第55話 ルイン・アストリアス

「冒険者として再び旅に出た私は、マルコシアスの足取りを追うことを最優先に行動した。残された手掛かりは、魔族と狂化現象。私は情報を集めながら、ペース配分も考えずにひたすらダンジョンに潜り続けてた。他の人を巻き込みたくなかったから、ずっとソロでね」

「孤高の冒険者――“金色の戦帝”ってのは、そういう事からだったんですね」


 冒険者各位から引く手数多であるルインさんが、これまでパーティーを組んで来なかった理由に漸く合点がいった。彼女自身の強さについても同様だ。


(今日の連中が四人で百点満点を目指しているのだとすれば、ルインさんは一人で常に二百点以上を取り続けていた。そして、かたくな想いと彼女自身の才能が相まって、たった一年そこらで冒険者として頭角を現したのか)


 この辺りは、俺とグルガとの闘いにも通じる部分があるんだろう。ソロで危険な状況に身を置き続けるのはリスクが高い反面、短期間に強くなるにはもってこいの方法だからだ。


「そして、私が魔族の情報を求めて狂化モンスターが出現した場所を転々としていた時、ジェノア王国に無色ノージョブの男の子が居るって噂を訊いたんだ。ちょうど、その辺りでモンスターの行動が不規則になってるらしいって情報も入ってきたし、会いに行ってみようって……」

「それが俺……」


 明かされるのは、俺達の出逢いの真相。


「うん、結果的にはね。でも、本当に興味本位……いや、魔が差したのかな。自分と同じ無職ノージョブが、違う場所でどんな風に過ごしているのかっていうのが気になっただけなんだ。だから、もし困ってたら助けて……なんていう気は正直なかった」


 そして、ルインさんの本心を初めて耳にする事となった。


「でも、弟君たちの暴走やアーク君の事情を聞いて、少しでも力になれたらって思ったからセルケさんのお店へ連れて行った。助けた以上は、何かの武器が使えるようになって、どこかのギルドに登録出来るくらいまでは見届けようかなって……。だから、今もまだアーク君と一緒に居るのは想定外なんだ」

「その……どうして、俺と居てくれるんですか? いくら初戦が狂化オーガだったとはいえ、初心者である俺の存在はルインさんの目的に邪魔なはずなのに……」


 この間のギルドスタッフや冒険者連中、竜の牙ドラゴ・ファングから言われた事――俺とルインさんが不釣り合いだというのは、痛い程に自覚している。実際の所、俺と一緒に居てくれる方が不思議なのは間違いない。


 それはずっと気にかかっていたが、ルインさんに訊けなかった事でもある。距離感をはっきりさせてしまった時、彼女が離れていくのが怖かったから――。


「どうしてだろう。ダンジョンに入るたびに限界を超えて成長するアーク君を見て、無職ノージョブと言われた人がどんな道を進むのか見てみたかったのかな。それとも、君と一緒に居るのが嫌じゃなかったのかもしれない」


 そんな俺の不安とは裏腹に、沈んでいたルインさんの表情がほんの僅かであるが綻んだ。


「だからアーク君が他の人と居るのが、何故か気に入らなかった。今の私にとって、隣に居ても苦にならない人だったから――」


 しかし、それも一瞬の事。


「それに……行く先々で事件に巻き込まれたりもしたし、狂化モンスターとかち合う事もあったから、落ち着いてお別れを言えるような状態じゃなかった。でも、ここが潮時なのかも……ね」

「ルイン……さん?」


 目を伏せたルインさんの声音が、再び強張る。


「アーク君もわかったでしょ? 私が君を助けたのは善意からなんかじゃない。自分と同じで虐げられていた無職ノージョブへの興味と哀れみ。連れ回してるのだって、ホントは居心地のいい場所を手放したくなかった私の自己満足でしかない。本当なら、とっくの昔に独り立ちさせてあげられたはずなのに……。Gランクだって馬鹿にされる事もなかったのに……。でも、それも終わり……」


 そして、どこか自嘲するように呟いた。


「アーク君は、どんなパーティーに入ってもやっていける。属性魔法だってすぐ使いこなせるようになると思うし、今なら竜の牙ドラゴ・ファングの人たちだって受け入れてくれるかもしれない。あの人たちと一緒に居れば、アーク君ならきっとSランクになれるよ」


 彼女には彼女の、俺には俺の目的がある。元々が違う方向を向いているんだから、お互いがそれを叶えるために走り出した時、道を違えるのは当然の帰結。


「このまま私と居れば、今まで以上の危険に巻き込まれる」

(分かってた。そう遠くない未来に別れる日が来るって事は……)


 ルインさんの言っている事は、至極正論。


「それに、自分の辛い想いを乗り越えたアーク君に私が教えてあげられることはもう……」

(最初から、分かっていた……はずなのに……!)


 この半年間は、誓いを果たすために摩耗した俺達にとっての休息期間。それはきっと、泡沫うたかたの夢。俺達は理解した上で優しい魔法にかかって、互いに傷を舐め合っていただけだ。


(何故、俺の心は鎮まってくれない……!? どうしてルインさんは……。こんなにも――悲しそうなをしているんだ……!)


 でも、現実を見なければいけない時が来た。優しい魔法は、もう解けてしまった。

 俺達は運命で繋がっているわけでも、世界を救う勇者とお姫様でもないんだから――。


「――ッ!? アーク、君――?」


 互いにとって離れるのが最善のはずなのに、俺は考えるよりも早くルインさんを抱き締めていた。


「やめて……離して……! 私なんかに優しくしないで……ッ!」


 腕の中のルインさんは、身をよじりながら腕で俺を押し返そうとして来るが、普段の彼女とは思えない程に弱々しい抵抗だった。


「私は……目的を果たせない情けなさを紛らわす為に、アーク君を昔の仲間達に重ねて自分を励ます代償行為に利用してただけなんだよ!? その為に連れ回してただけなんだよ!?」


 その気になれば、いくらでも抜け出せるはずなのに……。


「――どんな思惑があったのだとしても、世界に弾き出された俺がルインさんに助けてもらった事に変わりありません。何も果たせずに野垂れ死ぬだけだったはずの俺をここまで導いてもらったことも、戦えるようにしてもらったことも事実です。だから感謝こそすれ、連れ回されたなんて思うわけがない」


 俺は、先達であるルインさんに初めて自分の想いの丈をぶつけた。。


「それに、連れ回したというのなら俺の方。マルドリア通り攻防戦やグラディウス家の一件では、完全に俺の事情に巻き込んでしまった。そんな中でも、命を懸けて戦ってくれた」


 俺は馬鹿だ。

 ルインさんは強い。ルインさんなら大丈夫。そんな無自覚な期待を彼女に押し付け、俺の所為で強いてしまった負担を正当化してきたんだ。


「だから、それは……」


 必要ない重荷を背負わせているにも拘らず、優しい言葉をかけてくれるルインさんに甘えていた。強くなるための最短距離を走っていることに満足して、ルインさんが何を感じているのかなんて二の次だった。俺は自分の事しか考えていなかったんだ。


「私は……!」


 細く、折れてしまいそうな華奢な身体で重圧を背負い、悲しみと憎悪で押し潰されそうになっている事にも気づかずに――。

 ルインさん自身は、こんなにも限界だったのに、俺が走り続けられるように見守ってくれていた事からも目を反らして――。


「さっきも言ったはずです。ルインさんから離れていくことはあっても、俺から離れていくことはないって……」

「――ッ!」


 腕の中のルインさんは、ビクッと身を震わせた。


「だから、俺が貴女に一方的に恩義を感じている事が疎ましいと思うのなら、そう言ってください。俺の存在が邪魔になったのなら、突き放してもらって構いません」

「ズルいよ……そんな言い方……!」


 そして、力なく寄り掛かってきた彼女を受け止める。


 ルインさんが俺を助けてくれたのは、見返りが欲しかったからじゃない。なら、何が一番恩返しになるのかと言えば、俺がSランクになって活躍して、それがルインさんの耳に入る事なんだろう。


 でも、それでも俺は……。


「要るもん……ばかぁ……!」


 目の前で涙を流している、この人の傍に居たいと思った。


 同じ痛みを抱えている俺を必要としなくなる、その時まで――。

 憎しみのくびきから解き放たれる、その時まで――。


――ちゃんと、産んで上げられなくて……ごめんね。


 胸に残った誓い。


――ねぇ……知ってた? 私さ、アークの事が大好きだったんだよ。


 踏みにじって来た想い。


 傷付いたルインさんを放って目的に向かって走り出すなんてあり得ない。

 仮に達成できたのだとしても、自分自身……何より、今まで背負った想いや支えてくれた人たち、ルインさん本人に対してだって誇れるようなものじゃないはずだ。


 だから、ルインさんが傍に居る事を許してくれるのなら、俺は共に在ろう。それはきっと、形だけの称号Sランクなんかよりも、彼女の想いに報いる事だと思うから――。

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