解く

増田朋美

解く

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今日はことのほか寒く、本格的に冬がやってきたという日であった。其れを喜ぶ人もいるだろうし、嫌だなあと思う人もいるだろう。いずれにしても、風がものすごく吹いて、洗濯ものが飛んで行ってしまいそうなほど、寒い日であった。

そんな日であったが、杉ちゃんの家には来客が絶えない。いつも必ず誰かがやってくる。そんなことから騒動が起こることもあり、必ず何かが起こるのだ。さて、今日はどうなる事やら。

杉ちゃんがいつもと変わらず、鼻歌を歌いながら、着物を縫っていると、インターフォンがなった。

「はいはい、どなたですか?」

と、杉ちゃんが玄関先に行くと、今日はと言って、やってきたのは浜島咲であった。しかも着物らしくない、ハイビスカスの柄のついた着物を着て、かわいらしいと言えばかわいらしい風貌である。帯は、いわゆる作り帯というもので、文庫の形をしたものを付けていた。帯揚げも帯締めもちゃんとつけていて一見すれば問題のないきもの姿と言えるのであるが。

「何だ、はまじさんか。一体どうしたの?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「一寸、教えて欲しいことが在るんだけど。」

と、咲は不服そうに言った。

「はあ何だ。とりあえず、寒いから、部屋の中へ入れ。」

杉ちゃんは、彼女を部屋に招き入れた。お邪魔しますと言って、咲は、部屋の中に入った。

「一体何だよ。ぼくに教えてほしいことって。何か悪口でも言われたの?」

杉ちゃんが、咲にお茶を入れてやりながらそういうと、

「あのねえ。この着物の事なんだけど、これをお箏教室に着用しちゃいけないのかしらね。今日、お箏教室にこの着物で行ったのよ。そうしたら苑子さんが、こんな着物を着ちゃだめよって、いったのよ。でもちゃんと、着物の形しているんだから、悪いところはないと思うけど。つくり帯だって、最近は、平気でつけている人、いっぱいいるじゃないの。ねえ杉ちゃん、この着物の何処が悪いか、教えてくれない?」

と、咲は大きなため息をついて杉ちゃんに言った。

「はああ、まあハイビスカスが一寸季節に合わないというのも確かにあるけどさ。」

と、杉ちゃんは言った。

「この着物はさ、紬の生地だろ。だから、洋服でもあると思うけど、全部の用事にジャージを着ていけるかっていうとそういうことはないよな。」

「そうか、、、。確かに、どこへでもジャージで行くような人はいないわね。」

咲は、腕組みをして考え込む。

「つまり、このお着物は、ジャージにあたるの?じゃあ運動するときのトレーニングウェアが着物にもあったってこと?」

「違うよ。お前さんが着用してるのは、明らかに牛首紬というブランドだ。牛首というのはね、もともとは、お百姓さんの野良着だ。そういう意味でジャージと一緒なの。」

杉ちゃんの答えは明確だった。

「つまり、ジャージでお箏教室へ行ったから、あたしは怒られちゃったわけか。単に華やかでかわいいだけじゃいけないのね。大きな花柄で可愛いと思ったんだけどなあ。それじゃあ、まずいということか。」

「柄の問題というか、着物が、洋服の何に該当するかを考えるといいよ。牛首紬はアディダスと一緒。だからお箏教室へ着るんだったら、もっと改まったところに適している、色無地とか江戸小紋とか、そういうのを着るんだよ。」

咲は、杉ちゃんにそういうことを言われて、紬はアディダスと一緒なのか、考え込んだ。着物って

なかなか難しいな。

「それがわかったら、通販でも使ってさ、色無地とか江戸小紋とか買うといいよ。店で買ってもいいからさ。そっちで楽しんだ方が良いってことだよ。」

「はいわかりました。着物って、難しいわねえ。可愛いだけじゃダメなのかあ。」

咲は大きなため息をついた。

その次の日の事である。咲が何気なくテレビをつけると、ちょうどローカル番組をやっていた。

「本日の中継は、静岡県富士市にあります郷土資料館です。ここではなんと、和裁の講習会が行われているようです。それでは中に入ってみましょう。」

テレビのリポーターが、郷土資料館に入っていくのが写っていた。確か、この資料館は見覚えがある。ここで演奏させてもらったことがあった。咲はそんなこともあってか、興味がわいてきて、テレビを見始めた。

「はい、こちらの資料館では、一週間に一度、自分で着物をつくってみようという講座が行われています。こちらは、講師の松永繁美先生にお越しいただきました。」

リポーターは、着物姿の中年女性にマイクを向けた。

「松永先生は、昔ながらの手縫いにこだわって、着物を縫うことを教えていらっしゃるということですが、こだわりの理由を教えてください。」

「はい、今は、ミシンというものが流行っていますが、和裁というものはミシンではどうしてもできない魅力があります。それを忘れてはいけないと思いまして、手縫いで指導をしています。」

と、松永と呼ばれた女性は、にこやかに笑っていた。

「そうですか。しかし、こちらの和裁教室では、現在販売されているカラーブロートなどの布を使って着物を縫うことを教えていらっしゃるということですが、それについては何か理由があるのでしょうか?」

リポーターがそう聞くと、

「ええ、なかなか反物を入手するというのは、難しいことですからね。それをさせるよりも、手芸店で手軽に入手できる布を利用した方がよいと思いましてね。布の種類より大事なことは、日本独自の縫い方にあると思うので、それを重点的に教えるようにしています。」

松永先生はそういうことを言った。

「そうですか。では、日本独自の縫い方で一番大事なことは、一言でいうとなんだと思いますか?」

すごい質問をされたと松永先生は、困った顔をする。

「ええ、そうですね。解くことを前提に縫うことではないでしょうか。」

先生は少し考えてそういう事を言った。

「解くことを前提に縫う。其れはどういう意味何でしょうか。」

リポーターがそう聞くと、

「はい、きものというものは、寸法直しをしたり、別のものに仕立て直しをすることなどで、よく解くことが多いんです。それはほかの縫物にはない、すごいところではないでしょうか。」

先生は、変な発言かもしれないが、にこやかに笑ってそういう事を答えた。

「はあ、ほどくということですか。一寸意外なところですね。解くということか。うーんよくわからないな。」

リポーターは変な顔をしていった。

「ええ、それが和裁というものです。単に完成させるだけではなく、解くことを前提に縫う。其れが一番すごいことだと思います。」

テレビの中でそんなことを言っている、松永繁美先生を見て、咲はなるほどなあと思いながら、テレビを見つめていた。先生の近くには二人の女性が映っていた。多分彼女たちが生徒さんだろう。

「はい、それでは生徒さんにインタビューしたいと思います。何かきっかけで和裁を習い始めたのですか?」

リポーターは今度は彼女たちにマイクを向けた。

「はい、着物を着るのが大好きで、いつかは作ってみたいと思っていました。ただ、反物を入手するのが出来なくて、あきらめていたんですけど、こちらの教室では、カラーブロートで作れるそうなので、其れで入門しました。」

女性の一人はにこやかにわらって言った。

「興味本位だったんですけど、先生の指導が面白くて、ここで習いに来ています。毎日ストレスフルな仕事をしていますが、ここへ来ると、嫌なことなんて全部消し飛んじゃいます。」

別の女性はそういうことを言った。

「そうですか。皆さん和裁教室をたのしんでいるんですね。これからも日本の着物をたのしんでください。以上中継でした。」

リポーターの一言で、中継は終わった。テレビはつまらないニュースに戻ってしまったので、咲はテレビを消した。

「でも、楽しそうな和裁教室だわ、見学させてもらおうかな。」

咲は、スマートフォンを手に取った。郷土資料館の番号は、確かスマートフォンに記載されて在ったはずだ。郷土資料館で検索すると、確かに電話番号が出たので、咲は迷わずに電話をかけてみる。

「はい、郷土資料館です。」

間延びした受付係の声がした。

「あの、私、先ほどテレビの中継で、お宅で和裁教室をやっているのを見ました。あの、是非松永先生の授業を受けてみたいです。見学させていただけないでしょうか。」

と咲が言うと、資料館の人は、新人会員さん大歓迎ですといった。そしていつなら見学に来れますかと聞いた。

「ええ、これからすぐに行けます。」

と咲が言うと、

「はい、じゃあ来てくれます?」

というので、咲はうれしくなって、すぐ行きますといった。資料館の行き方はちゃんと覚えている。自宅から歩いて10分くらいのところでさほど遠いところではない。咲が郷土資料館に到着すると、先ほど電話に出てくれた受付係が、

「こんにちは。新人会員の方ですね。どうぞこちらです。」

と、資料館の貸会議室へ案内する。咲が入ると、貸会議室の中には、先ほどテレビに映っていた三人の女性がいた。一人は講師の松永繁美先生。そして後の二人は生徒さんだ。

「あの、浜島咲と申します、よろしくお願いします。」

咲がいうと、松永先生は、にこやかに彼女を近くに在ったテーブルの前に座らせた。

「はい、浜島さんね。お和裁の経験はおありですか?」

「いいえありません。ただお箏教室で働いていますので、着物を着ることは非常に多いですけど。」

と咲が言うと、

「わかりました、今回は基礎縫いからやっていきましょうか。それでは、まず和裁の道具の名前を憶えていきましょう。」

と、松永先生は、一つの赤い針箱を見せた。

「持っていない方は購入していただきます。もちろん、支払いは、そちらの意志で決定していいのよ。」

ずいぶん立派な針箱だ。その中にはいかにも和裁向きの針とか、はさみとかそういうものがぎっしり入っている。其れに、アイロンで代用できるはずの和裁小手というものも入っていた。

「まず初めに、こちらを購入していただけませんか。和裁は、道具がないとちゃんとできないものですから。」

そういう松永先生の言い方はどこかマインドコントロールのような印象があった。松永先生は、けっして怖い人という感じではなかったが、でもどうしてもこれを買わなければいけないのではないかという感じの響きを与えた。咲は杉ちゃんが持っていた裁縫箱を思い出す。杉ちゃんの裁縫箱は和裁専用の道具なんて何もない。和裁小手と呼ばれる道具もアイロンで代用すればいいと杉ちゃんは豪語していたような気がする。

「本当にそうでしょうか。」

と咲は言った。

「私の友達が、やはり和裁をやっていましたが、彼はこんなに専門的な道具を持っていませんでした。」

「そう。多分その彼という人は、趣味で和裁をやっているんでしょうね。一寸着物を縫うとか、寸法直しをする程度なら、それでもいいと思うけど、やっぱり先生について習うんだったら、ちゃんと道具を買わないと。」

と松永先生は言う。そして、一枚の紙を渡された。其れを見ると、針箱の値段が三万円と書かれていた。咲は、

「周りの皆さんも、この道具を買われたんですか?」

と聞いてみた。すると周りの女性たちはええもちろんと答えた。

「だって、それをしないと、きものは縫えませんよ。和裁は和裁で専用の道具を買わないとね。」

女性の一人が咲に言った。咲はおかしいなとおもった。だってテレビでは、カラーブロートという気軽な布地で着物をつくっている教室とうたっていたではないか。それなのに、三万円もする道具を交されるのだろうか?

「ちょっと待ってくださいよ。ここの教室の材料はカラーブロートですよね。其れを使って気軽に和裁を習える教室だったのではないの?」

と、聞いてみると、

「ええ、その通りですよ。だからこそ、道具はきちんとしたものでないとできないんですよ。ほら、よく和楽器で洋楽をやっている人たちもいるけど、あの人たちは素人じゃありませんよね。其れと

同じですよ。カラーブロートは、もともと和裁に適した布ではありませんから、ちゃんとした道具を購入していただく必要があるんです。」

もし、咲が杉ちゃんの着物をつくっているさまを目撃している人物でなかったら、すぐに買わなければならないと思ってしまうような言い方だった。

「でも私の友人は、もう和裁の道具屋は廃業しているから、洋裁の道具で我慢するしかないと言っていたわ。」

咲がそういうと、松永先生も周りの女性たちも一瞬顔が凍り付いた。咲はその変化を見逃さなかった。

「そうなのね。その道具屋が廃業する前にこれは購入したものなのよ。だからこの道具は貴重なものでもあるの。これから和裁をちゃんと習いたいんだったら、それを、わきまえて購入してほしいわ。」

松永先生はそういうことを言うが、咲はそれにだまさせて三万円を払ってしまいたくはないなと思った。だって、杉ちゃんが、よく言っていたのを何回もきいている。和裁小手を扱う店が廃業してしまったせいで、アイロンで代用しているが、非常に使いにくいなあと言っていたのだ。そのことを言っていたのは、かなり前の事だ。だから、もう廃業になった店から、取り寄せられるわけないじゃないか。杉ちゃんが嘘をつくことは絶対ない。だから、この事業は和裁の教室ということではなく、高価な針箱を買わせるためにあるのだと咲は確信した。

「一寸、考えさせてください。」

と彼女は言って、そそくさと退散した。危ないところだった。正体のわからない針箱に、三万円を出してしまうところだった。

咲がドアを閉めると、部屋の中からこんな言葉が聞こえてきた。

「大丈夫ですよ。あの女性は、もう二度と来ませんよ。先生、気にしないでこれまで通り、教室を続ければいいじゃないですか。」

多分生徒の一人の女性が、松永繁美を励ましているのだろう。

「そうですよ。先生。其れに人はそんなに気にしないと思いますよ。先生、彼女はきっと他人に個々の事を言いふらすとか、そういうことはしませんよ。だからそれを気にしないで、やっていけばいいんです。」

もう一人の女性の声も聞こえてくる。

「しかし、私たちが、三万円を払わせていることは確かだし。」

と、松永先生は、困っているような口調でそういうことを言っているのだった。ということはつまり

彼女に罪の意識があるということかと、咲は思った。

「それに、針箱は使えないものじゃないじゃないですか。一応中古品とかであるけれど、和裁の道具だということは変わりありませんよ。それに、三万円を付けたって、いい代物ですよ。これまでだってそうだったじゃないですか。入門を希望する人たちに、針箱を買わせて来たでしょう。中にはさっきの人みたいに、やめていった人もいるけれど、その人たちが警察に言ったとかそういうことはないでしょう。大丈夫ですよ。彼女だって、そういうことはしないと思いますよ。」

ということは、針箱はどこで入手してきたのだろうか。中古品というのだから、間違いなく新品ではない。其れに、高価な値段をつけて、販売しているのだ。其れは松永先生単独でやっているわけではないらしい。後の二人の女性たちも、それを手伝っている。中古で買ったものに高価な値段をつけて再度販売することは、やり方によっては罪とされるかもしれない。

「でも、彼女は、和裁小手をつくっているところが廃業していることをお友達から聞いているようだし。すぐに、この品物がインチキだって、わかってしまうのではないかしら。」

と、松永先生はそういっている。ということはやっぱりこのお教室は、インチキ集団であることを咲は確信した。直ぐ、警察に通報しようかと思ったが、別の女性がこういっているのを聞いて、其れはやめた。

「だって先生、少しでもお金を手に入れたいと言ったのは先生でしょう。そうしなければ先生の息子さんは助からないって言われたじゃないですか。だから私たちも手伝っているんですよ。そりゃ、多少の猿芝居は必要ですよ。でも人間は、そういうことをしないとダメな時だって必ずあります。テレビのように何ごともきれいには行きません。」

そうか、そういうことだったのか、だったらもう少し、健康的な方法で、息子さんが良くなる方法を見つけてねと咲は思って、でも口にしないまま、その場を去っていった。きっと自分が真実をほどいてしまったら、彼女たちは破滅してしまうだろうし、そうしてしまうことは、自分にはできないだろうなと思ったのだ。

「一体どうしたんだよ。僕が、着物を縫っているのを見てみたいなんて。」

と、杉ちゃんは、いきなり来訪してきた咲にそう聞いた。咲は答えない。はあとため息をついて、杉ちゃんが縫っているさまを眺めていた。

「杉ちゃんさ、和裁小手を扱うところって、廃業したのよね?」

と咲が聞くと、

「おう、もちろんですよ。もう廃業して何年たつかな。もう買いようがないからさ。アイロンで代用するしかないや。」

と、杉ちゃんは、仕立てたばかりの着物にアイロンをかけ始めた。はあなるほど、と咲は思い直す。杉ちゃんの行っていることは間違いないだろう。

「それじゃあ、針とかはさみとか、みんな洋裁の道具で代用してるの?」

と、咲は杉ちゃんに言った。

「当たり前じゃないか。日本で作られた伝統の道具は、皆つぶれるか、それか安いところで新たな持ち主が現れてくれるのを待ってるさ。もちろん、ちゃんと扱ってくれる人が居るかどうかもわからないけどな。」

杉ちゃんがカラカラ笑いながら、そういうことを言うと、

「そうよねえ。それはもう仕方ないことよねえ。あたらしい持ち主が、現れてくれるというのを待っているか。其れを高価な値段で転売するのも又道具がかわいそうと言えるかな。」

咲は、はあとため息をついた。

「まあ、すくなくとも、道具は、金儲けのためにあるもんじゃないな。」

杉ちゃんは、アイロンを動かしながら、にこやかに言った。咲はやっぱり、ああいうことをしているということは良くないなと思ってしまったのだった。



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解く 増田朋美 @masubuchi4996

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