第285話 戦う自由
「――」
轟く雷と蒼穹の闇――戦場を包んでいた光が晴れ、乾いた荒野が露になった。
魔法の余波で形骸化しつつある大地の上には、二つの影。マルコシアスは屈んだ態勢、レスターは膝を付くようにしながら、こちらを見上げている。
「貴様ら……!」
鋭い眼光。膨れ上がる大きな力は相変わらず。でも、俺達よりも高みに立ち、視点すら合わせようしなかったこれまでから比べれば、奴の様子は雲泥の差。身体の各所に傷を作っており、所々には鮮血も滴っている。消耗度合いも目に見えて大きくなり始めていた。
超然としていた神話の怪物はそこにはいない。
「……っ!」
レスターに関しては言うに及ばず、満身創痍。全身の鎧も耐久限界を超えて砕け散っており、残るは武装は身体を支えている実体剣のみ。再度武装を展開出来るようにも思えない。
その上、制空権には俺とルインさん、地表にはキュレネさんやセラス達がおり、そんな彼らを囲む形となっている。
「総員、構えッ!」
更にメイズやリリア達も緊迫した雰囲気を放ちながら、外周を囲む。つい先ほどまで滅亡一歩手前だった戦況は随分と盛り返し、漸くの五分。ここまま押し切れれば、あるいは――。
「無価値な有象無象が……我を見下ろすなど……頭が高いわッ!!」
だが、事はそう簡単には運ばない。立ち上がったマルコシアスが翼を躍動させ、強烈過ぎる殺気が戦場を支配する。
「これが魔王……なんて威圧感なの!?」
「それでも……退くわけにはいかない!」
マルコシアスと初めて相対するリリア達や、因縁深いであろうメイズらも身を強張らせている。ここまで来ても、マルコシアスの闘志は未だ衰え知らず。異常な戦闘能力、折れない心。ここまで来ると驚愕を通り越して呆れてしまう。俺が言えた義理ではないが、こうなってしまった相手は手強い。ましてや相手は、あのマルコシアスだ。例えどんな状況になろうと気の抜ける瞬間など微塵もない。
とはいえ、“
「閣下……私の力をお使い下さい」
「レスター……?」
「この局面、最早私には最後まで戦い抜く力はありません。ならば、貴方の覇道の礎とさせて下さい。このまま無に帰すなど、死んでも死に切れません」
突然のやり取り。その真意を理解するのは容易だった。
それは俺にとって二重の意味で許すわけにはいかない内容であり、反射的に降下。一気に空を駆ける。
「そう何度も同じ手は食わん」
「ちっ!?」
即座にレスターの前の躍り出ようとした俺だったが、その寸前に巨大な斬撃に襲われた。咄嗟に
「また味方を自分の糧にするつもりか!?」
「察しが良いのは結構だが……貴様には関係ない話だ。これもまた、奴の望みであるのだからな」
「そんな事……ッ!」
レスターが言わんとしているのは、自らの狂化因子をマルコシアスに差し出すという事。それはつまり、マルコシアスが更なる力を得るという事であり、同時にレスターの命が喪われるという事を示している。
「――私には目的がなかった。想いの向かう先も、力を振るう事さえも許されなかった」
「何を……」
「人間への報復は許されない。戦わずに種族の繁栄の為だけに生きる。そんな人生に一体何の価値がある?」
大剣に弾かれながら距離を取った俺にレスターが視線を向けて来る。その双眸に宿っているのは、敵意ではない。言い様の無い複雑な感情を孕んだ光。
「人間は醜く弱い。魔族にとって代われる存在だとは思わない。なら奴らよりも強く、優れているのにも拘らず、古の掟に縛られて倦怠の淵に沈んでいる我々相克魔族とはなんだ? 何の為に生きている?」
「それは……」
「地上の支配者などどうでもいい。過去の戦争も純血魔族の誇りも今を生きる我らに取ってみれば、終わった事だ。だが、今を……明日を生きようとする我らにとって、この世界はあまりにも醜すぎる」
俺の脳裏にアドアの最期が過る。
恐らくレスターにとって、この戦争の大義名分である“人類絶滅”なんて事は、さして重要な目的ではない。
魔族の秩序によって形作られた強制的かつ、局所的な平和の中では、種族全体ではなく自己という存在に意味を見出せなかった。故に自分の存在理由を――相克魔族としてではなく、自分自身の生きる理由を探す為に剣を執った。それは多分、アドアやレスターだけが抱いている想いじゃない。
確かにこれまで見て来た連中の中には、魔族の誇りを取り戻すだとか、人間という不完全な存在が
結論から言って、相克魔族社会の在り方も人間同様に歪んでいた。それこそ彼の勇者や聖女へ恐怖と掟で縛られた、ある種のディストピアだったのかもしれない。でなければ、魔族達が武装蜂起して戦わない理由がない。歴史の中で人間などとっくに滅ぼされていたはずだ。
故に数年後、数百年後――いつになるかは分からないが、全面戦争は間違いなく起こっていた事なのだろう。そして、この戦争自体も起こるべくして起こった現象でしかない。
「戦わずに済むならそれでもいい。だが、戦う自由もあるはずだ。それすらも封殺された世界など一度全て壊してしまえばいい。例え全てが死に絶えてでも……」
人間も魔族も選ぶ道を間違えた。きっとそういう事なのだろう。
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