第一章10 『夢は夢でしかない』

 ――2018年12月24日。

 翁草恋は、札幌駅南口駅前広場のベンチに腰掛け、ある人を待っていた。


 粉雪が弱々しく地面に引き寄せられるなか、恋人同士が肩を寄せ合い、イルミネーションに目を向けている。


 カレンもひとりでイルミネーションを凝視するのだが、その淡い七色の光よりも、これから来る男性のことが頭から離れない。


「攻めすぎたかも…………」


 カレンの服装は、オープンショルダーの赤ニットに、白色のマキシ丈スカートだ。

 オープンショルダーとは即ち、両肩を出す実に攻めた格好である。

 ダッフルコートが無ければ、この北海道の冬なら凍死必至だ。


 さらに、頭には白色のベレー帽を被っている。

 ツムギのオススメだ。このコーデはツムギが用意してくれたものである。お洒落に疎いカレンのサポートをしてくれたのだ。

 カレンは頭が上がらない。


「お待たせ」


 両手をこすりながら息を吹きかけているカレンに、何者かが声をかけた。


「る、る、ルカくん……」


 そう、今日の約束の相手は鹿苑寺流榎だ。

 彼は美しい容貌に相応しい、屈託のない笑みで手を振り、カレンの方に向かってきた。


「ごめんね、待たせちゃった?」


「う、ううん。い、いまきた、と、とこだよ?」


 上手く目を合わせられない。

 直視したいのに、瞳が、カレンが、拒絶する。

 見たらきっと、その赤眼に呑み込まれてしまう。

 もう、取り返しがつかなくなる。


「ウソだなぁ。こんなに顔真っ赤にして、手も冷えてるよ? だから、はい」


 ルカはコートのポケットに突っ込んでいた片手をカレンに差し出し、澄んだ笑みを浮かべた。


 その意味を一瞬で理解したカレンは、頬が熱くなるのを感じながら、またもや目線を逸らして逃げる。


「そうだね、ボクたちまだ付き合ってもいないしね。これは、また今度かな」


 いちいち含んだ言い方をするルカ。

 カレンの頬の熱は雪解けを促しそうなくらいまで上がっていた。


「じゃ、回ろっか」

「うん……」


 二人は、イルミネーションを見て回った。

 札幌駅から離れ、大通公園のイルミネーションまで出向いて、仲のいいカップルさながらクリスマスイブの日を楽しんでいた。


 途中で、カレンは緊張なんて忘れ、ルカとの至福の一時を愉快に過ごしていた。


「ね、ねぇ……」


 車道側を違和感なく歩いてくれるルカの紳士ぶりに、感嘆とトキメキを覚えながら、カレンは決心する。


「どうしたの?」


「あ、あの、あのさ……」


 この二ヶ月弱、カレンとルカは何回か遊びに出かけている。

 だが、それほど距離が縮まったようには思えない。

 距離を詰めるのに最も有効な手段。

 それは――、


「あ、ああ、あああ、ああ……」


「あ?」


 言えない。

 声が、肺が、喉が、震えて、声が出ない。

 ここが正念場だ。

 だから、もうどうとでもなれとカレンはやけくそになった。


「あだ名!! ……とか、ど、どうかな……?」


 カレンの大声に、ルカは少し驚いた様子を見せたが、すぐに満面の笑みで白貌は彩られた。


「いいよ、好きなように呼んで」


 困った……。

 決めてきていなかった。

 言われてみればそうだ。呼ばれる本人が指定することは中々ないだろう。

 これは、悪手だ、とカレンは後悔。


「…………………………ルーくん」


 思いつきだ。

 沈黙が長ければ長いほど、次に言葉を繰り出すことの難易度が格段に上がる。

 それゆえ、パッと頭に浮かび上がったニックネームをカレンは声に出した。


「いいね、すごくいいと思う。可愛いね」


 最後の一言で胸が締め付けられるような錯覚を覚え、それと同時に、他の子にも言っているのだろうか、と不安と嫉妬がカレンの胸中に湧き出た。


「…………あ、ありが、と」



 ――その後、レストランで食事をとり、たわいもない話をした。


 時刻は九時を回り、少しずつ人の数が減少傾向にある。


 手を繋いだり、腕を組んだりするカップルが、夢の城に入っていくのを見て、カレンは思わず火照る。

 ……親父ギャグじゃないよ……?


 これから、なんだかんだ言って、自分もあそこに連れ込まれてしまうのだろうか。

 どんな甘言で、どんな理由で、どんな表情で、と乙女に相応しくない劣情まみれの幻想を抱くカレン。

 そう、翁草恋は押しに弱い。

 だから、夢の城に連れ込むことなど、ルカにとっては造作もない。


 ――だが、流榎はカレンをなんとも思ってない。

 否、駒としか、思っていない。


 だから、カレンのそんな幻想は、幻想にすぎない。

 少女漫画となんら大差ない、ただの幻影だ。


「――このあと、少し用事があるから、ボクはここでお別れかな」


 地下鉄の改札前で、ルカがそう言った。

 カレンは気落ちしてしまった。

 お泊まり覚悟で来たというのに、少し早すぎやしないだろうか?

 クリスマスイブの本番って、これからじゃないの?

 と、言いたかったのだが、尻の軽い女だとは思われたくなかったので止めた。


「そ、そっか……。わ、わかったよ。じゃあね、またね、ルーくん」


「うん、じゃあ、また」


 ルカが反転し、そのまま地上への階段を登ろうとする。


「…………どうしたの?」


 気づけば、カレンはルカの袖を掴んでいた。

 ぎっしりと、親に捨てられる子供さながら、涙を目に浮かべ、上目遣いを送っていた。


「………………」


 正直、なぜ自分がルカを止めたのか、カレンにも分かっていなかった。

 だが、ここで別れてしまえば、すべてが崩れてしまうような気がしたのだ、


「あ、あの、あの、ね……」


 カレンの言葉を優しく待つルカ。

 それだけでもう、心が破けそうだった。

 ビリビリに、バラバラに、もう崩れてしまいそうだった。

 だから、カレンは言う。


「――これからも、私と会ってくれる?」


 どもらず、よどみもない声音を一閃、ルカに届けた。


 ルカは美青年にふさわしき晴れた笑みで、


「もちろん」


 そうして、ルカは去っていった。


 カレンの心に、なにかが芽生えた。

 それは、きっとオキナグサだ。


 オキナグサは揺らされる。ルカという紛い物に。

 

 そうして、翁草恋のクリスマスイブは終わった。

 そして、彼女の恋路が、本格的に、始まった。





「おっつぅ」


 喫茶店に入り、一番奥のテーブル席に目をやる流榎に、長い茶髪を巻いた美女が声をかける。


「お疲れ様です」


 流榎は美女の向かいに腰かけ、店員にブラックコーヒーを注文した。


「で? ちゃんと『ルカくん』で接してきたの〜?」


「はい、中々いけますね」


 ルカ。

 それは、ノリのいい好青年のような口調。優しい態度。紳士のような振る舞い。

 それらで取り繕った、流榎の擬似感情のようなものだ。

 ――ツムギと酷似していると、言える。


「まあね? 二ヶ月も女遊びしてたら、そりゃあ女の扱いにも慣れるわよねぇ……。幸か不幸か、顔だけは超絶イケメンなんだから」


 最後の言葉は、褒め言葉と言うよりは、嫌味っぽく聞こえてしまった。


「女遊びと言うんですかね。僕と肉体関係を持った異性なんていませんし、せいぜいハグくらいです。キスだって、愛美さんだけですよ」


「……なに? 口説いてるつもり? 無理よ無理無理。いくら女の扱いになれたからと言って、ナンバーワンキャバ嬢の私に叶うわけないでしょ? 出直してきなさい。童貞青二才くん」


 口説いたつもりなど微塵もなかったのだが、それもアリだな、と流榎は考えた。

 ラスボス、と言えばいいのだろうか。

 女を落としていくにあたって、これ以上の難敵はなかなかいない。

 東峰と愛美のビッグツーだ。

 この二人を落とせれば、流榎の自信にも繋がる。


「じきに、ですね」


「あら、チェリーボーイが随分と驕っているのね、可愛い」


 ストローを噛みながら、流榎に顔を向け、妖艶に目を細める愛美。

 なるほど、これがナンバーワンキャバ嬢のやり口か。


「どう? 好きになっちゃった? カレンちゃん」


「好きになんて、なりませんよ」


 好きになるわけなんてない。それを学ぶために、流榎は行動している、生きている。

 

「ま、ルカっちには『ツムギちゃん』いるもんねぇ」


「…………ツムギは嫌いです」


「あーら? かわいそ。泣いちゃうわよ? ツムギちゃん」


「泣きませんよ、は」


 若い女性の店員がコーヒーを届けてれたので、わざと女性の手に、手をかざしてから、「ありがと」と笑顔を届ける。


 店員は赤面し、プレートを胸に抱いて、すぐにレジへと戻っていった。


 ――ちょろいな。


「そーゆーとこ〜。女たらしねぇ。いつか刺されるわよ」


「知りませんよ、そのときはそのときです」


 届けられたコーヒーを口に入れ、流榎は一息つく。


「愛美さん、これから今までの頻度では会えなくなります」


「あら、私振られちゃった?」


「違います。僕には…………やらなければならないことがあるんです」


 それはもちろん、東峰との計画だ。

 五人に対する空虚な復讐。それが、じきに始まる。


「じゃ、明日がとりあえずラストなのかな?」


「いいえ、頻度が減るだけです」


「へぇー? ま、クリスマス当日にツムギちゃんでも、カレンちゃんでもなく、私を選ぶなんて、熟女好きなの?」


「23の美女が熟女ですか」


 その呆れを含んだ褒め言葉に、愛美は「あ・ざ・と・い」とウインクしながら言った。


「で。今日――イヴは楽しめた?」


 その愛美の問いかけ、

 今日楽しめたかどうか。

 その答えは、一つしかない。


「――楽しくなんてありませんでした。ただ、寒いだけでした」



 ――鹿苑寺流榎に、想いなんて届かない。


 所詮、駒の一つに、過ぎない。

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