第191話 亡き死神へのセレナーデ

 月夜の口づけ。

 重なっていた時間は、一瞬にも永劫にも感じられた。


「――ん、はっ……キス、しちゃったね」


 目の前に広がる現実にフリーズしていると、ルインさんが照れ臭そうに笑う。赤らんだ頬と潤んだ瞳。そこに居たのは、同年代の女の子でも優しいお姉さんでも、帝都最強クラスの実力者でもない。ただ一人の“女”。

 そんな風に扇情的な表情を浮かべているルインさんは、これまで見たことのない――いや、無意識的に・・・・・目を背けて来た・・・・・・・であろう女の顔を俺に向けて来ている。


「それから……今のがハジメテだから……アーク君以外にこんなの……シタ事ないんだよ?」


 退路は断たれた。


 そう思ってルインさんの顔を見返すが、出会ってからこれまで――羞恥や好意、親愛とは異なる彼女への想いが湧き上がる。同時に恥ずかしさも豪快に三周ほど回って冷静になった事で俺の反応が淡泊になってしまった。それがいけなかったのだろう。


「むっ!」

「――ッぅうッ!?!?」


 ルインさんは不満そうな顔をすると向かい合う様な形で俺の膝の上に座り、強引に位置取りを変えた。不安定な体勢である為、落ちないようにと俺の首に腕を回して来て密着。俺の胸板に押し付けられたルインさんの巨大な乳房が形を変える。

 何度も言うようだが、今のルインさんはセクシー過ぎる水着姿。大事な所こそ隠れてはいるが、こうして直接触れ合ってしまえばそんなものはないも同じ。しかも向こうから全力で密着して来ている以上、破壊力が凄まじ過ぎた。


 月光と星光に照らされながら微笑む彼女は、あまりにも美しい。

 感情が理性を塗り潰していく。


「イヤなら避けてもいいよ。でも、私は……」


 ルインさんの顔が迫って来る。身動きが取れない。このままでは立ち止まれなくなってしまう。


 何も成せていない、何も返せていないこの俺が彼女の恋慕の情を抱くなど――こんな俺に彼女が想いを向けるなど、あってはならない事・・・・・・・・・だというのに――。


 ルインさんの想いに応えたいという感情。

 ルインさんの想いに甘んじて彼女を俺などに縛り付けるわけにはいかないという反感情。


 相反する二つの感情の板挟みとなって、思考が囚われた時――。



「あてっ!?」

「うっ!?」


 冷たくて無機質な感触が額に広がっていく。目を向ければルインさんも同じ状況に陥っており、視線を上に向けている。俺達の視線の先にあるのは、紫と蒼――二本の鋼鉄の棒。


「あらあら、二回目はダメよぉ」

「全く……何をやっているんだ」


 出所を探れば、呆れ顔のキュレネさんとセラスの姿。俺達を塞き止めているのは、それぞれ槍斧ハルバードと長槍だった。


「なッ!? な、ななな――ッ!?!?」


 顔を真っ赤にしたルインさんが俺の上から飛び退く。二人の存在に驚いたのは勿論だが、キュレネさんが二回目と言っていたという事は――。


「ねぇ、アーク……」

「は、いっ!? んんっ!」


 最悪の状況に固まってしまうが、キュレネさんはそれを見越していたかのように俺の肩に手を置き、一気に顔を近付けて来た。反応出来なかった俺は距離を詰められてしまう。


「んんはっ……んぁ、っ」


 唇を重ねるとそのまま舌を突き入れられ、キュレネさんの口から艶めかしい声が漏れる。


「は、は……はあああぁぁ――ッッ!?!?」


 近くにいたルインさんとセラスがギョッと目を剥き、二つの悲鳴と共に俺達は無理やり引き剥がされた。しかし、テンパっている二人とは対照的にキュレネさんはどこ吹く風。


「それから、私も今のがハジメテだから、アーク君以外にこんなのシタ事ないわよ。ほら、セラスもいってらっしゃいな」

「な、何をするッ!?」

「ちょ、っ――ッ!?」


 それどころか、にっこりと笑みを浮かべてすらいた。というか、キュレネさんの発言に聞き覚えありすぎる。それはさっきまでのやり取りを見られていた事を証明しており、背後から押される様に密着し、勢い任せで唇を重ねて来たセラスに衝撃を受けている俺の心臓を違う意味で跳ね上げさせるものだった。


「あれ……もう終わりなのかい?」

「最低……不潔ね」

「岩陰どころか堂々とおっぱじめようとするなんて……」


 更には疲れて眠っているであろうリゲラ以外の面々も別の物陰から姿を現す。キョトンとしているジェノさんと、どこか不機嫌なアリシア、エリル。三人も知った風な言い様という事は、もしかして今までのやり取りは公開生実況されていた――。

 ヤバい――黒歴史とか恥ずかしいとかいう次元の話じゃない。


「う、う、っ……うにゃあああああああぁぁ――ッッ!!!!!!」


 ルインさんは顔を真っ赤にしながら全身からドス黒いオーラを撒き散らし、金色の魔力を放出した。恥ずかしがる時と怒った時――これまではバラバラだった二つの激情が折り重なり合い、一気に爆発しているかのようだ。その手には“逆巻ク終焉ノ大刀・改式”が握られており、刀身が激しい雷光を纏っている。


「あの……少し落ち着いて……」

「にゃあああああああぁぁ――ァッッ!!!!!! 全員殺して私も死ぬッ!!!!」


 “穴があったら入りたい”という言葉は今の状況に相応しいものだし、俺もそれ以上の感情に悩まされている。しかし、ルインさんは俺とは比較にならない様で、恥ずかしさのあまり周囲一帯を消し飛ばしかねない様子だった。

 気持ちは理解出来るが、そんな事を許すわけにはいかない。


「まあ、一人で気負う必要はないわ。アーク一人を戦わせたりはしないし、死なせたりしない」

「そういう事だ。皆君の事は頼りにしているし、気持ちも同じだよ。だから一人でいなくなれると思わない方がいい。アストリアス嬢もそう言いたかったはずだからね」

「っ!?」


 ジェノさんやキュレネさんの言葉、皆の視線の意味――ルインさん達との接触で破裂しそうなほど心臓を脈動させていた俺だったが、深層を見透かされて固まってしまう。しかし、感傷に浸る間は与えられなかった。


「それにしても、この子は普段は恥ずかしがりやの癖にどうしてそんな破廉恥ハレンチな格好で迫っちゃうのかしらねぇ。普通に気持ちを伝えればいいだけなのに……脳内が思春期なのかしら?」

「な、っ!? 万年発情期に言われたくないよ!!」


 そこから始まったのは色気の欠片も無いどんちゃん騒ぎ。


 ジェノさんとキュレネさんは面白半分で戦闘に参加。アリシアとエリルの後衛組はさっさと退避。ジェノさん達も一応止めようとしてくれている側とはいえ、事実上騒ぎを終結させようとしている俺とセラスだけであり、色んな意味で地獄を見たとだけ言っておこう。


 奮戦の結果、何とか周囲が焦土と化す前に止める事は出来たが、騒ぎを聞きつけて寝ぼけながら宿から出て来たリゲラに流れ弾が命中。大きく吹き飛んでいって、夜空を彩るお星さまとなってしまった。


 そんな尊い犠牲もありながら、一日目の夜は終結。続く二日目、三日目も、楽しく騒がしい日々が繰り広げられ、俺達の濃厚で鮮烈なバカンスが終了した。


 どんな形であれ、この想いに結論こたえを出さなければならないという現実が差し迫っている事と、俺が皆を――ルインさん達をどう想っているのだろうかという大きなくさびを残して――。

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