第110話 忘却サレタ記憶

 俺達は少年の証言に基づいて入り組んだ森林に侵入。程なくして、お目当ての人物達と遭遇した。


「大奥様。お体に障ります。戻りましょう」

「ん? もう少し待っておくれ。まだ、探し物があってねぇ」


 視線の先に居るのは、一人の老婆とイリゼをそのまま大人にしたような女性。前者は屈んで何やらしているようであり、後者はそれをなだめながら付き添っている。

 詳細は不明だが、キュレネさんの祖母とイリゼの母親で間違いないだろう。


「――ッ!」


 そして、キュレネさんは、その光景を沈痛そうな面持ちで見つめていた。


「一体、どういう状況なの?」


 俺の隣からひょこっと顔を出したルインさんは、状況を呑み込めないと事の真相をエリゼに尋ねた。その疑問は尤も――というか、俺も同意見だ。

 そう思った理由は、キュレネさんの祖母の様子が、聞いていたよりも全然普通だったから。それこそ、傍らに置かれている杖以外は、ごく普通の老人にしか見えない。


 それに森の中にモンスターがいるらしいとはいえ、既に誰かしらと合流出来ている以上、キュレネさんたちの様子は少々過保護オーバーに受け取れてしまうからだ。


「それは――」

「あん? 見つけたぁ。あんな所にあったのねぇ!」


 しかし、その問い対するイリゼの回答は、老婆の嬉しそうな声に遮られた。つられて彼女の目線を追えば、その先には雄々しい大樹――。


「しかし、あんなに上じゃぁ、ちと老体には堪えるねぇ。ルーチェちゃんも身体動かすの得意じゃないし……」

「あ、はは……申し訳ありません」


 更に注視すれば、大樹の先の方にだけ、白い球形の果実がなっているのが見て取れた。希少品か何かだろうか。恐らく桃の一種であろうそれは、記憶にある同じような果実よりも二回りは巨大にも見える。


 今、この状況を単純に受け取るのなら、老人がお腹を空かせて家を脱走した――そんな、少しばかりの非日常を演出する一コマとしか思えない。


 しかし、そんな光景を受けて僅かに肩の力が抜けた俺とルインさんは、その直後に頭を鋼鉄で殴り飛ばされたかのような衝撃を受ける事となる。


「ちょっと、そこの若いお嬢ちゃん・・・・・。悪いんだけど、あの桃を何個か落としてはくれんかね?」


 老婆は背後を振り向いて、そこにいる誰か・・に声をかけた。彼女の視線は、様子を窺いながら少しばかり離れたところに立っている俺たちに向いてはいない。当然、隣に居て候補から外れているイリゼの母親に対してのものでもない。


 なら、その誰か、という言葉に該当する人間はこの場にいない――。


「ええ、分かったわ」

「そうかい? ありがとうねぇ」


 その答えは、すぐに明かされた。


 既知の仲どころか、血縁関係であるキュレネさんと、その祖母が、まるで初対面・・・であるのように話し始めた事によって――。


「まさか……あの老人はキュレネさんを……」

「こんな、事って……」


 俺達は、目を背けたくなる様なその光景を目の当たりにし、思わず言葉を失った。


「――大奥様は、ご自身の息子様を失ったショックで精神こころを病まれ、それに輪をかけるように奥様とお孫様の訃報を知らされました。そして、絶望に打ちひしがれた大奥様は物事の捉え方が希薄となり、あの日以降の記憶も、定かではありません」

「覚えては、忘れを繰り返しているのか?」

「でも、それならどうしてキュレネさんの事まで……!?」


 あの老人を蝕む精神疾患。

 人間の自我において大きな比重を占めている思考と記憶を捻じ曲げてしまうという、その症状――。

 それはある意味、死よりもむごいものだった。


「大奥様の時間は、あの日、あの時――ご家族を亡くされた時のまま止まっているという事なのかもしれません」

「つまり、記憶にある当時から成長したキュレネさんを、自分の孫として認識出来ていないと?」

「そう考えるのが妥当なのでしょう。尤も、年齢的なものもあるのか、物忘れ自体もかなり重症化してしまっています。毎日顔を合わせている私たちですら……」

「なら、ちょうどそのタイミングでお婆さんから離れちゃってたキュレネさんの事は尚更……」

「――再会した時には、もう……。それどころか、残っていた過去の記憶すら――ッ!」


 イリゼの血を吐くような声音が俺達の鼓膜を震わせる。


 息子や孫たちと余生を全うするだけだった老人を襲った悲劇。

 それに耐え切れず、自己防衛本能から記憶の改竄かいざん・抹消という選択を無意識化でしてしまったのだろう。


(幸せだったはずの、現実から目を背けてでも残しておきたかった記憶までもが欠落してしまっている……という事か。救われない、な……)


 だからこそ、心を閉ざし、壊れたまま虚構の世界に逃げるしかなかった。例えそれが逃避だとしても、失われたものが戻る事は、もうないのだから――。


「これでいい?」

「あぁ、ありがとうね。今日は孫の誕生日だから、好物を集めて腕によりをかけて料理を作ってやらないとねぇ」

「誕生日……」

「ああ、そうさ。あの子たちの親は忙しいし、私が祝ってやらないと……。キュレネの好きなモノばっかりだとイアスが拗ねちゃうし、今日はご馳走ちそうを作って上げないといけないから……。あぁ、忙しい忙しい!」


 目の前に広がるのは、親切な若者が体の悪い老人に甲斐甲斐かいがいしく世話を焼いているようにしか見えない普通の光景。だが、二人の関係性を思えば、酷く歪――。

 いや、余りに残酷すぎる光景だった。


(命からがらランサエーレを脱し、ようやく再会できた家族が自分の事を覚えてすらいない。こんな不条理が――)


 キュレネさんは、血を分けた家族である、あの老人と何度、初対面はじめましてを繰り返したのだろう。

 目の間にいる自分ではなく、虚構過去の家族に向けられたあの笑顔をどういう想いで見続けてきたのだろう。


 ただ、やり切れなさだけが募っていく。


 そうして、込み上げる憤りを抑えていると、左肩に重みを感じ、固く握っていた手が柔らかい感触に包まれた。

 視線を移せば、ルインさんが体を預けるようにもたれかかって来ている。

 そして、俺の拳を包み込んでいる彼女の手も震えていた。


 ルインさんもまた、同じ想いを抱いているという事なのだろう。


 しかし、俺達にはどうする事も出来ない。


 俺たちの魔法チカラは、外敵から誰かを守る・・事は出来ても、本質的な精神ココロまでもを護る・・事は出来ない。

 失われたものを取り戻す事も出来ない。


 それを誰よりも知っているのは、身を以て分かっているのは、他ならぬ俺自身なのだから――。

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