第236話 地獄への手向け

「――そんな事より、回復を急ぐべきです。漸く盛り返し始めたとはいえ、まだ状況が悪い事には変わりないんですからね」


 俺は周りからの生暖かい視線を断ち切る様に声を上げた。既に体中の細かい傷や消費した魔力の大半は回復している。幸い俺達はガルフの様に身体的に大きな傷を負っていたわけではなかった為、残るは僅かな魔力と疲労の回復を待つのみだ。戦場に戻れと言われれば今すぐにでも戻れるものの、これからの事を考えて全快になるまで下がっているという状態にある。

 それにセルケさんや父さん達という援軍が来てくれた事自体は感謝して然るべきだが、だからと言って状況が完全に好転したというわけじゃない。


「せええぇぇぇいッ!!」

「やれやれ、こちらも君達雑兵にかける時間は無いのだがね!」


 レスターの一閃によってグラディウスの間者の剣が砕かれ、そのまま本人ごと切り裂かれる。次いで背に回り込んだフォリアの盾士がシールドバッシュを敢行するが、牙の先から撃ち放たれた砲撃によって、盾諸共打ち砕かれて絶命。


「ふん、数ばっかり偉そうに!」

「ゼロス、やっちゃえ!」


 別の場所では、レーヴェが張り巡らせた小剣の弾幕によって、次々と共同戦線の団員が吹き飛び、戦場を疾駆するゼロスが巧みな動きで残った面々を切り刻んでいく。

 少数精鋭で数多くの敵を相手にするという状況は、奇しくもさっきまでの戦闘を連想させるものだったが、俺達に対しての狂化モンスターがそうであった様に、魔族連中相手には足止めにしかなっていない。

 しかも、再生能力を持つ狂化モンスターと違って、こちらの戦力が尽きるのは時間の問題。同時に連中が俺達に辿り着くのも時間の問題だ。

 その上で、目の前で味方が命を散らしていくのにも拘らず、自分達は指をくわえて見ているだけ。それもようやく得た数的有利を失うというオマケつきだ。どの道、レスター達をマルコシアスに合流させるわけにはいかないのだから、一刻も早く前線に戻らなければと思うのは当然の事だった。


「アーク君?」

「あ、いや……」


 とは言いつつも、先ほどに比べれば状況は悪くない。逆に言えば狂化モンスターの様に半無限残機を使えないB~Cランク程度の冒険者や騎士の連合部隊で、あのレスター達を抑え込めていると称する事も出来る。つまりこれまで数的不利を抱えて戦ってきた俺達が、ようやく多少なりとも有利な体勢で攻勢に出られているという事だ。


「左翼、そちらの男を囲い込め! 押されているぞ! そちらのモンスターは素早い、グラディウスで引き受けろ!」

「フォリアの者達、剣の弾幕が来るぞ! 防御魔法発動!」


 父さんもアレックスさんも指示は的確。俺達が散々苦労してきた賜物か、名家同士の軋轢あつれきもなく、しっかり連携も取れている。こちらに援軍が来たという事からして、他の名家や帝都に配置された連中もマルコシアス襲来の衝撃から立ち直り、自分達の成すべき事を果たし始めていると考えていいのだろう。

 それなのに、どうしてこんなにも落ち着かない。この胸の騒めきは一体――。


「アーク君、さっきからどうしたの?」


 黙りこくる俺を不思議に思ったのか、小首を傾げたルインさんが頬を引っ張って来る。いつもなら笑いながら抗議するところだが、いやに悪寒が収まらない。思考を振り切り、何かが本能に訴えかけて来ているのか、激しく脈打つ自らの鼓動が明確に感じられる。


「――来る」

「え……?」

「禍々しい……何かが……!?」


 その激しい感情の正体、それは――。


「皆防御を……いや、逃げろ!!」


 認識外の彼方より邪竜の灼熱が襲来。存在ごと吹き飛ばされてしまいそうな衝撃が戦域を包み、俺達諸共全てが薙ぎ払われた。


「ぐ……ッ!?」


 一瞬とも永遠とも取れる時間を乗り越え、劫火と衝撃が収まった所で咄嗟に盾とした“死神双翅デスフェイザー”を開いて周囲を見回すものの、俺は眼前の光景に愕然と固まってしまう。

 先ほど放たれたのは、ファヴニールの竜の吐息ドラゴン・ブレス。余波で城壁の一部を半壊させる程の出力を誇るそのブレスによって建物や瓦礫は形もなく吹き飛び、戦場には硝煙とおびただしい死臭が立ち込める。仲間、同胞、実家の間者――。建物と共に消し飛ばされ、邪竜の劫火に焼かれて死臭を放つ物体と化したのは人間だったモノ。

 一瞬、“原初魔法ゼロ・オリジン”を発動して防御したルインさんと、俺自身が盾になった事でセルケさんと近くにいた術者達は無事だったが、他は判別不可能。戦場の混乱は最高潮に達していた。


「くそっ!? これは……もう闘いですらない!」


 通常の魔法を戦術規模と称するのなら、さっき降り注いた灼熱は戦略規模の超兵器。規模が違い過ぎて、もう“合体魔法ユニゾン・オリジン”とかそういうレベルの話じゃない。それも、あんなものを超長距離ロングレンジから何発も撃たれていたら、ファヴニール一体にこちらの勢力が全滅させられかねない程の代物だ。

 最悪を通り越した状況に思い切り毒を吐き捨てる。


「――魔王様からの施しといった所か。全く余計な気を使わせたものだ」


 そんな中で瓦礫の上に立つのはレスターと魔族二人、それからゼロス――。皆健在な姿を見せている。奴の口ぶりからして計算した援護ではなかったのだろうが、魔族間のやり取りとあって咄嗟に回避出来たという事なのだろう。


「こちらも想定以上に苦戦させられたが……こうなってしまっては、君達と戦っている場合じゃないね」

「ここで逃がすと……」

「私達の事なんて気にする暇があるの? みんな死んじゃうよ。お兄さん?」


 さっきの混乱を利用して戦域からの離脱を図る奴らを押し留めようと視線を向けるが、ジャンネットの言葉と彼方の空を彩る劫火に身を固くする。それは二発目の竜の吐息ドラゴン・ブレス。とうとう最悪の状況に突入したのかと焦燥感が湧き上がるが、その一瞬の間に目の前の魔族達は姿を消していた。


「アーク君、このままじゃ……!」

「ちょっと拙いねェ」


 拳を固く握り、思わず歯を噛み締めていた俺に対して近くにいた二人が声をかけて来る。ルインさんはおろか、あのセルケさんまで余裕のなさそうな顔をしている事からも、今起こった現象がどれほど脅威であるかを物語っているだろう。

 一刻も早くファヴニールへの対処をしなければならない。その為の残存戦力を把握するべく周囲に目を向けた時――俺の目に飛び込んで来たのは、先ほどまで視認出来なかった景色――死に塗れた地獄の光景だった。

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