1-3

 狛割こまわり市は、七年前まで平凡な田舎町だった。

 農業従事者の割合が最も多く、高齢化が著しく進み、国道沿いにチェーン店が並ぶ……そんなありふれた光景が、山に囲まれたこの狭い窪地にはあったのだ。

 戦争は、その全てを変えた。


「最終決戦の舞台となるから住民を避難させてほしい」


 『あの六人』の協力者を名乗る者から日本政府に伝えられたのは、たったそれだけの短い言葉だった。

 実際に、狛割市は最終決戦における地上戦の舞台となった。多くの銃弾や光線が飛び交い、爆ぜ、建築物や田畑のほとんどが跡形も無く消え去ったのである。

 住民にはたまったものではないだろう。

 しかし、行政からすれば悪い話ではなかった。損害に対して国からたっぷりと支給された補償金もあるが、それは理由の一つにすぎない。

 戦闘によって散乱した、《ノシキ・クァソ》の兵器パーツ――そのほとんどが、地球外のオーバーテクノロジーによる産物だったからだ。


 辺りに滴る未知の流体金属。

 外装に塗られた吸光率100%の完全黒色塗料。

 ひとりでに地面から浮かぶ浮遊物体。

 よもや戦艦主砲並みの火力を有した、人が抱えられるサイズの光線銃。

 ほぼ無傷で拿捕された敵艦には、火力発電所一基並の出力を持つバレーボールサイズの半永久機関すら積まれていたという。


 地球外から攻めてきた敵兵器残骸の所有権について定めた法律などあるわけもなく、それらは法律上隕石の類いとして処理されることになった。結果として、その所有権の多くが土地を所有する住民、もしくは狛割市のものとなったわけである。

 それらを全世界の各種研究機関に譲渡する際に流れ込んできた金額は莫大であり、その潤沢な資産が、狛割市の復興を急速に進める原動力となった。

 七年経った現在、怪獣映画ばりの破壊活動が行われた狛割市は見事な復興を遂げ、かつてよりも賑わいを見せる街となっていた。

 新築ばかりの一新した街並み。しかしその中には、奇跡的に破壊を免れた建物も点在している。


 新が住むアパートもまた、そんな戦争を生き抜いた二階建て木造建築だった。


 もし壊されていれば、国と市からの補償金でよりよい物件に生まれ変わっていただろう。少なくとも隙間風に凍えたり、壁の薄さに悩まされる築35年の激安物件ではなかったはずである。


「ふぁ……」


 玄関を開けるやいなや、新は大きなあくびをする。

 夕べは隣の住民が友人と飲んでいたのか、夜通しの大声で快眠を妨げてきたのだ。朝から昼過ぎまでのシフトなので睡眠時間をずらすこともできず、結局ほとんど眠れずじまいである。


(絶対寝る。バイト終わって帰ってきたら速攻寝る)


 コンビニ弁当の容器ばかり入ったゴミ袋を手に、新は階段を降りる。

 通りがてら、一階にまとめて設置されている郵便受けを確認する。いつも通り、スーパーのチラシやら町内会の会報が折りたたまれ突っ込まれている。


「……ん?」


 しかしそこに、普段見ないものが入れられていることに新は気が付いた。

 二つ折りにされた、白無地の厚紙。

 いかにもお手製なオーラを醸し出すそれを、新は郵便受けから取り出す。

 紙を開くと、中には手書きで短い文章が記されていた。


 "午後五時こまわり公園、『六人目』を待つ"


  *  *  *


 来たる午後五時。

 瞼に貼り付く眠気に必死に耐えながら、新は手紙の指示通りこわまり公園に足を運んでいた。

 こまわり公園は、戦争で被害を逃れた数少ない場所のひとつである。しかし鉄棒やジャングルジムは老朽化を理由に余った予算で撤去されてしまったため、現在は使い方のイマイチ分からない健康遊具へと置き換わってしまっている。

 そんな公園のベンチに腰を下ろし、新は手紙について考える。


 まず、差出人は誰か。

 それに関しては見当がついていた。新こそがかつて世界を救った『あの六人』のうちの一人であることを知る人間は、あまりに限られる。手紙の筆跡も見覚えのあるものだったことから、予想はまず間違いないだろう。


 問題は、なぜ呼び出したのかであった。

 決して理由が思い浮かばないわけではない。ただそのどれもが、このような場所に呼び出す必要があるように思えなかった。互いに連絡先を知っているわけで、言いたいことはそれで事足りるはずだからだ。

 それに言ってしまえば、新は呼び出したであろうその人物に、あまり顔を合わせたくなかった。

 顔を、合わせたくない――。


(あぁ、そういう)


 あいつは、会って話がしたいのか。だからわざと一方的な手段を使ってきたのか。

 相手の意図に気付いた途端、新は心臓を握られたような息苦しさを感じた。無論、に非はない。その胸を締め付ける根源は、新の心に刺さる棘でしかない。

 薔薇ばらのように、見るに美しく触れるに刺々しい記憶の数々。彼女と顔を合わせることで、新はその記憶に心を苛まれることになる。


「や、シン兄」


 背後から聞こえてきた、答え合わせの声音。

 新は振り向く。

 そこには、予想通りの人物が立っていた。

 短い髪を金に染めた、制服姿の少女。中性的で、スカートを履いていなければ美少年とも見間違いそうな、整った顔立ち。

 新の視線は、すぐに一箇所に引き寄せられる。

 どこか冷めた印象をもつ、

 ――チクリ。


「……やっぱり、お前だったか」


 慌てて視線を逃がした新に、少女――桃國ももくに杏子あんずは、嘲笑以上微笑未満といった笑みで答えた。


「逆に誰が呼び出すのさ、あたし以外で」

「俺が分かんないのは、なんでわざわざこんなもん使ってまで呼び出したのかの方だ」


 新は手紙を杏子に突きつける。

 杏子は「あー」と、間の抜けた声を出しながら頭を掻いた。


「シン兄にさ、会わせたい子がいたから」


 杏子が横に一歩ずれる。

 そこで初めて、新は杏子の後ろにもう一人立っていたことに気が付いた。

 杏子と同じく、狛割市の公立高校の制服に身を包んだ、眼鏡の少女。

 その顔立ちや眼鏡が、昨晩の新の記憶を呼び覚ました。


「君は、昨日の?」

「あ、は、はい! そうです!」


 半ば杏子の陰に隠れながら、眼鏡の少女は新の言葉に力強く頷く。


「みっちゃんが、昨日変な輩に絡まれた時に男の人が助けてくれたっていうから。特徴を聞いて、シン兄じゃないかなって思って」

「まず確認してから呼び出せよ、違ってたらどうすんだ?」

「す、すみません、お忙しいところお呼びたてしてしまって……!」


 杏子でなく、みっちゃんと呼ばれた少女の方が新に怯える。杏子はその頭を撫でながら、「いいのいいの、どうせバイトしかしてないフリーターだから」とフォローなのかどうか分からない言葉を少女にささやいた。バイトだって忙しいんだぞコラ、と新は心の中で反論しておく。

 しかしそのむっとした表情から、杏子は新の考えていることを読んだようだった。


「ま、結局合ってたじゃん」

「それはそうだが……」


 せめて用件くらい添えろ、と新は思う。

 杏子は、昔からコミュニケーション全般において言葉足らずな人間だ。無口でこそないが、発する言葉の多くがどこか情報を取りこぼしたものであり、内容の擦り合わせに難儀する相手なのだ。


「ほらみっちゃん、お礼とかあるなら先に言っちゃいな」

「えっとその……あ、ありがとうございました!」


 眼鏡少女が深々と頭を下げる。


「ええと、どういたしまして……」


 新もまた、ベンチに腰掛けたまま軽く会釈を返した。


  *  *  *


「え、見てたのか」

「うん。わりかし、一部始終」


 こまわり公園から続く夜道を、新は杏子と並んで歩く。

 一通り感謝された後、眼鏡の少女は帰っていった。しかし杏子はまだ用があると言って、新を連れて歩いていた。歩きがてらの会話で、杏子は新に、昨晩の一連の出来事を見ていたことを告げていた。


「あたしが買い物の用あって、みっちゃんには付き添いで来てもらってたんだけどね。ちょっと店覗いてる間にみっちゃんがいなくなっちゃって。どこ行ったんだろうって探してたら、あら大変、悪いお兄さんに絡まれているではありませんか」

「……」

「あたしが助けに行ったところでカモが二人に増えるだけだし。それじゃあ助けを呼びますかぁと思ったら……シン兄が来た」


 杏子が不意に足を止める。


「それでさ、やっぱり思った」

「何をだ」

「シン兄は、ちゃんとヒーローだよ」

「っ――」


 直視してしまった杏子の瞳に、新は虚像を見る。


『大丈夫、アラタは、ちゃんとヒーローだから』


 同じ瞳を持っていた彼女の言葉が、新の心を内側から刺す。


「……ただ立ち向かうだけじゃ、ヒーローじゃないだろ」


 新が喉から絞るように出した言葉に、杏子は眉根を寄せる。


「力が伴わない者は、ヒーローとは言えないって?」

「そういうことだ」

「世界を救ったとしても?」

「世界なんて守るつもりはなかった。俺はただ――桜を」


 お前の、姉を――。

 そう続けようとした瞬間。


『ビー! ビー! ビー!』


 突如として、杏子の提げていたバッグから大きなアラームが鳴り響いた。

 それは、新も知っているアラーム音だった。最後に聞いたのは――七年前。

 新にとって三年前の、あの最後の戦いが始まる時に聞いて以来だった。


「一体何が起こって――!?」


 慌てる新とは対照的に、杏子は落ち着いていた。

 むしろ元より冷ややかな印象を与える目が、さらに凍てつくかのような鋭さに変化していた。


「やっぱり、父さんの予想通り……!」

大樹たいじゅ博士の……!?」


 杏子の父である桃國ももくに大樹たいじゅ博士は、終戦後すぐに行方を眩ませ、以降音沙汰がないはずである。その名前がなぜ今ここで出てくるのか、新は状況がすぐに飲み込めなかった。


 杏子はバッグからアラームの発生源であるスマホを取り出す。杏子が取り出すと同時にアラームは止み、画面上に地図が表示された。

 それは狛割市の地図だった。中央にある点が恐らく現在地であり、数百メートル離れた地点で、赤い点が波紋を出しながら点滅していた。


「この距離ならすぐに……リソースは、よし、進路上にある」

「おいおい待て、ちゃんと説明しろ」

「あ、ごめん」


 置いてけぼりだった新にやっとのことで気付いた杏子が、いつになく真剣な表情で新を見る。


「敵が出た。シン兄倒してきて」

「…………え、説明それだけ?」


 説明。それは杏子の最も不得意とするものだった。


「いやいやいやいや待て! さすがにもっと情報が欲しいぞ! 何で今まで出てこなかったやつがこのタイミングで出やがるんだ!」

「だから、手紙で言ってたでしょ」

「手紙……? 杏子、お前まさか」


 新は手紙の文面を思い出す。


 "午後五時こまわり公園、『六人目』を待つ"


 わざわざ『六人目』と書いたのは、今起きてるこれを伝えるつもりだったのか……!?

 杏子は目を丸くした。


「え、気付いてなかった?」

「この……コミュ障!!!」


 新が声を荒げると同時、爆発音が耳をつんざいた。


「「っ!?」」


 周囲を見渡す。見れば、遠くで火が上がっている。どうやら、杏子の言葉は冗談の類いではないようだった。

 新は襟に指をかけ、ぐっと引っ張って気持ちを切り替える。


「戦うにしても武器がないぞ。殴って倒してこいってか?」

「それなら心配ない」


 杏子がスマホの画面を見せる。

 そこにはさっきの赤点の他に、白色の点がほぼ均等間隔となるように街中に配置されていた。現在地の黒点と敵が出現した赤点を直線で結んでも、その進路上に二つは確認できた。


「このポイントにある自動販売機、なの。これ使って」

「自販機が? なんでまた」


 説明に質問を投げかける。そしてそれと同時に、再び爆発音が鳴り響いた。


「これ以上の説明は後」

「釈然としねぇが……お喋りしてる暇がないのは確かだな」


 改めて、新はワイシャツの襟を正した。

 深呼吸をし、気持ちを切り替える。


 俺は何者だ。


 勤続二年のコンビニバイト。


 就活に失敗し続ける残念な人間。


 世界を救った英雄。


 俺は、何者だ――。 


「俺はただの……白金しらかねあらただ!」


 ダンッ!


 履き潰したスニーカーで地面を蹴り、新は駆け出す。

 地図で見た対象への最短ルート。その進行方向にあるのは、何軒も連なる民家だ。すぐ目の前には、高さ二メートルのブロック塀も立ちはだかる。

 しかしそれら全てが、新にとっては障害と成り得なかった。


「――変身アクションッ!」


 掛け声と共に、新の全身が目映く発光する。

 その光が収まったのは、二秒後。

 跳躍した新が、三軒目の民家の上を通過したタイミングだった。


 全身を包む、白無垢のスーツ。

 ただ一つの繋ぎ目もなく新の体を覆い尽くしているように見えるのは、正しくはスーツでなく新の体の一部だ。

 関節部はより厚い装甲が施され、近距離で銃撃させようがかすり傷一つつかない強靱性を有する。

 着地と同時に足を折りたたむ。筋繊維の半数以上を占めた流体金属が、バネとなり、一回で数十メートルもの飛距離を稼ぐ超人的な跳躍を可能にする。


 月明かりが、狛割市を跳ねる白兎を照らす。


 スーツ同様白を基調としたマスクを被ったその姿を、この街で、この国で、この世界で知らない者はいないだろう。


 その姿こそ、七年前《ノシキ・クァソ》の軍勢を退けた『あの六人』最後の追加戦士・白金新の戦闘形態だった。







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