第296話 原初の地
“第二次アヴァルディア戦役”から約三ヵ月――。
皆の間に立ち込めていた悲観的な空気も少しばかり四散し、人々は徐々に元の生活に取り戻そうとしていた――などとは、口が裂けても言えるような状態ではなく、今も尚、世界各地に戦いの傷跡は根深く残されている。
だがまずは、全ての元凶となった戦争が終わった直後の話をしなければならない。
マルコシアスが消えた直後、俺がゆっくりと地面に着地すると共に漆黒の翼が砕け散った。更には死闘の影響で指一本動かす事も叶わず、意識が遠のいていくのを感じながら近づいて来る地面を掠れた視界で捉えていた。
『アーク君ッ!?』
次に気が付いた時、俺はルインさんの膝の上に頭を乗せられ、エリルから治療を受けている最中だった。驚いて起き上がろうとするも、未だ体は動かない。何より、頬に滴り落ちて来た彼女の涙が俺の行動を塞き止めた。
何故なら、ルインさんの涙は宿願を果たした歓喜からの決壊などではなかったからだ。
多分それは――。
『もう……いつもいつも、無茶ばっかりし過ぎなんだよ……アーク君のバカ……』
こんな俺が生きている事に対しての――。
俺を見つめる紅眼が揺れている。出で立ちが変わろうとも、これまでと何ら変わりない視線を向けてくれている。そう認識した瞬間、俺の中にも強烈な想いが込み上げて来た。
――そうか、俺はまだ――世界の中に居るのか。
極限状態の連続により、研ぎ澄まされていた感情が一気に緩んだのだろう。ルインさんの涙と混ざる様に、俺自身の目からも一筋の雫が滴り落ちた。
こうして俺はあの大戦を生き残り、帝都に戻る事が出来たというわけだ。
しかし大変なのは、ある意味ここからだった。
まず戦闘の中心となった帝都の街々は、これでもかと破壊の限りを尽くされており、あまりに無残な状態と成り果ててしまっていた。更には、外側から帝都を聖地たらしめる要因だった城壁に関しても、最早ただの瓦礫と大差ない。全方位から破壊された挙句、ブレスやら斬撃やらに晒されて来たのだから当然だろう。
有り体に言ってしまえば、一部被害の少なかった区画を除いて使い物にならないという事だ。無論、復興には数年単位の時間を要する。元の状態までともなれば、更に計り知れない時間と労力を要する事になるだろう。
その上、人的被害も凄まじく、辛うじて皇族と騎士団長は生き残ったものの、立場・年齢に関係なく全ての勢力の人々に多大な犠牲者が出てしまった。結果、帝都騎士団はおろか、普通の市民生活すら営む事が出来ない状況となってしまっている。神話の大戦以来の甚大な被害。人間の築いた文化と誇りは、完膚なきまでに破壊され尽くしていたわけだ。
一応この三ヵ月で多少マシにはなったものの、焼け石に水。未だ多くの問題を抱えながら、帝都や被害を受けた街の人々は生活を営んでいる。
その一方、今の俺は既に帝都を発った身となっていた。何故帝都に残らなかったのかという理由は色々あるが、一番大きかったのは俺にしか出来ない事をする為――というものだ。周囲には散々止められたが、これだけは譲れない。
あの戦いで示した俺の答えだから――。
「――色々あって、また戻って来たよ。母さん、父さん……」
先程から俺の目の前で隣立っているのは、二つの墓標。
刻まれている名は、“グレイ・グラディウス”。そして、“ユーリ・グラディウス”。俺の両親だ。
そう、帝都を発った俺は、ジェノア王国にあるグラディウス本邸へと戻って来ていた。理由は無論、あの戦争で命を落とした父さんを埋葬する為、更に事の顛末を母さんに報告する為というもの。
複雑な想いこそあれ、これを行うのは俺の義務だろう。そうして二人の墓標を前に続きを紡ごうとした時、遠くで響いた足音を受けて振り向いた。そこに居たのは、見覚えのある人物――ガルフ・グラディウス。墓標の前に居る俺を見て、緊張した面持ちで固まっていた。
静寂が俺達を包み込む。先に沈黙を破ったのは、俺の方だった。
「――また、お前も来たのか」
「あ、ああ……」
葬儀なら大分前に済ませてある。また墓参りに来たのかと問いを投げかけたが、それ以上会話は続かない。俺達の間の空気は、とても双子の兄弟とは思えない程に張り詰めていた。
だが、それも当然だろう。何故なら、あの大戦を除けば、ガルフと二人きりで話す機会なんて久しぶりどころではないからだ。それも互いに治療や後処理に追われており、終戦後に関しては初めての事とあって尚更だった。
「そういえば……腕、調子良さそうだな」
次に俺は、ガルフの腕を見ながら率直な疑問を投げかける。
ガルフの左腕は、先の大戦で狂化モンスター――ゼロスによって切断されていた。俺が氷の属性魔法で冷凍処置をした後、エリルと帝都の術者で治療に当たったらしい。それ以上の経過を訊いていなかったという事もあっての疑問だった。
「――一応、訓練次第では、また動くようにはなるらしい。元の様に戻るには、何年もかかるようだけど……」
「そうか……」
鋭利な爪で切り裂かれたが為に切断面が綺麗だった事。
腕自体の破損も軽微だった事から、冷凍処置をした際に何とか繋がるだろうとは思っていたが、時間はかかるが全快にまで達する可能性があるとは少々予想外だった。しかし、嬉しい誤算と称するべきなのだろう。
何故なら、復興の象徴として名家が揃っていないのは縁起が悪いとの事で、今回の大戦の功績が認められ、ランサエーレ家の取り潰しは撤回。その上でニルヴァーナ家を弓の名家として擁立。グラディウスを始め当主を喪った格家は、その後継者が繰り上がってトップに就任する事となったからだ。
新たなグラディウス家の当主が一生隻腕では、立場的に厳しい面も多々出て来るだろう。だが帝都の術者直々にいずれ治る可能性が高いと、診断を下されたのならやりようはある。
怪我の功名と言うには少々暴論だが、雨降って何とやらといった所か。納得がいったと内心頷いていると、力無き掠れた声音をかけられた。
「そ、その……僕は……」
「ガルフ?」
よく言えば優雅、悪く言えば不遜を地で行くガルフにしては、余りに歯切れの悪い口調に対して俺は内心首を傾げる。しかし次の瞬間、そんな俺の想像を超える現象が目の前で起こった。
「す、すまなかった! 僕は取り返しのつかない事をしてしまった!! 絶対に許されない最低な事を……! 何も分かっていなかったのは……本当に
なんとあの自尊心の塊の様なガルフが深々と頭を下げていた。しかも、あれほど見下していた俺の目の前でともなれば、驚きも
「僕の首が欲しいというなら差し出そう。当主の座を欲するなら明け渡そう。貴方を貶めた者が許せないというのなら、僕の手の届く範囲で連中を呼び寄せて、目の前で懺悔させてみせる! だけど貴方は、そんな陳腐な復讐などには目も暮れていない。僕には、これ以上の償い方が分からないんだ!」
儀礼的な意味ではなく、本心から人に頭を下げる――いや、謝るという行為自体、きっとこれが初めてなのだろう。あまりに不格好で無様過ぎる姿だった。
俺の心は、ガルフの言う通りであり、言う通りではない。今だけは戦士でもなく、グラディウス家長男としてでもなく、天啓の儀の前の――ただの兄として、その心内を明かそう。
「そうだな。確かにお前が過去に犯した事は、最低なんて一言で片付けられるような生易しいものなんかじゃない。例え法が許さずとも、この場で俺がお前の首を刎ねても足りない程にな。だからこそ、俺もお前を許すつもりはない」
「――ッッ!!」
やはりどこまで行っても一個人の人間として、過去のガルフ達の所業を笑顔で許す事など出来ない。若気の至りなどという言葉で済ませていいようなモノではないし、その出来事が風化する事はあっても、思い出に変わる事など永久にない。
許すつもりはない。それが俺の奥底にある本心だ。
しかし――。
「もし贖罪の気持ちがあるのなら、成すべき事は一つだけ……」
今はそんなどうでもいいことにかまけている時間はない。故に俺から残すのは一言――。
「このグラディウスを護る事。そして、次の世代に繋ぐ事。それがお前に出来る唯一の贖罪だ。俺は此処に留まるつもりはないからな」
顔を上げたガルフが、驚愕に目を見開きながらこちらを見つめて来る。
「お前はグラディウスの名に恥じない当主にならなければならない。それは決して、無罪放免なんかじゃない」
「グラディウスを護って引き継ぐ……この僕が……」
「ああ、そうだ」
俺の言葉を受け、二重の意味でガルフの体が震え始める。
一つは当然、俺から初めて過去を糾弾された事によるもの。
もう一つは、グラディウス家当主になるという本当の意味を理解した為だろう。要は怖いのだ。自分の行く末に待ち受けるのが、どれほど困難な道なのかを悟ってしまったから――。
「特に
名家の当主になるという事は、富と名声を手に入れるのと引き換えに一個人には巨大過ぎる責任までもを背負うという意味でもある。そう、父さんが苦しみ抜いた重圧と責任を――。
そして、現状のガルフの立場はグラディウスという名を背負うには、あまり芳しくない位置にある。
父さんは部隊を率いて大戦を駆け抜け、多くの将兵や民間人を護って命を散らした。
母さんが今も忘れられぬ大陸最強を謳われた剣士である事にも変わりない。
対する
結果、グラディウス家の格自体は、他名家より頭二つほど高くなった上に民衆からの支持も凄まじい事になっているものの、ガルフ本人に関しての評価は芳しくないという歪すぎる状況となっている。
「グラディウスの……僕の使命……」
こんな状態で俺ではなくガルフの方が当主に成り上がるとなれば、周囲からの期待と重圧は計り知れない。
そして肝心のガルフは、いずれ元に戻る可能性があるとはいえ、隻腕の剣士など型落ちも良い所だ。それに人間としても戦士としても、育ち盛りである十代中盤から二十代にかけての期間を腕の
それだけで大変なのにも拘らず、あの父さんが苦しみ抜いた時よりも遥かに厳しい状況で当主にならなければならない。正直な話、今のガルフが周囲の期待に応え続ける事など困難極まりない。
その果てに期待に応えられなかった時、一体どれほど惨めな想いをするのだろう。
隻腕と
嘗て
「父さんと母さんが遺したこの名は重いぞ。覚悟が出来ていないとは言わせない」
奇しくもこれまでガルフを形作り、守って来た“剣聖”と“グラディウス”が、奴自身を締め上げる結果となるわけだ。それこそがガルフに与える唯一の罰。
俺が自らの行く末を定めた様に、一生を懸けてガルフが背負わなければならない業。途中で放り投げるなど許さない。これだけは否とは言わせない。
その覚悟を以て、ガルフに相貌を向ける。
「ああ……その言葉、しかと受け取ったよ。
恐らく色んな感情の濁流が渦巻いているのだろう。ガルフは涙を流しながら何度も頷いていた。懐かしい呼び名を口にしながら――。
「――そういえば、
それから程なくしてガルフも落ち着きを取り戻した。俺はそのタイミングを見計らって虚空から白銀の刃を召還する。
手にしたのは、“ミュルグレス”――グラディウスに伝わる聖剣。そして、本来持ち主に相応しいであろうガルフに対して、白銀の長剣を差し出した。
「いや、それは兄さんが持っていてくれ。父さんの言う通り、今の僕には過ぎた代物のようだし」
「ガルフ……」
「だから、僕が“ミュルグレス”を受け取るのは、いつか兄さんが一人前になったと認めてくれた時にして欲しい。今の僕なんかより兄さんが持っている方が、母さんも喜ぶだろうから……」
「――分かった。“ミュルグレス”は、もう暫く俺が預かっておこう」
いつかの父さんと同じような事を――と内心苦笑しながら、俺は“ミュルグレス”を引っ込めた。
最早伝えるべき事はない。父さんや母さんに対しては少し物足りない気もするが、また此処に戻って来る約束をしてしまったのだから、続きはその時でいいだろう。
俺は二人の墓標を一瞥すると共に、踵を返して歩き出す。
「兄さん! 兄さんは一体何処に……」
「さあな。ただ、俺の力が必要な場所に……かな」
ガルフに呼び止められるが、一言そう答えるのみ。そして背後を振り返る事無く、俺はグラディウス本邸を後にした。
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