第199話 月光終極のスターライト

「ルインさん……?」


 突然の言葉を受けて、俺の思考は停止してしまう。茫然としている視界の端で月明かりに照らされた金色の髪が揺れた。


「そんな反応されちゃうと、ちょっと傷付くなぁ」


 ようやく目の前の現実を受け入れられるかと思った時、顔を赤くしたルインさんが拗ねた様に唇を尖らせる。こんな表情を俺に向けてくれる事に込み上げるものがないとは言わないが、それ以上に動揺の方が大きかった。


「いえ……でも、ルインさんの言っている事には承服しかねます」

「なんで?」


 動揺はしている。だが、感情に任せて首を縦に振るわけにはいかない。一息ついて自分の想いをルインさんに伝えたが、彼女も俺の答えが分かっていたかの様に落ち着き切っていた。

 それでも俺は言葉を紡ぐ。


「もしもこの大戦を乗り切れたとして、俺が帝都に留まる事はないでしょう。それは俺の身勝手な我儘わがままだ。ただでさえ初心者だった俺に合わせて散々振り回していたのに、これ以上ルインさんの時間を奪うわけにはいきません」


 それは俺がルインさんと出会ってからずっと思い続けて来た事であり、彼女の過去を知った時にすら、ここまで直接的に伝えなかった想い。それは何故か――。彼女との関係が終わってしまうのが怖かったからだ。


 全てを喪って虚無と絶望の檻に囚われていた俺を救い、導き、立ち上がる力を与えてくれた女性ヒト。ルインさんとの出逢いを通して、一体どれほどのものを貰ったのだろうか。一体何を返す事が出来たのだろうか。


 ルインさんは己の意志で俺を必要としてくれた。その事への見返りは要らないと言ってくれた。だから俺は、まだ彼女と共に在る。

 でも、今は状況が違う。たった二人きりだった俺達の世界は、こんなにも大きく広がった。俺も彼女も互いに寄り掛からなくてもいいほどまでに強くなったんだ。それならば、もう俺の存在が近くに在るという事自体が、ルインさんにとって不利益しか生み出さない。


無職ノージョブのとして烙印。家族や友人を悪意の炎に呑まれて喪った事。もう十分苦しんだ。もう十分すぎる程に絶望したはずだ。それなら自分の使命を果たして、貴女は幸せになるべきだ」


 この旅を経て、俺は人間の尊さと醜さを知った。同時に魔族の気高さと悪意もこの身で体験した。その果てに俺は、人の身で在りながら人ならざる力を手に入れた。

 自分のしたい事、成すべき事。闇の力を極める中で見出したのは、俺が進むべき道。


 人間と魔族の架け橋となって、全ての憎しみの連鎖を断ち切る。俺達のような存在が一人でも減ってくれる事を願って――。


 相反する二つの力をこの身に宿した俺にしか出来ない事。やっと見つかった俺だけの生きる理由。


「貴女の幸せは俺と一緒に居るのと対極の位置にあると思うから……」


 俺が選択したのは、人間も魔族も敵に回すかもしれない禁忌の道。

 こんな俺と共に居るなんて危険以外の何物でもないし、ルインさんにそんな道を選ばせるわけにはいかない。


「私の幸せ? でも、それは……」

「ルインさんが言わんとしている事は分かっているつもりです。俺と一緒に居てくれたのが無償の善意だけではなく、貴女自身の意志だと言われたのは素直に嬉しいと思う。そんなルインさんだからこそ、尚更俺なんかと一緒に居るべきじゃない」


 結論を出すというのなら、本当にルインさんの事を想うのなら突き放すべきだ。例え共に在るという約束を違える事になってでも――。

 もし俺と別れを悲しんでくれるのだとしても、そんな辛さは長い人生の中では一瞬の事だ。そんな傷はいつか塞がる。そして、五年後、十年後――その先の未来も彼女には笑っていて欲しい。幸せになって欲しい。そう思うから。


 しかし、そんな俺の言葉は、意図しない形で彼女の琴線に触れてしまった。


「――私だって……アーク君にそんな事言われる程、凄い人間じゃないんだよ? 多分今だって、キュレネさんならもっと上手い言葉で気持ちを伝えられたと思う。甘えるのが下手くそなアーク君がそうやって言葉をかけられるのを見て嬉しい反面、本当は嫌だった」

「え……?」

「私達みたいな因縁がないからか、同い年だからなのかアリシアと居る時は肩肘張ってなくて凄く自然体だし、エリルとしてる読書の話題や魔法談義は楽しそう。セラスとだって私達も知らない色んな事を話してるみたいだし……きっと二人の波長が合ってるのかな? 二人が一緒に居るのが凄く様になってる。私はそれを見るのが堪らなく嫌だったの!」


 ルインさんが突如隣から離れたと思えば俺の前に立ちはだかり、決壊させるかの様に感情を吐露し始めた。


「私なんて最初に出会っただけで、他には何にも……。アーク君は私のなのに!!」


 激流の様な感情の渦。ルインさんらしからぬまくし立てる様な口調を受け、驚きを通り越して呆気に取られてしまう。


「こんなにも私はウザくて重たい女なの。アーク君と出逢わなかったら、君が私の心をき乱さなかったら復讐に生きるカッコいい女のまま居られたのに……。こんな風になったのはアーク君の所為なんだよ!? 優しくしたんだから、責任取ってよ!!」


 ルインさんが俺を睨み付けながら叫ぶ。それは多分、初めて彼女から向けられる明確な怒りの感情。論理が伴っていない言葉は、普段のルインさんからは考えられない程までにストレートだった。


「戦いが終わってもし生き残れていたのなら、また俺は旅に出る。各地に残るであろう争いの火種と巣食う憎しみを断ち切る為に――。それは人間だけではなく、魔族の味方もするという事です。時には双方と刃を交える事だってあるでしょう。そうやって戦い続けていれば、全ての憎しみは俺に向く。俺の傍にいるって事は、それを背負うのと同じなんですよ!?」

「私だってそんなにか弱くない。アーク君が私の幸せを決めないで!!」


 激情が理性を超え、お互いに感情をぶつけ合う。


「ルインさんには無限の未来がある。心から信頼し合える仲間と共に過ごす未来や騎士団に残って大陸最強になる未来が……。これから先、失ってしまった温かい家庭を自分の手で築く事だって出来るはずだ! そうなったら、もう戦わなくても済むかもしれない! そんな幸せになれる未来が無数に広がっているのに……それを全部捨てて自分から愚かで最低だと分かっている選択をするつもりなのか!?」

「最低でも馬鹿でも、夢見る少女でもいいもん! この唐変木!! それくらい察してよ……アーク君のバカ!!」


 思慮も遠慮もなく、ただ本音をぶつけ合う。それは俺たちにとって初めての喧嘩と呼べるものだったのだろう。正面から言いたい事を言い合った所為か、少し落ち着きを取り戻して視線を交錯させる。

 そこに広がっていたのは、頑なで俺の知らない彼女。悲しみと激情を帯びた瞳。


 梃子てこでも動こうとしないルインさんに対して、最後の勧告をせざるを得ない状況と相成っていた。


「――さっきも言った通り、俺と一緒に来るとなれば帝都やこれまでの旅で築いて来た地位や名誉を全て失ってしまうも同じ。もしかしたら、皆との絆や信頼すらも――。貴女がしようとしているのは、そんな最低の選択です」


 ルインさんの答えは、百ある選択肢の中で九十九通りの幸せを全て捨てて、たった一つの不幸へ向かって自分で突き進もうとしているようなもの。一番大切な人がこんな馬鹿げた選択をしようとしているのを止めない理由がないだろう。

 その上で立ち止まるとすればここしかない。


「そんなの……分かってる」

「戦わずに済む幸せな世界を捨てて、人間と魔族の憎しみの狭間で死ぬまで戦い続ける事になるんですよ? そんな地獄のような人生を――」

「もう決めちゃったもん!」


 話をぶった切る様に、ルインさんが一歩距離を詰めて来る。


「アーク君だから……こんな事言うんだよ? 私の事、そんなに安い女だと思わないで!」


 そして、俺を睨み付けながらそう言い放った。向けられる爛々と輝く真紅の瞳には、強い覚悟が秘められているのが否応なく感じ取れる。ここまで言い切られてしまえば、俺に彼女の覚悟を否定する事など出来るはずがない。

 ましてや俺の誓い呪いの歪さを分かっていながら、口を挟まないでいてくれた彼女に対してなら尚更だ。


「はぁ……もう好きにして下さい」

「うん、好きにするね」

「それから、考えを変えるなら早めにしておいて下さいね。もう時間は残されてませんから」

「ふん、アーク君のいじわる」


 もう止める事が叶わないと悟った俺は不承不承ながら主張を取り下げ、当のルインさんは小さく笑みを浮かべる。


「あと……私、今日は部屋に戻りたくないから」

「は……?」

「私は自分の部屋に戻るつもりはないからっ! そう言う所、ホントにアーク君だよね!!」


 本来は人の名前を駄目の代名詞にするなと怒らねばならないところだが、今の俺はそれどころじゃない。真っ赤な顔で睨んで来るルインさんの発言の真意を汲み取ってしまったからだ。


 言葉を失った俺達は、赤い顔で見つめ合う。そんな沈黙に耐え切れなくなったのか、目の前の真紅の瞳が不安気に揺れていた。

 そうなれば、俺の成すべき事は一つしかない。


「あっ……」


 目の前の女性が示してくれた覚悟に報いるべく、ルインさんの頬に手を添え――。


「ん……っ」


 彼女の声を奪い取る様に唇を重ねた。

 突然の行動に目を見開いて身体を固くていたルインさんだったが、程なくして彼女も腕を回して身体を預けて来る。


 ルインさんが共に在る事を望んでくれているのなら、俺は彼女の覚悟も背負おう。これはその禁忌の盟約。ルインさんを地獄に引きずり込んでしまう事への罪と覚悟の証。

 そして、最低最悪の恋情が始まった瞬間でもあるのだろう。


 降り注ぐ月光がそんな俺達を照らし、静謐せいひつな夜は儚くけていった。

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