第212話 身勝手な正義

 硬く握られたか細い腕が震えている。俺はそんな彼女を放っておく事が出来ず、共に人通りの少ない廃墟に身を寄せた。


「忌まわしい過去?」

「ええ、忘れたくとも忘れられない最低の過去を……」


 何かに耐えるように瞑目したエリルは、悲し気に口を開く。


「――四年前、父は死にました。いえ、無自覚な善意によって殺されたんです」

「……ッ!?」


 突然の告白を受け、俺は目を見開いて驚愕する。それは多分、二重の意味での驚きだった。


「私の育った村は辺境と言わないまでも、そこそこの片田舎。モンスターに対抗する冒険者ギルドも正直あまり活気があるとは言い難い状況でした。だからこそ、村に留まる冒険者は好待遇で扱われていて、私の父はそんな村で一番強い冒険者でした。皆から信頼され、誰からも頼りにされる自慢の父であり、刺激のない村での生活に耐え切れなくなって母が逃げ出した後も、男で一つで私を育ててくれた父親が大好きでした」


 エリルの独白か鼓膜を震わせる。


「……そんな頼りにされていた父親が……どうして?」

「ある日、ダンジョンから追われたモンスターたちが村に押し寄せて来た事がありました。それに対して戦える大人たちは必死に抗い、村を上げての防衛戦へ突入。しかも、首や手足を落としても死なないモンスター達との――」

「それはまさか、狂化モンスター!?」

「ええ、後にして思えばきっとそういう事だったのでしょう。当時の私には、知る由もありませんでしたが……」


 彼女が話すシチュエーションには思い当たる節がある。ジェノア王国での“マルドリア通り攻防戦”――あの時にそっくりだった。ただ、あまり栄えていないらしい村での出来事とあって、当時の俺やルインさんにエリルの父親達の戦いが伝わる事はなかったという事だろう。


「村一番の実力者である父も当然最前線で戦いました。狂化しているとはいえ、素体が低級のモンスターであったのも功を奏したのでしょう。村人と冒険者たちでどうにか撃退。事なきを得ました」

「今の話だけだと、そこまで問題があるように聞こえないんだが……?」

「ええ、当然ながら、続きがあります」


 マルドリア通り攻防戦の時のように住処を追われたモンスターが押し寄せて来たというよりは、狂化因子が暴走した低級種の群れが偶々人里にバッティングしてしまったという風に考えるのが自然な現象。義勇兵となった戦士たちがそれを撃退したとなれば、普通なら美談で済むはずだったが――。


「防衛戦において、少なからず犠牲者も出ました。当然ですが被害が大きかったのは、実戦経験のある者よりもブランクのある村人たち……。残された人々の言い知れぬ憎しみの矛先は、結果的に一般人を戦わせる事となった戦士たちに向きました」

「なるほど、そうなれば村一番の実力者であるエリルの父親が矢面に立たされる」

「ええ、多くのモンスターを討ち、住民を救った私の父は命を懸けて戦ったのにも拘らず、たった一晩で大顰蹙ひんしゅくを買い、いつしか村から孤立していきました。当然その娘である私も、村八分のような状況に……」


 命を懸けて戦ったのに何も報われないエリルの父親。

 そんな彼を追い詰めた村人たち。


 何故こうなってしまったのかと言われれば、正しく先程の揉め事の中と同じ理論なのだろう。どうして自分の大切な人を助けてくれなかったのか――そんな当然で我儘すぎる理想の押し付け。

 戦っている人間がどれほど苦境に立たされようと、命を懸けて戦っていようと、何百人救おうと関係ないんだ。自分の幸せが奪われているのだから、それを少しでも紛らわせる為なら他者を傷つける事もいとわない。その上で、自分は辛い目に合いたくないと思ってしまう。

 それが人間の弱さであり醜さ、そして本質なのだろう。


「狭く小さなコミュニティー。その上、父からすれば生まれ育ってきた村と家族同然の人々全員に裏切られ、嘲笑され、罵られる毎日。その上、私の存在が足かせにもなっていて、自分がいなくなれば、村の守り手が居なくなるという事も理解しているが故にきっと地獄のような毎日だったはずです」

「でも、エリルの事を考えるのなら、拠点は移して然るべきだろう? その……エリルの父親は十二分に役目を果たしたはずだし」

「そう出来たらよかったのですが……。漸く精神的に立ち直り始めて、そんな事を考えられるようになる頃には、父は既に病床に臥せていました。あの時の私は、父を連れて旅を出来るような状況ではありませんでしたしね」


 同調圧力に乗っかって我が物顔で命を懸けた戦士を貶める行為は、正しく悪業――いや、言葉では言い表せない邪悪そのもの。それも自分達は何も背負おうとせずに正義面しているだけあって、ただの悪意などよりも遥かに醜悪だ。アドアやダリアの様に、真正面から憎しみや殺意をぶつけてくれる方が余程気持ちがいいだろう。自分が戦士側という事もあってか、正直胸糞悪い。


「それからも私達への村八分は続き……冒険者と大成する道を棄て、二十年以上生まれ故郷を守り続けてきた父は、ずっと護ってきた人々の身勝手な善意の中で無念にも死にました」

「そう、か……」


 俺達や住民の立場、生き残ったのが父娘だったりで多少状況は異なるが、さっきの騒動にも色々と重なる節があるだろう。不遜な言い様にエリルが憤ったのも無理はない。


「そして、ちょうど成人の儀の年も迫っていた事もあり、父を埋葬して自分の家を焼き、着の身着のままで村を飛び出しました」

「一人で、か?」

「はい。ご心配の通り、新人冒険者――それも女である私が生きていける程、世界は甘くなく、色々あって暴漢に襲われかかった時にキュレネさんに助けられました。そういう縁あって、ギルド総本部にお世話になり、何とか結果を出せたので今に至るという感じですね」


 廃墟となった岩場に腰かけているエリルが語った彼女の過去。それは想像以上に凄惨な物だった。人々の善意によって全てを喪ったともなれば、ある意味で俺達のように悪意と狂気が渦巻く過去よりも生々しく、悲壮なものだったと言えるのかもしれない。

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