第59話

シンちゃんは、私に最初から反感があり嫌っていた甘党に私の事を話して、甘党も又自分から私についてのどんな情報でも良いから知らせる様にと言ったのだ。        山田、吉川、結城は私と何の関係も無いのにシンちゃんに協力して、それが楽しくて、古田に止めさせられるまで、ずっと虐めをしようとしてした。像足達も山田達と丸で同じで、(やはり古田により)同じに駄目になった。                  今岡は学校を辞めさせられても、デパートで私と母を見れば、まだとんでもない嫌がらせをしようとした。嫌がらせどころか、犯罪をした様にと仕向けようとした!!     樽辺は、教室内で私を犯そうとして追いかけ回し、それを2回も目論んだ。今岡、甘党も協力してだ。              樽辺は若い新人教師の鈴木までもを巻き込み、その鈴木もそれに加担しようとした。 こうしてみると、なんとも恐ろしい…。  だから私は思うが、人間はチャンスがあれば、それをできてそれが問題にならない相手には、意地悪をする生き物なのだ。    しない人間もいる。だが、それも分からない。他の誰かがしていたら自分も面白くなり、やる。又やれと勧められたら、嫌でもやっている内に楽しくなったり面白くなったりして、やる。              全てではないが、そうした人間が多い。又 そうした傾向がある。それは自然な事なのだと。                  だから、できればそうしたターゲットには ならない!!なる何か理由があれば、何とかしなければならない。でないと、ずっとそれは続くから。              そして私が人生で、又この学院の教師や生徒達からもそうだが、学んだ一つには、こうした事を率先してやる人間達は非常に図々しいと言う事だ。              普通なら幾ら何でも、嫌いでも、自分が働いている場所で、自分が訓える立場の人間で、まだ未成年の青少年に対してああした事を色々とできない。倍も年のいった大人がだ。そんな最低な、恥ずかしい行為をして、プライドも何も無い。            あの生徒達もそうだ。よく考えたら、何故自分が避けられたり嫌がられたりしているのかは分かる。それを逆恨みして、自分の知り合いや、虐めてくれる意地の悪い教師に色々と告げ口の様な事をする。された側も喜んで、多勢で虐めや嫌がらせをする。      なのに親に言うからと言われれば、嫌がって困る。姑達や、校長に言いつけられれば恨む。反省の色も無い!!         なんとも図々しい輩だ。自分達のしている事が悪いとは思わないか、又は悪いと分かっていても平気なのだから。         こんなのを相手にはできない。だから、されない様にするしかないのだ。       まずはそうした原因を作らない。だが元々何か原因や理由が(相手からしたら)あるのなら、される訳だ。            なら効果的な対処法を考えて、実行するしかない。黙って我慢したり、いつか収まるだろうだなんて思っても無駄なのだ。そこにいる限りは。                私ももっと早くに、古田に相談をしていたら良かったのだろうし、又はあの時に古田と一緒に警察に行き、樽辺達のした事を証言していたら良かったのだ。そうしたら一発で方が付いた。                本来ならあんな事が起きるもっと前に、母に相談して何とか手を尽くして貰えば良かったのだが、母は母親としてはとても不十分で、無理だった…。             母を、働きに行って家庭を支えていたから偉いだとか凄いだなんて言う人間がたまにいた。母もそう言われて誇りに思ったり、素直に喜んだりしていた。          だが、そんなのは当たり前で何も偉くなんかないと思う人間もいた。母もよく他人や親戚に、自分が家庭を支えているし親や子供を食べさせていると言って威張っていた。そんな大変な事を、女一人がやっているのだからと。(きっと半分は本心、後の半分は只のポーズだろうが…。)親戚も、喜ぶし自分達にはその方が都合が良いからと、持ち上げる連中もいた。               だが、「でもそれは当たり前じゃないの? 自分がそうした状況にしたんだから。」、と言われたり、思われたりした事がある。  自分がそうなる様な相手と付き合い、そういう風になった。なら働きに行かなければ食べられないのだからそれは当然で、偉くはないのだと。                  他にも方法はあったのだから。誰かを見つけてくっつき、食べさせてもらう。結婚をして、養ってもらう。子連れでもかまわないという男を探して。            又は、誰かに私を養子に出す。これは、実際に何度かそうした話があったのだ。    私を外国人夫婦の養子に出した方が私の為だと言う人間が、何人か出て来たのだ。(まだ私が7歳から9歳位の頃だった。)     時間を間に置いてだが、年配の男性や、賢い男性がそうした話を何度か持ちかけた。  そのほうが必ず私の為だし、必ず将来、本人はそうされた事に感謝すると。今は悲しくて嫌でも、将来は絶対にそうなると言って。 そうして、実際に具体的な話を持ち込んできた人間もいる。私がその人や私の家族と一緒に写っている写真を、知り合いの、子供がいないスペイン人夫婦へと送ったのだ。   彼等は以前からとても子供を欲しがっていた。だから私の写真を見て歓喜したそうだ。とても可愛らしくて年も丁度良いから、直ぐにスペインに来る様に飛行機に乗せてくれるか、連れて来てくれだとか、でなければ迎えに日本に行くからと、その日本人男性に頼んだ。                  母はとても悩んだ。だが祖母は猛反対した。他人なんかよりも、やはり本当の親の方が良いに決まっていると言って。       だが真相は、私がいなくなれば母がもう自分の面倒を見なくなるかもしれない。幾らでも一人で好きにできるからと、そう思って恐かったのだ。               結局母はその話を断り、私は8歳位の時に、スペインに渡り、スペイン人になる事は不可能になった。              その男性は非常に母を責めて、考え直す様にと食い下がった。今のままでは娘が可愛そうだと。普通の家庭に育った方が良いと。ちゃんとに両親がいて、その彼等に可愛がってもらい、周りの皆と同じ様な外見の方が良いに決まってるのだからと言って。      言葉なんて、まだ小さいのだからそんな物は直ぐに同じになってしまうから大丈夫だし、まだ子供なのだから新しい環境にも直ぐに慣れるからと言って。           だが、駄目だった。その男性はガッカリしながら、非常に私を憐れみ、今に必ずこの決断を後悔する時が来ると言った。だが、その時にはもう遅いし、どうにもならないと。  そうして、近くにいた私をとても同情的に見つめてから、頭を悲しそうに下げて帰って行った。                 これと同じ内容を、インターナショナルスクールの外国人の年配のシスターも言った事がある。自分が海外に連れて行き、あちらで面倒を見るからと。ちゃんとに大学まで出して、結婚もさせるからと。だから自分の養子にさせてくれないかと頼んだ。そうでないと私が可愛そうだからと。         このシスターもスペイン人だった。日本の このミッションスクールのお偉方で、他のシスターから私の話を聞いて、だから私を学校内で見た。               母子家庭で母親が働いていて、普段はろくでもない馬鹿で自分勝手な祖母に、いい加減な、玩具の様な扱いや育て方をされていると聞いたからだ。             だから、自分がもうそろそろ年なので近々母国へ帰るから、そんな環境にいる混血児で、普通に外国人の子供と同じに見える子供を哀れに思い、将来を憂いた。(この時代はまだ1960年代後半の日本だ。)        このシスターも、必ずそのほうが良いし、スペインに行けばああした外見の子が普通にうじゃうじゃいて何も変わらないから、直ぐに普通に受け入れられると言った。子供だから言葉も少ししたら直ぐに完全に皆と同じになり、最初からそこに育ったのと変わらなくなると言った。そして必ずあちらに行ったほうが、普通に幸せになると断言した。    だが母は家で祖母と相談してからやはり断り、そのシスターは大変に残念がった。そして私の事を最後まで気にしながら憂いて、そうして帰国したと言うのを後から他の、日本人のシスターに母は聞いたそうだ。    正直私は、スペイン人の夫婦の養子になれたら良かったし、本心そう思っている。シスターの養子になり、修道院で暮らしながら学校へ通ったりは嫌だったが、それでも養女になり、スペイン人になり、あちらで普通に生活できたほうが良かったと思う。      どちらの話も、必ずそうだ。あの日本人のオジサンが言った事は当たっている。今に必ず感謝すると。どんなに感謝するかしれないと言ったが確かにそうだ。私は必ずしたと、断言できる。               

母が私に一度、高校生の時に聞いた。あんたはどっちが良かったのかと。それで私は答えた。                  「ママ、ママには悪いけど、そっちのほうが良かったよ。ごめんね。」         母は言った。              「あぁ、やっぱりそうだったんだね?じゃあやっぱりあの時、あの人が言ったのは本当だったんだね。今に必ず本人がうんと感謝するから、絶対に大丈夫だって言ってたのが。」「うん、そうだよ…。」          私は気まずそうに答えると、母も言った。「あの時、そうしてやれば良かったねー。 そうしてやれば…。本当に悪かったよ、しなくて。」                  この質問は、鬼畜達からの執拗な虐めにあっていた時期に、ついに母がやっとなんとかしないとまずいと感じた頃だ。       だが先程言ったが、勿論、それ以後も私の言ったこの気持は変わっていない。養子に出されたほうが良かったし、必ずそのほうが幸せだったと信じている。だからとても残念だ。                  これは自然な気持だから、別に良い悪いではなく、本人がそう感じるのだから仕方がない。                  そして余談だが、私はあの幼年期から何十年後に、スペインに旅行した事がある。アメリカから一人で行った。          本当はイタリアが良かったのだが、イタリアはもっと見る所が多いとイタリア人に聞いていたし、それではと、その時は取りあえずスペインにした。             マドリッドとバルセロナヘ行き、色々と観光した。闘牛も見たし、フラメンコも素敵だった。サグラダ・ファミリアにも登った。お城の中も見たし、沢山の美術館や博物館等にも観光バスで巡った。           バルセロナではスリにあってプラダのサイフをすられた。カードは無事だったからそのままのスケジュールが続けられた。(カードはボンド映画を真似て、靴の中に、確かかかとの横に横向きで立てて入れていたから、盗まれなくて無事だった。)          スリにはあったが、楽しくて良い所だった。駅も大きくてとても綺麗だったし、人も悪くなかった。               レストランやバルでの食事やお酒も美味しかった。バルは何軒か行ったがとても気に入った。                  パエリアは味は良いが、お米がおじやの様に柔らかくて、日本のやつの様に固く無くて芯がないから、日本のほうが好きだが。でもイカの料理や、生ハムは最高だった!!   その滞在中には、本当なら私もこの国の一員になれていたのにと思うと、改めて又残念な気持になった。            只、闘牛はいただけないなぁ、可愛そうで。結果、雄牛の殺しだからなぁ。最後なんて特に可愛そうで。あれには本当に心が痛み、凄くそう思った。             見た席は割と前の方で、安くもなかったのだが、近くに座った母親が幼児二人を連れて来ていて、見ながらお菓子やジュースを与えていた。                 その子達は食べながら見る、違和感無く。何が起きているのかはまだハッキリと分からなかったみたいだが。           そして時折母親が指を指したり、何かを一生懸命に言って話しかける。丸で、アニメを一緒に見ながら話しかける、若い母親という感じだった。               一寸理解できないのだが、きっと文化の違いなのだろう。(でも動物、牛からしたら、恐ろしい虐めなのではないだろうか?何せ徐々に傷つけながら、命を取るのだから。)  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る