いばらの城

 部屋には三人の人間がいた。ダークは彼らを順に眺めた。

 まず、ノックに応えた娘――年の頃は十五、六歳だろうか。輝く金髪に、同じ色の華やかなドレス、意志の強そうな濃い緑の瞳が印象的だ。――これが眠り姫か、とダークは思った。

 それから、ベッドの傍らに立つ若者に目をやった。派手派手しい真っ赤なマント――さっき門をくぐって行った白馬の王子だ。じろりと睨まれたような気がするが、気付かなかった振りをして目を逸らす。

 最後に、窓に寄り掛かっている若者に視線を固定した。赤い王子よりは年下で、少年と青年の中間といったところか。所在なげにぼんやり宙を見つめるその瞳は青く、ほとんど白に近いくらいの淡い金髪。目の色を映したような深いブルーのマントの下に、なぜか銀の鎧を身に着けていた。

「お前も王子なのか?」

 ダークははっと我に返り、声を発したのが赤い王子だとわかると、礼儀正しく頭を下げた。

「俺――私はダークと申します。そちらは?」

「私は西の国の王子カーネリアンだ」

 赤い王子が名乗ったあと、窓の方に注目が集まった。青い若者は青い目をしばたたき、名前を聞かれているのだと気付いてようやく口を開いた。

「私は……」

 しかし、彼より姫の方が早かった。

「サフィルス王子、よね。さっき聞いたわ」

 青い若者――サフィルス王子は驚いて姫を見た。まさか彼女が自分に話し掛けて来るなんて、思いも寄らなかったとでもいうように。

 ダークも驚いた表情を浮かべていた。

「サフィルス?」

「そう……私はサフィルス王子です」

 妙にゆっくりと彼は言い、また口を閉ざした。

 代わりに口を開こうとしたダークだったが、それは別の音に邪魔された。誰かが階段を上がって来る音だ。

「四人目の王子のご到着か」

 カーネリアン王子が呟いた。

「お取り込み中だったかな?」

 開け放たれたままの入り口から顔を覗かせたのは、薄暗がりにくっきりと浮かび上がる白いマントの若者だった。彼は他の者には目もくれず、まっすぐ姫に近付いて行った。その結果、ダークは押し退けられ、カーネリアン王子は脇へ避ける羽目になった。

「ご機嫌麗しゅう、姫。どうぞこれを。そなたのために、そこの森で摘んで参ったものだ」

 花束を差し出され、姫は戸惑いながら受け取った。

「どうもありがとう……あなたは……」

「私はスワン王子」

 スワン王子が熱い眼差しで姫を見つめたまま動かないので、カーネリアン王子が咳払いした。

「姫は目覚めたばかりでお疲れだろう。しばらく一人にして差し上げてはどうかな」

 生真面目そうな目が一同を見渡す。大の男が四人も並ぶと、ただでさえ狭い部屋がますます狭く感じられた。

「ああ、それなら」とダークが言った。

「俺の妹を呼ぼう。姫が不自由しないように、身の回りの世話をさせようと思って国から連れて来たんだ」

「私も一人同行させた者がいる」とスワン王子も言った。

「途中の町で食材を調達してから行くと申しておったゆえ、じき着くであろう」

「料理人か」

「というわけでもないのだが」

 姫はダークとスワン王子のやり取りに耳を傾け、その申し出を吟味しているようだった。

「では、スワン王子、その方に食事の用意をお願いします。準備が出来たらダーク王子、あなたの妹を寄越してちょうだい。身支度を整えて広間に出向きますから。それまで皆さんもどうぞお休み下さい。城内のどの部屋でも自由に使って構いませんわ」

「姫も部屋を移動した方が良いのでは?」

 座ったままの姫に向かって、ダークが提案した。

「このあと五人目、六人目の王子が訪ねて来るかもしれませんよ」

「それなら、私が下の扉の前で番をしていよう。姫はまだ、歩くのはおつらいでしょうからね」と言ったのはカーネリアン王子だ。

 姫はカーネリアン王子を見上げた。

「あなたは疲れていないの?」

「ちっとも」

「そう……。じゃあ、お願いするわ」

 そんなわけで、王子たちは姫を残して外に出た。

「――さてと、アリスはどこに行った?」

 ダークは右を見て、左を見た。とりあえず、カーネリアン王子が陣取っている塔の入り口から離れ、庭園の方へ向かおうとした時、後ろから誰かに呼び止められた。

「ダーク王子! ……で、良いのかな?」

 スワン王子だった。彼はにこにことダークに歩み寄って来た。

「先程はご助言ありがとう」

 ダークが森で会った相手だということには気付いていたらしいが、騙されたことには気付いていないようだ。

「ああ、いや……」

 ダークは決まりが悪くなり、もごもごと言った。

「……俺のことなんか眼中にないかと思ったよ」

「まあ、すぐには気付かなかったがな」

 スワン王子は塔を振り返り、塔を取り巻く庭園と、その向こうに見える宮殿を丹念に眺めた。

「それにしても、妙だ」

「何が妙なんだ?」

 ダークもスワン王子の真似をして視線を巡らせた。

「確かに色々と妙だが、長いこと閉ざされていた城なんだから、妙なのも無理はないだろう」

「いや、城ではなく……」

 スワン王子は言葉を切った。

「まあいいか。あの者が来てくれれば、もっとはっきりわかるはずだ」

 妙だと言うなら、あんただって充分妙だよ……足早に立ち去るスワン王子を見送りながら、ダークはこっそり呟いた。

「さてと。アリスはどこに隠れたんだ?」

 辺りには人の気配はなかった。スワン王子以外の王子が顔を見せる様子もない。

 ダークは庭園をぶらぶらと歩き始めた。アーチを抜け、小さな噴水の前を通る。噴水には水がきらめいている。薔薇の小枝でナイチンゲールが歌っている。蝶が目の前を飛んで行く。眠っていた城が完全に目覚めたようだな――と、美しい光景に感嘆する傍ら、アリスの姿を求めてあっちを覗き、こっちを探った。やがて右側に、さっき出て来た塔の端が見えた。

 ダークは足を止めた。

「一周しちまった。けどアリスはいない。どこにもいない。うーん……妙だ。となると、城の外に出たのか? 或いは建物の中に入ったか、はたまた……ん?」

 ダークの目が捉えたのは、塔の扉の前にぽつんと座るサフィルス王子の姿だった。

「おーい!」

 ダークは声を掛け、そばまで行った。

「何であんたがここにいる? カーネリアン王子は? 確かあいつが番をすると言っていた気がするが」

「交替しました」

 サフィルス王子は簡潔に答えた。

「ふうん……あんた、大丈夫か?」

「何がですか」

「何だか自分を持ってないように見えるから」

「そうでしょうか」

「……」

 埒が明かないと考え、ダークは話題を変えることにした。

「ところで、俺は城の前で、いばらが退く場面に居合わせたんだけどな。門までの道があらわになって、そのあとあのカーネリアン王子が入って行くところは確かに見たが、あんたが入って行ったのは見てないんだよなあ」

 サフィルス王子は感情のない顔をダークに向けた。

「それは……」

 しかし、ダークは彼の言い分を聞き損なった。

「裏門から入ったのであろう?」

 そう言いながら、スワン王子が近付いて来たのだ。

 ダークは眉をひそめてスワン王子を振り返った。

「裏門?」

「ああ、私も裏門から入った。道しるべの通りに進んだら、城の裏手に出たのでな」

 ――道しるべを動かしたのが裏目に出たわけか。

 苦笑したダークを、スワン王子が不思議そうに見た。

「何をうろうろしておるのだ? 部屋で休めば良いものを」

「そっちこそ」とダークは言った。

「出来ればそうしたいのだが……ラークスパーの姿が見当たらなくてな」

「ラークスパー? ああ、料理人か。まだ来ないのか?」

「いや、来てはいるらしいのだ。厨房を覗いたら食材が山と積んであった」

「良かったじゃないか。これで飢える心配はなくなった」

 スワン王子は肩をすくめた。

「どうであろうな。材料はあるが、調理する人間がおらぬのだぞ」

「……」

「そなたの妹は、料理は出来ぬのか?」

「実はその、妹の姿も見当たらなくて……」

 サフィルス王子は何も言わず、ただぼんやりと二人の会話を聞いていた。

「さほど広くもない城だ、もう一度探してみよう」

 スワン王子が言い、ダークも賛成した。

「そうだな。ニンジンを生でかじる羽目になるのはごめんだ」

 やがて二人は話しながら遠ざかって行き、サフィルス王子は再び扉にもたれた。

 見上げた空は日が傾き、オレンジ色に染まっている。微かな風が頬をくすぐる。これは夢ではなく現実だ、と自分に言い聞かせてみたものの、確信は持てなかった。さっきの――ダーク王子と言ったか――彼の指摘は当たっていた。サフィルス王子は自分がよくわからなかった。何もかもが不安定で不確かだ。記憶も、感覚も、存在さえも。そもそも、私はなぜここにいるのだろう?

 しきりに首を振り、ため息を繰り返していると、手前の茂みががさがさ音を立てた。遅れて、小さな動物がぴょこんと首を出す。

 ――ウサギ? こんなところにウサギがいるなんて……。

 サフィルス王子は目を見開き、ウサギを凝視した。ウサギもサフィルス王子を見返す。サフィルス王子が首を傾げると、ウサギも首を傾げた。そうしてしばらく見つめ合ったあと、サフィルス王子は手を差し伸べた。

「おいで」

 ウサギはためらいなく近付いて来て、サフィルス王子の膝に乗った。

 サフィルス王子はウサギの頭を撫でた。

 ――確かさっき、ニンジンがあると言っていたっけ。

 もらって来ようかと考え、彼が腰を浮かし掛けた時、また茂みががさがさ揺れた。

 続いて姿を見せたのは、一人の少女だった。リボンを結んだ長い髪、青いエプロンドレス――そして、手には小さな瓶を握っていた。サフィルス王子は目を見張った。アリス? こんなところにアリスがいるなんて!

 サフィルス王子が見つめると、アリスもサフィルス王子を見つめ返した。

「あなたは誰ですか?」

「私は、サフィルス……サフィルス王子です」

「サフィルス王子? それ、本当の名前ですか?」

 サフィルス王子は言葉に詰まったが、すぐまた笑顔を作った。

「とりあえず、今、ここではそう呼ばれています」

「そうなんですか……」

 アリスは澄んだ瞳の奥から、探るようにサフィルス王子を見つめ続けている。居心地が悪くなり、サフィルス王子は立ち上がった。

「それにしても、驚きました……まさかこんなところでアリスに会うなんて」

 アリスの瞳がサフィルス王子の瞳を追って上に動いた。

「私たち、どこかで会ったことありますか?」

「いいえ」

「それじゃどうして、私のことをアリスって……」

「ああ。だってあなたの格好、アリスそっくりですよ。その小瓶には、飲むと小さくなる薬が入っているんでしょう?」

 アリスは自分の姿を見下ろし、しばらくじっと考えてから、手の中の小瓶に視線を移した。

「これは……さっき拾ったんです。そこの、塔の陰で」

 サフィルス王子はアリスの指差した先を振り返って見た。

「その塔の陰に、光るものが落ちていて……暗くて何なのかわからなかったので、明るいところで確認しようと思ったんです。そしたらその子が現れて……」

 アリスの話の途中で、ウサギがサフィルス王子の腕からぴょんと飛んで地面に降りた。

「追い掛けっこしてたんですか? この子と?」

「ええ、全くすばしっこい子で。庭を三周くらいしてしまいました」

 サフィルス王子は声を立てて笑い出した。

 ウサギは二人を見比べてから、さっと向きを変えた。

「あ、待って」

「もう追い掛けなくていいですよ」

 手を伸ばしたアリスを、サフィルス王子が止めた。

「もう、追い掛けっこは充分です」

 アリスが振り返ると、サフィルス王子はまだ笑っていた。淡い金の髪が風になびいている。

「あの……サフィルス王子」

「はい」

「私、あなたのことを、別の名前で呼んでいたような気がするんですけど」

 一瞬、少しだけ強い風が吹いた。

「私たち、どこかで会ったことないですか?」

 アリスは真剣な瞳でサフィルス王子を見つめた。

「いつか……どこかで、会ったことがあるような……」

 サフィルス王子は目を細め、ふっと笑った。

「会ったことがあるのかもしれませんね」

「え?」

「そう、きっと……夢の中で」

 アリスが返答に困っているうちに、別の声が割って入った。

「まるで口説き文句だな」

 いつの間にか、塔の扉のそばにカーネリアン王子が立っていた。

 サフィルス王子はカーネリアン王子に目を向けた。

「相談は済みましたか」

「しっ。大きな声で言うな」

 カーネリアン王子はサフィルス王子を睨み、次にアリスを睨んだ。

「お前がダーク王子の妹か」

「えっ、ダークさんの?」

 カーネリアン王子の目付きが更にきつくなったので、アリスは慌てて取り繕った。

「はい。そうです」

「スワン王子の料理人とやらは着いたのか?」

 今度はサフィルス王子をじろりと見ながら、カーネリアン王子が尋ねる。

「着いたけれど、姿が見えないそうです」

 サフィルス王子が答えると、カーネリアン王子はこれ見よがしにため息をついた。

「この城に集まったのは曰く付きの人間ばかりというわけか」

「曰く付きの城ですから」

 サフィルス王子は平然と返した。

 辺りはしばらく沈黙に包まれたが、その沈黙を破って声がした。

「おーい!」

 手を振って宮殿の方から走って来るダークを、塔の前の三人は振り返って迎えた。

 ダークは息を切らしながら言った。

「一体どこに隠れてたんだ、アリス。散々探し……まあいい。姫に声を掛けて、支度を手伝って差し上げてくれ。食事の用意が整ったから」

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