第113話 月光二捧グ逢瀬

「羨ましいって?」

「あ……いや、勿論、お婆さんの事は痛ましいと思いますし、今のキュレネさんの境遇を冷やかしてるわけじゃないんです。ただ、そうやって自分の中に譲れないものがあるって事に対して――ですかね」


 俺は自分の口から突いて出た事柄について誤解させない様、どこか取り繕うように答えた。


「そう――。嫌いなのね。自分の事が――」


 そんな俺に対してキュレネさんは、ただ一言――そう呟いた。


「――でもね、時々私も自分が何の為に生きてるのか分からなくなる。お祖母ちゃんはあんなだし、他に家族もいない。ヴェルヴェーヌ親子だって、母さんが昔助けた恩に報いたいってランサエーレを抜けてついて来てくれたけど、それも今だけでしょう? だから、怖いの」

「怖い?」

「ええ、お祖母ちゃんが死んで一人になった時、私には何が残るんだろう……って」


 キュレネさんは、少し欠けた月を見つめながら言葉を紡ぐ。


「私が冒険者を選んだのは、家族を守る為――。だから、もし守るものが無くなったのだとしたら、私は何の為に生きればいいのかしら? その後に新しい理由を見つけられるのかしらって……」


 グラディウスも、ランサエーレも、俺たちが生きている限り未来永劫付き纏ってくる事象だ。それどころか、もし家族を作って子を成せば、今度はその子孫にまで名家の血は引き継がれてしまう。

 それが嫌で名を棄てたのだとしても、血は残り続ける。


 結果、全てが破綻してしまった。

 だからこそ、キュレネさんも自分の幸せの形を模索する事が出来ないでいるのだろう。


 それに、俺自身も致命的な破綻の引き金となり、その事象を実際に経験したこともある。故に、かける言葉が見つからない。


 だが――。


「――でも、まだ生きている。貴方が生かしている。だから理由を探す必要はない。それに……きっと、もう見つかっているんじゃないですか? 残るものは、あるんじゃないでしょうか?」

「ボウ、ヤ……?」

「どうして、キュレネさんは記憶も定かじゃない家族の為に命を賭けられるんですか? 見捨てたって、自分で新しい家族を作ったって誰も文句は言えないはずだ。それが、新しい生きる理由になるはずなのに……。それがどんなに楽な道なのかも知っているはずなのに、貴方は人生で一番楽しいであろう時間を犠牲にしてまで、それを選択しなかった。その理由は、なんですか?」


 自分の思考がまとまらない。的を射ていないことも分かっている。

 だが、思いの丈を彼女にぶつける事を選択した。


 彼女は、こんな事で不幸になっていい人じゃない。幸せを掴んで欲しい。

 そう、思うから――。


「名前をよんでくれるのが、嬉しいから――」


 そして程なく、キュレネさんの声に力が戻った。


「昨日の事も、今日の事も、これからの事も忘れちゃうお祖母ちゃんだけど、時々普通に戻る事があるの。その時はね、私の名前を泣きながら呼んでくれるんだ。まあ、一晩もすれば、いつも通りに戻っちゃうけれど……」


 虚ろに月光だけを取り込んでいた瞳に、彼女自身の強い意志が宿る。


「でも、それでもいい。例え一瞬でも、その時間は嘘をつかない、かけがえのないモノだから。きっと、私の支えになっている生きる理由だから――。きっと、一人になっても大丈夫。そんな気がしてきたわ」


 キュレネさんはそう言って、彼女だけの何かを胸に刻み込む様に小さく言葉を紡ぐ。


 自分なりの選択を導き出し、覚悟を決めたであろうキュレネさんの前では、どんなに美しい宝石すらも霞んでしまう。


(あぁ……やっぱり、強いな……)


 そして、やはりそんな彼女を羨ましく思う己の醜さを再認識し、自らを断じるように内心で吐き捨てた。


 ルインさんは、自らの運命に決着を付ける為に――。

 キュレネさんは、守るべき家族の為に――。

 アリシアは、両親の名誉を継ぐ為に――。

 エリルは、片親で育ててくれた家族への恩返しをする為、リゲラは、父との確執をバネに最強の冒険者を目標にしていると訊いた。

 ジェノさんも時折、どこか遠くを見つめている事がある。表に出さないだけで、あの人も何か強い意志の元に動いているんだろう。


 それだけじゃない。


 セルケさんは、亡くなった旦那さんと開いた店を守る為、ランドさんや騎士団長は民草の為、騎士団の連中も自らの意思で奮起して戦う事を選んだ。

 これまで出逢った人達は、皆根底に揺るがない芯のような物を、譲れない覚悟を抱いていた。


 多分、それを強さと呼ぶのだろう。


(――やっぱり、月の光は苦手だな)


 だが、その強さを、俺は持ち得ていない・・・・・・・

 蒼白く冴えた月光は、そんな俺の感情を浄化する事もなく、ただそこに在るがままの姿をさらけ出してしまう。


 俺は形容し難い感情にさいなまれ、前髪を揺らす夜風に身を任せるように瞑目した。


 そんな時だった――。


「――アーク・・・

「――え?」


 視界を埋め尽くすキュレネさんの顔。俺の頬には彼女の手が添えられており、同様に柔らかい感触が伝わって来る。

 突然起こったとんでもない出来事を受けて、俺の思考は処理限界を超えてしまっていた。


「な、にを……!?」

「お礼と激励、かしらね」

「は……?」

「カッコいいところを見せて貰っちゃったけど、弟と雰囲気が似てるから、ほっとけないのよね」


 頬へ口付けされたという事実を次第に脳が理解し、ボーッとする思考の中で顔に熱が集まるのを感じていた。


「流石に不意打ちで口は反則かなって思うから、今日はここまで。面倒事を全部片づけた後に、続きをしましょうか」


 だが、呆然とする俺とは裏腹に、目の前のキュレネさんは月光に照らされながら少女のような微笑を浮かべていた。

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