第一章13 『凶暴で共謀な狂暴者』 

 年も明け、2019年に入ってから数週間後。

 流榎はいつも通り、女と過ごしていた。


「――ここで、お別れかな」


 右腕にピッタリとくっついている女に向かって、ルカが別れの言葉を告げる。


「もう……?」


 女は唇を尖らせ、朧げな目でルカを見据える。

 満面の笑みで、女の頭を優しく撫でて、ルカは「ごめんね」と言った。


「むぅ……」


 タコのように唇をさらに尖らせ、女の腕を抱きしめる力が強くなった。


「はあ……。じゃあ、これで」


 それに嘆息しつつも、その茶髪の女を諭すように、胸に引き寄せ抱きしめる。


 ギュッとルカの腕を握り、グッとルカの胸に顔を埋める女。

 数秒してから、女はルカを見上げた。


「また、会ってくれる?」


「さあね。会えたらいいね」


 ルカの言葉を聞いた女は、またルカの体を強く抱き締めた。

 これから会えない期間の、行き場のない感情をぶつけるように。強く、強く、強く。


「……うん、またね……」


「ああ、さよなら」


 重苦しい表情の女に目もくれず、ルカは素っ気なく踵を返していった。


 女と別れ、大通り公園の雪を踏みしめながら、約束の場所へと向かう。


「……だるいな」


 あれは行きずりの女だ。

 ガードが固そうな女だったため、練習を兼ねて今日、声をかけてみたのだが、わずか数十分でルカに懐いた。

 会って数時間も経たないのに、まるで恋人のような態度を取る女に辟易とさせられたルカは、彼女を切ることにした。


 名も知らない女の心を弄んだ挙句、ルカ――流榎は捨てたのだ。

 それが非道だとは、まだ彼は知らないまま。





 木の押し扉を押すと、入店を告げる鈴の音が店内に鳴り響いた。

 その音に呼応するように、流榎は奥のテーブル席に腰かける。


「コーヒー砂糖なしで」


 にこやかな笑みとともに、女性店員に注文を告げる流榎。それに向かいに座る少女――東峰紫苑は紫紺の瞳を細めて嘆息。


「意外だね? キミが外で会おうだなんて」


「…………あの廃ビルは寒いわ。あんたはどうでもいいけど、私が凍え死んだら困るもの」


 流榎――否、ルカの好青年のような口調に、東峰は気後れしながらも返答した。


「あいかわらず辛辣だね? あいにく、ボクにはそういう趣味はないから、期待通りの反応はできないよ?」


「………………」


 呼吸の音すら鳴らさずに押し黙った東峰。

 それを見て、ルカの興味がよりいっそう膨れ上がった。


「無視かぁ。無視は辛いよ? なんか振られたみたいだしね。美人が台無しだよ? ほら、こっちみ――」


「だまれ」


 東峰はキーボードを打ち込むのを止め、小さな掠れ声を流榎にぶつけた。


「あ、いや、わかんないかな? そういう言葉遣いは良くないよ? それとも照れてる? なら大丈夫。だってキミ、可愛いもん。もっと自信もと?」


「……まれ」


 東峰の忠告を無視し、依然として上辺だけの軽薄な口調で言葉を紡ぐルカ。


「だからさ、キミみたいな――」


「黙れ――っ!!」


 ドンっと、両手でテーブルを叩いて立ち上がりながら、東峰が怒号を飛ばした。

 眉をしかめ、目玉が飛び出そうなほどに眼球がよく見え、ただでさえ大きな瞳がより大きく見える狂気の様相を呈しているが、隠しきれない妖艶さも佇んでいる。

 これは、一種の芸術かもしれない。


「急に、どうしたの……?」


「お前……お前、なんのつもりだ……?」


 ルカの怪訝な問いかけに、東峰は瞳に殺気を宿している。


「なんのつもりって?」


「その話し方は、なんのつもりだと聞いている」


 話し方。

 それは、『ルカ』という擬似感情のことだろう。

 流榎は女の子に声をかけるとき、基本的には『ルカ』で接している。

 押し並べて大概の女には『ルカ』が通用したので、興味本位で東峰にも使ってみたのだが、それは愚策だったらしい。


「……分かった。悪ふざけが過ぎた。謝る」


「次それやったら……殺す」


 ルカ――流榎は、冷めた声で発言を訂正、そして謝罪。

 それに腑に落ちないものの、なんとか噛み殺した東峰の一言。

 失策だな。


「例の件について、だ」


「……はぁ。あんたの予想通りよ。これを見て」


 東峰はノートパソコンの液晶を流榎の方に向けた。

 そこに映るのは、何かの掲示板のような、何かのサイトのようなページだった。


「これは――」


「ブラックイースト。黒東高校の裏サイトね。安直な名前だわ。直訳でしかない」


 たしかに安直だ。

 ただそこにあるだけの名前だ。


「分かったわよ。……『花美』について」


 それは、愛美から教えてもらった、黒東高校の悪しき風習だ。

 可憐な少女二人に異名をつけ、崇め、愛でる。

 しかし、それ故に孤立するというもの。


「『花美』の命名に関わっているのは、恐らく同一人物ね。理由は、発表のアカウントが毎年おなじということ。さらに、基本的に一年に一回ね。

――これもあんたの予想通り」


「アカウントの特定は?」


「まだよ……いや、流石にしたくないわ……。でも、共通点をは見出したわ」


 その響きに、流榎は首を傾げた。


「あなた、上級生の花美について知ってる?」


 知らない。

 単に流榎の交友関係が狭いだけかもしれないが、聞いたことすらない。


「聞いたことないな」


「それもそうね。このサイトで付けられた『花美』の被害者たちは、二年か三年の時点で、不登校か中退。いいとこクラスの隅っこでの生活を余儀なくされているわ」


「…………は?」


 思いがけない言葉に、流榎の喉から本音が漏れた。

 花美の寵愛を受けた少女というのは、まさしく高嶺の花だ。

 学校中から一目置かれ、無闇に手を出したらイケナイという暗黙の了解が蔓延っている。

 そんな手厚い待遇を受けた少女らが受けるべき境遇ではないだろう。


「――悪い噂が流されるの」


 言葉に含みを乗せた東峰の声。

 それに流榎は目を細め、次の言葉を静かに待つ。


「無さそうでありそうな噂ばかりね。主に援助交際など性的なものが多い。あとは、交友関係を断ち切るもの。やはり女子生徒にとって性的な噂は、それの真偽を問わず、致命的なものなのでしょうね」


 あまりに他人事な東峰の言葉。

 それは一旦置いておくことにする。


「ちなみに、その悪い噂というのは大体いつ頃に流される?」


「……修学旅行前後ね」


 黒東高校の修学旅行は、二年生の10月から11月の間に開催される。

 つまり、タイムリミットはあと九ヶ月。


「最近の花美は、どうなんだ?」


「今の三年に花美はいない。どちらとも退学したらしいわ。悪い噂が起因して」


「……二年生については」


 すると、東峰はカチカチとキーボードを打ち込み、またもや流榎にパソコンの液晶を向けた。

 そこには、見覚えのない一人の少女が映っていた。


「一人目。涼森蘭すずもりらん。与えられた異名は『白き君影草しろききみかげそう』。現在不登校ね」


 東峰が画像を変える。


「二人目。鈴木蘭すずきらん。与えられた異名は『紅き谷間の姫百合たにまのゆりひめ』。現在は教室の隅っこで生活しているらしい」


 どちらともスズランに関する異名だ。

 そして、流榎はある一つの質問をする。


「この二人の噂が流れた時期は、分かるか?」


「私たちの入学と同じ頃。去年の四月ね。大分早いわ」


 これで、流榎の脳内にある憶測が浮かんだ。


「なるほど。東峰、気をつけろよ」


 その物言いに、東峰は眉根を寄せた。


「君か、紬か。どちらかが、このサイトの運営者に狙われている」


 東峰は目を見開いたあと、「どうして?」と冷静に言った。


「恐らくだが、花美の目的は『美少女の孤立』だ。孤立させることによって、周りが簡単に手を出せないようにする。そして、用が済んだか、それとも手に入れられないのが確定したか。どちらかのときに、悪い噂でも流すんだろ。当てつけだよ、噂は」


 東峰は、まだ腑に落ちないらしい。


「そして、噂の時期だ。例年は修学旅行の前後。これはおそらく、手に入れられないのが確定したことによるものだと思う。たぶん、修学旅行というイベントを通して、花美に『恋人』ができたんだ。だから、その当てつけだ」


 手に入らないとなった瞬間、物のように捨てる。

 それはまあ、比較的合理的なのかもしれない。


「さらに、二年の噂。それが流れたのは去年の四月なんだろ? なら、答えは一つしかない」


 その流榎のヒントに、東峰は頭を回転させた。

 そして、ハッと何かに気づいたように目を開けて、


「私かあの女を、気に入ったってこと?」


「正解だ」


 歴代の花美の少女を東峰に見せてもらったが、その中でも東峰と慈照寺は別格である。

 サイト運営者が気に入るのは無理もない話だ。


「場合によっては、花美を利用してもいい」


「どういうこと……?」


「たとえば、龍神と慈照寺を恋人にする。そうして、花美の噂を流させ、龍神と慈照寺どちらとも精神的に追い詰める」


 だが、一つ懸念点がある。

 それは、龍神蓮たつがみれんなら、慈照寺紬じしょうじつむぎを守りきってしまう可能性があるということだ。

 あいつは確実に、ツムギを見限ることはしない。

 彼が尽力すれば、花美として最高の地位を築き上げてきたツムギの防衛など、造作もない。


 だから、手段は二つしかなくて――、


「花美を妨害する。もしくは、僕と紬がつがいになる。この二つだな」


 または、花美を利用し、弱ったツムギを流榎が奪い取るという方法もある。が、龍神の介入は避けられない。


「……なるほどね。まあ、そのへんはあなたに任せるわ。私も引き続き情報収集はしてあげる」


「君だった場合の話だ」


 東峰は他人事のように話しているが、当然東峰の可能性もある。


「…………私だったら、どうするの」


 流榎は濃い血を貼り付けた赤眼で、東峰の紫眼を居抜く。


「――僕が君を守る」


 その響きに、東峰は呆然としていた。


「…………そ」


「七年前の花美について知らないか?」


 七年前の花美とは、むろん愛美についてである。

 彼女は何か花美の核心を突くものと関わっていそうだ。知れることは知っておきたい。


「いいえ。直近だと四年前が限界ね。まあ、できるだけならやってあげるわ」


「分かった。最後に二つ言うことがある」


 東峰はコーヒーの入ったマグカップを口につけ、上品に琥珀色の液体を口蓋に入れる。


「一つ目。二年生から、さっきみたいな話し方で過ごそうと思う」


 さっきの話し方、とはもちろん『ルカ』のことだ。


「……なにが目的」


「友達――いや、仲間を作る。女を駒とするのにも、あれがもっとも適している。損はない」


「……そう」


「そして、二つ目。

一人目――和倉実わくらみのるに対しての計画を実行しようと思う」


「いつ」


「――2019年4月1日。決行だ」



 ――開幕まで、あと僅か。

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