第一章11 『クリスマスは終わらない』
――2018年12月25日。
クリスマス当日――聖夜の夜は、昨日とさして変わらない光景だった。
舞う粉雪。寄り添う男女。忙しない音楽。七色の光。
それらは、聖夜に備わるオブジェクトの一つにすら、思える。
そんな光景を、ベンチに腰かけ見据える少女――
鎖骨まで伸びた明るい茶髪に、小さな雪が降り注ぐ。だが、触れたらたちまち色褪せてしまう。
海のように澄んだ青眼で、ツムギは儚い景色を見守っていた。
「――すまねぇ。待たせた」
雪国にポツリと、青年の声が響いた。
降りしきる雪を、吹き寄せる風を、鳴り響く音を、あでやかに伝った、たくましい音。
「レンくん」
筋肉がコンパクトに収斂したような、屈強な肉体。
なのに、顔はどちらかというと中性的で、かつ男らしさも兼ね備えた美貌。
雪と対照的な、束感を出した黒髪に溶けた雪を乗せながら、紺色のロングコートに身を包む美丈夫――
「ごめんな、待ったよな。寒くないか?」
現在、待ち合わせ時間の五分前だ。
謝ることはないのに、寒さのため頬を赤くしたツムギをレンは気づかった。
「大丈夫!」
「そうか。ならよかった。じゃあ、どうする?」
「そういうのは、男の子が決めなきゃダメなんだぞ〜?」
白い歯を見せる陽気なツムギに、レンは思わず頬を緩ませた。
「悪い。しかもオレから誘ったのにな。じゃ、回るか」
「うん!!」
そうして、ツムギとレンはイルミネーションを見て回った。
レンはデートスポットをしっかりと決めていたようで、先程の質問はおそらくツムギに気をつかったものなのだろう。
――そういうところに、皆惚れるんだろうな。
龍神蓮とは、学校でファンクラブができるほどの人気者である。
ただ廊下を歩いただけで、周囲の女子から黄色い声が上がるほどだ。
しかし、本人はそれを鼻にかけていないし、むしろ嫌がっている。
基本的に女子からの誘いは全て断り、話しかけられても素っ気なく流すレンだが、それでも相手の女子に最低限の敬意は払っている。
それが、龍神蓮のモテに直結してしまうのだろう。
皮肉なことに。
「レンくんは、彼女とか作らないのー?」
半円形のイルミネーションの中にて、ツムギがそんなことを呟く。
「あ、ああ……まあな」
レンは頬をかき、逃げるようにツムギから視線を逸らした。
レンにまつわる異性交際の音沙汰を、ツムギは聞いたことがない。
あれほどモテるのに、どうしてだろうか。
ツムギがどう頭を捻らせても、それを察することはできなかった。
――皮肉なことに。
「あ! も〜し〜か〜し〜て〜、にぃにの真似してるのぉ?」
「ん? なんでツムギの兄ちゃんが出てくるんだ?」
ニヤケ面を隠すように、口元を手で覆いながら茶化すツムギ。
だが、レンは彼女の意図をまったく汲み取れないようだ。
「だってさ? にぃにもそうじゃん? 女嫌いで有名じゃん?」
そのツムギの補足に、レンは「あっ」と声を漏らし、「たしかに」と合点がいったようだ。
「ツムギの兄ちゃんは、女嫌いっていうか? 彼女さんいるだろ。むしろ、彼女さん一筋というか」
「だよね! やっぱそう見えるよね! 普段にぃにって、彼女にすら素っ気ないじゃん! でも、あれは確実に照れ隠しというか、なんというか……絶対めっちゃ好きだよね!」
満面の笑みで気持ちを昂らせるツムギに、レンは「お、おう」と苦笑を浮かべる。
「まあ、お似合いだよな。ツムギの兄ちゃんはすげぇイケメンだし、彼女さんも美人さんだもんな」
たしかに、ツムギの兄はとてつもない美丈夫だ。
中学生くらいまでツムギも、「にぃにと結婚する!」なんて言ってたくらいだ。
今も大好きなのは変わらない。かっこよくて、優しくて、頼り甲斐があって、何でもできるスーパーお兄ちゃんだ。
「ツムギ、ちょっといいか?」
畏まったように声を硬くしながら、レンがツムギの思考回路を遮断する。
まるで頭の中のシャボン玉が破裂するような錯覚を覚えてから、ツムギは「んー?」と小首を傾げた。
「……オレさ――」
「蓮」
レンの言葉を遮る音――声。
それは声にすら、厳格なオーラと威厳をまとっていた。
レンはツムギから、その声の人物に視線を移動させ、目を見開く。
「親父……?」
そこには、レンの父親であり、政治家であり、現在他の家族とは別居中である、
白髪混じりの黒髪をきっちりと整え、中年特有の薄毛や加齢臭とは無縁の男。
「お前は、何をしているんだ」
驚きを隠しきれない空気を切り裂いたのは、他でもない秀明だ。
「……あ? なにって、ただ遊んでるだけだろ」
「……はぁ。女遊びか」
その悪いニュアンスの言葉に、先刻よりも怒気を込めて、レンは「あ?」と眉をひそめた。
「蓮。悪いことは言わない。家に入れろとも無論言わない。だが、女遊びなどやめておけ。女なんて、学歴と地位、並びに実力さえ手に入れれば、いつでも寄り付く。女遊びは、大学に入ってからでも十分ではないか?」
「……ああ、そうだな。テメェみたいなクズ以下のゲス野郎みたいに、金と地位さえあれば女遊びなんて造作もないことだろうよ」
決して褒め言葉ではない、諧謔でもない、皮肉を込めたレンの言葉。
それに、秀明は今一度嘆息。
「いい大学に入り、私の跡を継ぐ。学歴不要論を投げかける愚か共が今、日本を跋扈しているが、そんなの愚か者の戯言だ。個人の能力が求められる社会になった。それは事実だ。だが、突出した力でも無い限り、その需要はまだ大卒にある。お前は優秀だ。高卒でも十分にやっていけるだろう。だが、保険と言う言葉を知っているだろ? だから、今は学問に励め。お前だって少なくとも――」
秀明は鼻で笑いながら、
「お前の母さんみたいな無能には、なりたくないだろ?」
音がした。
ガサッと、音がした。
「れ、レンくん!?」
ツムギの止める声には気もとめず、レンが秀明の胸倉を掴む。
レンの身長は180センチを超えているため、父のはずの秀明よりも頭の位置が上だ。
レンは瞳に殺気をまとわせながら、
「テメェが、それを……それを、言うな……」
「ほう?」
そんな暴力には屈しないと言わんばかりの秀明の態度。
まるで幼稚園児の駄々でも眺めているような目付きだ。
あのお人好しのツムギですら、少し不快感を抱くほどの。
「テメェが……テメェのせいだろうが?! テメェがあんなふうにしたんだろうが!? 母さんもユリも、あんなんになったのは全部、テメェのせいだろうが――ッ!?」
穏やかな聖夜に相応しくない怒号。
その親子喧嘩とは言い難い、一方的な罵倒を、周囲の人々は遠目に眺める。
この場を収められるのはもはやツムギしかいない。でも、レンはまだしも、秀明を諌めることなどできない。
「暴力か。私が習わせた処世術は、私に手を上げるためのものだったのか? しかし、あの女は無能に違いない。国民的女優という地位に目をつけ、気ぐらいを考慮しての人選だったが、やはり間違っていたのだ。その点だけは、私も無能だった。そう、『お前の母さんを嫁にしたのが』私の唯一の無能なところだ」
「……テメェ、それ以上喋ってみろ、殺すぞ」
「品の無い言葉を使うな――」
がっしりと胸倉を掴まれたままの秀明は、レンから視線を逸らし、ツムギに目をやった。
「慈照寺紬か。成績はトップクラス。交友関係も随一。そして容姿端麗。素晴らしい女じゃないか。聡明さ、社交性、外見、全てを手にした女。そんなのはなかなかいない。悪いことは言わない。レン。その女を貰っておけ。外見だけで選ぶのは間違いという言葉は真だった。そのおかげで私も苦労したしな」
その、女を物としか思っていない最低な発言に、レンは歯噛みしてから、掴む胸倉を持ち上げ、秀明をつま先立ちにさせた。
「苦労……? 家帰ってきて、母さんとユリを殴って、蹴って、家出てって、他の女作って、母さん泣かせることが、苦労か? 随分めでてぇ頭してんな。………………テメェ、マジで殺されてぇのか?」
「他の女を作る私が悪いのか? なぜだ? 私は養っている。豪奢な一軒家を与え、金を与え、自由を与え、さらに、お前らの身勝手な理由で家を追放されて尚、私はお前らの援助をしている。むしろ感謝されるべきだと思うのだが?」
ドン、と鈍い音が鳴った。
聖夜に鳴ってはいけない音だ。
「――ッ! テメェ……マジで殺す」
秀明の顔面に拳を叩きつけたあと、尻もちをついた秀明の胸ぐらを再度掴み、レンがもう一度その顔面を殴打しようとした、そのとき――、
「蓮様。おやめください。これ以上は、先生の沽券に関わります」
レンの体が黒スーツの男――否、男たちに止められた。
数名の黒スーツに、三人は囲まれていたのだ。
「――くっ…………」
レンは馬鹿ではない。
いくら自分が強いからといって、ここで無闇矢鱈に暴れ回るのが得策ではないことくらい、そんなの考えなくてもわかる。
「蓮。お前もわかる日が来る。お前は、かならず私のところに来る」
意味深な言葉を残し、黒スーツに肩を貸されながら車に乗り込んだ秀明とその一行は、高級車で去っていった。
「――――クソッ!!」
「レンくん…………」
近くのベンチを蹴りあげ、怨嗟を漏らすレン。
彼にかける言葉が、ツムギには見つからない。
「…………ごめん。ちょっと、飲みもんとか、買ってくるわ」
ツムギに見せるべきではないと判断したのか、レンが荒ぶった呼吸を無理やり抑えながら言った。
「う、うん……」
「……長くなるかもしんねぇから、寒かったら、中入っててくれても構わねぇ。最悪、帰ってもいいよ。申し訳ねぇが」
「帰らないよ……」
そのツムギの優しさに、レンは奥歯をかみ締め、「ごめん」と言ってから、雪の上を歩いて行った。
ツムギは、ただ呆然とイルミネーションを眺める。
その美貌に似つかわしくない、たったひとりで聖夜を過ごす。
憂鬱と。複雑に。
――突如、頬に熱を感じた。
「ひゃ――っ?!」
熱い、と言うよりは温かいだろうか。
凍えるような寒さの北海道の聖夜には、よく効く、芯から温まるような熱だった。
ツムギが振り向くと、そこあったのは炎だった。
それを見て、ツムギの頬が再び熱を帯びる。
血のように赫い炎。それは、あまりに反則。
「る、流榎くん……?」
そう、炎のような毛先。血のように赤い、赫眼。
赤の寵愛を受けた美青年――流榎が缶のココアを片手に立っていた。
――クリスマスは、まだ終わらなかった。
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