第297話 かけがえのない存在

 グラディウス本邸から離れた林道を歩く。

 長旅の支度は既に済ませており、正しく準備万端。どこか見慣れた景色を前に感傷に浸りながらの新たな旅立ちともなれば、自然と風情を感じざるを得ないだろう。一歩進む度に、全身を包む黒い外套の端がヒラヒラと揺れる。

 ここまでは最初から決めていた事であり、大戦の経験を胸に新たな旅路へ邁進――と言いたい所だったが、開幕早々大きすぎる誤算が俺の頭を悩ませていた。


「――あ、戻って来た!」

「意外と早かったのね」

「ふむ……人間界も面妖なものだな。しかし、アークの生まれ故郷ともなれば興味深い」


 ルイン・アストリアス。

 キュレネ・カスタリア。

 セラス・ウァレフォル。


 共に死線を潜り抜けた戦友達が、グラディウス本邸から戻って来た俺を三者三様の表情で迎えてくれる。何故彼女達がジェノア王国に居るのかを説明するとすれば、大変長い話になってしまうわけだが――全員が俺と似たような外套を羽織っている辺りから大体察する事が出来るだろう。

 そして彼女達こそが誤算の要因だというのは、言うまでもない。


「お話は終わったの?」

「ええ、ひとまず伝えるべき事は……それより、本当について来るつもりなんですか? セラスはともかく、二人に関しては帝都に居た方がいいと思うんですけど……」

「むっ、セラスはともかくって、どういう事かな!?」

「いや、ツッコミどころはそこじゃないかと」


 ルインさんが憤慨した様子で顔を近付けて来る。彼女達が俺と共に居る理由については、大戦を終えた一人一人が選択した身の振り方が大きく関係していた。


 しかし俺達自身の現在に言及するには、先の大戦を終えた世界情勢について改めてはっきりさせておかなければならないだろう。


 まず人間側及び、帝都情勢についてだが、人材・物資共に足りないものはあまりに多い。特に人材面での損失は、騎士団・冒険者ギルド・一般市民――立場に関係なく致命的過ぎた。一般市民に関しては、俺達が直接どうこうする問題じゃない。主に関係があるのは前者二つだ。

 特に俺達に影響を与えたのは、帝都騎士団関係だろう。実際問題、先の大戦で多大な被害を受けた結果、騎士団は弱体化の一途を辿る憂き目に合っている。

 中でも最たるものが、騎士団長の引退と上役達の戦死からなる人材不足。騎士団長に関しては、元々の高齢に加えてマルコシアス戦での負傷が後を引いての事だった。


『ふぉっふぉっ!! こんな老いぼれが死に損なうとは……。まあ、もうちっと余生を満喫しろという事かのぉ‥…』


 騎士団長は引き続き後進を育てる為、騎士団に関わり続けると言っていたが、情勢も相まって、これまでの様にはいかないのが実情だろう。どこか寂しそうな笑みが印象に残っている。他の細々した所も同様。


 諸々の結果、帝都騎士団の勢力図は大きく書き換わり、現状においても組織再編と並行しながら復興・治安維持活動に勤しんでいる。因みに新騎士団長には、遠征組のブレーヴ・バーナが就任する事となった。その為、あの爺さんは“元”騎士団長なわけだが、言うだけ野暮というものだ。


 そして何故、本来騎士団に所属していない俺達に帝都の復興が関係しているのかと言えば、その理由は至極単純。


「せっかく騎士団重役の席を向こうが下手に出て用意してくれていたっていうのに……一生勝ち組確定のチャンスを不意にしてまで、旅に出るなんてあり得ないでしょう?」


 対魔族共同戦線の解散に伴い、全ての者は元の立場に戻った。そんな俺達に対し、帝都側から正式に騎士団に編入しないかという申し出があったからだ。

 それも空いた上役のポストを優秀な冒険者と遠征組で分け合ってもいい――との事で、一冒険者という立場から考えれば、出世どころの話ではない。冒険者ランク“S”という立場を投げ捨ててでも、喉から手を出しながら踊り出すレベルの出来事だ。


 俺はマルコシアスに示した覚悟を現実のものとする為、元より帝都に居座る気はなかったが、ここに来て二人・・の同行は少々予想外と言わざるを得ない。それもルインさんは大隊長の立場に加えて魔導指南役という特別ポストを用意され、キュレネさんに至っては副団長の誘いまで来ていたのだから尚更だった。


「だって、私が帝都に来た目的はあの戦いで果たされちゃったし、アーク君が出て行くんなら残る意味なんてないもん」

「右に同じくね。刺激がない毎日なんて、耐えられないわぁ」


 このやり取りも既に三度目。

 特にルインさんに関しては色々あったとはいえ、その時に想定していた最悪と最上の出来事が同時に起こってしまったのだから、ここで立ち止まるべきだと思ってしまうのは当然のはずだ。


「私達もその場の判断ってわけじゃない。皆それぞれ考えて出した結論なのよ」

「そうだよ。第一、私は好きにするって言ったしね」


 まあ、ウチの女性陣の強さは、そんなものを軽く跳ね除けてしまう折り紙付きであるわけだが――。

 しかし少しばかり弛緩した雰囲気は、キュレネさんの一言によって吹き飛ばされた。


「それに此処に居ない、エリルやリゲラ、アリシア達も……ね」

「――ええ、そう……かもしれませんね」


 正式にパーティーを組んでいたわけではなかったが、これまでの俺達は八人一纏めで行動する事が多かった。だが、ここに居るのは四人だけ。残る面々は行動を共にしなかったという事。


 まずジェノさんに関しては、相克魔族を含めた全ての戦士達に惜しまれながら最期の別れを済ませた。担い手を失った“プロメテオンセイバー”の所在についてだが、紆余曲折あった末に俺が保有する事となり、帝都を発った今も手元に保管している。二刀流で戦う際に俺の力となってくれる事だろう。

 ただジェノさんを喪った事によって、竜の牙ドラゴ・ファングは事実上の解散と相成った。無論、そのまま活動していくなり、パーティー人数を補填するなり、やり様はあったのだろうが、満場一致で解散という結論に至ったようだ。残された三人の意見としては、元の四人で初めて竜の牙ドラゴ・ファングであり、一人でも欠けたら意味がないという事なのだそうだ。

 それに伴い、キュレネさん達三人もそれぞれの道を歩く事となった。


「エリルとリゲラは、冒険者ギルドと兼任で騎士団に正式編入。アリシアはお父さんの所に戻ったんだもんね」


 此処に居ない三人の所在についてだが、今しがたルインさんが言った通り。

 エリルとリゲラは帝都に残るという選択をした。二人を突き動かしたのは、間違いなくジェノさんとの別離。


『あばよ、親友!』

『色々ありましたが、今まで楽しかったです!』


 “大きな力には、相応の責任が伴う”、“力ある者の身の振り方”――自分の力を活かせる場所を模索した結果の選択。故に冒険者ギルドにも籍を置きながら、帝都騎士団に所属するという異例の立場を選んだ。彼らなりにジェノさんの遺志を継ごうという事なのだろう。

 恐らく今までの二人なら俺達と一緒について来たはずだ。しかし、そうはならなかった。自らの行く末を見定め、子供から大人になったという事だ。

 俺達に止める理由や権利があろうはずもない。


 次にアリシアに関してだが、俺達のパーティーから外れて父親であるランドさんと共に冒険者ギルド総本部へと戻って行った。理由は二つ。

 一つ目は先の大戦において、アリシアを庇ったランドさんが今も後遺症を残すほどの重傷を負ったからだ。ランドさん本人は家族の元に戻れただけ儲けものであり、名誉の負傷だと笑っていたものの、こちらも状況は芳しくない。

 その後遺症の影響で、ランドさんが戦士として引退せざるを得なかった事。派閥トップであった竜の牙ドラゴ・ファングが事実上の解散状態となり、求心力の低下が懸念される事が原因だ。


 何故大戦を終えた世でそれが拙いのかと言えば、二つ目の理由に直結する。

 有り体に言ってしまえば、冒険者ギルド内でのゴタゴタを解決する為に必要な力が足りないという事だ。


「エリルやリゲラもだが、アリシアも中々ヘビーな道を選んだものだな」

「強力な魔法や超兵器の聖剣よりも恐ろしくて厄介なのは、人々の欲望と無責任って事なんだろう。この期に及んでって感じだが……」


 俺とセラスは目を見合わせて肩を竦める。

 というのも、これまで静観を貫いてきた冒険者ギルド総本部――そのトップ足るギルドリーダーが、大戦終結と同時に次いで権力者であるニルヴァーナ派を蹴落とそうと行動を開始した事に端を発している。


「片や臆病風に吹かれてギルドに引きこもっていただけの無能親父。片や自ら戦場に赴き、最前線で魔王と戦って生き残った猛者。その上、アリシアや私達にも目をかけて援助していた功績もある。今回の大戦を受けて、トップが入れ替わるのは自明の理。既得権益を失うのが怖かったんでしょうね」

「結局、ちゃんとしたお話を訊いた事なかったけど、ギルドリーダーさんってホントに何もしなかったの?」

「ええ、ホントに何もしなかったの。元々世襲で居座っていただけの一族だもの、出来るわけもなかったという方が正しいわ。それどころか、サブリーダーによって一族の不正が白日に晒されて、ああ大変……ってところね」

「その為の自己保身で他者を廃そうとするとは……本当に救いようがないな」

「ああ、ジェノさんやエリルに起きた過去の悲劇から何も変わっていない。正しく俺達が否定した旧世代の遺物といった所か」


 四者四様ではあるが、共通しているのはあれほどの大戦を終えて尚、人間同士の醜い権力と内輪揉めが続いている事へのやるせなさ。


「賄賂の受け取り、資産の不正流出を始め、冒険者ランクの偽造・ギルド職員の天下り・違法接待・非合法な裏冒険者への依頼斡旋――ギルドリーダー自ら、やってない犯罪の方が少ないぐらいだっていうのは、流石に……。私達もよく何も知らずに利用してたもんだよね」


 因みにではあるが、つい先日俺達もギルド内での権力闘争に巻き込まれていた。さっきキュレネさんが言っていた様に、既得権益を持つ者達がニルヴァーナ派の台頭を恐れて行動を開始した事。更には大戦の処理でギルド全体が浮ついた際、ランドさんの間者がギルドリーダーの一族とそれに連なる者達が起こして来た不正の一斉リークを敢行した事が、ちょうど重なったが故の現象。

 結果、アリシアとの別れと、もう一つの用事を済ませる為にギルド本部に滞在していた俺達も、その派閥争いの渦中に入り込んでしまったわけだ。


「でも、そのまま自滅したんだから笑いものにもならないけどね」

「うむ、あの軟弱な戦士で一体何をしようと思っていたのか……」


 俺達が無傷で此処に居る事、キュレネさんとセラスの発言が事の顛末を暗示している。


「確かに、あれだけ悪手を取り続けられるのも逆に才能かもな」


 これまで多くの者達は、由緒正しい血脈と一極集中している権力に臆して来た。しかし今回はランドさんの影響力が、それを上回ったのだろう。泣き寝入りして来た者達も猛然と声を上げ、冒険者世論はニルヴァーナ一色となっていた。そんな情勢なのだから、ギルドリーダーが即王手チェックをかけられたのは言うまでもない。

 だが次の行動は、何をトチ狂ったのか派閥の力を上げての武力蜂起。冒険者ギルド総本部で戦闘が繰り広げられる事になってしまった。その結果が、セラスの発言に繋がるというわけだ。


「あはは……まさか剣士職でSランク冒険者の元ギルドリーダーさんが、アリシアの平手でノックアウトっていうのはちょっと、ね……」

「ええ、いくらアリシアがそこらの近接職より強いとはいえ、流石に聖剣所持者が弓士に接近戦で倒されるのは……」

「フォローのしようがないわね」

「――する気もないがな」


 つい先日起こった事を思い返して、四人で嘆息を漏らす。

 ギルドで暴れたのは、冒険者ランクA・Sから成るキャリア組のスーパーエリート部隊。ギルドリーダーも漏れなくSランクであるばかりか、“ミュルグレス”と同様に神話の時代から脈々と受け継がれて来た聖剣を携える猛者中の猛者――だったはずが、実態は全く異なるものだった。


「装備だけは立派だったが、よくあんなものを後生大事に隠していたものだ」

「そうねぇ。いくら指揮官クラスとはいえ、自称Sランクなのだから、力の振り様もあると思うのだけど……」


 俺達が強くなったという事もあるのだろうが、リーダー一派はあまりに手応えが無さ過ぎた。

 しかしキュレネさんの言う通り、最高級装備を持つ高ランク冒険者達に加えて聖剣保持者だなんて、それだけで主力部隊が組めてしまう過剰戦力だ。どうして戦争中に出てこなかったのかと、皆で呆れていたのは記憶に新しい。尤も、本人達の技量が全く伴っていなかったが為に、戦場に出張って来なくて正解だったというのは最高の皮肉だろう。

 戦闘結果も正しくその通りであり、一言で表すとすれば瞬殺。それも後衛のアリシアが聖剣保持者を素手でボコボコにしてしまうという衝撃的な幕引きだった。まともな実戦経験もなく、偽造で得たSランクなど何の意味もない。せっかくの聖剣も宝の持ち腐れだった。


『ふむ……やはりアーク君には、聖剣を扱う素養があるようだね。せっかくだ、持って行きなさい』

『ちょっ!? お父様!?』

『なに、アーク君に与える恩赦は、Sランクへの昇格と今後のサポートだけでは到底足りないんだ。気にする事はない! 実際、今のギルドに聖剣を扱える者もいないというのもあるが……』


 その際、何故か俺が聖剣の保管を任される事になってしまった。まあ、特段断る理由もなかった為、なし崩し的とはいえ普通に受け取ってしまったのは良かったのか、悪かったのか。とはいえ、流石の俺も三刀流で戦うつもりはないのだが――。

 因みにこの聖剣の名称は、代々継承して来た所有者の名前を繋げるというあまりにも長ったらしいものとなっており、本来のモノは歴史の中で喪われていた。結果、便宜的に“無銘の聖剣”と呼ぶ事となった。


「でもランドさんがギルドのトップに立ったんだから、もう大丈夫だよね?」

「そうですね。幸か不幸か最大の原因は今回潰せましたし、すぐにでも不正を是正する為に動き出すとの事でしたから……」


 何はともあれ、最終的にギルドリーダー派は失脚。入れ替わりでランドさんが新リーダーになったと発表されたのは、ついこの間の事だ。

 更に余談ではあるが、かつて俺達が立ち寄って竜の牙ドラゴ・ファングとの出会いの場となったローラシア王国のギルドが汚職・不正が行われる苗床の一つだったらしく、第一陣として一斉摘発されたらしい。

 以前ジェノさんが宣言した“然るべき処置”が今回の一件で、更に厳しくなったが故の判明だそうだ。


 広大な土地に豊かな過ぎる設備。

 過剰人員のエリート冒険者。

 ギルド職員、冒険者間に垣間見えた不自然な横の繋がり。


 いくら大規模施設とはいえ、今にして思えば――といった所か。


 そういえば、アリシアは別れ際に――。


『ねぇ、アーク……私、ね……』


 潤んだ蒼瞳、輝く銀色の髪、鼻腔をくすぐる香り。

 目と鼻の先に広がったのは、アリシアの整った顔――。


「何を考えてるのかなァ?」

「いきなり近づいてこないで下さい」


 つい先日の別れを思い返していると、ルインさんの整ったお顔が眼前に広がる。こうまで距離を詰められると、正直居心地が悪い。


「一体誰と、ナニをした時の事を考えていたのかな? 私になら教えてくれるよね?」

「それはですね……何と言いますか、ねぇ……」


 アリシアとの別れは、件のギルド制圧を果たした後、一夜を明かすべく俺に宛がわれた無駄に広く豪華な部屋へ彼女が訪ねて来た時の出来事だった。理外が一致しての同行のはずが、随分な腐れ縁になってしまった。互いに別れを惜しむ感情が少なからず湧き上がっていたのは否定するまでもないだろう。

 そんなやり取りの中で、突然アリシアに顔を寄せられて驚いた直後――壊れてしまったのか扉が外れ、何故かルインさん達三人が部屋に雪崩なだれ込んで来た。


 そこからはいつもの調子でヒートアップ。珍しくアリシアが焦っていた以外は、何とも懐かしいやり取りだと傍観していたが、そこで思わぬ計算違いが生じてしまう事となる。


 魔法・暴力無しの喧嘩。

 最後の夜。

 旅に出る寸前。


 この三つの条件が揃った結果、目の前で繰り広げられたのは美女四人での取っ組み合い。しかも、その時は全員が寝巻。普段の装備と違って、激しく動けば徐々に着崩れていくし、途中で暑苦しくなったのか終いには全員下着姿となっていた。

 だが、俺の記憶はそこまで。何故なら、凛々しい声の中に艶声が混ざりだした辺りで、どうにか室内から脱出したからだ。


 とはいえ、第六感に従って危機を脱したかと思いきや決してそんな事はなく、翌朝あまりにも四人が起きて来なかった為、部屋へと呼びに戻った際、更なる事件が起こってしまう事となる。


『何だ、これは……』


 扉を開けば、無駄に広いベッドの上に敷き詰められた暴力的な肢体の数々。生まれたままの姿で寝入っている四人の美女によって、真っ先に俺の視界が占拠された。しかも、明らかに汗でないモノで全身が潤い、下に敷かれた白いシーツ全体がしっとりと水気を含んでいた。正しく“女の戦い”の壮絶さを物語る状況と言える。

 そんな光景を前に、俺が黙って部屋を後にしたのは想像がつくだろう。何も気づいていないフリをする。一流の紳士ジェントルとは、そういうものだ。結局四人が起きて来たのは昼頃であり、全員が短時間にとんでもない量の運動をした後かと言わんばかりに疲労困憊だった。出発が一日遅れたというのも予定調和というものだろう。

 そして冒険者ギルドを発ち、俺の我儘でグラディウス本邸に寄り道。現在に繋がる。

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