第270話 動-Fool-乱

「何故、か……それは僕が決めた僕の在り方だから――としか言いようがないな」


 どこか譫言うわごとの様に言葉が紡がれる。まるで此処に居ない誰かに向けているかの様に――。


「力がある――それ自体は何ら悪い事ではない。本当に悪しき行いは驕り高ぶって、その力に溺れる事。僕はそう教わって来た。護れなかった……大切な人達から……」

「護れなかった?」

「ああ、両親と……幼馴染から、ね」


 エリル達が放つ癒しの波動のおかげか、ジェノさんの肌色に少しばかりの生気が宿った。

 そして、これまで自分の事を一切語ろうとしなかったジェノさんらしからぬ言葉の数々に、誰もが耳を傾けている。


「僕は近年大きく勢力を増した新進気鋭の家の生まれだった。父の手腕によって飛ぶ鳥を落とす勢いで力を付け、大都市――“フォーレイ”の自警団の中枢に位置するようになったばかりか、周囲との貿易までを一手に引き受けるようになる程のね。正直、暮らしに不自由したことはなかったよ。友人にも恵まれ、意識する異性もいて……世間一般で言う所の幸せな暮らしを送れていたんだろう。その時に口を酸っぱく言われていたんだ。“力には責任が伴う”と……」

「力を持つが故の責任……」

「そうだ。この局面まで戦い抜いて来た君達に……今更伝えるまでもないだろうがな」


 人は平等ではない。

 家柄や容姿、運動神経や魔法の才能――一人一人上限は異なり、明確に優劣が付いている。それは当然の事だ。一方、そんな先天的な優劣が人生の明暗を分ける事も往々にしてある。

 紆余曲折あってここまで成り上がった事も含め、“無職ノージョブ”で人生を振り回された俺達などが最たるものだろう。

 持つ者と持たざる者、双方の苦悩――特に前者については、父さんの想いやランサエーレ家の一件で改めて痛感した事だった。

 地位や名誉を得れば得る程、当人の一挙手一投足の重要性が増す。たった一人の人間に凄まじい重圧がかかる事になっていく。だからこそ、大きな力を持つ者ほど自らを律しなければならない。もし好き放題にその力を振るう事になれば、自分だけではない誰かを泣かせる者となってしまうのだから――。


「十四歳の頃、事件が起こった。市民達の一斉蜂起。その対象は僕の家……。糸を引いていたのは……」

「ジェノさんの家が頭角を現した事で、既得権益を失いかけた権力者……?」

「そういう事なのだろうね。権威を盾とし、住民から悟られぬように丼勘定で市税を搾取しながら都市の中枢深くまで根を張っていた旧家。汚職、賄賂、偽証――スクーロ家はそんな不正を暴き、結果的に旧家の権威を失墜させる要因となった」

「だったら、ジェノさんの家は良い事をしたんだろ!? どうして救われた住民達が一斉蜂起なんて事をするんだよ!?」


 俺とジェノさんが言葉を交わす中、リゲラが感情を爆発させる。


「――救われていない者もいる。多分、そう思わされた者も……」


 だが、人間の醜い部分だけを視て成長してきた俺には、ジェノさんの言わんとしている事が理解出来てしまう。


「旧家やそれに連なる甘い汁を吸って来た者による水面下での印象操作と情報統制……。古くからの付き合いを利用して情に訴えかけたのだろうね。“出る杭は打たれる”……それは父の功績であり、自分で言う事ではないかもしれないが……スクーロ家が一代で栄華を築いた事に対して思う所がある者が多くいたという事だ」

「それでも、ジェノさんの家に守られてた人間が沢山いる筈じゃねぇかよ!」

「いや、きちんとリターンを示されて懐柔されたんだろう。討ち取ったスクーロ家の資産を山分けしようとでも言われてな。それなら街の人間達の中に手を貸した者が出るのも分からない話じゃない」


 人間が最も優先する事は正義でもなければ、矜持でもない。どれだけ自分に得があるのかどうか――。それを道徳的なストッパーの向こう側まで後押ししたのが、同調心理と権力者への妬み。

 実際、無職ノージョブだった俺を嬉々として嘲笑した者は数多くいた。それは多分、他の二人とは向けられていた感情のベクトルが異なるはずだ。理由は単純――俺がグラディウス家の長男という、本来なら権力者となり得る筈の人間だったからだというのは想像に難くない。


「無力で守られるだけの立場でありながら、自分の利だけは浅ましく主張する。とんだダブルスタンダードだな。反吐が出る」


 力を持つ者の存在は、同時に力無き者も作り出してしまう。比率は後者の方が圧倒的に多い。だからこそ、世間一般で言う所の“普通”は彼らを基準に形作られる。力無き者からすれば、栄華を極めた者は雲の上の存在であるはずだ。

 自分達よりも苦労していないのに圧倒的に幸せで豊かな存在がいる。それは許せない。故に彼らを自分達よりも、下に蹴落とす事が出来るのなら御の字。そのおこぼれにあずかる事が出来るとすれば最高――いや、ある種正当な権利だとでも思っているのかもしれない。

 以前ボルカ・モナータが打倒一群を掲げて頭角を現した際にも、市民や一部の団員はその成り上がり劇に心を奪われていた。結局、多くの人間は、自分と似たような立場にある弱い者が、圧倒的に強い者を打ち負かす事柄で自己の欲求を満たしたい。そんな感情が根底にあるという事なのだろう。

 本当に恐ろしいのは強い武器でもなければ、凄まじい魔法でもない。人の悪意と欲望――それこそが世界を歪ませる要因だった。


「不意を突けるとはいえ、大都市の自警団を相手にすれば多くの被害が出るはずだよね?」

「それに自警団を物量で押せる算段がついての作戦なのだとすれば、仮に皆で山分けしたって取り分なんて高が知れているわ。果たして命を懸ける価値があるのかしら?」

「何より腐敗を制したスクーロ家を廃するという事は、既得権益を盤石に固めた者達の台頭を再び許すも同じだ。そして、都市を挙げて武装蜂起を隠蔽して生きていく。人の世もままならないものだな」


 ルインさん、キュレネさん、セラスの順で、どこか毒を含んだ言葉を紡ぐ。


「目先のエサに釣られて良い様に揺動されてる事にも気づきもしねぇ……とんだ道化ピエロだ!」

「しかも、最低の三流役者ね」

「……っ!」


 リゲラも吐き捨てるように叫び、アリシアは冷めた口調、エリルも同様に険しい表情を浮かべている。いや、状況は違えど、彼女の過去の重なる部分もあるからか、この中で一番憤っているのはエリルなのかもしれない。


「それが人間の本質か……」


 市民の側に立ったとて、行動の結果で自分達がどういう立場に置かれる事になるのかは少し考えれば分かるはずだ。だが、世間一般で言う所の“普通の人々”は、そんな事にすら気づけない。彼らが言う“幸せ”とやらは、目先の裕福さの積み重ねで構成されるものでしかないからだ。

 その一方でスクーロ家や旧家はそうではない。もっと大局を見据えている。話を訊いただけの俺達ですら同じ事を感じていたのだから尚更だ。

 ここにいる俺達もまた、“普通”の枠に収まらない存在だという事なのだろう。まあ、そんな事は端から分かり切った事ではあるが――。


「――そして、ある夜……都市全体を挙げた一斉蜂起が勃発した。炎舞う、悲劇の夜が――」


 静まり返る中に硬質さを帯びた声が響く。何かを思い出すかのように、ジェノさんの目が細められた。

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