第237話 散る命、遺される命

 硝煙が消え去り、戦場がその姿を露わにする。残されたのは悲鳴と鮮血――崩壊した景色。目の前に広がる凄惨さは、言葉では言い表せないものがあった。


「――嘘……そんな……!?」


 声が聞こえた先に目を向ければ、力なく地べたに座り込むリリアの姿。多少離れていたとはいえ、あの中でよく生き残れたものだと思いつつもその視線を追えば、焦げた瓦礫の山に辿り着く。

 煤に塗れた瓦礫の一角に鈍く輝く白銀の光。その正体は装飾が施された大盾だった。尤も、三分の二以上が溶解しており、術者の姿は見受けられない。そして、焼き付いて殆どが喪失しているが、盾に装飾されているのはフォリアの家紋。

 これが意味する事は――。


「お父、様……?」


 リリアの掠れた声が戦場に響く。レスターの口ぶりからして、さっきのブレスは人間相手に手間取っている臣下達への援護射撃。なら戦場の真ん中が狙われたのは言うまでもなく、前衛の戦士達の被害が最も大きい。

 つまり、リリアの父親は邪竜の劫火にモロに巻き込まれ――。


「こんな……味方ごとなんて……」


 行き場のない感情を抑える様に、処刑鎌デスサイズの柄を握る手に力を込める。俺の隣のルインさんも、この光景に憤りを隠しきれないでいるようだ。


「これが粛清……いや、選別かな……」


 ルインさんが言う通り、骸と化しているのは人間だけじゃない。魔族連中は逃れたとはいえ、さっきのブレスには多くの狂化モンスターも巻き込まれている。使い魔や魔獣程度と言ってしまえばそれまでだが、多くの味方を犠牲にする事を前提とする援護なんて思い切りが良いとかいう次元の話ではないだろう。

 魔族と魔獣――セラスとレリティスの関係を思えば尚更だ。ようやく彼女がマルコシアスとたもとを分かった理由が分かった気がした。


「――とにかく今は時間がありません。指揮官に伝えて俺達はここを離れましょう」


 しかし、一刻も早くファヴニールをどうにかしなければならない状況なのだから、感傷に浸っている場合じゃない。アレックスさんの生存が定かではないとすれば、後はもう一人の指揮官に一言伝えて、早急に対処に当たるべきだと周囲を見回すが――。


「な……ッ!?」


 何かに吹き飛ばされた・・・・・・・・・・かの様に散り散りになって、身を固くしていたリリア達とは別の場所。未だ茫然としているガルフから少し離れた所に傷だらけの父さんが横たわっている。


「父、さん!?」


 俺はすぐさまその傍らに駆け寄った。


「はぁ……はぁ……ぐぅ……っ!」


 荒い呼吸と折れた剣。

 そこにあったのは、既に満身創痍を超えているであろう父さんの姿。


「グレイ様!? お気を確かに!」


 俺達を回復してくれていた術者達も急いで駆け寄って来たかと思えば、すぐに治療魔法をかけ始めた。横たわる父さんを光が包むが、最早――。

 そんな光景を見守っていると、生き残っていたグラディウスの間者達が近づいて来て口々に悲鳴のような叫びを上げる。


「どうしてこんな!?」

「ぐ、グレイ様!!」


 グラディウスの皆が涙を流し、父さんの現状を憤っている。蚊帳の外なのは、そんな彼らを見下ろす俺と覚束ない足取りで近づいて来ているガルフだけ。悲嘆に泣き叫ぶ臣下達の傍らで、実の子供がこの様など皮肉も良い所だ。

 しかし、今悲しみの声を上げている彼らこそ、父さんが背負って来たモノ。当主としての信頼を勝ち得た証。


「……」


 以前父さんにされた事や、その事で負った幼い心の傷。いくら乗り越えて過去にしたと言っても、それ自体が消える事は無いのかもしれない。現にこれまでだって普通の家族に戻る事など出来なかったし、あの頃のやり取りを笑い話に出来る日なんて一生来ないと断言出来る。

 それでも目の前の光景を見れば、母さん亡き後のグラディウスを守るべく、無職ノージョブの俺を切り捨てるという選択が合理的ではあったのだと改めて痛感させられた。

 グラディウスの血を引く剣聖を擁立すれば、誰もが納得する。逆に言えば、魔力を一切扱えない無職ノージョブなど何の価値もないどころか、存在そのものがマイナス極まりない。寧ろ、実の息子すらも冷徹に切り捨てるという事で箔すらついたのかもしれない。


 俺一人とそれ以外の全て――当主であろうとするのなら、どちらを選ぶかなど明白であり、別に今更自分を守ってくれなかった事自体にどうこう言うほど子供じゃない。他者の命運を背負い、行動に責任が伴う大人とそうではない子供だった俺やガルフでは視点が違うのだから、そもそもからして理解し合えるはずがなかったという事なのだろう。

 尤も、理解し合えるようになった時には、全て手遅れだったわけだが――。


「父さん……」


 重たい足取り歩いて来たガルフが父さんの目の前に崩れ落ちる。その傍らでグラディウスの術者達も手を尽くしてはいるが、既に手遅れであるのは火を見るより明らかだった。


「もう良い」

「え……?」

「自分の体の事は、自分が一番分かっている。その魔力は皆の傷を癒す事に使ってくれ」


 それを誰よりも理解しているのは横たわっている張本人であり、最後の悪足掻きである延命措置を止めるように促した。


「そんな……!?」


 全て悟ったかのような発言を受け、ガルフや間者達が目を見開いて驚きを示す。


「はぁ……はぁ……ふっ、私もここまでとはな」


 今の父さんは、誰よりも名君であろうとした人物とは思えない程弱々しい。風前の灯という言葉がこれほど相応しい状況もないだろう。


「――アーク、ガルフ」

「こ、ここに!」

「……」


 そんな死の淵において父さんは俺達の名を紡いだ。


「私はユーリの死に囚われ、その虚無感から逃れる為に政務に没頭した。きっと、お前達……家族と向き合う事から逃げていたのだろう。その結果、幼い感情を受け止める相手がいなくなり、お前達は大きく歪んで育ってしまった。真に父親らしい事など、何もしてやれなかったな」


 そして、発せられたのは、初めて耳にする父さんの本音。


「許してくれとは言わない。一生恨んでくれていい。それでも……すまなかった」


 その心中に秘めた想い。


「ガルフ……ここにいるグラディウスの者達と彼の地に残して来た臣下達は、これからお前が率いていく事になる。随分と早まってしまったが責任ある立場になるのだから、これまで通りでは通用しない。肝に銘じておけ」

「は、はい!」

「先代達と……ユーリが遺したこの家を潰えさせる事は許さん。後は任せたぞ」


 これはきっと遺言。


「若輩な愚息ではあるが、他の者達も奴を支えてやってくれ。私がお前達に遺す最後の指令だ」

「――御意!」


 死する人の最期の言葉。


「最期に、アーク……お前はもう自由だ。グラディウスの呪縛に縛られる必要はない。尤も、見違えるほど強く、たくましくなったお前に……こんな言葉を伝える必要などないのだろうが……」

「父さん……」

「今のお前に対して私が出来る事など、この程度しかない。すまないな」


 胸に手を当てずとも、鼓動が弱まっていくのがはっきりと理解出来る。もう時間はない。


「これで、本当に最期だ。独りで逝くのは、少しばかり心苦しいな。しかし、私には相応しいか……」

「独りじゃない。向こうには、あの人が居る」

「しかし、家族を壊した私が、アイツと同じところになど……」

「逝けるさ」


 俺の言葉を受けて閉じかけだった父さんの目が見開かれ、光を取り戻す。


「確かに父親としての貴方は最低だった。でも、貴方がグラディウス家当主になった事で護れた物が、救われた命が沢山あったはずだ」


 母さんが遺したグラディウス。

 今も付き従う臣下達や、故郷の街で平穏を享受していた数多くの人々。


 さっきだってそうだ。自分一人なら無傷とはいかないまでもブレスから逃れる事は出来ただろうに、ガルフやリリアを始めとした共同戦線の若手を守る為、身をていして風の魔法を行使した。その果てに自らが犠牲になる事が分かっていても――。


 もういいだろう。この人は十分に苦しんだ。自らの意志で罰を与え続けていた。だから――。


「それに……母さんなら地獄の一つや二つ、ぶった斬って迎えに来るさ。だから、胸を張って逝けばいい。もう大丈夫だ。皆も……俺も……自分の足で歩いて行ける」

「そう……か……私がして来た事にも、確かな意味があったという事か……」


 父さんの目から涙が零れる。グラディウスの名の下に自らを殺し、誰かの為に心を壊しながらも非常な道を進み続けてきた男が最後の最後で自分自身の為に流した涙。


「あぁ、ユーリ……今……」


 そして、グレイ・グラディウスは虚空に向けて微笑み――直後、力尽きる様にまぶたを閉じた。

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