第114話 桃源郷からの脱出

 月夜の問答を終えた次の朝――。


「ん……」


 朗らかな朝日を布団越しに浴び、深い眠りから少しずつ意識が覚醒していく中で、昨日の出来事が無意識に追想されて行く。


 魔族、ランサエーレ家との戦闘。

 キュレネさんが抱えていた痛み。


 あまりにも濃厚過ぎる昨日の事を思い返しながら、上体を起こして半開きの目を擦ろうと――。


(ん? 全身が動かない。これがかの有名な、金縛りというやつなのか?)


 惰眠だみんを貪ることなく遅めの起床を選択した俺だったが、自分の体が全く動かないという怪奇現象に襲われ、一瞬で意識が覚醒した。


(一体、何がどうなって――)


 このままではらちが明かないと判断し、布団の中でモゾモゾと体を動かそうとしてはみたが、何やら感覚が散漫で硬直状態を脱することは出来ない。

 それどころか、左半身全体が柔らかく暖かいモノ・・・・・・・・・に包み込まれている事に、今ようやく気が付いた。


「ん、んぅ……」

(は……声?)


 そして、発せられたのは聞き覚えのある声音。鼻腔びこうくすぐって来るのは、クラっときてしまいそうな甘い香り。

 辛うじて動く首を、壊れた人形の様にギギギっと左に傾ければ――。


(――な、なん……だと!? そりゃ左腕が痺れて動かないわけだ。脚もだけど……)


 ルインさんが俺の腕を枕にして、すやすやと眠っている。所謂、腕枕というやつだ。その上、ぴったりと体を寄せて来ている。しかも、ベッドから落ちない様にという事か、彼女の長い足は、俺の足にしっかり絡みついていた。


(何がどうしてこうなった――!?)


 昨日はお互いに確認を取って別々の時間帯に就寝した。そして、寝たのは確実に俺の方が遅かった為に、予想の範疇はんちゅうを五周くらい超えた異常事態が起きるなど、あり得ない。

 だが、確かに左半身には、ルインさんの感触が広がっている。


 その結果、色んな理由で心臓が壊れそうなほど鼓動を刻み、俺は完全なパニック状態に陥ってしまっていた。


「ん、んぅ……ん、ふっ……んんん……」


 そんな俺の動揺など露知らない張本人は、枕が微妙に動いた所為で都合のいい体勢が崩れたのか、不機嫌そうに眉間にしわを寄せると、艶めかしい声を漏らしながら身を捩った。


「ん、ふぅ……ん」


 そして、再び落ち着いたのか、大人びてクールな普段とはギャップに溢れる可愛らしい寝顔を浮かべながら眠りに就く。


(――って、ふぁっ!?!?!?)


 天使というか、女神と形容してもいいであろう寝顔に一瞬見とれてしまったが、そんな俺の前に更にとんでもない爆弾が投下された――否、とっくに爆発していた事に漸く気づいてしまった。


 ルインさんの寝間着は、昨日最後に見たあの服。丈が明らかに足りていない超ミニタンクトップだ。それも、普通に腰かけているだけで危うい場面があった程の短さ。

 そんな彼女が、に体を擦りつけながら横になっていればどうなるのか――。


「ん、ふぅ……んぅ……」


 そう、規則正しい寝息を立てているルインさんの黒いタンクトップは、見事にめくれ上がっており、超ギガトン級の双丘がこれ見よがしに、その存在を自己主張してしまくっていた。


(お、落ち着け……冷静クールになれ。こういう時は、羊を数えるんだったか? それとも、素数を数えればいいのか? 何にせよ、いったん落ち着くんだ……。いや、しかしッ!!)


 長年培ってきた美女・美少女耐性を、真正面からぶち抜いてきた桃源郷アガルタもかくやという目の前の光景。

 俺の心臓は、更に胸を突き破らんばかりに鼓動を激しく刻んでしまう。


 だが、ここで取り乱してはいけない。ましてや俺を信用してくれている女性を裏切るわけにはいかない。まあ、そんな俺の鉄の意志も、殆ど無力に近いわけだが――。


 しかし、そんな中においても、俺は桃源郷アガルタからの脱出を決意した。


(いいか、アーク・グラディウス。ここは戦場だ。勝利条件は、隣の眠り姫が起きる前に布団の中から脱する事。万が一、ルインさんに悟られでもすれば、WatchウォッチGenocideジェノサイドで俺の命はない)


 ルインさんの意識が覚醒するまでに、俺の理性が擦り切れるまでに布団から脱出しなければ命はない。既に日はそこそこ昇っている。両方の意味で時間制限タイムリミットは近い。


(そして、このまま悟られないように布団から抜け出て、起きてきたルインさんといつも通りに挨拶を交わし、何もなかったように振舞う。それが紳士ジェントルというものだ。この修羅場を潜り抜け、平穏な朝を迎え――って)


 ミッションコンプリートまでに俺がすべき事は、まず寝間着を掴んでいる手を外し、次は絡まった足、最後に忍びながらベッドから出るというもの。

 二度のイメージシミュレーションを終え、状況開始と洒落込もうとした所で、俺は自分の体に起きていた異変を再認した。


(あれ……どうして俺は、全身・・が動かせないんだ?)


 その異変とは何か――理由は分かっても、原因は分からないソレを確かめるべく、壊れた人形の様に体の右側に首を曲げれば――。


(なんぞこれはッ!?)


 視線の先には、金色の眠り姫を彷彿ほうふつとさせる体勢で寝入っているキュレネさんの姿。しかも、夜に会った時のラフな格好を超えて、何故か下着姿――。


 まあ、起きた時点で全身が動かせなかったのだから、右側にも何かが圧し掛かっているというのは、無くは無い事象だったのかもしれない。しかし、擦り切れ寸前の理性で踏ん張っている今の俺にとっては、色んな意味で止めを刺されたに等しい状況だった。


(おかしい……こんな事、ありえるはずがありえない……!)


 体は全く動かせない。両サイドからは、暴力的な感触がいつも以上の薄着――しかも、片方に至っては、直接攻撃ダイレクトアタックで浴びせられている。

 とうとう俺の語彙力ごいりょくも、ぶっ壊れ始めて限界を迎えた頃、更に事態は一変する。


「アーク様、おはようございます。朝食の準備が出来まし……た?」


 ノックと共に寝室の扉を開いて中へ入って来るのは、朱色の髪を肩口で切り揃えたメイド服の少女。

 最悪のタイミングで鉢合わせたイリゼは俺達を見ると、互いにピシッと石のように固まった。


 そして、俺は思った。


 あ、終わった――と。

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