第一章12 『夜もすがら胸焦がる。されど、焦がる』

 北海道のクリスマス。

 それをひとりで過ごすには、あまりに寒い。


 外の階段のすぐ側で、タバコを吸う女性。

 それは、聖夜にふさわしき美しさを持ち、聖夜にふさわしくない孤独をも併せ持っていた。


「ふぅ……」


 タバコの煙が上空に舞い上がり、冷気と混合し、区別がつかなくなる。

 茶髪を巻き、左目を前髪で隠した美女――愛美まなみは、俯瞰するようにイルミネーションを見下ろしていた。


 どうやら、イルミネーション付近で暴力沙汰があったらしい。

 寝取られでもしたのだろうか、と暇な時間を無駄な思考で潰し、彼の到着を待つ。


「――愛美さん、買ってきました」


 タバコを指で挟み、黄昏ていた愛美の背後から声が聞こえた。

 それは、美しく、空っぽで、虚無だった。

 まるで、虚像のように実在するのかすら疑わしい美声。


「……遅いよ、ルカっち」


 炎のように赤い毛先に、返り血を浴びたように残忍な赤眼。

 それとは対照的に、雪のような白貌。


「すみません。ホットを扱ってる自販機がなかなか無かったんで」


 言いながら、そんな美青年――流榎るかは愛美にホットココアを手渡す。


「イルミでも見に行こっかぁ」

「ええ」


 ホットココアで手を温めながら、愛美は先陣を切って階段を下る。その後ろに流榎も無論ついてきている。


 二人は、イルミネーションがよく見えるベンチに腰かけた。


「ルカっち。このあとどうする?」


「帰りたいですね、寒いんで」


「泊まってかないのぉ? 私、こう見えても押しに弱いから負けちゃうかもよ〜? すすきののホテル街なんて連れてかれたら一網打尽よ?」


「そんなに欲求不満ではありません。しかも、愛美さんだってそんな気ないじゃないですか」


 その通りである。

 愛美は流榎のことを恋愛対象として見てはいないし、そういう関係になりたいと思ったことも無い。

 たしかに顔は美しいと思う。

 ――だが、ただそれだけだ。


 彼は空っぽすぎる。

 心を器とするなら、器自体がないのだ。

 箱の中に何も入っていないのではなく、箱自体がそもそも存在しないということ。

 だから、愛美は彼からの下品な劣情を感じたことがない。

 それ故の信頼。

 流榎からしたら、残酷なくらい皮肉なことかもしれないが。


「ルカっち。花美はなみについて、どう思う?」


 その愛美の質問に、流榎は目を細めて「はなみ?」と聞き返した。


「あー、同学年の可憐な女子二人に、花にまつわる異名をつける黒東高校の風習。美しい花を、崇め、讃え、愛でるから、『花美』。逆に、高嶺すぎて近寄れないから、傍観者として眺めることしか出来ない、という意味の『花見』。そのダブルミーニングよ。失礼だから、という理由で美しい花の方の花美で通っているらしいけど。だから、ルカっちの代では、青薔薇と赤薔薇ちゃんね」


「なるほど、随分と詳しいんですね。やはり、愛美さんも――」


「まあね」


 流榎はコーヒーの蓋を開け、足を組んで愛美を見据えた。


「あまり……いいものではないけれどね」


「そうですね。孤立させるためのものでしょうしね」


 気落ちした愛美の言い分に、同意を示す流榎。

 

「ルカっ――」


 と、愛美が流榎に何かを言おうとした瞬間、ある花が彼女の目に止まった。


「……あれは」


 ホットの缶で両手を温める愛美が呟いた先、そこには一輪の薔薇が咲いていた。

 その薔薇は、あまりに季節外れだった。

 赤き花弁を悲壮げに広げ、寂しく佇んでいる。

 

「……ツムギちゃん」


 他を傷つけないため、ただ美しくあるため、それだけのために棘を削り落とした『棘無しの赤薔薇』――慈照寺紬が、ひとり淋しく聖夜に取り残されていた。


「……ルカっち。このココア、彼女に渡してきてあげなさい」


 コーヒーを口に入れる流榎に、愛美はココアを差し出す。

 その命令の対象を流榎も認識したようで、彼は目を閉じ、「はぁ」と嘆息した。

 彼の吐息からコーヒーの匂いはしなかった。


「……紬ですか」


「そう、ツムギちゃん。行ってあげなさい?」


 愛美と同じ運命を辿って欲しくない。

 その程度の考えに至るくらいには、愛美の心は死んでいない。

 もしかすると、慈照寺紬に感情移入をしているだけなのかもしれないけれど。


「ルカっち」


 その芯を持たせた愛美の呼び声に、立ち上がった流榎は振り向いた。


「――彼女を、救ってあげてね」


「それは――」


 流榎は一拍置き、再びツムギに目をやる。

 どこか不快そうに、どこか興味深そうに彼女を見やったのち、流榎は、


次第です」


 そうして、彼――流榎は、ツムギの元へと歩いていった。





「――る、流榎くん……?」


 グツグツと煮えたぎる血、そしてそれを燃やし尽くす炎の擬人化のような存在――流榎が、ココアを片手にツムギのそばに立っていた。


「ああ、そうだ」


 まったくの無表情で素っ気なく肯定する流榎。

 あまりの突然の出来事に、ツムギは動揺を隠しきれない。


「ど、どうしてここに……?」


「君を見つけたから」


 なぜそんな恥ずかしい台詞を言っても、恥じらい一つ見せずに居られるのだろうか。

 

 ――なぜ、こんな臭い台詞を受けて、ツムギの心が愉悦で満ちているのだろうか。

 それがツムギにとっては、甚だ懐疑的だ。


「これ、あげるよ」


 流榎の差し出す手に握られているのは、缶のホットココアだ。

 

「なんで……?」

「寒そうだったから」


 キュン、とツムギの胸が鳴った気がした。

 その自分のちょろさと軽薄さに打ちのめされ、ツムギは自分の胸を握りしめる。


「いらないか」

「……いる」


 流榎から缶を受け取り、凍えた両手を温める。

 少し、冷めてないだろうか……?


「なぜ、こんなとこにひとりで」


「その……レンくんと一緒に来てて……えっと、ちょっと今別行動中というか…………」


「……そうか、龍神たつがみか」


 口を滑らせてしまった、とツムギは後悔した。

 ――だって……だって二人は…………。


「――君は、どっちを選ぶ」


「え?」


 思わず、声が出た。

 どっち? 選ぶ?

 ツムギには欠片も理解できない。

 理解するにしては、あまりに言葉が足りなすぎる。


「いや正確には……。――どっちを選びたい」


 言葉に重みを乗せた流榎の口調。

 選びたい。

 それはつまり、義務ではなく、権利であるということ。

 ツムギ自身の意思が介入し、導き出した結論。

 それを流榎はツムギに聞いている。


「それって……」


 ダメだ。

 全て自分の都合のいいように考えてしまう。

 全部色恋沙汰に持っていってしまう。

 恋愛脳、と小馬鹿にされても微塵の文句も言えない思考回路だ。

 

 そんな甘ったれた思考を駆逐するように、ツムギは自分の両頬を強く叩いた。


「……意味が分からないよ――」


「ああ、そうだな。まだ決めなくていい。だから――」


 食い気味に流榎は質問を取り下げた。

 そして彼は、片手でツムギの頬を優しく触れた。

 流榎の手は、温かかった。そして、冷たかった。


「――来年の修学旅行。そのときに、もう一度聞く」


 終始理解が及ばなかったツムギは、ポカンとして目を丸くしている。

 それを等閑にして、踵を返そうと反転する流榎。

 

「まって――!」


 その流榎の右腕の袖を、ツムギはギュッと握った。

 思考よりも先に動いたツムギの体は、一種の条件反射を起こしたのかもしれない。


 だが、ここで、ここで言わなければ、なにかを。

 ここで、ここで伝えなければ、言葉を。

 そんな焦燥に駆られ、ツムギはじっと流榎の目を見つめる。


「――またいつか、私と会ってくれる?」


 その言葉に流榎は一度瞬きをしてから、


が望むなら」


 そうして彼は腕を振り払い、どこかへと去っていった。


 その背中を見て、一瞬で火が吹き出るように顔を真っ赤にしたツムギは、色以外は赤薔薇にふさわしくなかっただろう。


「なんで……だろう……」


 ツムギは両手で胸を抑え、心を抑え、感情を押さえ、想いを押さえつける。


 咲いてしまった薔薇を土に返そうと、必死に抗う。

 ――もう、戻らないと分かっていながら。


 慈照寺紬の心には、紅き薔薇が咲いた。

 他者のためではなく、自分のためでもなく、一人の青年のために、その薔薇は棘を落とす。

 そうして、棘無しの赤薔薇が、彼女の胸に咲き誇った。

 

 ――それが焦がれるとは、まだ知らずに。  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る