第二章9 『白魔の王子様』

 ――カレンの心に過激な承認欲求が芽生えたのと同時刻。

 

 教室には四人の男子が残っていた。

 本来なら五人いたはずのグループが四人しかいない。

 欠けた穴は、深淵のように底の見えない暗闇だ。

 

「……ミノルの件についてだ」

 

 女子がときめく美貌に皺を寄せ、硬い表情で龍神蓮は投げかけた。

 

「オレは……ミノルの言葉を信じる」

 

「あの、死神のやつ……?」

 

 開口一番に友への信頼を語った龍神の補足をするように、須和が言った。

 

「ああ。カメラもあったらしいからな。嵌められたに違いねぇ」

 

「い、いったい誰が!?」

 

 大きな声を上げたのは萩田希だ。

 萩田は和倉と特に仲が良かったため、憤慨を隠しきれないようだ。

 

「……落ち着け、ノゾム。候補はそんなに多くねぇ」

 

 三人は固唾を飲んだ。

 

「お前らは誰だと思う?」

 

 その龍神の問いかけに、三人は首を捻った。

 もし本当に死神というやつが和倉を陥れたなら、完全犯罪だ。

 今後、死神が逮捕されることはない。

 

「見当も……つかない」

 

 押し黙った四人の中で、一番最初に声を上げたのは久米明彦だ。

 

「ああ、お前らは何も知らなくていい。考えなくていい」

 

 想定外の龍神の言葉に、三人は眉間を寄せた。

 

「レン? それはどういう意味だ」

 

「……この件は、オレがなんとかする。お前らは極力目立たないようにしろ。オレたちを狙ったものなのか、ただの通り魔なのか、それともミノルに何か恨みでもあるのか、なんにもわかんねぇんだ」

 

「レン!! お前は……家族のことも、あるだろ? それ以上負担がかかって、大丈夫なのか?」

 

 龍神は唇を噛み締める。

 

「ああ、大丈夫だ。お前らは自分の心配をしろ。なにかあったらオレに相談するんだ。なにか奇妙なことでもだ。些細なことでもいい。バカにしたり、無下にしたりはしない。――――この件は、オレが一人で食い下がる」

 

「レン…………」

 

 三人は、レンの覚悟を目の当たりにし、不甲斐なさを激しく突きつけられた。

 

「ま、杞憂なことかもしれねぇ。ただの通り魔かもしんねぇしな。ミノルの人生にヒビを入れたことは許さねぇが、これ以上削られてたまるかよ」

 

 龍神は立ち上がり、萩田の肩を軽く叩く。

 

「――ノゾム。お前、気をつけろよ」

 

 萩田は目を点にして、「なんのこと?」と疑問を浮かべる。

 

「知らねぇ。なんとなくだ。……絶対にこれ以上いなくなるのは避けろ。ミノルも戻ってこれるんだ。また五人で笑い話でもしようぜ」

 

 三人は固い意思を持って頷いた。

 三人はそのまま教室から出ていき、帰宅した。

 校門を出る三人を教室の窓から眺めてから、龍神は再び考える。

 

 龍神の先程述べた候補者。

 それは一人しかいない。

 ――だが、それを知って生じるデメリットを避けなくてはならなかった。

 その人物の名前を三人に言えば、三人は警戒するだろう。

 

 それがその人物に悟られたら、なにをされるか分からない。

 だから、ポーカーフェイスができる龍神だけしか、探りを入れるのは不可能なのだ。


 

「――――鹿苑寺……流榎――ァ!!」


 

 鹿苑寺の椅子を蹴りあげ、龍神は叫んだ。

 確証はない。

 ただの勘だ。

 

 ――だが、あいつしかありえない。

 あいつなら…………やりかねない。

 

「……協力者も、いるはずだ」

 

 協力者。

 どのくらいのサポートがあるのかは分からないが、中々にキレる。

 叩き潰すしかない。龍神が。

 

 龍神は、四人を守りながら、犯人であろう鹿苑寺流榎を潰す算段を立てていた。

 だが、初日であれだけの地位を確立した男だ。

 

 女子の大部分を味方につけた今、龍神一人の力で失脚させるなどほぼ不可能。

 

 まさに、男版の慈照寺紬的存在。

 

「あんな野郎に、ツムギの名前を出すのは胸糞悪ぃな」

 

 龍神は鹿苑寺を確実に潰す。

 攻撃は最大の防御とも言う。

 だから、弱点をあぶりだし、絶対に壊してやる。

 

 ――オレは、お前を恨む。鹿苑寺流榎。

 

 彼は、まだ気づいていない。

 最も守るべきものが、今この瞬間、犯されていることに。

 

 

 

 

 夕焼けが公園を包み込む。

 中学生がたくさん遊んでいる中、同じく中学生である少女は、ひとり寂しくブランコに座っている。

 

「また……早退しちゃった……」

 

 龍神百合は、PTSDを患っている。

 父親——秀明による虐待。

 小学生の頃に受けたイジメ。

 

 人なんて、他人なんて、大嫌いだ。

 

 百合が信用するのは、木夏と蓮だけ。

 それ以外は、誰も信用出来ない。

 怖い。

 恐い。

 こわい。

 

「目が……怖い」

 

 人の目には感情が宿っている。

 百合に性的ないやがらせをしようと近づく男子の目。

 百合に嫉妬し、からかう、悪辣な女子の目。

 

 それが、怖い。

 

「心なんて……無くなっちゃえばいいのに……」

 

「いい嬢ちゃんじゃねぇか」

 

 ブランコに乗る百合が前を見ると、四人の男性に囲まれていた。

 高校生か、大学生くらいだろうか。

 

「いや、でも流石にガキ過ぎねぇか? 楽しめるもんも楽しめねぇよ」

「ああ、顔は上物だが、体は小学生みたいじゃねーか。どうするよ」

 

 リーダーらしき男は少し考えたあとに、

 

「持ち帰ろう。どうとでもなる」

 

 すると、その言葉を皮切りに、三人の下卑た男が、百合の体を掴んだ。

 

「ぇ……あ……ぁ……ぃ……」

 

 声も出ない。

 涙も出ない。

 

 ハンカチで口を塞がれ、上手いこと四人の男に囲まれているため、公園の誰も気づいてくれない。

 

「――それは少し、乱暴すぎるんじゃないかな」

 

 声が、一閃、轟いた。

 鼓膜が柔らかく揺れるような、美しい音だった。

 

「なんだテメェは」

 

「中学生を拉致、か」

 

 百合が振り返ると、そこには王子がいた。

 

 真っ赤な瞳。

 真っ黒な黒髪。

 そして、赤い毛先。

 

「動画は撮ってるよ。証拠もある」

 

 王子は、携帯を取り出し、動画を再生する。

 

「てめぇ……」

 

「どうする? 立ち去るか、刑務所に行くか、どっちがいい?」

 

「くそが……」

 

 王子の一言で、四人は百合を解放し、汚い言葉を吐き捨てて立ち去っていった。

 

「大丈夫? 怪我はない?」

 

 王子はかっこよかった。

 百合にとって、彼は白馬の王子様だった。

 顔はとてつもないイケメンだし、そしてなにより、

 ――目に感情を宿していない。

 

「ぁ……い……が、とう、ございます」

 

 頬を赤らめ、地面に目をやりながら百合は答える。

 

「そっか。それならよかったよ」

 

 王子は満面の笑みで答え、百合の頭を優しく撫でた。

 かっこよかった。

 本当に、かっこよかった。

 

「ブランコ、好きなの?」

 

「は、はい……」

 

「じゃ、乗ってこっか」

 

「……ぁあ」

 

 百合はPTSDのせいか否か、なんでもすぐにトラウマになってしまう体質だった。

 ブランコに乗ってるときに拉致されそうになったのだ。

 ブランコを一人でなんて、もう乗れない。

 

「よし、じゃあ一緒に乗ろっか」

 

 王子は百合の体を抱き寄せ、一人用のブランコに乗った。

 膝の上に百合を乗っけたのだ。

 百合はこう見えても中学生である。

 だからかなり不格好だろう。

 

「二人なら、乗れるね」

 

 温かかった。

 こたつの中みたいに。

 暖かかった。

 

「う、ん」

 

「名前は、なんて言うの?」

 

「龍神……百合」

 

「ユリって名前か。いい名前だね。すごく可愛い」

 

 耳元で囁かれ、百合の動悸が激しくなる。

 ――バレたくないよ……。

 

「お、お名前は、なんて、言うんですか?」

 

「ボク? そうだね……」

 

 王子は、百合の少し乱れた髪をかき分けて整えながら、

 

「――ルキ。それがボクの名前だよ」

 

 ルキ。

 すごくかっこいい名前。

 

「なんて、呼べば、いいですか……?」

 

「なんでもいいよ」

 

 ニックネームなんて、付けたいな。そう百合は思った。

 

「――ルっくん」

 

 考えるよりも先に、勝手に言葉が出ていた。

 

「いい響きだね」

 

 こんな優しさを感じるのは久しい。

 木夏や蓮以外から向けられる優しさは、本当に久しい。

 

「る、ルっくんは、高校生?」

 

「うん、黒東高校だよ」

 

「お、お兄ちゃんと同じ?」

 

「そうだね。レンくんとは仲良くさせてもらってるよ。いつもキミの自慢ばかりでね。ユリはすごく可愛いんだ、とか。ユリとの結婚を許すのは吉沢亮級のイケメンだけだ、とか。だから、もしボクとユリが会ってるのを知られたら、たぶんレンくんに怒られちゃうなぁ」

 

 ――お兄ちゃんは、こんなに良い人を怒るの?

 百合は首を激しく横に振っていた。

 

「お兄ちゃんには言わない……」

 

「ほんと? じゃあ、二人だけの秘密だね」

 

 二人は指切りげんまんをした。

 百合の心が、チョコレートみたいに溶けてくる。

 トロトロに、ドロドロに。

 

「一人で、寂しくないのかい?」

 

「……寂しいよ。でも、それ以上に、人と話すのが、怖いの」

 

「ボクともかい?」

 

「ルっくんは別だよ」

 

「そうかぁ。でも、ボクはそろそろ帰らなきゃいけないんだよね」

 

 百合の心が焦燥した。

 一人になりたくない、と。

 ずっとそばに、いて欲しい、と。

 

「い、かないで」

 

 気づけば、百合は体を反転させ、ルキの胸に抱きついていた。

 

「わかった。でも、今日は本当に帰らなきゃいけないんだ。約束があるしね。だから、こうしよう」

 

 百合の眼から零れた涙を指で拭き取り、ルキは言った。

 

「これから毎週。ここで会おう。その代わり、キミは頑張って学校に行くこと。辛くなったらなんでも聞いてあげるし、助けてあげるからさ」

 

 百合はゆっくりと首を縦に振った。

 木夏のために、ママのために学校に行くのを頑張っていたが、もう限界だった。

 でも、ルキのためなら……。

 

「でも、一週間に一回しか会えないのは辛いよね、だから――」

 

 ルキはポケットから何かを取り出し、百合に渡した。

 

「お守り、だよ。肌身離さず身につけててね」

 

 百合はそれを受け取り、すぐに鞄にくっつけた。

 

「うん。ありがと、ルっくん……」

 

「いいんだよ。じゃあ、ボクはこれで。気をつけてね。ユリ」

 

 そのままルキはどこかへと去っていった。

 百合の心に何かの芽が生えたのを確認もせずに。

 

 

 

 

「約束の金だ」

 

「おい、やっぱり高くねぇか?」

 

 流榎は、路地裏で四人組の男と対面していた。

 

「前金二万。そして、遂行代が三万。約束通りだ」

 

「いや、でもよ……都合のいい女も紹介してくれるんだろ?」

 

「ああ、僕がお前らの言うことは聞いておくようにしつけておくから、そうなるな」

 

 と言っても、行きずりの女だ。

 こいつらが何か不手際を起こした時、その女性が黒東高校の生徒の場合、流榎に不利益が生じる。

 だから、これから行きずりの女をナンパでもして用意しようと考えていたところだ。

 

「三人ほど用意しとく。だから、このことは忘れろ。僕のことも、あの女子中学生のことも」

 

「お、おう……」

 

 流榎は三万を手渡したあと、鋭い眼光を四人に向け、

 

「――もし、僕のことを少しでも話したら、覚えておけよ」

 

 四人は慌てふためくように、動揺を見せながら、

 

「五万も貰って、女を三人も寄越してくれるヤツを売ったりはしねぇよ……」

 

「ああ、助かる。そして、僕とお前らは――」

 

「赤の他人だな。まあ、数十分前まで赤の他人だったんだけどよ……」

 

 そもそも、この話を持ちかけたのは流榎の方からだ。

 

「お前、そんなイケメンのくせにロリコンなのか? たしかに顔はいいかもしれねぇが、あんなガキンチョ、何のために?」

 

「お前らがそれを知る必要は無い。無駄な詮索はするな」

 

「……わかったよ」

 

 流榎は男から連絡先を受け取り、その紙をポケットにしまった。

 

「女の用意ができたら公衆電話から連絡する」

 

 流榎は四人を残し、その場を立ち去った。

 奴隷となる女三人を探しに。

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