第112話 欠けゆく月光

「そうか、今日は満月……いや、十三夜月ってとこか」


 音を立てないようにカスタリア邸から出た俺は、少しばかり歩いたところにある平野に佇み、夜天の空に輝く白い月を見上げながら呟く。


 淡い光を放つソレは、満月と呼ぶには少しばかり欠けている。

 それでも尚、大地を照らす月光は田舎特有の眩い星光と交わって、どこか幻想的な美しさを演出していた。


「――月の光は、苦手だな……」


 だが、誰もが見惚れるほどの美しい月光は、俺にとっては過去の残照、罪の証でしかない。


 無力な俺を毎晩照らしていた月光。

 母さんが逝ったあの日の俺を照らしていた月光。

 幼馴染リリアとの決別、自分の過去グラディウスと本当の意味でたもとを分かつと、覚悟を決めたあの日の俺を照らしていた月光。


 いつだってそうだ。

 俺の分岐点には、この淡くも眩い月光が降り注いでいた。


 だからこそ、この光には抗えない。


 だからこそ、俺はこの光が嫌いだった。


 この月光は、俺の罪と弱さを、否応なく白日の下にさらけ出してしまうから――。



「――隣、いいかしら?」

「ええ」


 無言で空を見上げていた俺の隣に新たな人影が現れる。


「こんな時間にどうしたんですか?」

「ちょっと、寝られなくてね」


 夜風になびく髪を手で押さえながら現れたのは、カスタリア邸の主。ラフな格好から長い手足と扇情的な肢体を覗かせている。


「ボウヤこそ、こんな時間にどうしたの?」

「ちょっと、寝られなくて」

「なら、私と一緒ね。でも、ボウヤ的にはルインちゃんと同じ部屋でムラムラしちゃったのかしら?」

「生憎、こんな状況で狼になれる程、図太くありませんよ。逆にぶっ飛ばされそうだし……」

「ふふっ、そんな事ないと思うけどね」


 頬を引きつらせる俺とは対照的に、キュレネさんは柔らかい笑みを浮かべている。しかし、その笑顔には、どこか力がない。


「じゃあ、私とする?」

「はい?」

「――冗談よ」


 俺は、キュレネさんのどこまで本気か分からない発言に、思わず唖然としてしまった。


 でも、何となく空気感が違う。


 ルインさんの時と同様に、やはりいつも通りに話す事が出来ないでいる。いや、キュレネさんにとっては、他者に触れて欲しくないであろう過去を知ってしまい、あまつさえ現場を目の当たりにしてしまった所為で、距離感を図りかねているというのが正直な所か。

 もっとスマートに解決できればいいんだが、対人関係に疎い俺では彼女にかける言葉が見つからない。


「――ごめんなさいね。こんな事に巻き込んでしまって」

「いえ、あれはキュレネさんの所為じゃありませんよ。それに、見方を変えれば魔族に繋がる手がかりを掴めたわけですし……」


 そんな中で紡がれたのは、謝罪の言葉。だが、彼女に非があるわけじゃない。

 アドアと呼ばれていた魔族が何をしたのかは分からないが、それがなくともラセット・ランサエーレの暴走がこの事態を引き起こした。咎めるならその連中だろう。


 まあ、名家の宿命と言ってしまえば、それまでだが――。


「キュレネさんは、これからどうするんですか?」

「どうって?」

「その、ご家族の事があっても、戦闘に参加するのかなって」


 キュレネさんは、難しい立場にある。

 ラセットの身柄が確保されるまで狙われ続けるのは当然だろうし、そもそも解決するなんて確証もない。


 それに、介護の為、護衛の為に第一線を退くというのも、選択肢の一つとしてあるのは事実。


 勿論、戦力的には、あまりに手痛い損失だし、冒険者や騎士団の連中は阻止しようと動くだろう。でも、一番大切なモノや自分自身を犠牲にしてまで、顔も知らない民衆の為に命を賭けろだなんて事は、口が裂けても言えない。


 それは俺自身、人の為、正義の為に戦っているなんていう気持ちは欠片も無いからだ。それどころか、そんな事・・・・はどうでも――。


 だからこそ、キュレネさんが戦場の槍を置くという選択をしたとしても、俺には彼女を責める事は出来ないし、引き留めるつもりも資格もない。


「――当然、戦うわ」

「いいんですか?」

「世界が滅びちゃうんだから、それ以外の選択なんてないもの。勿論、集落ココの人たちの引き取り先が見つかるまでは、今まで通りってわけにはいかないだろうけど……」


 自分の家族を守る為に、集落の人間全てを犠牲にする事は出来ない。だから、彼らの安全確保が出来次第、戦線に復帰する。

 つまりキュレネさんは、戦場から退く理由がありながらも共に戦うと選択してくれたわけだ。


「それに私が稼がないと、お祖母ちゃんが食いっぱぐれちゃうしね」


 そうして月光に照らされる彼女は、どこか儚くもあり、それと反比例する確かな輝きを放っていた。

 しかし、当のキュレネさんは、イリゼは自分で稼げるから大丈夫だろうけど――なんて補足しながら、おどけてみせている。


「――キュレネさんは、強いですね」


 俺は、そんなキュレネさんの眩しさから目を背けながら呟いた。


「そんな事ないわ。それ以外に生きる理由がないってだけ……。それより、今日は格好悪い所を一杯見られちゃったわね」

「いえ、格好悪いなんて――。むしろ、それだけ必死になれる生きる理由があるなんて、少し羨ましいとすら思います」


 彼女が言った自分の心に刻まれた生きる理由。命を賭けてまで成し遂げたい事。


 夢、希望、目標、宿命、誓い・・――他にも様々な称され方をするであろうソレは、きっと誰もが胸に抱いている大切なモノであり、人が人として生きる為の原動力。

 そして、俺には無いモノ・・・・だった。

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