四人の王子
――コン、コン。
螺旋階段を上がり、突き当たったドアを叩くと、明るい声が応えた。
「はーい、どうぞー」
姫は髪を梳かしている最中だった。どうやら悪戦苦闘しているようだ。
「鏡がないと不便よね」
「私がやります」
アリスは手に持っていた小瓶を脇に置き、姫から櫛を受け取った。背後に回り、きれいな金の髪を鋤いていると、姫が話し掛けて来た。
「あなた、ダーク王子の妹なんですってね」
「あ……はい」
アリスは曖昧に答えた。
「似てないわね」
「……」
「あら」
姫が小瓶に目を留めた。
「それ、私のよ。どこにあったの?」
「塔の下に落ちてました」
アリスは一旦手を休め、姫の指先が
「中には何が入っていたんですか?」と聞いてみる。
「薬よ」
「眠る前に飲んだんですか?」
「え? ――ええ、そうね。
姫はまるで人ごとのような言い方をした。よく覚えていない、とでも言うような。
アリスは興味津々で質問を続けた。
「姫様は、百年眠っていた自覚があるんですか?」
「どういう意味?」
「つまり――昨日眠って、翌朝目覚めたつもりでいたのに、実は百年経っていた――とか」
「それはないわ。だって夢を見てたもの」
「夢……」
「長い長ーい夢をね。だから私にとっても、百年前は遠い昔よ。もう、おぼろげな記憶しか残っていない」
姫は小瓶をテーブルに戻した。
「ありがとう、もうこれでいいわ。王子様たちが待ちくたびれちゃうから、早く行きましょう」
「はい、姫様」
アリスは櫛を小瓶の横に置いた。振り返ると、姫は少し困ったように笑っていた。
「その『姫様』っていうのはやめてちょうだい。私はパールよ」
「パール?」
「そう呼ばれるのが好きなの。本当の名前じゃないんだけど、大好きな人が付けてくれた名前だから……」
その相手のことを思い出したのか、彼女は一瞬、悲しそうに目を伏せた。
「……あなたの名前を聞いていなかったわね」
「私はアリスです」
「いい名前ね」
にっこり微笑むパール姫に、アリスも笑顔を返した。
――でも……これは、大好きな人が付けてくれた、本当の名前じゃない。
「さ、行きましょう」
「あ……はい」
アリスはパール姫のあとに付いて階段を降りた。
「お待たせしました」
二人が広間に入ると、王子たちは既に全員揃っていた。食卓には、とても即席で用意したとは思えない豪勢な料理が並んでいる。
「あなたの料理人はまるで魔法使いみたいね、スワン王子」
パール姫がスワン王子の椅子のそばで立ち止まり、声を掛けた。
「お礼が言いたいわ。どこにいるの?」
「わからぬ」とスワン王子は答えた。
「食事の用意だけして、またどこかに消えてしまったのだ」
「……あなたの料理人は随分変わった方みたいね」
「慣れてくれ。私は慣れた。さあ、とにかく食べよう」
カーネリアン王子がパール姫の脇に歩み寄り、当然のように椅子を引いた。パール姫も当然のようにその椅子に座る。アリスはダークに手招きされ、彼の隣に座った。カーネリアン王子が自分の席に戻ると、ようやく食事が始まった。
アリスは給仕をしようと立ち上がったが、皆勝手に食べるから良いとスワン王子に言われてまた座った。それでも落ち着かず、なかなか料理に手が伸びない。目はちらちらと他の者たちを窺っていた。会話がないのも気詰まりだ。緊張でかちこちになっていたため、しばらくしてカーネリアン王子が口火を切った時には、安堵のあまり彼に感謝したほどだった。
「ところで」とカーネリアン王子は言った。
「一つはっきりさせて置きたいんだが」
「うむ。何だ?」
ワイングラスを口に運びながら、スワン王子が促した。
「お前たちは、何の目的でこの城に来た?」
「目的、とは?」
「この城へ来るに至った経緯を知りたい」
カーネリアン王子は探るような目をしていた。
スワン王子はグラスをテーブルに置いた。
「今ここで、各々に身の上話をしろと?」
「差し支えなければ」
「ならばまず、そなたから始めるのが筋ではないか?」
カーネリアン王子はむっとしたようにスワン王子を見た。
「もちろん、私は姫と結婚するためにこの城に来たんだ」
一瞬、広間はしーんとなった。
「姫を目覚めさせた王子が、彼女と結婚する――それが物語の結末だ。この城に来たからには、お前たちにもそういうつもりがあったんじゃないのか?」
「確かに」
スワン王子は再びグラスを手に取った。
「父上はそういうつもりであったかもしれぬ」
アリスは隣の席のダークに顔を近付け、囁いた。
「魔女の呪いには、『姫は運命の相手によって目覚めさせられる』という文句も入っていたんですか?」
「いや」
ダークは視線をカーネリアン王子に向けたまま、口だけ動かしてアリスの問いに答えた。
「ただ……この国には一つ、厄介な魔法が掛かっているんだ」
「父上はそういうつもりだったかもしれぬが、私にそういうつもりはない」
スワン王子が話を続けた。
「私にそういうつもりはないのだが、父上は私に早く結婚して欲しいと望んでいる。結婚相手を選ぶための舞踏会が、三晩続けて催されたくらいでな。だから私は、自分の結婚相手は自分で探すと宣言して旅に出たのだ」
「つまり、やっぱり姫と結婚する気でここに来たんじゃないか」
「違うと申したであろう。私はまだ結婚などしたくないのだ」
「ならなぜこの城に来た?」
「それは」と言って、スワン王子はちらっとパール姫に目をやった。
「いばらの城の眠り姫を目覚めさせて妻にしたいと言えば、父上も旅に出ることを許すだろうと思ったのだ。ところが父上は私に護衛を付けて行動を見張らせたゆえ、引き返すわけに行かなくなり……」
カーネリアン王子が片手を上げた。
「わかった、もういい。そこまで言うなら信じよう。お前はライバルではないということでいいんだな?」
念を押され、スワン王子はほっとした様子で息を吐いた。
「もちろんだ。私は争いは好かぬ」
カーネリアン王子はしばらくスワン王子を見つめていたが、やがてゆっくりとダークに視線を移した。
「お前は?」
「俺もスワン王子と一緒だ。あんたと争うつもりはないよ」
ダークはカーネリアン王子を見て笑った。愛想笑いに近い笑いだ。
「俺は、何と言うか……成り行きでこの城に来ただけだからな」
「成り行き?」
カーネリアン王子はにこりともせず、怪訝そうに聞き返した。
「そう。この近くの町で剣術大会が開かれていたんだ。優勝した者は、いばらの城へ行って姫を目覚めさせる権利が得られる――という触れ込みで、人が集まってた。俺はいばらの城の姫に興味はなかったが、腕に覚えがあったから、面白半分で参加して……」
「優勝したのか」
「そういうことだ」
ダークは肩をすくめて見せた。
「で、まあせっかくだから行くだけ行ってみようと……」
「わざわざ国に戻って妹を連れて来たのか?」
カーネリアン王子が矛盾を突いた。ダークはアリスを姫のために同行させたと言ってしまっていたのだ。アリスははらはらしながらダークを窺った。だが彼は焦る様子もなく、平然と頷いた。
「試合が行われたのは十日前だからな、色々とやる時間があったんだ」
スワン王子が首を傾げた。
「十日も前に試合を?」
「こんなぎりぎりに来る王子がいるなんて思わなかったんだろうよ」
ダークは思い切り皮肉を言った――誰に対して言ったのかはわからなかったが――カーネリアン王子はダークを睨み付けた。
「試合に勝ったのだから、姫と結婚する権利は自分にあると考えているんじゃないのか?」
「そんな権利は欲しいとも思わないよ。試合に出たのもそうだが、この城に来たのはただの暇潰しさ」
「それだけか?」
「それだけだ」
アリスはダークの横顔を探るように見た。
――本当にそれだけだろうか。それだけにしては、彼は色々と知り過ぎている気がした。十日あれば色々調べることも出来たのかもしれないが……。
「じゃあ、次はお前だな」
それ以上突っ込まれる前に、ダークはサフィルス王子に話を振った。
例によってサフィルス王子の反応は鈍かった。心ここにあらずの状態で、横に座るカーネリアン王子が肩を叩いてもまだぼんやりしていた。
「何か」
「お前の番だ」
「何がですか」
「お前がこの城に来た理由を話すんだ」
「この城に来た理由……?」
サフィルス王子は記憶を辿るように目を細めた。
「……私は……。私は、逃げていたんです。それで……それで、気が付いたら、この城に……」
カーネリアン王子がぎょっとしてサフィルス王子を見やった。
「逃げていた? 逃げていたって、何から逃げていたんだ?」
「それは……言えません」
スワン王子はサフィルス王子の鎧姿を眺めた。
「そなた、敗軍の将なのか?」
サフィルス王子の表情が曇った。言ってしまったことを、後悔しているような顔だった。
「すみません。これ以上は……」
「無理に話させることもないだろう」
見かねたダークが割って入った。
「要するに、あんたがこの城に来たのは単なる偶然だってことだ。追われていて、偶然逃げ込んだのがこの城だったと」
「ええ。本当はこの城には来たくなかった……来るつもりはなかったのに」
「な? 姫と結婚する気はない、それだけわかれば充分だろう?」
ダークの言葉に、カーネリアン王子は重々しく頷いた。
「そういうことにして置こう。それならあとは、私が姫の心を動かすだけだな」
皆の視線がパール姫に向いた。パール姫は俯いたまま、静かに口を開いた。
「一つだけ、お尋ねしてもいいかしら」
「何なりと」
「王子様が……私と婚約していた、百年前のトロイメンの国の王子が、どうなったかご存じの方はいますか?」
カーネリアン王子は難しい顔をして押し黙った。ダークとサフィルス王子も口を閉ざしている。パール姫の問いに答えたのはスワン王子だった。
「その王子なら、姫が眠ったあと何年かして新しい花嫁を迎え、国を継いだと聞くぞ」
パール姫はスワン王子を見上げた。
「王子様は、幸せだったんですね」
「ああ。相当仲睦まじい夫婦だったらしい」
「そうですか……」
再び目を伏せたパール姫に、スワン王子は戸惑った様子でまばたきした。
「ん? もしや私は無神経であったか?」
「遅いよ」
ダークがぼそっと呟いた。
「すまぬ。傷付けるつもりではなかったのだが……」
「いえ、いいんです」
パール姫は弱々しく微笑んだ。
「王子様が幸せになってくれたのなら、私も救われます」
「けれど」と、サフィルス王子が言った。
少し強い口調だったので、皆驚いて彼を見た。
「けれど、王子は姫を愛していた」
自分の言葉に、自分でも驚いたようにサフィルス王子は一瞬言い淀んだ。
「……愛していたのに、なぜ……」
カーネリアン王子が咳払いした。
「愛とは移ろいやすいものだ」
「これから姫を口説こうって奴の台詞じゃないな」
ダークが茶々を入れたが、カーネリアン王子は構わず続けた。
「いつまでも失った愛にしがみついていても仕方がないだろう」
「そう……それはそうですね」
サフィルス王子は力をなくしたように項垂れた。
アリスは彼が食事に全く手を付けていないことを気にしていた。
「あの……サフィルス王子、どこか具合が悪いんじゃ……」
「逃亡生活には苦労も多いのであろう」
スワン王子も心配そうにサフィルス王子を見た。
「今日はもう休んだ方が良いのではないか?」
「じゃあ、そうさせてもらいます」
「お部屋の用意を手伝いましょうか?」
スワン王子には割と素直に従ったサフィルス王子だったが、アリスの申し出には首を振った。
「私は外で寝ます。野宿は慣れているので」
アリスはサフィルス王子より大きく首を振った。
「だめです、そんなの。ベッドを整えますから、お部屋で休んで下さい」
「私も手伝おう」
スワン王子が席を立ち、有無を言わせぬ素振りでサフィルス王子の前に出た。
「他の方々は、どうぞごゆっくり」
三人は長い廊下を進み、階段を上って二階の客室へ向かった。
部屋に入ると、スワン王子は風を通すために窓を開けた。サフィルス王子は自分でやると言ったが、アリスは彼を隅の椅子に座らせた。
「百年の間放ったらかされていた割に、埃も被っていないし、寝具もきれいですね」
シーツを箪笥から出した新しいものに換えながら、アリスは首を捻った。
「姫と一緒に城の時間も止まっておったのであろう」
スワン王子はランプをベッドのサイドテーブルに置き、最後に窓のカーテンを下ろすと、サフィルス王子を振り返った。
「これで良い。この城に敵は入り込めぬゆえ、何も心配せずゆっくり休まれよ」
サフィルス王子はしきりに「すみません」と頭を下げていた。
「ラークスパーを探さねばな」
アリスと共に廊下に出るなり、スワン王子が言った。窓からの明かりが彼の横顔を照らしている。どうやら今夜は満月らしい。
「ラークスパーって、王様が付けられた護衛の人ですか? それとも、料理人の……」
「どちらも同じ人物だが、護衛の仕事をしているのではないし、料理人でもない」
スワン王子は今閉めたドアをちらりと見やった。
「サフィルス王子の具合を見てもらおうかと思ったのだ」
「ああ、お医者様なんですね」
「うーん……それも違うような……」
アリスは軽く肩をすくめた。
「一体どういう人なのかさっぱりわかりません」
「歌がうまいぞ。そなたも一度聞いてみると良い」
「歌手?」
「それが一番近いかな」
「……何でも出来る人だってことはわかりました」
「本人は出来ないことの方が多いと申しておったがな。得意分野を披露する機会に恵まれているだけだと」
パール姫の言った通り、変わった人であることも確かなようだ。
「ところで」
スワン王子はいきなり話題を変えた。
「そなたもうまくやっておるようだな、人魚姫」
いきなり過ぎて、アリスは咄嗟に反応出来なかった。
「ダーク王子の妹に成り済まして、この城に入り込むとは考えたものだ」
「あの、スワン王子」
「サフィルス王子がそなたの相手か。あの様子では、そなたに気付く余裕もなさそうだが」
アリスは息を吸い込み、一気に言った。
「スワン王子、誤解なさってます。私は人魚姫じゃないし、あの人に特別な感情は持ってません。第一サフィルス王子と私は、今日初めて会ったんですよ」
「だから、そなたは忘れておるのだろう。過去に出会い、恋した相手のことを」
「……」
――過去に、会ったことがある……?
『あるのかもしれませんね』
そう言ったサフィルス王子の声が、脳裏に蘇った。
――ううん。あれはただの冗談だったんだ。
黙ってしまったアリスを、スワン王子はまじまじと見つめた。
「悲しい顔をするでない。もしそなたの王子がそなたを拒んだら、私がそなたを妻にしてやる」
「はい。……ええ?」
何を言い出すのかと、アリスは仰天してスワン王子を見上げた。
「死んで泡になるなどあまりに不憫だ」
「縁起でもないこと言わないで下さい。私は死ぬつもりも、泡になるつもりもありません」
「だが、王子に愛されなければそうなる」
スワン王子は神妙な顔で続けた。
「それは物語の中の話でしょう?」
「物語が現実になる……ここはそういう国だ」
「どういうことですか」
アリスは慎重に聞き返した。
「この国では、魔法使いたちが物語の真似をして、魔法を掛けているんですよね?」
「さよう。その魔法使いの一人が、厄介な魔法を掛けたのだ」
厄介な魔法……。ダークもさっきそんなことを言っていた。
「どんな魔法なんですか?」
「物語を再現する魔法だ。あらゆる魔法の作用が、より物語に近い結果をもたらすように」
「それって、つまり……」
「百年眠る呪いに掛かった姫は、自分を目覚めさせた王子と結ばれ、人間の娘になった人魚は、恋が叶わず死んで海の泡になる」
薄暗い廊下に、冷たい沈黙が降りた。
「……でも、必ずそうなるとは限らないはずです」
迷いながらも、しっかりした口調でアリスは言った。
「運命は、変えられると思います」
スワン王子は目をしばたたかせた。
「そなた、強いのう」
「……そうでしょうか」
「強い瞳だ。そんな瞳を、前にも見たことがある。あれは誰だったか……」
しみじみ語っていたかと思うと、変えた時と同じように、スワン王子はいきなり話題を戻した。
「ラークスパーを探さねば」
アリスは窓の外を見上げた。
「もう遅いし、明日になさっては? 城の中にはいないのかもしれませんよ」
「それはまずい……サフィルス王子にここは安全だと請け合った以上、城の中にはいてもらわないと困る……まあ、あの者のことだから抜かりはないだろうが……」
しばらくぶつぶつ言っていたが、結局スワン王子は人探しを諦め、二人共そのまま休むことになった。
「まあいいか。今後のことは明日考えるとしよう」
「私もそうします。では、お休みなさいませ」
「うむ。そなたもゆっくり休め」
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