第164話 闇と紫天

「ぐっ!?」

「セラス!?」


 俺は吹き荒れる魔力の風圧によろめいたセラスを受け止め、爆心地に視線を向けた。


 “先行した私”・“味方”という、ルインさんが口にした言葉。普通の冒険者では、まず制御出来ないであろう炎と水の大規模魔法。たったそれだけで、この現象は説明がつく。


「炎と水流……なるほど、確かに頼もしい味方ですね」

「うん。だから、アーク君は自分とセラスを守る事だけ考えて。後は私たちが何とかするから……」

「全く勝手なボウヤ達だわねぇ! 恐れを知らない生意気ボウヤと裏切り者のクソ女。それから、私の邪魔をしたそこのパツキンもムカつく見た目をしてるもの……全身ズタズタにしないと気が済まないわ。一人たりとも逃がすわけないでしょう!?」

「――させない!」


 二手に分かれようとした俺たちに棘付き鞭が飛来、青龍偃月刀で切り払われる。


「行って!」

「ちぃ!?」


 尚も追いすがろうとしてくるダリアだったが、ルインさんが進行方向に立ちはだかった事で踏鞴たたらを踏んでいる。


「了解。ここは任せます!」

「あ、アーク!? ひゃぅ!?」


 その間にセラスを姫抱きで抱えると、双翅から推進力となる魔力を放出。とてもセラスの口から出たと思えない大変可愛らしい声を無視して、一気に戦域を離脱した。



「――き、貴様、一体どこを触っている!?」

「どこって……普通に抱えてるだけだろ!?」

「だからと言ってだな! こんなに強引に……!」

「背中がこんな状態だからおぶったり担いだりできないし、抱えて行くしかないんだ。回復役のところまで飛ばすから槍斧ハルバードを戻して、少しだけ我慢していてくれ!」

「む、むぅ……」


 腕の中のセラスは顔を赤くし、潤んだ瞳で睨みつけて来る。突然の事で戸惑っているのだろう。だが、状況が状況だけあって流石に諦めたようであり、不承不承とばかりに体を預けて首に手を回して来た。


「――っ!」


 小さくなっている今のセラスは、普段からあり得ない程しおらしい様をかもし出している。羞恥と困惑混じりの上目遣いに加え、キュレネさんに負けず劣らずの柔らかい感触。平時なら理性をゴリゴリ削られるであろう要素を意識の外にやりながら、倒壊した建物の間を低空で駆けた。


(矢の発射地点がさっきと違う。魔族は竜の牙ドラゴ・ファングの前衛に任せて、アリシアは騎士団の援護をしているってとこか)

「アーク、前!」


 戦況の様子を観察し、合流すべき相手の場所と移動ルートを思考していると腕の中のセラスが声を上げた。そんな俺たちの先には、狂化状態の巨漢――“アルゴス”が立ちはだかる。色んな意味で因縁深いギガースの上位種であり、Sランク相当のモンスター。当然ながら、その威圧感はギガースなどの比ではない。


「■■■――!!!!!」


 だが、俺のやる事は変わらない。一刻も早くセラスを送り届ける為に最短距離で突き進むだけだ。


「大丈夫だ。このまま突っ切る!」

「――ッ!?」


 大地を蹴り飛ばすと共に双翅から魔力を放出。アルゴスの反応速度を超え、脇を抜けるように躱していく。


「■、■■■――!?!?」


 戦意に満ち溢れていた巨人は自分を反故にされて怒り狂っているが、お構いなしに完全スルー。死の戦場と成り果てた街を疾走する。


(エリルはどこだ? 未だに狂化モンスターが殲滅しきれていなくて、アリシアだけ・・が援護に回らざるを得ないという事は――)


 倒壊した家屋の壁を蹴って跳躍。更に逆側の壁を蹴って加速し、突き当りの壁を蹴って減速せずに右折。飛来して来る流れ弾を加減速で躱し、時に双翅で防御しながらアクロバティックな挙動で地・空を駆け、街のどこかに居るであろうエリルの捜索に専念する。


(エリルが他の連中のサポートに回らざるを得ない位には、状況が悪いという事か。ルインさん達の援護には戻れそうにないな)


 現状、魔族はルインさん達が一対一で抑えてくれている。残る戦力は、独断出撃した馬鹿達と狂化モンスター軍団。二群連中の強さがどれほどかは知らないが、さっきまでの戦闘を見ていた感じでは、モンスター軍団と大した差はないだろう。であれば、これだけ長期戦になってしまっている以上、半無限的な体力と再生力を持つ狂化モンスターが有利になる。


 つまりエリルは、スタミナ切れ寸前になっているであろう二群連中のサポートの為に戦場を走り回っている可能性が高い。後方支援の攻撃がアリシアの弓矢だけだというのが、その証拠だった。


 そんな事を踏まえながら街を駆けていると、曲がり角の向こうで長杖を掲げているエリルと視線が重なった。


「エリル……!」

「あ、アークさん!? えっと、いきなり飛び出して行った事や、皆が援軍で来てくれた事とか、他にも色々訊きたい事が……って、うえっ!?!?」


 エリルは傍に着地して双翅を消した俺に対して、困惑と嬉しさが半分ずつと言わんばかりの表情を浮かべてくれたが、腕の中に納まっているセラスを見て頬を引くつかせた。そんな様子を受けて、俺も思わず首を傾げてしまう。


「忙しい所悪いけど、彼女の手当てを……って、どうした?」

「い、いえ……状況が、呑み込めないなぁ……なんて……」


 白い目に硬い声。よく分からんが、俺はエリルに咎められているようだった。そんな視線の殆どは、さっきから腕の中のセラスに向いており、つられて俺も目を落とせば――。


「――あまりじっと見るな!」

「あ、ああ、悪い」


 赤らんだ頬に、上目遣い。起伏に富んだ女性らしい肢体。さっきまで必死に意識の外に追いやっていた物が蘇ってしまう。


 それに腕を回して身体全体でくっつかれている関係上、セラスとの距離はほぼゼロに等しい。首元には彼女の吐息を感じるし、丈の短いスカートから覗く肉付きの良い脚は、俺の腕に無防備にも乗せられている。

 何より、セラスの豊満な胸は俺に押し付けられるように形を変えており、今までは戦場のアドレナリンの所為か気ならなかった暴力的な感触がダイレクトに伝わってしまっていた。


 結果、俺は一度立ち止まった事でセラスを改めて意識してしまい、腕の中の暖かさの影響で顔に熱が集まるのを感じていた。向こうもお姫様抱っこ状態を再認したのか、更に頬を染めて俯いてしまう。


「へぇ、そんなに密着して、随分と仲がよろしいんですねぇ。不潔です」

「――ぅ、っッ!?!?」


 そんな俺達の様子を見ているエリルは、いつになく冷ややかな言葉をかけて来る。その後は第三者として冷静な人間がいる分、自分達の小っ恥ずかしさを自覚してしまい、更にテンパるという負のスパイラルに陥っていた。


「と、とにかく、彼女は味方だ。治療を頼む」

「誤魔化しましたね。まあ、詳しい話は後で訊きましょう」

「まあ……お手柔らかに頼むぞ」


 とはいえ、今は緊急事態。これ以上話している場合ではないとこちらの意図を手早く伝え、魔族の治療という不測のイレギュラーではあるがエリルも快く了承してくれた。

 俺はひとまず目的を果たせたと胸を撫で下ろし、治療に下がるエリルの抜けた穴を埋めるべく処刑鎌デスサイズを展開。そのまま戦場に戻ろうとしたが、目の前の民宿が消し飛んだ・・・・・事で、早速第一歩を踏み出しそこなう。


「おいおい、皆大集合でやり合ってるのか!?」

「これが魔族……。もしも彼らのようなSランク級の実力者がゴロゴロいるのだとすれば、確かに人類滅亡一直線ですね」


 その原因は、魔族とSランクの前衛部隊が一ヶ所に集結して戦闘を繰り広げている事にある。エリルもまた、一群最上位クラスの面々と曲がりなりにも渡り合っている魔族という種族に対して、改めての驚嘆を抱いている様だ。


「Sランクが八人同じ所で戦闘してるようなもんだ。こんな建物じゃ盾にもならないな。余波には気を付けろよ!」

「ぐっ、また!? 了解しました!」


 再びの流れ弾。軽い地響きと共に、冒険者ギルドの上半分が吹き飛んだ。今の俺達は爆心地のど真ん中に居るようなものであり、危険極まりない状況にある。エリルとセラスを離脱させるべく二手に分かれようとしたが――。


「■■■■――!!!!」

「明らかに数が増えている。囲まれてるか……」


 二群が抑えきれなくなったのか、新手が来たのかは定かじゃないが、大量の狂化モンスターがワラワラと現れた。


「エリルは彼女の治療を頼んだぞ」

「ですが……」

「大丈夫。二人には指一本触れさせない」


 しかし、苦い表情のエリル達を護るように狂化モンスターの前に立ちはだかる。


「牙を向けて来る相手は、全て薙ぎ払う。それだけだ」


 死を告げる処刑鎌デスサイズと死神の翼を携えて――。

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