。
「それはただの鏡でしょう」と五人目の王子。
「ただの鏡じゃない。刺した相手を百年の眠りにつかせる呪いの鏡だ」
「それをどうやって証明します? この場で私を刺してみますか?」
「いや、それはまずいぞ。やめて置け」
スワン王子は何とか二人の間に入ろうとした。
「やっと百年の眠りから覚めたばかりだというのに、また百年眠りたいのか?」
「ただのはったりです。その鏡が本物のはずはない」
「大した自信だな。じゃあ試すか」とダーク。
「どうぞ」
五人目の王子が胸を反らしてダークの挑戦的な視線を受け止める。
スワン王子はついに諦め、草の上に腰を下ろした。
「長くなりそうだな。昼でも食べながらのんびり待つか」とアリスに言う。
突然声を掛けられて、アリスは戸惑った。
「昼?」
スワン王子は手にしていたバスケットを持ち上げて見せた。
「道中お腹が空いた時のためにと、ラークスパーが出掛けに持たせてくれたのだ。特にクリスタロス王子は着いたばかりで朝も食べていないだろうからと」
ダークが「まめな料理人だな」と言って笑った。
五人目の王子も毒気を抜かれた様子だった。スワン王子を見、ダークを見て、またスワン王子に目を戻す。
「ここへ来る途中、木の実や山菜を採って食べましたので、空腹というほどではありませんが……」
「食べられる時に食べて置いた方が良い。また何があって食べられなくなるかわからぬぞ」
スワン王子は愛想良く言い、バスケットの中身を広げた。
――カーネリアン王子は長いため息をついた。
全く以て面白くない。パール姫との午後の散歩がだめになった上、もう何時間も一人門の前で見張りをしているのだ。パール姫には部屋から出るなと言ってある。ダークたちが出掛けたあと、二人で城の中を探してみたが、サフィルス王子もスワン王子の料理人も、見つけることが出来なかった。
たまたま向こうも移動していて、行き違っただけだろう。大丈夫だ、危険は感じない、と自分に言い聞かせる。だが、最初に思っていたよりずっと、骨の折れる仕事になりそうだ……。
さっと辺りに目を走らせ、こうしてばかみたいに突っ立っているよりは、いっそ暴漢が押し入って来てくれた方がましかなと思っていた時、門の外で物音がした。
「誰だ?」
扉がぎしっと鳴った。
ゆっくりと門を開け、重々しい足取りで入って来たのは――。
「何だ、お前か。どうした? そんなところで何をしている」
答える代わりに、相手は剣を抜いた。鋭い切っ先がカーネリアン王子の首筋に当てられる。
「何の真似だ?」
カーネリアン王子は面倒くさそうに聞いた。――面倒くさいが、こうなった方がましかもと思ったのは自分だしな。それに、進展があるのはいいことだ……。
「姫はどこですか」と相手は言った。
「姫?」
「私の姫だ!」
「お前の姫じゃない」
カーネリアン王子は悠々と腕組みをした。
「どうしても自分の姫だと言い張るなら、自分で探すことだな」
相手は脅すように目を剥いた。
「命が惜しくないのか?」
「いや」
カーネリアン王子は不敵な態度を変えなかった。
「命は惜しい。だが今のところ、命の危険は感じない」
「そうですか。では、これならどうです?」
相手は一旦剣を引き、注意深くハンカチでくるんだものを取り出した。
「どうです、と言われても……それは何なんだ?」
「鏡です」
カーネリアン王子は嫌悪の表情を浮かべた。
「……お前の目的は何だ?」
相手はにやりと笑った。
「もちろん……復讐ですよ」
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