第198話 静謐黄昏のスターライト

 静謐せいひつな月光が下界を照らしている。


 俺は日中に色々と思う所があったからか眠ることが出来ず、感傷に浸りながら宿の周辺を歩いていた。世界の不条理は俺がどうこう出来る問題ではない。親しくもないし、自分で答えを出したロレルの問題に介入すべきではないだろう。

 ただ、ボルカ・モナータの時とは別ベクトルで感じないものがないと言えば嘘になる。故に思考は堂々巡りを続けていた。


 そんな時、月夜に照らされる金色の髪が視界に飛び込んで来る。意識が散漫になっていたせいか思わず靴音を鳴らしてしまい、振り返ってきた真紅の瞳と視線が重なった。


「アーク君?」


 夜更けの外出での思わぬ遭遇。ルインさんは俺の姿を見て、コテンと小首を傾げている。


 月光と星光が降り注ぐ夜。神聖な光に照らされるルインさん。そして、重なる――。


「っ!」


 つい数ヵ月前にも、こんな状況があった事を思い出してしまって顔に熱が集まるのを感じた。同時に目の前のルインさんも同じ事に思い当たったのか、顔を真っ赤にして視線を彷徨さまよわせている。


 こそばゆい空気が俺達を包む。


「ちょっと歩きます、か?」


 戦っている時はそれなりに鋭い自負はあるが、こういう時に役に立たない自分の思考に辟易する。どうにか口に出せたのは、そんな言葉だった。


「うん」

「っ!」


 絞り出した必死の言葉。顔を赤くしているルインさんは、俺の腕を取ったかと思えば、肩に頭を預けて来ながら伏し目がちに了承してくれた。



 月光と星光が照らす夜。傍らで身体を預けて来るルインさん。


 いつかを思い出すシチュエーションだと思いながら、俺達は夜風に晒されながら帝都の街を歩く。

 大通りから外れているのと戦時前という事もあり、人の気配はない。街外れの小さな広場で立ち止まった俺達を沈黙が包んでいる。


「――こんな時間まで何をしてたんですか?」

「ちょっと寝付けなくて……アーク君こそ、どうしたの?」

「同じですね。目が冴えちゃったので……」

「そっか……。私は昼間の事、考えちゃって……。まあ、それだけじゃないけどさ」


 元々俺もルインさんも口数が多い方じゃないとあって決して不快な静けさなく、どこか心地良さを内包している。尤も今日この時ばかりは、気恥ずかしさも相まって少々事情が異なっているわけではあるが――。


「どうしてこんなにも苦しいんだろうね。きっと皆、普通・・に生きていたいだけなのに……」

「人間には感情があるから……じゃないですかね? 正義感とか、夢と愛とか……悪く言ってしまえば野心や欲望? だから自分の目的にそぐわない……自らと違う普通じゃない存在ものを頑ななまでに拒絶する。同じ人間同士でも互いに蹴落とし合って傷つけ合う。醜く浅ましく本能のままに――」

人間私達は、滅んで当然の存在なのかな? でも……私は魔族が人間にとって代わる高尚な完全存在とも思えない。現にセラスは仲間に刃を向けられているわけだし……」

「魔族もまた、人間の一つの可能性に過ぎません。仮に人間が滅んで神話の時代から続く争いに終止符が打たれたとしても、何も変わらない。この憎しみの連鎖が終わる事はない」


 職業ジョブを得ても悩み苦しむ者。職業ジョブを得られずに世界のバグとして拒絶された俺達。不幸の大きさ自慢などに意味はない。だが、職業ジョブを持っている者たちですら拒絶し合うのだとすれば、無職ノージョブだった俺たちは一体何だったのだろうか。同種で否定し合う人間とは、どれほど醜くて不完全なのだろうか。そして、魔族もまた――。

 そんな悲しげな呟きが俺の鼓膜を震わせる。


「俺は自分の夢の為に戦うのが悪い事だとは思いません。多分、本当に怖いのはそれすらも奪われてしまう事。その人が抱いている夢も欲望も……そんな感情すら無駄なのだと絶望して生きる事」


 無職ノージョブという烙印。

 “剣士”になれないと分かっていても剣を振り続けた過去の俺。周囲に嘲笑されながら、自分自身ですら実らない事・・・・・が分かっている・・・・・・・努力を九年間も続けるなど、気が狂っているとしか思えない。

 でも、俺がそんな無駄な行為を頑なに続けてきたのは、逆に動いていなければ気が狂ってしまうと思ったから。何かしていないと無力感と絶望に圧し潰されてしまうと思ったからだ。それは多分、母さんが言う所の歪んだ強迫観念。貪欲に自分の幸福や楽を追い求め続ける“人間”として致命的に間違っている。


 幸か不幸か今でこそ、同年代で才に溢れる“剣聖”のガルフや“特異職業ユニークジョブ”のボルカを遥かに凌ぐ力を得られた。それは社会から隔離され、存在すら否定されながら九年も狂った努力を続けたことによる対価。

 逆に言えば、人間が人間として正常に生きる為の大切な感情機能を削ぎ落し続けた代償の果てに強大な処刑鎌チカラを得たという事でもあるのかもしれない。


 グラディウスの屋敷を出て世界を旅する中で、自分がそんな歪な存在である事を知った。狂気に呑まれた闇の世界では、歪なまま最期まで意地を張り通す覚悟を決めた。


「人間にしろ魔族にしろ、それは変わらない。他者と傷つけ合う限り、きっとそんな存在が生まれてしまう。戦火が広がる度に更なる憎しみがばらまかれて、もっと歪み狂ってしまう。だから、俺は――」


 こんな風に傷ついて苦しむのも、絶望に囚われて希望を失うのも俺達で終わりにしなければならない。いや、もう俺だけでいい。その為に俺が出来る事は――。


 そんな思考は紡がれたルインさんの言葉で断ち切られる事となる。


「ダメ、だからね。私の前からいなくなっちゃ……」

「……この前皆にも釘を刺されましたから、無理をするつもりはありませんよ」


 少しばかり硬質な声。そんな彼女を安心させようと言葉を投げかけたが、あまり効果はない。


「そうじゃなくて……もし戦いが終わって無事だったとしても、ずっと私の隣にいて欲しいって事だよ」


 そして、ルインさんの言葉を受け、再び俺はもう一つの現実に直面する事となる。

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