第193話 変わるもの、変わらないもの

「まず、アークがマルドリア通りの戦いを終えて、お家で色々あった後だけど……グラディウスから婚約破棄の打診があって……」

「――グラディウスの方から打診? 発信源はガルフ……なわけないか」

「うん。向こうの当主が主体になって動いていたみたい。私もお父様を通じて継続の気持ちは訊かれたけど……」

「断ったのか?」


 リリアは驚きながらの俺の問いに小さく頷く。


「アークと話して、私たちの関係の歪さをようやく直視できるようになったから……」

「……リリア」

「だってそうでしょう? 別に相手の事が嫌いじゃない。でも、好きでもない。親に一緒に居ろと言われた……だから一緒に居た。そこにあるのは当人同士の感情じゃなくて、他の誰かの欲望だけ……。それを自分の感情だと思い込んでいた。もしあのままグズグズ一緒に居ても、いつか取り返しのつかない事になっちゃうよ」


 そう答えるリリアからは、今までにはない強さを感じる。それは多分、フォリアではなく彼女自身の確かな意思。


「自分の意見なんて言っても訊いてもらえないし、周りの言う事を訊いていれば褒めて貰える。だからそれでいいと思ってた。周りの理想の自分になれるようにって頑張って来た。そうじゃない私は要らないから……」


 幼い頃のリリアの姿が脳裏を過る。あの頃は自分の事で手いっぱいだったから気づけなかったが、黙って他人の後ろを付いて歩いていたリリアは心を押し殺していて自我が希薄だったのかもしれない。


「ずっと間違っているって分かってた。それでもずっと目を背けて来た。そうして皆のお人形になる事を選んだの。それが一番楽だから……。そうすれば、何も考えずに済むから……」

「お人形……か。昔の俺や今のガルフもきっとそうなんだろうな」


 他人の望む自分になる。それもまた、幼い心を守る処世術の一つだったのだろう。俺達だってそうだ。自分がどう考えるかという事よりも、両親や周囲の人間の期待に応えたかった。だが、名家であるが故に背負うものも大きいし、何時しかそれが押し付けに変わっていったんだ。


 一方、父さんが俺を排除した事やフォリア家の英才教育も一概に間違いとは言い切れない。故にグラディウスとフォリアは今も名家としての格を保ちながら、有事の際に帝都に呼ばれる事が出来たのだから――。

 敢えて言うのなら、人の親としては間違っていたが名家の当主としては正解だったという所だろう。


 だが、俺達はその狭間で苦しんでいた。


「――でも、そんな道を進んで致命的な破滅を迎えてしまった。許されない罪を犯してしまった。実力を過信して全滅しかけたし、アークにした事だって……」

「そう、だな……確かに俺達は歪だった。そして、薄氷を割って全部壊れてしまった」

「それだけじゃない。私は過去の罪を他人に言われた事だからって正当化して、目を逸らしていた。もうそんな事はしたくないの」


 大人たちの善意と欲望の押し付け。それが何を起こしたのかという事は、この身で味合わされた。彼らの敷いてくれたレールを歩けていればよかったのだろうが、幼い感情の暴走と世界の不条理がそれを許してくれなかった。

 なら、レールを踏み外してしまった俺達はどこに向かうのか。それはきっと二者択一。

 再びレールへ戻るのか、自分で道を見つけるか。その選択が正しいか間違っていたかは、当人が歩みを止めた時にしか分からない。


「だから、これからは自分の意志で……自分で選んで進んで行きたい。もう間違えてしまった私だから、せめてそれだけは……!」


 過去の罪と向き合い、傷を広げる事になってでも自分の意志で歩んでいく。それがリリアの出した結論だという事だ。


「アークからすれば、偽善で身勝手な言い訳かもしれないけれど……」

「確かにその通りだな。でも、フォリアの人形として生きるよりはずっといいと思う。それにやってしまった事を背負って苦しんで行くって決めたのなら、俺はそれでいい」

「――ありがとう」


 過去の出来事に対して悪い意味で開き直って悲劇のヒロインを気取るのなら、流石に思う所がある。彼女なりにケジメを付けようとしているのなら、これ以上は俺が口を挟む問題じゃない。

 もう俺達のみちは、始まりの花畑で語らった夜に別たれているのだから――。



「そういう風に考えられるようになったから、私からは婚約を続ける意思はないって答えたの。それにグラディウス当主が首を縦に振ってくれたから婚約は解消。それからは別行動で、帝都に呼ばれた時に偶々一緒になったって感じかな」

「なるほど……まあ、父さんが色々考え方を変えたのは分かるけど、よくガルフがすんなりと納得したな」


 リリアの気持ちはさっきの通り。

 父さんもグラディウス家当主の重圧と母さんの幻影から多少なりとも解放されたと考えれば、フォリアと合併してまで権力に縋り付こうという意思がなくなったのも理解出来る。


 フォリア家当主も相手側のトップが同盟を望んでいない状況で婚姻を強行するような事はしないだろう。下手を打って反撃でもされれば、そのリスクは計り知れないからだ。


 なら、懸念事項となるのは――。


「いや……ガルフとは結構揉めたんだ。婚約破棄なんてありえないって突っ掛かれてね。でも私達は普通の人達みたいに、ただお互い好き合っていたわけじゃない。勿論嫌いじゃなかったし、楽しくなかったと言えば嘘になるけど……私はアークを助けようとしない自分を正当化する為に、ガルフは貴方への当て付けと承認欲求の為――その為に一緒に居た結果が、マルドリア通り攻防戦とアークへの仕打ちだった」


 リリアが口に出した情景は、今のガルフと父さんを思い出せば容易に想像がつく。


「未熟な私達が一緒に居ても破綻する。だったら一緒に居ない方がいい。私は私なりに自分の想いを伝えたつもり。それをガルフが理解してくれたかは分からないけど、ゆるされない罪を犯したっていう確かな結果があったから、両家当主が婚約破棄を承認してくれた。それで今って感じかな?」

「そうか……二人の問題だったろうに興味本位で訊くべき話じゃなかったな」

「アークだって一番の当事者だよ。貴方が私達の事を気にしたり、ちょっとでも気に病んだりする必要なんて全然ない。むしろ、気を使ってもらう資格なんてないよ。それに私達の末路で少しでもアークの憂いが晴れるのならそっちの方がいい」


 俺とリリアのみちは別たれた。同じようにリリアとガルフのみちも別たれた。“剣聖”と“グラディウスの後継者”――自尊心と承認欲求にしがみ付こうとしているガルフよりも過去の過ちを認め、自分が傷ついても構わないという気概を得たリリアの方が先に大人になってしまった。

 物を見る視点が違えば、価値観の共有も出来ない。二人の間にあったのは、利権でも欲望でもなく――そんな些細で大きな問題だったという事だ。


 俺にとって始まりの地――ジェノア王国。

 これまでの旅で俺自身が大きく変革して来た様に、故郷であったあの地も更なる変化を遂げていた。良きにしろ悪しきにしろ大きすぎる変化を――。


 決して変わらないものなんてない。前に進む以上は、何らかの形で変わらなければならない。ただ一つ明確となっているのは、今のリリアは戦場に立つ為の強さと資格を得たという事だけだった。

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