第76話 元なる騎士長

「し、勝者、冒険者――アーク・グラディウス」


 審判の情けない声が会場に虚しく響き渡る。


「ふ、ふざけるな! 俺はまだ!!」

「体力や魔力が残ってるのと勝敗は別問題でしょう? そもそも、ルールを決めたのそっちですし……」


 目の前で喚いているレオンの状態を一言で表すのなら茫然自失。まあ、勝って当然の相手と戦ってこんな状況になっているんだから、まだ頭の方が追い付いてきていないんだろう。


「これで決着。俺達の要求を呑んでもらうってことでいいですよね?」

「な……ッ!? それは……!」


 だが、例え相手が全力を出し切れていなくとも、会場中が目の前で起きた出来事に呆然としていようとも関係ない。


(悪いが、こっちもアンタの個人的な私闘に付き合ってやる程、暇じゃないんでな)


 今俺がここに居るのは、帝都決戦に備える為だ。だからこそ、各々が出来る事を模索して全力で取り組むしかない。

 人類根絶を防ぐにはそれしかないんだ。大きな借りも返さないといけないしな。


「後は偉い人同士に任せますが、ちゃんと約束は守ってくださいね。まあ、証人がこれだけ居るんですから、不正のしようもないとは思いますけど」

「こ、この俺に対して、貴様の様な田舎猿がそんな発言をしていいと思っているのか!?」

「ええ、貴方たちは、こちらの提示した条件を承諾した。この時点で今までの戦いは、帝都騎士団と冒険者ギルド総本部の正式な誓約となったわけだ。“この俺”だろうが、“どの俺”だろうが、こっち側のどこに落ち度があるのか教えてくれると嬉しいのですが?」

「ぐ、ぐぎっ……!!!!」

「負けた時のリスクを気にするんなら、最初から模擬戦なんて受けなければよかった。選択を見誤ったのは貴方たちの方です」


 レオンは鬼の形相を浮かべながら歯を軋ませている。その歯ぎしりの音は、ちょっと離れたところまで聞こえてきそうな勢いだった。およそ、帝都騎士団の団長が浮かべていい表情じゃない。

 しかし、どんな形であれ結果は出た。レオンがどんな功績を成してきたのか、どんな立場の人間なのかは、今は関係ない。


 帝都騎士団は己の誇りと名誉を、冒険者はその存在を賭けて戦い、勝敗は決した。それが全てでしかないんだから――。


「――冒険者風情に我ら騎士が見下ろされる!? こんなことがあっていいはずが……」


 しかし、レオンは頑なに頷こうとしない。その気持ちは分からなくもないが、こっちだって大きなリスクを負っていたし、これまでの奴の言動を思えば同情の余地はないと静観を貫いていたが――。


「……っ!」

(これはこれは……視線が冷たい事極まりない。まあ、大の大人が癇癪かんしゃく起こして、仲間の女子に鉄拳制裁は印象最悪だわな)


 味方のトップであるレオン擁護の声は一つたりとも飛んでこない。まあ、公衆の面前であれだけの横暴を働いたんだから、この反応も無理はないだろう。少なくとも、一般市民に関しては完全にこっちの味方といっていい状況だ。


(しかし、騎士団の連中が助け船を出そうともしないとは……。このオッサン人望なさそうだし、無理もないか。完全に自滅だけど……)


 普段の騎士団がどういう状況なのかは知らないが、この感じからして今日見せたような暴力行為がまかり通っていたんだろう。ストレス解消の為に殴りかかって来るような上官を助けようなんていう酔狂な奴は、この場にはいないという事だ。


 調子の良い時は皆を従わせられていたが、結果を出せなかった所為で、その反動が返って来ている。“勝てば官軍”とは、よく言ったもんだな。


「ふぉ、ふぉ、ふぉ……! 楽しそうなことをしているじゃないか」

「な――ッ!?」


 このままではらちが明かない。さっきも言った通り、交渉は偉い人に任せて退がろうとした時、静まり返るこの場に相応しくないであろう大きな笑い声が聞こえて来る。

 何事かと視線を向ければ、そこに居たのは白く長い髭を蓄えた大柄な老人の姿。


(周りの空気が変わった? なんだ、この爺さんは?)


 その老人は、住民には歓喜を、冒険者俺達には困惑を、そして騎士団には恐怖を与える存在だった。

 呆気に取られている俺たちを尻目に大柄な老人は軽やかに宙を舞い、演習場に降り立つ。


「のう、そう思わんか? レオンや」

「せ、先代……」


 顔を真っ青にしたレオンが乾いた声で呟く。


(先代……ってことは、まさかのこの爺さん……!)


 さっきまでの横暴っぷりが鳴りを潜めてしまったレオンの変わりように驚きつつも、それ以上に奴が放った言葉自体に意識が向かってしまう。


「だ、団長は、長期遠征の最中ではなかったのですか!? どうしてここに!?」

じゃろうが。このたわけが!」

「ひっ!?」

「遠征している場合などではないと戻って来てみれば、このような事態になっていようとは……。帝都騎士団の名折れじゃなぁ」


 会話の内容を汲み取る限りでは、レオンに喝を入れているこの老人は一代前の騎士団長という事になる。せっかくが纏まりかけていた雰囲気が、思わぬ人物の出現で変質したのを明確に感じ取れた。

 それに比例し、否が応にも俺の緊張も高まっていく。


(この老人はどっち側の……)


 何故なら、この老人は決して味方というわけではないからだ。今はごねているレオンをいさめてくれてはいるが、難癖を付けられて状況が悪化する可能性も十分にある。


(話の流れ次第だが、もう一戦くらいは覚悟した方が良さそうだな)


 俺は内心に困惑を滲ませながら、処刑鎌デスサイズの柄を握り直した。


「それはそうと、そこのわっぱ

「――ッ!?」


 そんな時、件の老人の視線に射抜かれ、思わず体を強張らせる。一度緩んだ思考が、再び戦いの熱を帯びるが――。


「事情は大体聞いているが、改めて儂の方からもお前さん達と話がしたい。この阿呆は予想以上に使い物にならないようなのでな。勿論、後ろのお嬢さんたちも一緒にだぞ!」


 老人の発言を受けて冷や水をかけられたかのように平常に戻ってしまう。やたら後半を強調しているこの人に対して思った事はただ一つ。


(この爺さん、なんかノリ軽いな……)


 また濃いキャラをした大人が増えたという事だけだ。

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