第210話 膨れ上がる心の闇

 狂化モンスターの援軍という異例の新顔を加え、数日の時が流れた。その間、予想されていた大攻勢には至らず、城壁外で軽度の交戦が時折勃発する程度という緊張状態が続いており今に至る。両勢力が衝突という所までステージが進行しているわけではないものの、事態は逼迫していると言っていいだろう。


 多くの人間達の住処と財産。

 家族や友人の命。


 前回の戦闘で失ったモノは、あまりに大きい。それは人々が当たり前に営んで来た日常生活を完全破壊するに等しい大き過ぎる喪失だった。治安維持の為に街を巡回している俺とエリルに耳にも、それを証明するかのようなけたたましい怒号の応酬が響いて来る。


「――ぅッ!? テメェ! さっきから睨みつけて来てんじゃねぇよ!」

「はァ!? 誰もしみったれたおっさんの顔になんか興味ねぇし!! 更年期は黙ってな!」

「ぐ、ぎっ……何だとゴラァ!!」


 視線を向ければ、二十代に入った直後ぐらいと四十代半ばの男同士がガンを飛ばし合っている。見るからに一触即発といった雰囲気だ。そんなやり取りを前に住民達は腫れ物に触れるかの如く顔を背けている。この光景だけを見れば、街中でいざこざが起きたと想像するのが自然だろうが、実際はそんなに単純な状況ではない。

 何故なら、こんな喧嘩が老若男女問わず、帝都各地で勃発しているからだ。


「いや、テメェは俺の事を見て笑いやがった! 妻と娘を殺された俺を憐れんでたんだろうが!!」

「俺だってダチや親父を殺されてんだ! オッサンがビービー言うんじゃねぇ!」

「うるせぇ!!」

「ぐっ!? テメェ、やりやがったな!!」


 そして、怒号と共に殴り合いが始まってしまう。もう今日一日だけで何度目か分からない喧嘩騒ぎだった。それを見て目尻を吊り上げたエリルが即座に行動する。


「もう……いい加減にしなさい! “バインド”――!」

「な……んだ、こりゃ!?」

「う、ぐっ!?」


 長杖――“ケイシュケリオン”に魔力が灯り、男性の四肢に光の帯が絡みつく。一見、細く頼りない帯ではあるが、ランクS冒険者であるエリルが行使する拘束魔法とあって、その威力は並大抵ではない。片手間に生み出した物ではあるが、一般人の動きを封殺する事に難儀するはずがなかった。


「全く、今喧嘩してる場合ですか!?」

「だけど、コイツが!」

「俺は悪くねぇ! このオッサンが!」


 しかし、エリルの仲裁を受けても男達の怒りは留まる事を知らない。恐らく当人達も、目の前の人間に怒りをぶつけたとしても何も解決しないと分かっていてもだ。


「――ただ殺し尽くすだけでは、到底足りない憎しみが渦巻いている。魔族の狙いはこれ・・か……」


 世界で一番栄えていた帝都がこれほど荒れ果てた真因は、魔族の攻撃に端を発して人間達の精神に余裕が無くなった事にあるのだろう。生活基盤を破壊され、家族や顔見知りの人たちを喪い、今度はまたいつ襲撃があるかも分からない。そして、今度は自分が被害を受ける番かもしれない。こんな状況でいつも通り過ごす事など不可能だろう。

 その結果、怒りや悲しみが行き場を失い、膨れ上がった負の感情を手近な相手にぶつける以外の選択肢がなくなってしまっている。


 人間の心の闇が……憎しみが世界に広がっていく。どうしようもないまでに……。


 人間は弱く醜い。他者を気遣えて平和に手を取り合うためには、まず自分に余裕あって豊かな状態でなければならない。つまり自分の幸せが最低限確保出来た上で、始めて他人を気遣えるという事だ。だからこそ、他人の為に命を投げ出せるような者など、ほんの一握りだけ――。実戦を経験した戦士であっても、そんな人間はそういないのだから民衆にそれを求めるのは酷な話だろう。


 ましてや他者の為に自分の幸せを度外視するような奴は、どこかの誰かだけだ。


「かつて魔族が味わった行き場のない怒りと憎しみ……それを人間にも味合わせた上で殲滅する。大したシナリオだな」


 “やったらやり返される”――結局の所、こういう帰結に辿り着いてしまうというわけだ。いつでも介入出来る状態で、そんな事を思いながらエリルと男たちのやり取りを聞き流していると、案の定とばかりに別の場所から怒号が響いて来る。重たい心持でそちらに向かい、トラブルを解決して元の場所に戻って来てみれば、また状況が一転していた。


「いい加減にしてください! 辛いのも悲しいのも貴方一人じゃないんですよ!?」

「うるせぇ! テメェみたいな小娘ガキに家族を殺された俺の気持ちが分かるかよ!」


 バインドで縛り上げられた二人の男とエリルがそれを咎めている光景。そこまで自体は今まで通りだが、異なっているのは三人の態度。エリルは変わらずであり、元々巻き込まれたというスタンスの若者はすっかり落ち着いている。問題なのは今も喚き散らしているおっさんだけだ。


「……これ以上騒ぐのなら、本当に逮捕しなければならなくなってしまいますよ!?」

「そんなもんどうでもいい! どうせ家族が居ねぇんだから、生きてたってしょうがねぇからな!」

「だからと言って、周りの人に迷惑をかけていい理由にはなりません!」

「知るかよッ! 普通に飯を食ってたら、いきなり家を焼かれた! いつも旨い飯を作ってくれて女房は、あの訳の分からねぇモンスターに喰らい尽くされた!! パパ、パパって慕ってくれた俺の娘は家の下敷きになった!! もう俺の愛した家族はぶっ壊されちまったんだよ!! 戻って来ねぇんだよ!! 戻る家も待ってくれてる奴もいない! これでどうしろってんだよ!?」


 エリルらしからぬ大声と守るべきものを失った男の慟哭。論理的に正しいのは前者であり、感情的に支持を得られるのは後者だ。きっとどちらも間違っていない。


「――大体、魔族に対抗する為に集まったとかいうテメェらが、クソの役にも立たねぇからこんな事になったんだろうが!?」

「――ッ!」

「他の連中だってそう思ってんだろ!? 共同戦線コイツらが無能じゃなかったら誰も死ななかった。テメェらがちゃんと敵を倒してたら、誰も死ななかったんだ! そんなテメェらが俺にご高説垂れようだなんて、何様のつもりだってんだ! ああァ!?」


 ああ、間違ってはいない。これが戦争だ。


「辛い事なんて何も知らないテメェみたいなお嬢ちゃんがご立派に武器だけもって騎士団ごっこかよ! テメェらなんかに期待してた過去の自分をブチ殴ってやりたいぜ! ほら、なんか言い返してみろよ!? 自分は市民一人を守れないクソ無能ですって、この場で地面に手を突いて俺達全員に向かって謝ってみろよッ!! 誠意を見せてみろよ!」


 だが――。


「言わんとしている事は理解できる。正しくその通りだ。でも、憎しみの矛先を間違えるなよ」


 エリルと男の間に割って入った俺は、静かに呟いた。

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