第116話 楽園ノ金女神

 寝室に四人が集まってのどんちゃん騒ぎが終結し、クタクタになった俺達が朝食にありつけたのは、あれから三十分程度経った後だった。


「はぁ……疲れた……」

「酷い目に合ったよぉ……」


 交互に部屋に入り、普段着に替えた俺とルインさんは深い、それはそれは深い溜息をついていた。どうしてこんな状況になったかのは、最早言うまでもない。


 まあ、ルインさんのベッド侵入についても大変気になる所だが、真実を解明せず、このまま有耶無耶うやむやにしておく方がいいだろう。下手に突いたら蛇どころか竜が出て来た――なんて事にもなりかねない。頭の片隅に追いやった方が建設的だ。


 何はともあれ、長かった朝はこれで一区切りだろう。



 だが、一段落したのも束の間、俺達は新たな問題にぶち当たっていた。


「暫く残ってここを守るとは言ったけど、具体的にどうしよっか?」

「まぁ、これと言ってやることはないですね。俺達は土地勘もないですし……」

「そうなんだよねー。普段は探索や訓練をしてるから、こうやってじっとしてるのは性に合わないし、かといって遠くに離れるわけにはいかないしね」


 現状の俺達は、冒険者と騎士団の兼任という立場なだけあって、基本的に起きている時間は体を動かしている。

 だが、現状は、戦闘待機中。襲撃のタイミングが分からない相手との戦いにベストコンディションを持ってこなければならず、訓練や探索に出向くわけにはいかない。


 しかも、俺にはこれが趣味だと言えるものはなく、休日もダンジョン探索に打ち込んでいる。ルインさんも程度の差はあれど似たようなもの。


 つまり、一言で表すのなら、“暇”。やることがない。


「もしかして私達って、枯れてる?」

「――否定できかねます」


 ここが田舎だという事を差し引いても、休みの方が退屈だという俺達は若者らしくないんだろう。実際、やる事がないから、とりあえず着替えて座っているという状態に変わりない。


「近くに散歩に行く? それとも、ここでお喋りしてる?」


 手持ち部沙汰のルインさんは、寝台のスプリングを弾ませながら体を小さく揺らしており、その度に癖のない長い金色の髪がゆらゆらと小さく踊っている。


「そう、ですねぇ……」


 俺は目の前のルインさんから視線を向けられ、答えに悩んだ。勿論、嫌だというわけではなく、どちらにしようかという嬉しい悩みだったが――。


「少し歩きましょうか?」

「うん、分かった。見回りも兼ねてね」


 選択したのは、二人での散歩。否定意見はない。やはり俺達には、身体を動かしている方が性に合っているという事なんだろう。


 ただ、部屋を出る時に不意に目が合い、今朝の一幕を思い出してしまって、二人共顔を茹でダコの様に真っ赤にしてしまったのは、ここだけの話だ。



 そんなこんなで場面は変わり、俺達は並んで田舎道を歩いている。


「んー、なんか久しぶりだね。この感じ!」

「言われてみればそうですね。最近は騒がしかったから――」


 よくよく考えれば、こうしてルインさんと二人で過ごすのは相当久々の事。それこそ、ローラシア王国のギルドに最初に立ち行った時以来とあって、実に数週間ぶりだ。尤も、それまでの日々があまりにも濃過ぎたからか、もっと長い時間が経過していたようにも感じる。


「――それで、最近どう?」

「なんで、久々に会った親戚のおばさんみたいな話の振り方なんですか?」

「むっ、こらっ! 私の方がお姉さんだけど、一歳しか違わないんだからね」

「分かってますって」

「むぅ……」


 開幕早々、ぶすくれた顔のルインさんに白い指を突き付けられ、“めっ!”をされてしまった。勿論、お互いに冗談の範疇はんちゅうであるのは言うまでもない。殺意に満ち溢れ過ぎていた模擬戦の時とは違うという事だ。


 でも、さっきのルインさんじゃないが、本当に久しぶりのゆったりとした時間で、俺も穏やかな気分になっているのは事実。


 それに、昨日の夜までのぎこちなさも消えていた。


 お互いにぐっすり寝て、ひとしきり騒いで気持ちの整理が付いたってのが一番大きな要因なんだろう。俺に限っては本人と話をして、その想いを知ったっていうのもあるんだろうけど――。


「――外に出たは良いものの、帝都の繁盛に慣れた後だとちょっと物足りないですね」

「そう? 自然が一杯ってのも趣きがあっていいんじゃない? 小さい頃を思い出しちゃうなぁ」

「気持ちは分からなくもないですけど――」

「あ……あっちに行こうよ!」


 ルインさんは森道を外れ、その向こう側の開けた場所へ早足で行ってしまった。まあ、俺なんかと一緒に居てあれだけ自然体で接してくれるのは、男冥利に尽きる――なんて事を思いながら、その後を追う。


 自然が生み出した楽園へと向かって――。


「凄い……綺麗だね」

「そう、ですね……」


 先に到着していたルインさんは、満天に咲き誇る花畑の中心でくるりと回り、俺の方を向いた。柔らかな朝の陽射しに照らされながら、ふわりと舞う金色の長髪。細められた切れ長の真紅の瞳。

 差し詰め、楽園の金女神といったところか――。


 どこか神聖さすら感じさせる光景を前に、俺の言葉が花畑ではなく、に向けられたものであるかは、最早言うまでもないだろう。それを悟らせる気もないし、向こうも気付いていないだろうが――。


(白い花畑に子供の頃、か――)


 それはそれとして、白い花が咲き誇る平野は、とても整園されていないとは思えない程の華やかさであり、確かに凄まじく綺麗な光景だ。


 そして、純白の花が咲き誇るその風景は、過去に記憶に強く訴えかけて来るモノでもあった。


(どこか、あの場所に似ている)


 嘗て幼馴染と共に過ごした、あの場所。

 その少女との別離を決意した、あの場所。


 差異はあれど、眼前に広がる景色は、あの純白の花畑を連想させる。


(俺は、あの頃から変われたのだろうか……)


 その光景を目の当たりにしても、俺の心には寂寥せきりょう感も焦燥感も湧いてこない。グラディウスの家に行く前に抱いた、心に刃を突き立てられたかのような感覚は、もう存在しない。


 ただ、無軌道な想いが行き場を無くして宙に浮かんでいるだけだ。


「――どうしたの? ボーっとして」


 そんな俺を不審に思ったのか、怪訝そうな顔したルインさんに顔を覗き込まれてしまった。上目遣いとなったルインさんに視界を埋め屈され、思わず一歩後退する。


「む……人に言えない事を考えてたのかなぁ?」


 すると、頬を膨らませたルインさんが再び一歩距離を詰めて来る。


「いや……決して今朝の事なんて考えて……って、あ……!」


 咄嗟に突いて出た言い訳が悪手だと悟ったのは、それからすぐの事。途中で止めたがもう遅い。

 ルインさんの顔は見る見る内に赤く染まり、潤んだ瞳で睨み付けられる。完全に墓穴を掘ってしまった。しかもいらん所で――。


「――アーク君のエッチ」


 如何に事故と言えど、今回ばかりは全面的に俺が悪い。こればっかりは弁解のしようがない。


「もうお嫁に行けなくなっちゃったよ。どう責任を取ってくれるの?」

「せ、責任と申されましても……」

「――まあ、アーク君だから、特別に許して上げる。これが他の男の人だったら、記憶からなくなるまで――」


 だが、何とかお許しを頂く事は出来たようだ。半年間、この美人さんに手を出さず、紳士的に紡いできた信頼関係の賜物だ。


 尤も、そのルインさんは変わらず赤い顔でモジモジしながら、物騒極まりない事を口走っている。きっと、その相手を一本背負いでぶん投げた後にマウントポジションを奪い、記憶がなくなるまで殴り続けるのだろう。


「そ、それはどうも……」

「し、しょうがないよ。あれは……その……」


 俺は、自分がそうならなくてよかったと心から思った。本当に――。


 そんなこんなで、花畑に佇む俺達は、むずかゆさを帯び出した雰囲気に自分達で困惑し始める。やっぱり久々の二人きりが、どこか気恥ずかしさを演出しているのかもしれない。


 しかし、色んな意味で何ともしがたい甘酸っぱい空間は、一筋の光によっていとも容易く四散する。


 それは、戦場の足音。


「――あれは、まさか……ッ!?」


 水流を纏った小さな矢――否、槍が俺達が来た方へ向かって飛来している。


「予想通りを喜ぶべきか、単細胞をけなすべきか……」

「とにかく、戻らなきゃ!」


 互いを一瞥して頷き合い、身体能力を魔力で強化すると、そのまま森林へ突っ込んだ。距離的にはそう離れていない。目的地まで、飛ばせば数十秒。

 木から木へ飛び移って枝を蹴り折りながら進む俺達は、カスタリア邸のある集落まで最短距離で駆けた。

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