第181話 失われた特異職業

 “ミュルグレス”を振り下ろしたと同時に訓練場を包み込んだのは、激しい凍気。地面を氷刃の山に変え、壁の一部までも凍結させている。


 “アブソリュートアポカリプス”が飛び道具も兼ねる高出力・高火力の破壊力特化の魔法なら、さっき放った“アブソリュートソーディアス”は切断力に特化した近接用の斬撃魔法。前者よりも威力は落ちるし、射程は圧倒的に短くなるが、使い勝手は上。

 どちらも母さんが一度だけ使っているのを見たことがあるグラディウスに伝わる奥義だ。


「くそっ!? 一体何が……!?」


 ボルカは剣戟の余波に煽られ地面に尻をついており、状況を把握しきれていないのか周囲を見回している。

 最初に氷刃に囲まれて佇む俺を睨み付けて来たが、手から吹き飛んでしまった自分の得物の所在が気になるようで、しきりに目を泳がせるが――。


「嘘……だろ……俺の武器が、ぁっ!?!?」


 奴の狼牙棒――“荊棘猛シ狂撃ノ牙”は、鋼鉄の棘部が喪失。辛うじて残っている赤い柄までも凍結してひしゃげている。最早修理がどうこうというレベルの損傷じゃない。耐久臨界点を超え、役目を終えた様に砕け散った“|虚無裂ク断罪ノ刃”とは異なり、力任せに損壊した狼牙棒はどこか物悲しさすら放っていた。


「あ、ああ……あ、ぁぁ……ぁっっっ!?!?」


 ボルカはふらつきながら立ち上がり、呆然と自分の武器であったモノの前までおぼつかない足取りで向かうと、凍結している柄を目の前にして膝から崩れ落ちる。その口から突いて出るのは、悲しみの叫び。


 武器の破損――普通の人間なら余程愛着のある武器でなければ、こうはならないだろう。しかし、俺達特異職業ユニークジョブにとっては大きく事情が異なる。


(俺も聖域で新たな力を得ていなかったら、きっと……)


 武器を持つ事が、無職ノージョブという出来損ないの人間という烙印から逃れられる唯一の手段。

 周囲とは異なる自分だけの武器。それは自分が自分であるというアイデンティティであり、無職ノージョブでない自分の存在を認めさせるのに他の手段はない。

 それが喪われたが故の絶望。


 だが、騎士団長があそこまで話して言葉が通じなかった以上、ボルカが動けなくなるまで叩きのめすか武器を破壊する以外に止める手立てはないと判断した。一群の中でも平均以上の戦闘能力を持つボルカを相手にしている以上、模擬戦で処刑鎌デスサイズの最大出力が使えない今の俺では手加減するのは不可能。それこそがこうなるに至った原因だった。


「――勝者、アーク・グラディウス。これにて決着じゃな」


 氷刃に囲まれながら崩れ落ちたボルカを見下ろしていると、騎士団長は静かに呟いた。決して大きくはない老人特有の掠れ声だが、不思議と遠くまで響いた気がする。それはボルカの息遣い以外、訓練場を静寂が包み込んでいたせいだろう。


「な――ッ!?」


 ボルカは騎士団長に強い瞳を向けるが、破損した武器を見てしまえばぐうの音も出ないようで大きく肩を落としていた。


「――くそぉ!! どうして……こんなっ!」

「さあな。ただ一つ言えるのは、お前の攻撃は威力がどうこうじゃなくて単純に軽かった。交えた刃から何の思いも伝わってこなかったよ」


 別にボルカの目的を否定するつもりはないが、奴に対して強いだとか、怖いだとかという感情を全く抱かなかった。初めて戦う特異職業ユニークジョブに加えて、戦闘能力だけであれば騎士団でもトップ二十くらいには入るであろう実力者を相手にしているにも拘わらずだ。


 その理由は単純なもので、これまで戦った誰もから漂って来ていた圧のようなものを感じなかったからだ。それは多分、覚悟・怒り・慟哭・侮蔑・自信――己の刃に乗せた譲れない想い。良きにしろ悪しきにしろ、それは人間が強くなる為の力。

 だが、ボルカから感じられたのは、行き場を失って膨れ上がった怒りとも悲しみとも取れない感情。膨張した狼牙棒を簡単に粉砕してしまえたように、あまりにも軽かった。


「なんでだよッ!! お前だって無職ノージョブで辛い想いをしたんだから、俺の言ってることが分かるんだろ!?!?」

「ああ、他の誰よりも理解は出来るさ。俺だって人とは思えない扱いをされた事だってあるしな」

「だったら、お前だってやり返したんじゃねぇのかよ!? 俺だって!」

「明確な敵意を向けてやり返したわけじゃない。ただ、過去の決着は付けた。自分の中で結論も出した」

「そんな……そんなもんで済ませちまうのか!? 徹底的にやり返して破滅させてやらねぇといけねぇだろうがよ!?」


 ボルカが怒鳴り散らす。しかし、その姿は怯えを隠すように精一杯強がっている子供の様だった。多分、闇の中で母さんと再会した俺も、似たような表情を浮かべていたんだろう。


「やられたんだから、それくらいしてやらねぇと腹の虫が収まんねぇ!! 俺達に好き勝手やりがった奴らは何知らぬ顔で今も生きてるんだぞ! もっと、もっと懲らしめねぇと! 俺達にはその権利があるだろ!?」

「そんなものはない。あるのは権利ではなく理由だとさっきも言ったはずだ」

「綺麗事だろ! そんなもん! お前にはその力があるんだろ!?」

「どう思うかはそれぞれだ。確かに今の俺には、これまで虐げて来た連中に復讐できる力はあるだろう。でも、この力はその連中に向ける為に得たわけじゃない」


 俺とボルカは似たような境遇で似たような思いを抱いて来た。だが、決定的に違うものもある。


「過去の呪縛は背負って進むと決めた。グラディウスとの決着そんなものは、とっくに越えている。だから俺にとってはどうでもいい事・・・・・・・だ」


 ボルカの原動力は自分を虐げて来た者達への怒り。

 俺を突き動かして来たのは、無力であった自分への怒り。


 結果、ボルカは周囲への復讐を、俺は呪いと称された誓いに縋って生きて来た。だが、縋るだけの想いは、所詮紛い物。大きく激しい感情ではあるが、確信を突かれれば脆く砕け散る。一度破綻してしまえば、再び立ち上がる事も出来ない。結局は、普通の人間のようになれなかった事に対する代償行為でしかないからだ。


「――確かに帝都で功績を立てて故郷に戻るというのは悪い選択じゃない。その後にお前が虐げて来た連中をどうしようが、どうでもいい。でも、そんな自己満足に巻き込まれるなんて御免被る。俺が言いたいのはそれだけだ」

「自己、満足……だと!?」

「今まで虐げて来た連中を見返し、破滅させて自分が気持ち良くなるだけの自己満足。ただの私刑だ。それを過去の境遇を理由にして正当化している。他に何か言い方があるのか?」


 ボルカはどうにか反論しようとしている様だが、口を何度も開いては閉じてを繰り返しているだけで言葉が出てこない。


「――もし、あのケフェイドの戦いでルインさんが死んでいたら、俺はお前を殺していた。例え魔族と戦っている最中でも、共同戦線の味方であってもな」

「え……?」

「同じ状況で誰かを失えば、お前を含めた他の誰もが同じ事をするだろう。程度の差はあるだろうがな」


 剣を振るって相手を殺したら戦いが終わるんじゃない。相手をたおした時、奪った命や尊厳を背負った時から戦いが始まるんだ。


「お前が誰かを破滅させた時、その誰かの家族や恋人、友人や親戚――そんな彼の憎しみは、お前に向く。報復し返すとはそういう事だ」

「でも! 悪いのはやったそいつらなんだから、文句を言う権利なんて!」

「“やったそいつら”には、文句を言う権利はないな。でも、近しい人間は別だ。因果応報だと引き下がるかもしれないし、過剰防衛だと捉えられれば……それでも復讐したいと思えば、今度は彼らが刃を向けて来るかもしれない。そうなった時に、お前はどうする? それにお前の仲間だって巻き込まれるかもしれない」

「あ……だって……っ!」

「もし破滅させた相手が権力者だとして、その連中に付き従う何の罪もない者達が路頭に迷うとしたら、社会から弾き出されるとしたらどうする? 今度は彼らが報復に来るかもしれない。そんな連中に対して上の連中が悪い奴らだったからしょうがない。自分は正当な権利でやり返したから因果応報でノーカンだとでもいうつもりか? 何の権利も権限も持たないお前が……復讐を果たしたお前が彼らの気持ちを否定出来ると思うのか?」

「くっ……!」

「社会から弾き出される辛さを誰よりも知っているのは、お前のはずだが?」


 普遍的な正義などありえない。どんな形でどんな理由があったにしろ、相手を叩き潰して物事を解決する以上、どうしてもついて回る問題だ。

 じゃあ、何をされても無抵抗でいればいいというわけじゃないが、正義面して力を振るう事も罪だ。


 騎士団だろうが魔族だろうが、俺達が出来る事はどこまで行っても魔法暴力を振るう事だけなのだから――。


「何より……どうして、お前一人の自己満足の為に何の関係もないルインさん達――共同戦線全体が犠牲にならなければならないんだ?」

「ぎ、せい……?」


 俺達の目的は戦争の終結。もしも生き残れたのだとすれば、共同戦線は解散。それぞれの目的に向かってバラバラに散っていく。

 魔族との戦いや市民を守る為ならともかく、そんな家族でもなければ友達でもない相手の私情に巻き込まれ、死にかけるような被害を受けるなど許されない。


「相手の憎しみを全て背負う覚悟があるのなら他者を巻き込んででも自分の名を上げて、復讐でも報復でもやればいい。相手の憎しみを一掃出来るなら、他人なんて利用し尽くして、相手の身近な人間も報復も全て叩き壊して我が道を行けばいい。でもお前は無責任に力を振り回すだけだし、俺にも譲れない一線がある。だからぶつかり合うしかなかった。ただ、それだけだ」


 復讐をやりたいのならやればいい。行動自体を否定するつもりはない。でも、それによってルインさん達が不条理に傷つくのなら斬り捨てる。例え誰かが泣く事になろうとも、誰に恨まれようとも関係ない。その覚悟はもう決めている。


 そして、都合の悪い部分を認識すらせずに都合の良いようにだけ解釈し、自分の不幸を盾に正義に酔いしれて当然の権利を行使する“イイ事”をした気になっているこいつに腹が立った。


 逆にボルカは、考え方の違う俺達を排除してでも自分の考えを押し通そうとした。


 この戦いの奥底にあるのは、複雑に見えて単純なそんな理屈だった。

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