第177話 暖簾に腕押し、柳に風

「――というわけで、こちらの代表は二人のどちらかだ。頼んだぞい」


 騎士団長がボルカの対戦相手に指名したのは、奴と同じ特異職業ユニークジョブである俺かルインさんのいずれか。一種の意趣返しのような人選だと、内心で嘆息をついた。


「では一群は残って、他の連中は通常通りに……というわけにはいきそうにもないのぉ」


 何はともあれ、騎士団長自らが承諾した以上、前回ボルカが仕掛けてきた時と違って正式な模擬戦として成立してしまったわけであり、残念ながら回避は不可能。

 それならば――。


「アーク君は座ってなよ。私がって来るからさ」

「いえいえ、お構いなく。ルインさんこそ、皆とちょっと休んでてもらっていいですから……」


 なら俺が行くべきだと立ち上がろうとしたが、いつの間にか背後に回っていたルインさんに両肩を掴まれ、上から押さえつけられる。俺もまた、それに抵抗して立ち上がろうとしている為、奇妙な攻防戦の様相を呈していた。

 まあ、それはそれとして、ルインさんの甘い香りで鼻腔をくすぐられ、幸せな感触が後頭部に広がっているのは、ここだけの話だ。


 しかし、そんなやり取りは一瞬の内に中断される。


「はいはい、イチャイチャしないの! 周りの男たちがすんごい顔で二人を見てるわよ」

「え、ちょっ!? そんな事してません!」


 突然体が軽くなった事を不思議に思って背後を振り向けば、ルインさんの肩に手を回して後ろから抱き着いているキュレネさんの姿。

 他の団員たちから向けられているのは、突き刺さるような視線の嵐。


 俺は俺で極力表情に出さないように努めているが、気恥ずかしさでどうにかなりそうだった。


「お姉さん達が見ててあげるから、頑張って来なさいな。男の子!」

「もぅ! ちゃんと手加減してあげるんだよ!」


 しかし、ヒラヒラ手を振っているキュレネさんと、顔を赤くしながら膨れっ面を浮かべているルインさんから何とも頼りがいのあるエールを受け、再び意識を闘いに向けて研ぎ澄ませていく。


 因みにルインさんの発言はナチュラルに凄まじい切れ味を誇っており、良くも悪くも周囲の雰囲気が剣呑なものになったのは言うまでもない。本人には悪意の欠片もなかったのか周りの変化に全く気付いていないようであり、この辺りからして彼女が天然足る所以なのだろう。


「では、代表が決まったようじゃし、若者同士の戦いを始めるとするかのぉ。今回は特別に儂が審判を務めてやろう」


 収容人数の関係で三群が半分ほど追い出されたり、それでも客席がギチギチ状態となってしまっている為、不純な動機を抱いて女子との距離を詰めようとした男たち数人がお叱りの言葉をもらっていたり、いつもの審判が仕事を取られて漢泣きしていたりと色々あったが、とうとう戦いの準備は整った。

 広い訓練場に残ったのは三人だけ。俺とボルカ、それと審判役の騎士団長だ。


 試合のルールはいつも通り。

 俺自身の戦闘能力・手段の向上は、以前ここで模擬戦をした時の比ではないが、闇の魔力を制御しきれていない今の状態ではやり過ぎてしまうかもしれない。ルインさんが心配してくれたのは、きっとそういう事なのだろう。


 実際、“死神双翅デスフェイザー”や狂化モンスターに向けた魔力出力をコイツに向けるわけにはいかない。ルインさんたちクラスならともかく、一般戦闘員相手では殺傷力の関係で殆どの魔法が使えないというのも間違いない。

 だが、ボルカを相手にするのは俺の役目だ。


「へっ! 本命はあっちの姉ちゃんだったが、テメェでも相手にとって不足はねぇ! さあ、ガチンコでぶつかり合おうぜ!!」

「あの人は、お前が触れていい相手じゃない。それより早く始めよう。これ以上、時間をかけたくない」


 ボルカが何を求めてどういう気持ちで此処に立っているかは知らないが、自分で成すべき事と成さなければならない事が山積みである今の俺からすれば、コイツの自己満足に付き合っている時間自体が無駄だと言わざるを得ないというのが正直な所だった。


「ふむ、準備は整っておる様じゃな。ならば、両者武器を構えよ!」


 騎士団長の号令に合わせてボルカの手には、未だ見慣れない狼牙棒――“荊棘猛シ狂撃ノ牙”。

 俺の手には虚空から召還した処刑鎌――“禁忌穿ツ刹那ノ刃”。


「己の意地と誇りを賭けて、精一杯ぶつかるといい。では、アーク・グラディウス対ボルカ・モナータ! 試合開始ッ!!!!」


 何百という視線が降り注ぐ中、騎士団長の号令が響き渡る。


「先手必勝!! いっくぜぇぇぇっっ!!!!!!」


 開幕跳躍。

 棘付きの鈍器が振り下ろされる。


「威力は大したものだが、振り回すだけでは芸がないな」

「はっ! しゃらくせええぇぇぇっ!!!!!」


 一撃ごとに大地が砕け、炸裂音が訓練場を包む。共同戦線での訓練や実戦経験からか、攻撃の威力とキレは初めて見た時よりも遥かに増しており、まるで別人のようだ。

 あまり人の事を言えない自覚はあるが、凄まじい成長速度。未だ成人の儀の最中であるにも拘らず、狂化モンスターと戦い抜いただけの事はあるのだろう。


 正直な話、既に並の一群レベルは越えている。

 でも、それだけだ。


「テメェ! 避けてねぇで俺と戦えや!!!!」


 大振りを宙返りで躱せば、鈍器を振り抜かれた風圧で前髪が揺れる。奴の攻撃は俺にかすりもしていない。


(騎士団長が、コイツに伝えたかった事が少しだけわかった気がするな……)


 確かに才能の凄まじさは認めよう。騎士団長が言う様に、進む道さえ間違えなければ大成していたであろう事も間違いないのだろう。

 実際、この短期間で一群以外の信頼を集め、その中心に居座る事など俺には到底出来そうにもない。


 だが、奴の場合は、その才能に精神的な要因が追い付いていないんだ。


 これまでのボルカの行動を端的に表すとすれば――騎士団内で不和を生み出した事で左遷され、それに反発するように独断出撃を敢行。二軍を私物化して意気揚々と戦いを挑んだ挙句、小柄の魔族やダリアに一掃され、怪我をして絶不調のセラス相手に圧しきれず、膠着状態の戦場に飛び込んできて、ルインさんや皆の足を引っ張っていただけというもの。


 一方、その行動がきっかけとなって、犠牲者無しで魔族八人を撃退、セラスの身柄を確保出来たというあの死線の中においては最良の結果を迎えられたという側面もあるが、それは騎士団長が言っていたように結果論でしかない。


 実際、初動の時にはセラスの存在の有無は分からなかったし、ケフェイドと帝都の距離、逃げてきた住民の証言から襲ってきたのが魔族であるという証言を訊けばこそ、“皆で突撃!”――なんて結論に至るのは合理的ではない。


 仮にセラスの所在が分かっていたのだとしても、彼女と面識がある俺やルインさんならば助けに行こうとなるかもしれないが、他の連中にとっては敵でしかないわけなのだから尚更だ。

 それでも出撃強行したというのだからボルカ側にも言い分はあるのだろうが、その上で四群落ちになっている以上、正当な理由ではないのだろう。


「どいつもこいつも何なんだよ!! 俺とガチンコで戦いやがれぇぇぇ!!!!!!」


 一群追放の時に妨害され、魔族達に足蹴にされ、騎士団長に軽くあしらわれ、よほど腹に据えかねる思いがあるのか、ボルカの攻めの勢いが増していく。


 “暖簾に腕押し、柳に風”――その狼牙棒が俺を捕らえる事はなく、ボルカの独り相撲がより盛大さを増しただけだった。

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