第2話 月光に捧ぐ慟哭

 僕が無職ノージョブであることが発覚して始まったのは、それはもう地獄の日々だ。


「――アーク。これより屋敷からの外出の一切を禁じる」


 茫然自失で家に帰って来た僕に対し、父さんは吐き捨てるようにそう言った。


「と、父さん……? ですが、学園には……」

「お前には教育を受けさせる価値がない。よって学園には通わなくてよろしい」


 僕は、父さんが何を言っているのか理解できなかった。


「貴様は、我がグラディウス家始まって以来の汚点だ! 本当なら存在自体を消してしまいたいが、我が家にも体裁ていさいがある。故に今後は一生、屋敷の中で外の誰にも見られぬように過ごせ! いいな!?」


 自分が“無職ノージョブ”だという事すらまだ受け入れられていないのに、罵声と共に入学したての学園は退学となった。


「何の価値もない無職ノージョブを飼ってやるだけ有難ありがたく思え!!」


 何より父さんに一家の恥だと、もう不要だと言われた事への衝撃は計り知れないものがあった。そして、僕を見る目に侮蔑と憎しみが混じっていることも――。


 それに様子が変わったのは父さんだけじゃない。


 父さんは必死に隠そうとしていたようだが、他の子どもや神官団を通じて僕が“無職ノージョブ”であることは、かなり噂になったらしい。

 その結果、全てが変わってしまった。


「おい、兄さん!」

「ガルフ……」


 特に変化が顕著けんちょだったのは、弟のガルフだ。


「今日は、兄さんのせいで僕が恥をかかされたじゃないか!?」

「何、を……ッ!?」


 僕は出会いがしらに突き出された拳を受け止め、殴りかかってきたガルフを茫然と見る。


「今日、クラスで兄さんの話題が出たんだよ! 先生もみんなも、兄さんを笑いものにしてた……。しかも、陰で皆がグラディウス家の悪口を言ってるんだぞ! 全部兄さんのせいだ!」


 突き出される拳と共に発せられたガルフの言葉は、刃のように僕の心をえぐっていく。


お前・・が、“無職ノージョブ”なのが全部悪いんじゃないか! それなのに何で僕たち家族が恥をかかなきゃいけないんだ!?」


 拳の勢いが増して、次第に捌き切れなくなっていく。


「そのせいで――母さんだって!」

「――ッ!」


 そして、今まで聞いたことのないような声を発するガルフの拳によって、思い切り殴り飛ばされた。


「が――っ!?」


 頬に走った激痛と共に、僕は何度も地面を転がる。


「これが魔法。無能なお前がどんなに願っても使えない力だ!」


 ガルフは、痛みにのたうつ僕を見下ろしながら、翡翠の光を纏う拳を突き出して得意げに叫んだ。


 職業ジョブを得た人間は、魔力が目覚める。

 魔力とは、それを使って戦ったり、怪我を治したりと万能な力だ。魔力を使って行う技は総称して魔法・・と呼ばれている。


 術者は職業ジョブに対応した魔法が使え、逆もまた然り――。


 そして、僕は職業ジョブ適正無し――“無職ノージョブ”。

 極稀に生まれる才能無し。

 つまり、“無職ノージョブ”である僕は、魔法を一切使えない。


「ざまぁないな! 弟相手に拳の一撃で沈められて恥ずかしくないのかぁ!?」

「ぐ……ぁ……」


 僕は反論一つ起こせない。ガルフの言う通り、もう立ち上がることすら出来そうにないからだ。


 魔法と職業ジョブは二つで一つ。対の関係にある。しかも、二つが合わさる事で、その力は更に強力になる。

 “剣聖”のガルフと“無職ノージョブ”の僕とでは、天と地ほどの力の差があるのは、考えるまでもなく明らかだ。

 それこそ、拳の一撃で全てが決まってしまう程の――。


「お前のせいでグラディウス家の品格が落ちた! それなのに……それなのに、お前は暢気のんきに家でお昼寝か!?」

「ぐ……ぁ!?」


 ガルフに胸倉を掴み上げられ、思い切り放り捨てられる。でも僕は、叩きつけられた痛みにうめきながら、地面を転がることしか出来ないでいた。


 天啓の儀以降、僕の生活は一変した。


 通っていた学園を退学させられた。外に出るな、何も考える必要はないと屋敷で飼い殺しにされる毎日。

 父さんからは見放されて、ガルフにはののしられる毎日。ガルフが友人を連れてきて、僕の事をサンドバッグ扱い……なんて事も何度もあった。


 その中でガルフが言うことも、身に染みて感じていた。結果として、僕の事は秘密とは名ばかりの周知の事実になっているのだから、外でどう呼ばれているかなんて想像するまでもないからだ。


「そして、母さんも心労で倒れた!」

「ぐ……ぃ、っ!?」


 ガルフの靴底が僕の顔に押し付けられる。頬をグリグリと踏みにじられる痛みに声にならない悲鳴を上げた。


 だけど、変わってしまった日常の中にあって、唯一変わらないものがあった。それが母さんの存在。

 あの人だけは、僕が“無職ノージョブ”であっても何も変わらなかった。変わらない瞳を向けてくれた。

 でも、今は会うことを許されていない。


 何故なら、母さんは病に倒れてしまっているからだ。


 母さんは、元々体の強い方ではなかったらしい。そんな状態で僕達を身籠みごもった。かなりの難産だったと聞いている。

 そもそも出産自体が大きな危険を伴う行為だし、何より僕達は双子――その上、難産とくれば、母体への負担は計り知れなかったんだろう。

 それ以降、母さんは体調を崩しがちになった。


「僕、っ! だって……」


 そして、とどめを刺したのは、“無職ノージョブ”である僕の存在。


 父を始めとする全ての人間は僕を見下して居ない者扱いか、ストレス解消の捌け口として嘲笑あざわらって来た。良くて透明人間、悪くて家畜程度にしか思われてなかったんだろう。


 そんな中で唯一、母さんだけは僕を守ろうとしてくれていた。

 向いている方向が違うのだから、彼らの折り合いが悪くなるのは、当然の事だったんだろう。温厚な母さんが父さんに対して声を荒げる所を見るのも、厳格な父さんが母さんに手を上げる所を見るのも初めてだった。


 しかも、元々身体の弱っていた母さんだ。これだけ気を張って生活していて、体調を崩さない筈がなかった。そして今は病の影響で、立ち上がるのすらままならない。


 僕の所為せいで――。


「なんで!? かあさんは! おまえ! なんかを!!」

「がっ!? ぐぅ! っぁぁ!?!?」


 癇癪かんしゃくを起こした子供が地団駄じたんだを踏む様に、何度も振り下ろされる足に苦悶の声が漏れる。


「どうして天才の僕じゃなくて、お前ばっかりいいぃぃ――ッ!!!!」

「がっ、あああぁぁっ――ッ!?!?」


 絶叫と共に振り下ろされた足によって、右腕の骨が砕ける音が聞こえた。


「やっぱり僕の方が強いんだ! 僕の方が優秀なんだ! みじめだなぁ! 無様だなァ! なぁ……アーク・・・!!」


 ガルフは母親っ子だった。勉強でも運動でも、誰かに――母さんに褒められたい一心で取り組んでいたのは、僕にもなんとなくわかっていた。

 父さん似の自分と違い、母さん譲りの黒髪と紫の瞳を受け継いだ僕をどこか疎ましく思っていることも。


 そして、運命の日。


 “剣聖”なんていう歴史に残る職業ジョブを獲得して、意気揚々いきようよう凱旋がいせんしてみれば、褒められたい相手であるはずの母さんは僕にかかりきりだ。

 しかも父さんとも不仲となり、挙句の果てに病に倒れてしまうことになった。


 その事に納得がいかないのは、無理もないのかもしれない。


「そうだって……言えよおぉぉぉ!!!!」

「――ッ……ァッッ!?!?」


 ガルフに胸を全力で蹴り飛ばされた事で僕の身体は浮き上がり、庭の池に叩き落される。


「は、ははははっ! アァァクゥ!! これからはもっと僕のストレス解消に付き合って貰うからな! お前には優秀な僕を引き立てる義務があるんだからなァ!!」


 そう言って去っていくガルフ。


「く……そっ……」


 こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかったのに――。

 才能さえあれば、力さえあれば――。


 家族は壊れなかったのに、母さんも倒れなかったのに――。


――全て、所為せいだ。


 止めどなくあふて来た涙が頬を伝って、水面と混じり合った。


 そして、俺の意識は途絶えた。


◇◆◇


 それから二ヵ月後の満月の夜――。


 月明かりに照らされる母さんは涙を流しながらこう言った。


――ちゃんと、産んで上げられなくて……ごめんね。


 それが母さんの最期の言葉だった。


 どうして才能ちからがないのだろう。職業ちからさえあれば――。

 力なく寄り掛かって来る母さんを抱き留め、俺はひたすらに己の無力さを呪った。


 そして思った。この人が命を懸けて産んでくれた俺が欠陥品でいいはずがない。グラディウス家も俺自身の事もどうでもいい。

 せめて、この人が命を懸けて俺を産んでくれたことに意味があったと証明しなければならないんだと――。


 そんな想いが強まっていくのに比例して、抱き留めた母さんが冷たくなっていく。


 そして俺は、大切な人の命が消えていく感覚を胸に刻みながら、月光の夜に慟哭どうこくした。

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