第53話

このクライスト学院についてだが、私はその後とても驚いた事がある。それは、私が伊藤冴子や稲川瑠奈から聞いた話以外に、私自身が偶然に知った事なのだが。       どういう事かと言うと、私はその後日本で2回、同じスポーツクラブに通っていた。  その1回目は、私がアメリカに数年間留学をしてから日本に戻り、米軍基地内で働き、その後水商売の世界に入ってからだ。    この、夜働く事になり、私は今迄殆ど酒を飲んだ事は無く、自分は"お酒は飲めない”と思っていたのが違うと分かった。そして、毎晩大量に飲む様になり、ある時期から太り始めた。最初はそうでもなかったが、ブクブクと太り出したのだ。            正直困った!!そしてその姿に、見かねた母が、近所にできたばかりのスポーツクラブへの入会を勧めた。勧めたと言うよりも強制的に入会させられた。           だがこれが良かった!毎日通い、1〜2時間位いる。その間はプールで泳ぐ。大体だが、プールを10回位泳いで往復する。     スポーツクラブに入ってからは、お酒を一切飲まずに烏龍茶だけを飲んだ。又、テーブルにある食べ物も殆ど手を付けない。元々飲む時には食べる習慣が無かったから殆ど食べなかった。だから、とにかく違うのは、酒を完全に止めた事だ。(今は普通に、たまに飲んでいるが…。)             もう当時は尿がオレンジ色で、丸でジュースみたいだった。毎日こうだから心配になり、一度思い切って内科へ行った。      するとやはり、酒の飲みすぎで肝臓が疲れていると言われた。これをずっと続けていたら後10年後位には死ぬと言われた。    又、酒を飲む分量が、毎日御飯を何十杯も食べているのと同じだからと言われた。酒は太らなくないからだと言われた。      だから、スポーツクラブヘ入ってから3ヶ月ほどで、10キロ痩せた。簡単に、みるみるうちに痩せた!!その後は5キロ位が、のらりくらりと落ちた。そうしてついに、元の体に戻った。               ここのスポーツクラブにはそのままずっと 6年間は入っていた。私が退会したのは、 オーストラリアヘ行く事になってからだ。 だが何故オーストラリアヘ行く羽目になったのか?(結果は行って良かったし、その後は又行っている。)だが、それは母のたっての願い、と言うか命令だったからだ。    母は私に水商売を止めてほしかった。年中、その仕事をしている事に対して文句を言っていた。だから、私の従兄弟がオーストラリアに一年間、ワーキングホリデービザで行った事から、あの国へ目を着けた!!そして私に執拗に行く様に食い下がった。      当時は、半年位前に祖母が飼っていた小型犬の老犬が死んでしまい、私は近所のペットショップで、売れ残っていた小型犬の子犬を買って来て、大切に育てていた。だから行くのを拒んだ。               だが母の性格上、私は所有物だ。どんな事でも、自分が産んだのだから自分の子供は親の自由にして良い、と言う考え方だった。  又、言う事を聞かないと自分の親としてのプライドが立たない。それは許し難い事だった。                  自分も私の祖母で、自分の母親には必ず従う、どんな嫌な事でも。もう丸で時代劇か何かの様に。だから自分も、娘にはそれを当たり前に求めた。             だから私は毎日毎日朝昼晩と、母と顔を合わす度に、オーストラリアへしばらく行く様にと執拗に説得されまくり、どんなに反対しても駄目だった。小さな頃からいつもこうした説得をされて来たが、又同じだった。   それで仕方無く、承諾した。他に逃げ道は無かったし、思い付かなかった。      私は渋々、働いていた店を辞めて、オーストラリアへ旅立った。           今でも思い出す。本当に可愛そうだった、私の愛玩犬が…。             ドアにしがみつき、私が、しばらく離れる旨を伝えると、涙目でジッと見つめていた。何かいつもとは違う、ピリピリした様なムードで分かるのだ。             だからドアを閉じても、いつまでもドアの前に座り込んでドアを見つめているのが感じられた、私には分かった。私も涙をこらえた。                  母からは後から聞いたが、彼女はその日ずっと私を玄関に寝そべり待っていたし、普段いつも寝る時間には寝ないで起きていたと。そしてそこでずっとそうして待っていたと。 そして数日間はとてもおかしかったそうだ。それから、もう帰らないのを理解したらしい。                  それからは余り元気が無くなり、いつどんな時でも余り楽しそうではなかった。生き生きしていなかったそうだ。         私も彼女の事だけが心残りだった。物凄く辛かった…。向こうに着いてからも、しばらくはずっと気になっていて、最初の頃は、嫌ではなくてもザッと観光をして、早く戻りたかった。                 私は、オーストラリアへはこうして行った。ビザはワーホリビザではなかった。もう少し年が行っていたから、違うビザを貰った。 それは合計一年分の物で、3ヶ月おきに国外へ出れば、仕事もできると言う物を取得した。(ワーホリビザは、確か25歳迄だったと思う。)                で、オーストラリア内を他のバックパッカー達の様に転々と旅をして廻り、途中たまに日本食レストラン等で少し働いたりした。  (この国での出来事は沢山ある、計り知れない。今に何か記してみたいかもしれない。)私はこのオーストラリアから帰国してからは又行く事になる。そこからは、イギリスへ!何故なら、オーストラリア内で私に執着して、ストーカー行為をしていたしつこいイギリス人と、それなら欧米に住めるから‼と、腹をくくり、結婚してしまったからだ。  母もイギリスヘ来て彼に会い、ガッカリして止める様にとしつこく言った。又オーストラリアに戻り、誰か違う人間を探せと何度も言った。オーストラリア内でも周りの男達から強く反対された。            私も今なら分かるのだが、男が嫌うだとか止めろと言う男と言うのは、やはりろくでもない男なのだ!例え見た目や仕事等が悪くなくても。男同士だとそれが分かるのだ。女には分からなくても、そんなに悪くはない、と思えてもだ。               とにかくこの男とイギリスて結婚してから、二人でオーストラリアに戻り、色々とあり、直ぐに別居、その後は日本ヘと舞い戻った。                  そして母もアメリカの永住権を取得でき、実子の私を申し込んだ。私は正式に離婚をして独りになり、母はアメリカに渡る。でないと私は取得できないからだ。        そうして私は又、前に通っていたスポーツクラブに再度入会して何年も通う事になる。 永住権が下りるまでは何年もかかるからだ。                  この時、スポーツクラブ内にあるマッサージや針を打つ場所があった。たまに何かのサービスで無料券だとかを会員ヘ送って来たり、その時期にカウンターでくれたりをした。 だから私は初めて、鍼灸院だとかヘ入り、数度利用した。そしてこの鍼灸師の仕事に興味を持ち、その後そのマッサージ師で針を打つ先生に、話を聞く事にした。       彼は快く承諾してくれて、何度か暇だと言う時に寄らせてもらい、話を聞き、どうしたらその資格が採れるのかを詳しく教えてもらった。                  そして高卒からそうした学校に申し込めるので、まずは高校の卒業証明書を取り、それをそうした学校に出す必要があるのが分かった。                  だから私はクライスト学院ヘ電話をかけてその旨を告げた。そして学院の事務所に、いついつに取りに来いと言われた。      私はそれを受け取りに、約20年ぶりかに、学校へと歩いて行った。何か複雑な気持だった。内心余り行きたくなかったのだか、仕方が無かった。              学校へとドンドン近付いて行く…。時間は偶然、下校の時間帯だった。        学校からは生徒達が出て来る、そして私の方角へと歩いて来る。教師も数名歩いて来て、すれ違った。              あれ?体が大きくて、角ばった顔の中年の男が歩いて来た。茶色い背広を着ていた。顔には多少シワがあり、割と老けていた。私とすれ違い様に私の顔をジーッと見た。    私も見覚えがあった。名前は何だっけ?あぁ、あれは松山だ!確かにそうだ。    もうすっかり落ち着いて、ベテランのオジサン教師みたいだったし、なんだか少しくたびれて見えた。              それから、青木と鈴木ともすれ違った。青木は辞めたし、その後結婚して子供もでき、家庭に入ったと聞いていた。        じゃあ、子供がもうある程度大きくなったから、又戻って来たのか?毎日でなくても週に何日かは又教えているのかもしれない、そんな風に思った。             あれは必ずそうだ、髪型は違っても。服装も地味でおばさん臭くなっていたが、考えたらこの時彼女は50代だ。そして彼女は私に気付いたかどうか分からないが、私の事を見なかった。                鈴木は、あの樽辺と共謀して、私を空いた教室に引きづり込もうとした教師だ。同僚の松山がそれを救ってくれた…。       この鈴木も地味な服装に変わっていた。茶系の上着に、グレーのズボンで、やはりオジサンの格好だった。私に気付いたかは知らないが、少し横を見ながら通った。      こうして私は、当時知っていたり関わった教師達を何十年かぶりに見た。       そうして門をくぐり、校庭に入ると、部活をしている生徒達の間を足早に通り、事務所がある建物へと入った。此処は銀行のカウンターの様になっていて、中には何人かがいる。だが誰も知る人間はいなかった。     私は来た旨を伝えた。するとその女性が、一寸待つ様にと言って、奥に引っ込んでから戻って来た。そして私はその茶封筒を受け取った。お金を払ったかは覚えていないが、多分少しは発行料を払ったかもしれない。   私はその卒業証明書をバッグに入れると、急いで学校を後にした。母校だなんて関係ない。嫌な所だった。私には恐らく、どの学校よりも一番嫌な所だったと思う。だから校門を出て、急いで家へと歩いた。      家に戻り、中身を開けて見た。良くは覚えていないが、最後の通知表のコピーだかもあったみたいな気もする。そして、私の名前と生年月日と、いつ卒業したかの日付が記してあり、それを証明すると言う文章があった。そして、最後には校長名と学校の名前と住所がだ。                  この校長名を見て、私は凄く驚いた。同時に、相手もきっとそうだろうと。そして恐らくは、非常に不快になったのではないかと思った。逆に、そうなら面白いと思った。  校長の名前には、樽辺幹男と記してあったからだ。  

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