第52話

私はそれからは、そのデパートへはしばらく行かなかった。だがある日、あの階段を駆け下りて逃げた時から少しして、私は一人でその辺りにいた。             そこには有隣堂があり、私は何かを買いに行ったのだ。何だったのだろう、何かの本の筈だ。よく思い出せないが。        そしてこの本屋とあのデパートは、めちゃくちゃ近い。だから本屋から出て来て、そのデパートの近くにいた。勿論中には入らないし、足早にその前を通り過ぎるつもりだった。だがこの日は確か週末だった。    伊勢佐木町通りには、週末にはたまに何か催しをやっていて、この日もそうだったと思う。確か、何かの踊りをしながらその団体が通っていた。だから左右に別れて、道の真ん中をその踊り子達が踊りながら通るのを、大勢の人間が見ていた。          私も、だから中々通れずに、仕方ないからデパートに近い側に立ち、それを見ながら、立ち去るのを待っていた。         するといきなり大声がした。       「助けて〜!!誰かーっ?!」      若い女の、大きな声がした。       その踊り子達はちょうど私が立っていた所から少し離れて前を歩いていた。だからもう自由に、急いでデパートの前を通り過ぎて帰ろうとしていた矢先だった。        そして、一人の娘が走って来た。二十歳位の女の子だった。その子が必死に走って来た。「助けてーっ!!、誰か、助けて〜?!」 大声で叫びながら走る。         皆が驚いてその子のほうを見る。私も見た。その子の髪はうんと濃い茶色で、ほぼ黒に近かった。目は茶色だ。顔立ちは、普通の東洋人ではなく、明らかに白人の血が入っていて、混血だと分かった。         私の栗毛よりも濃い髪色で、私の、周りがほぼ藻の様なオリーブ色で、少し黒目の周りに薄い、カフェオレの様な茶がある瞳とは違う色をしていた。(私のは、アメリカで言うヘーゼルではない。茶の部分が多くないからグリーンと、あちらでの運転免許証にはそう記載されていた。)             彼女は走りながら、まだ道路の左右にいた人達をキョロキョロと見回して、助けを求めた。そして私を見つけると、急いで走り寄って来た。                「ねー、助けて!助けてよ?!」     私は驚いて顔を見た。訳が分からない。  周りの人間もその様子を見て、不思議そうにしている。何なんだろうと。       「助けてよー?!ねー、あんたも同じでしょう?!なら助けてよ〜!!」       私は困って黙っていた。         「ねー、あんただって同じなんだから!! そうでしょっ?!だったら、助けてよ〜!!」               そんな事を言って私の腕にきつくしがみつく。                  その時に、近くで声がした。       「おい、どこへ行った?!」       私は驚いて見た。そこには、あのデパートの店員が3人いた。背が高い中年の、30代の男と、二人の女だ。           男はグレーのスーツを着ていた。女は20代と30代で、二人共、紺の制服を着ていた。この3人が、私の様なハーフの女の子の事を追って来たのだ!!           彼等は彼女が私にしがみついているのを見つけた。                 「いたぞ!!」             男が叫んだ。              ああ、やはりそうか。直ぐにそう思ったし、分かった。               男達は彼女の所に走り寄った。      「おい、やっと見つけたぞ。さあ、一緒に来い!!」                「嫌だぁ〜!!何もしてないもん!!」  彼女が喚いた。             彼女は私の腕を離さない。        男が私の顔を見た。私は焦った。この前の、どちらの男の店員でもない。       私は黙っていた。そして彼女は大きな声で叫んでいた。泣き叫んでいた。自分は何もしていないと。               彼女はこの間の私と同じに、万引の疑いを かけられたのだ。だから、逃げた。それで追われた。だが、上手く店外へと逃げられた。だから、そのまま走り去れば良かったのだ…。                 だが彼女の誤算は、早く何とかしたかった。決着を着けたかったのだ。それで、せっかく外に出たのだから、急いでそのまま逃げおおせは良かったのに、自分と同じ様な人間を見たから、そこで助けを求めたのだ。    恐らくは二人で抗議して頑張れば、諦めて終わりにされるとでも思ったのではないだろうか?                  だが、私は最初何の騒ぎだか分からなかったし、又仮に私が一緒になって文句を言ったとしても、何も変わらなかっただろう。下手をすれば私まで一緒に連れて行かれただろう。仲間だと思われて。           又違うのが分かったとしても、もしかしたら平気で、連れて行かれたかもしれない。何せこの時は、まだまだ差別や偏見がとても強い時代だったのだから。          そして彼女は、この男達に無理矢理に腕を掴まえられると、デパートの中ヘと引きづられて行った。               彼女は大きな声で泣き喚いていた。    「嫌だぁ!!離してよー?!何もしてないんだから〜!!本当なんだってば〜!!」  何度もこうした事を泣きながら叫んでいた。皆周りにいた人間は驚きながらも、ジッとその様子を見ていた。私もその一人だ。   可愛そうだが、何もできない。下手に関わったら巻き添えにされる。彼等は、このデパートの三人だが、とても嬉しそうな顔をしながら彼女を連れ去って行ったのだから。   そして、この男の店員は、この娘が私にへばりついていた時に私の顔を見たのだ。ジッと見た。                 その時私は非常に恐かった。私までついでに連行しようかと思った様に見えたからだ。どうしようかと考えている風に。      もしかしたら本当にそうしようと思ったかもしれない。だが直ぐに、元々外にいた私は関係無いし、そんな事をしたら私の近くにいた人間に変に思われると思ったのかもしれない。                 又、もう一つ考えられるのは、私はその目の色の為、よく本当の外国人だと思われた。顔立ちは別にトゲトゲしくないしそんなに彫りも深くは無いと思う。だが、混血の人間は全てが絶対に目が真っ黒か茶色だと、当時普通の日本人は誰でもそう思っていた様だ。今でもそう思う人間の方が多いのではないだろうか?                  だが、そうしたタイプの混血の人間ばかりでは無い。なぜなら私はアメリカで、やはり瞳の色が違い、黒や茶色でない混血=ハーフに逢ったり、両親といるのを近くで見たりしているから。               だからこの男はもしかしたら悩んだかもしれない。これはどっちだろう?本当の外国人か、混血かと。             もし混血なら、自分達がしている、そうした事はやり安い。だがもし本当の外国人なら、親が仕事に来ている人間の子供だ。普通の家庭で、父親もいる。なら、下手な事をして後から怒鳴り込みに来られても困る…。そう思ったかもだ。              だが混血なら、普通にそこら辺を歩いている様なのは日本人籍で片親だ。母親しかいない。なら何をやってもなんとかなる、平気だ。                  当時は、大概がこんな感じだった気がする。だからこの男も、どちらかハッキリと分からない、又は外国人だと断定したかも?、の相手には、手出しをしなかったのかもだ。  そして連行された彼女は、私が同じ、ハーフ中間だと分かった。多分、顔立ちがトゲトゲしくないしどちらかと言うと大人しそうな、優しい感じの顔なのと、そのムードでだろう。だから私にああした態度を取った。  そして、恐らく彼女は何もしていない。万引なんてしていないだろう。だが、混血の娘が店内を一人でフラフラしている。     だから意地悪い、嫌な奴が、万引をしたと言って、彼女に詰め寄ったのではないだろうか?又は良く取れば、何か紛らわしい態度をしていたから本当にそう思ったのかもしれない。                  そしてその時私には鬼畜のボス、あの今岡の顔も頭に浮かんだ。もしかしたらあの女が、私達親子に万引の罪を被せて奥に連れて行けなかったのを根に持ち、私と同じで混血の、年の近い娘がいたから、あの時の腹いせに彼女を餌食にしようとしたのかもしれない?!そんな事も考えた。あの気狂い女なら十分にあり得るから…。            いずれにしても、その彼女は可愛そうにも、中で色々と不愉快で不当な思いをしただろう…。                 此処は悪いデパートではない。もう今では潰れてしまって無いが、庶民に愛されていた、アットホーム的な店だった。       あんな事があっても、その後私達親子も、又しばらくすると行ったから。一年位は行かなかったが。只もうその売り場には行かなくなったのと、私一人では行かなくなった。  一人で行き始めたのはもっとずっと後で、中年になってからだ。そこが潰れる、何年か前からだ。   続.                     

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